平凡な週末の幸せ
昨日の地震の話題が、今日も散歩仲間の会話に多かった。
由は阪神大震災を経験し、当時の職業の関係もあって、避難所になった学校や、親戚などへのライフラインとして休まずに働いていた。そんな中でインフルエンザにかかってしまったが、1晩で気合で直すなど、相当気が張っていたようだ。それはそうだろう、私も知らない大変な被災地での日々だったはずだ。今もその時の事はあまり語らない。
東京にやってきて、くーが来るまでは近所に知り合いは皆無だった。ただ旅の友人は東京に大勢いたのだが、昨日のような地震があると、近所に知り合いが沢山いる事は、とても心強い事がしみじみわかる。くーちゃんのママ、くーちゃんのパパと呼ばれているが、それはそれで心休まる時間だ。
地平線会議代表世話人の江本さんは、今もパートナーだったくるみちゃんと雪丸くんの突然いなくなってしまった事に、心を痛めている。何も力になれないが、きっと近所では犬仲間の中では、やっぱり犬仲間が心配しているのだろうと思う。私の近所でも、事故により亡くなってしまった犬の飼い主さんが悲しんでいる事を容易に想像でき、何も力にはなれないが一緒に心を痛めている。犬仲間というのは、とても凝縮したひとつのコミュニティであり、それがしっかり機能しているのがそれで証明できる。
地震や災害の時も、エレベータが停まっていたら一緒に行こうかと言い、親身になって心配してくれる。散歩先で遊んでいる時、雨が降ってきたりすると誰かが自宅から車を呼び、一緒に乗っていかないかという。こういう昔からあるような井戸端会議みたいなものが、しっかり現代も機能しているのは、犬仲間の形成する社会くらいなのではないかと思ったりする。
この土日は、朝寝坊し、遅い昼飯を食べ、ちょっと近所に買い物に出、夕方散歩に行って、1日が終わるという極めて平凡な「何もない1日」を繰り返してしまった。しかし、そういう日が積み重なって顔なじみが増え、近所でも笑顔でこんにちは、という話ができるようになる。
犬を飼うようになって、大変な事もある。気軽に家を空けられない事や、旅行に行きにくくなった事、食事をバランスよく与えないと空腹で吐いたり、太ったりしまう事、色々とお金がかかったりする事が、そして何より、怪我や病気で突発的に夜中に病院に行ったり気が気でなくなる事がこれまでなかった事だ。しかしそれ以上に大切なものを沢山くれた。
今、夕方に力一杯遊んできたくーは、大理石のボードの上ですやすやと寝ている。時折、白目を剥いて、足が空中を走っているように動かしたり、はたと目をさまし、伸びをしてまた同じ格好で眠ったり平和な時間を過ごしている。外では相性の悪い犬を牽制し、ボールを奪って走り回ったり、投げてと犬仲間の人の足元にボールをもっていき、しっぽを振って見上げていたりと、忙しく動きまわっている子なのだが、最近は家ではとてもおとなしい犬になってしまった。
寝坊と近所に買い物と犬の散歩だけの土日。案外、一番充実している休日なのかもしれない。

- by
- at 22:45
comments
よんきちが書いてるようなコミュニティが防犯(子供の安全)という観点からも大切だって
言われてるよね。空き巣だの子供へのイタズラとかが増えているのは、そういう地域の
付き合いが希薄になっているのが大きな要因だと。
よんきちが犬友達を通じて感じているような地域の人との関係って実は保育園仲間にもあります。
で、二つに共通してることを考えると、家族に対する気持ちが大切てことかなぁと思います。
あとお互いの苦労を想像できるってこと。
犬友達の皆は、やはり普段から「この子は今なにを感じてるんだろ」という気持ちでいる
から、周りの人の気持ちも感じられる人が多いんだろね。
反面、犬連れてても、子供連れてても、そういう意識が全く感じられない連中も
少なからずいて、それは悩ましいよねぇ…
じんじんさん
そっか、確かに小さい子供を持つ親も、同じような悩みを持っていたり、同じように安全に遊ばせる場所の情報を共有したりするわけだよね。同時に最近多い犯罪への警戒も含めて、やっぱり一人じゃなくて情報交換しないと。そういう意味ではまったく同じなのかも。
犬に関して言えば、散歩という行為を単に犬の欲求や排泄の為に義務的にしている人は、そういうコミュニティに参加しないし、できないといってもいいですね。一人暮らしで犬飼っている人は、仕事遅くなって近所一周しかできないとか。そこで公園のような場所に行くと、初めて交流ができる。
ヒトの子供についても同じで、やっぱり土日に2~3時間とかゆっくりかけて散歩したり、自分からいろいろな意味で面倒臭がらずに心を開いていかないといかんというのも確かですね。
ニンゲンノコもイヌも結局、人をつなげてくれる大事な存在なのかもしれないと思います。(^-^)