2005年08月31日

北海道旅行その5

開陽台→川湯ちゅっぷ→くりーむ童話→和琴→鱒や→マルエー温泉→東武サウスヒルズ→開陽台(テント泊)

20050831.jpg

2005年08月30日

北海道旅行その4

中標津→リバー&フィールド→釧路川→丸福→BUM金沢→青い鳥動物病院→マルエー温泉→スーパーマルエー→開陽台ハイジーの家→開陽台(テント泊)

20050830.jpg

2005年08月29日

北海道旅行その3

宇登呂→浜小清水→網走→網走湖→美幌峠→リバー&フィールド→くりーむ童話→中標津(テント泊)

20050829.jpg

2005年08月28日

北海道旅行その2

風蓮→春國岱→野付半島→羅臼→知床峠→宇登呂(宿泊)

20050828.jpg

2005年08月27日

北海道旅行その1

自宅→平和島公園→平和の森公園→パーキング会社→羽田空港→釧路空港→細岡展望台→厚岸→根室→風蓮(宿泊)

20050827.jpg

さて、出かけるか

これから用意をして、公園経由で羽田のパーキング会社へ。
途中公園で1時間くらい、くーを遊ばせてやらないと。

しかし台風がもう1つ、見えている。それてほしい。願うだけ。

旅の間は暫定で作ったこのあたりを更新していきたい。
http://www.yonkichi.com/straylog/
帰ってから、抜けた分を更新する予定。

2005年08月26日

出発前夜

スローモーションのように、台風11号が荒れ狂いながら関東をかすめて離れて行く。

伊豆大島で強烈な突風の映像が出ていた。昨年あたりから特に台風のパワーを見くびっていたような気分になっている。開陽台で台風越えなんか、若さだけでイベントにしていたようなものだろう。エクスペディションのテントでも、ベースキャンプでは台風位の天気になる事はまれだろう。アタックテントであれば、稜線にそのまま張るという事はまずない。だから台風に向かっていくというのは、やはり当たり前だが危険だ。

ニュースの中では、根こそぎ巨大な街路樹が抜けて倒れたり、トラックが風で飛ばされてひっくり返っていたり、ちょっと前のマンガのような事が起こっていた。台風でこんな事が起こるのか、という正直驚いた。自然界のパワーは、年々高まっているのではないかと思わせられる。これも人間が地球をいじくりまわしすぎたせいなのかもしれない。

アメダスの画像をみると、まだ台風11号の北北西から東の方まで扇状に大雨を降らせながら、反時計廻りに大きく渦巻きながら、北東方面にゆっくりと遠ざかっていっている。明日も北海道には雨が残るような感じだ。

気になるのは赤道上に多くの渦が生まれつつある。帰ってくる日にまた台風がやってこないように祈るばかりだ。まあそれよりも明日の昼の便が無事に羽田を飛び立ち、釧路に降り立ってくれる事を祈ろう。その後、釧路湿原と浜中、根室をまわって、風連で一泊予定だ。AirEDGEが繋がれば、明日も日記を書こうと思う。

とりあえず、今夜は早く準備をして寝よう。明日は6時起きだ。

今回、とても多くの大切な友人から、大丈夫か、行けるよ、というように心配してくれるメールが沢山届いた。みんなが私のブログをみていてくれた。これは心より嬉しい事で、心より友人に感謝したい。こんなちっぽけな人間が、毎日言い訳の多い文章を晒しているにもかかわらず、多くの友人に気にされている事。涙が出る程嬉しい事だ。

本当にありがとう、みんな。明日、気をつけて行ってきます。m(__)m

写真はバイクで北海道に出かける日、その走り出す直前に取った1枚。この日は新潟まで足をついたのは10回位だったと思う。欲は出るもので、天気にも恵まれてほしいと思う旅立ち前夜。

20050826.jpg

2005年08月25日

暴風雨

微妙に上陸するかしないか、という位置を保ちつつ、北上を続ける台風11号。予想進路も随分東にずれてきて、暴風雨圏内からは明後日の昼は、羽田は抜けているだろう。という事は、飛行機の出発は何とか大丈夫ではないか、という気分になってきた。

がしかし、27日の14時前後、台風がどこにいるかによっては、予定している釧路空港に降り立つ事ができない。ノンフィクションかつリアルタイムの、緊迫感あふれるストーリーではないだろうか。と、大げさに言ってみる。

という事は、前線の影響が出て、雨が翌日も残るとしても、遅くても日曜には北海道に入る事ができるのではないかという公算が出てきた。がんばれ、もっと東に流れろ!もっと力強く前線を引っ張っていけ!

という事で、願いを込めて今日も台風への祈りだけとしたい。外は相当雨と風が強まってきて、結構な音が窓越しに聞こえる。

写真は突然のスコールに見舞われ、軒下で雨宿り。目の前は米原第五炊事場。キャンパー数人があわてているが、長い人は動じず、いきなり歯を磨きはじめていた。

20050825.jpg

2005年08月24日

半ば諦め状態

台風の予想ルートは、もうお手上げという状況だ。あとは1日遅れる事で、振替便が取れる事や、宿の変更などがうまくいくことを祈るだけだ。7泊8日の予定が6泊7日になる事が残念だが、とりあえず旅ができればいいと思うようにするしかないと、少し諦めがついてきた。

最後まで望みを捨てはしないが、土曜の7時頃に振替が可能かを電話で問いあわせる事になるだろう。今回は出発ギリギリまで落ち着かない。くーがいる事もあって、気軽に空港まで様子を見にいこうという気にもなれず、困ったものだ。夜の最終便でもあの台風11号の速度の遅さでは、フライトできるか怪しい。

今度の11号は明日の夜上陸したとして、3日間もの間、日本をゆっくり時間をかけてなめていくスロー台風だ。特に前線の影響で長時間大雨が降り続ける事になる為、日本各地で地盤が緩んだ場所では災害が起こる確率が非常に高い。今年は台風のコースが気圧配置の関係もあるが影響が少ないと思っていたが、それがよりによって私の旅の出発の日にやってくるとは…

タイガースが甲子園シーズンを首位を守りつつ乗り切ったという事も影響しているのだろうか。いや、私は特に野球に興味があるわけではないが、由や由のご両親は当然関西なので阪神ファンだ。その関係もあって、別に野球に興味のない私は、阪神の個性的なチーム色が嫌いではないので、まあ応援している。

単なるこじつけなのだが、何にせよとにかく北海道に入らせて欲しい。それだけだ。

写真は由の実家の神戸新聞に折り込み広告で入ってきた電気屋のもの。強烈な製品だった…

20050824.jpg

2005年08月23日

抜けろ!曲がれ!

台風が速度があがらず、本気で今回の北海道の旅がやばくなって来た。

気になっても仕方ないのかもしれないが、性格がなかなか流す事ができない性格なもので、今日は文章が浮かばない…ここまで条件が悪い方に進むと、嫌になってくる。

今年は昨年のように多くないので、安心していたらこの状況だ。まいった…

ブッキング済で影響があるのは行きの飛行機とレンタカーと宿2つ。速度がこれほどあがらないと、28日の振替すら難しい状況になってくる。最悪だ…これほど状況とタイミングが悪い台風は初めてかもしれない。最悪、今年の北海道は諦めなければならないのか。

最悪の状況を考えて、調整の必要な場所にメール攻勢。当日欠航になったらすぐに代替便を確保後、電話をしなければならない先は3件…

写真は職場の窓から。台風通過直後の夕陽。このような金曜の夕方にみせてくれないだろうか。そして、釧路周辺に台風がいない事を祈るばかり。

20050823.jpg

2005年08月22日

台風よ去れ

台風がきている。それもいつのまにか2つ。お互いに進路を干渉しあい、速度とコースに影響が出ている。

旅の中で、台風によって大きく予定を狂わされた事はよくある。殆どが、どこかの宿に避難したりするのだが、フェリーが欠航したりする事も2度あった。今回もどうもいやな動きをしていて、気になって仕事も手につかない。

港まで行って船が出ない事を知り、雨の中霧多布里まで行ったこともあった。また中標津まで戻った事もあった。ただ、出航したはいいが、八戸に停泊してしまった事があったと知り合いに聴いたが、そういう事は経験していない。よほどの時化だったのだろう。

船だけではない、飛行機だってすぐに停まる。電車は相当な事にならないと止まらないが、どちらにせよテントへの負荷は高く、状況によっては怪我をするはめになってしまうのが台風パワーだ。通過するのはあっという間だが、風向きや地形によっては、極端に風速が増幅されたりするので、気は抜けない。

台風が通過するまで、宿から窓の外を眺めているというシュチュエイションが、今でもすぐに思い出せる。静かな時間だが、風と雨の音がうなる。真横に降る雨、どこからともなくころがってくる草の塊など、台風という自然現象のパワーに圧倒されてしまう。

昨年も2日台風をやり過ごす為に、弟子屈の宿で過ごした。宿主さんは退屈にしている旅人に、プラスアルファで特別な料理を出してくれたり、少し雨がおさまったあたりで、温泉まで送迎してくれたりした。レンタカーなら雨でもうろうろするのだが、バイクだとそうはいかない。でもそれなりに旅の間であれば、開き直って楽しむ事もできるだろう。

しかし、出発の日や帰りの日に台風がぶつかると、予定が大きく狂うだけでなく、キャンセルや予定変更などで予定外の出費が発生してしまう事がある。今回はそれになる可能性が高い。

昨年ほどではないが、今年のように折角すくない台風に見事にぶつかってしまうのは運が悪いと言う所か。でも最後まで望みを捨てないで、祈りたい。頼むから、前日までに通過してほしい。そして、飛んで欲しい。頼むぞ、台風11号。さっさと消えろ台風12号。

写真は台風近づく開陽台。ワクワクして写真なんか撮っている。この時の私のテントはまん中のICIスタードーム。

20050822.jpg

2005年08月21日

暗闇に光る鼻

今日はランチョンがやってくる予定なので、朝から掃除やら片づけやらで慌ただしい。洗濯も2度した。めったに私が友人を呼ぶ時に事前あわてる事はないのだが、今日はランチョンが友人を連れてくるとの事で、ちょっと真面目にやらないとという意気込みで早起きした。

結果的には頑張りすぎて少々疲れてしまったのだが、ついでに少し今週末に控えた北海道の用意をした。ガソリンが空に限りなく近い状況の車に近くのスタンドまで行ってガソリンを入れたり、キャンプ用品を詰めたダッフルバックを、折り畳みカートに載せて車に積んだり、車も荷物やくーが載せやすいようにリアシートを畳んで荷室を片づけたりもした。あとは、着替えやくーのペットシーツやフード類を入れるキャンプ用品用ダッフルバックよりひと回り小さいバックに、由の荷物を詰めるだけという所だが、まだ漏れが今週中に気がつく可能性も高いので、荷物が入りきるかどうかまだなんとも言えない。

それ以外には、カメラや貴重品が入ったヒップバック。これはまだ夕方の散歩にも持っていくので完全ではないが、予備バッテリも含めて用意を進めた。今思い出したのは三脚だ。中途半端な三脚しかないので、どうしようか。ジッツォのカーボンが欲しいのだが、最近ちょっと買い物が多すぎて冬まで我慢といった所だ。

熟れ始めたメロンを来客用に切り、汗をかいたのでシャワーを浴びて、漸くほっとひと息。素麺を茹でてお昼を済ませ、軽く居眠りをした。

ランチョンは少し予定より遅れて歩いてやってきた。いつもはバイクで私が苦手な都内を走りまわっているのだが、今日はJRでの登場。日差しは暑いが、少しづつ秋の気配が感じられる中、やってきた。そして、おおよその予想通り、くーが大興奮し、腰に悪いのにとびついて大喜び。これだけ大歓迎するのはランチョンとおっとさん位だ。

犬たちの世界では、飼い主は群のリーダー。だからこそ、犬の中で必ずといっていい程ある上下関係が、飼い主にも影響する。要は自分より強い犬の飼い主には、絶対服従なのだ。散歩をしていても、くーは結構強いので、仲良くしている犬たちが私たちに挨拶にきてくれる事がある。なかなかキビシイのが犬社会なのだ。くーは飼い主が怖い存在で、常に群の中を意識し、気にしている。その飼い主の仲良くしている友人なのだから、当然好意を持つ。ただ、女性には雌という事もあって、そんなに激しい興味を示すような事はないようだ。

一通り歓談しながら、あっという間に夕暮れになり、散歩の時間になってしまった。暑い日は夕方、少し涼しくなったあたりで公園に散歩に出かける。今日も1回だけの散歩だが、私たちが散歩にでかけると同時にランチョンも帰宅。メロンと以前一緒に買ってくれと頼まれた、1カップ用のコーヒーメーカーを持って帰って貰った。
今日はいつもの遊び場の半分を若者(いわゆる近所にある有名な大学の学生だろう)が大騒ぎしながら、バーベキューをしていた。まあいいんだけど、ちゃんと片づけていってくれよ。煙草を投げ捨てたり、大声で叫びまわったり、花火をして片づけなかったり、結構酷い状況を目にする。

まあ犬の飼い主の中にもマナーを守れない人も少なからず居るのは事実だから、それはお互いさまなのだが、公園を管理したまに見回りをしているような人員工数があるなら、きっちりとルールを守るように指導してほしいものだ。言い易い人には態度がいきなり偉そうになって命令口調で言うが、若者のルール違反者には何も言わない。そんなんで給料貰えるなら、就業規則違反だろうと思わずにいられない。結局、管理なんて言葉だけだ。平等にみんなが安全に過ごせるような公園にするには何が必要かという事が、ガードマンを雇い、巡回させているという事実だけに歪曲されている。

散歩に行っていると、陽が長くなっていてもでかける時間が遅いと真っ暗になってしまう。冬なら尚更だが、今日も19時で真っ暗。そんな中、くーは1日で一番幸せな時間を送っていた。写真は遊び疲れて一休みのくー。シルエットだけだが、彼女は今日、大好きなランチョンにも会えたし、大好きな公園で遊ぶ事もできたので、満足だそうだ。

20050821.jpg

2005年08月20日

ニューマシン

ちょっと前だが、リビングのコンピュータを買い換えた。

リビングは基本的には由のメインマシンという位置づけで、2階の納戸部屋にあるのが私のメインマシン。私のマシンは自作機で、少々ゴツい。自作機としては3台目になるが、やはり動作音を抑えるのが難しかったり、長時間連続稼働という部分で不安が残るので、メーカー品もそれなりに信用していたりする。

といっても拡張性がまったくないのも困る。最低でもディスクの交換や拡張カードスロットが空いていたりという点が欲しい。私のメインマシンは全てスロットが埋まっているので、限界に近い構成で長時間使う事は、効率がよい構成とは言えないだろう。程度勿体といった所か。

一番最初に買ったパソコンは、就職前に買ったPC-8801だった。しかし結局の所まともに使いこなす事ができず、BASICのプログラムを遊びで作ったり、ゲームソフトとやらを2本くらいやったりした程度だった。目的もなくパソコンをかっても意味がないという事を証明している。

つい先月までは、リビングのPCはSONY VAIO MXという機種だった。ディスプレイは別売りのモデルを買い、しばらく私のメインマシンだった。これもDVビデオカメラで撮影した動画を、編集できる機種だという事と、24時間稼働ができると想定したメーカー品だったからであるが、これが予想通り拡張性がまったくなかった。

Windows2000Proがプレインストールされていたが、XPにアップグレードしてはブルースクリーンになり、原因が判らず。メモリも2度程、最大容量まであげようと買って交換したが、これもブルースクリーン。成功したカスタマイズといえば、せいぜいディスクを120GBにしたり、Adaptec SCSIカードやカノープスのダウンスキャンコンバータを追加した位だった。ディスクを交換した際も、リカバリディスクでは80GB以上認識せず、BIOSアップデートも出ていなかった。流石SONYといった所だろうか。

このメインマシンでの問題は、やはりメモリが少なく、mpegやaviファイルの再生や、Photoshopなどの画像処理系ソフトウェアのスワップの多さで、とても処理時間がかかるという事だった。特に由がPhotoshop、Illustratorなどを同時に使用する時は、イライラさせられるレスポンスだった。

それも気になっていたが、できればWindows2000ではなくXPにしたかったというのもある。セキュリティ機能の面で、そろそろ次世代のVistaもβが出ている事もあるので、さっさと安心できるOSに変更していきたかった。そこで、ずっと気になっていたシャトルのベアボーンを使ったキューブ型をずっと気にしてきた。

定期的にこのベアボーンをベースにして製品として保証を付けて販売しているBTOメーカーのウェブチェックしていると、アウトレットによさそうなのがあるのを見つけた。基本的にはこの機種と同じ構成なのだが、違うのはディスクが200GBであり、OSがないモデルという点くらいしか変わらないもので、68,000円だった。まあアウトレットなので、展示品とかの場合もあるのだが、ここのアウトレットのポリシーを見て、まあ値段が格段に安い点を考慮して数日考えたあと、購入を決めた。

購入後、メモリが512MBだったので512MBを2枚構成に変更し、1GB(ハイパー・スレッティングなので512MBが2枚構成)に交換。そしてディスクのアクセス音があまりにもうるさいので、いつも使っているMaxtorの流体軸受の250GBに交換した。これで求めるスペックを満足できるいうレベルまで持ってこれた。トータルで86000円という価格になったが、静音性も、排熱性もそこそこ満足のできる構成になった。

今はテレビで動画を見たり、付属しているチューナーで裏番組の予約や鑑賞もできる。PhotoshopやIllustrator、PaintShopPro、ブラウザ、メーラーなど同時稼働させている時に、ファイルをネットワーク経由で書き込んだりしてもパフォーマンスは落ちない。最新機種ではないが、充分な性能なので満足だ。おまけに小型でデジカメの画像もこれまでのようにPCカードアダプタを使ってスロットにマウントしたり、USBケーブルで繋がなくても、フロントに全てのメディアスロットがある。またDVD-Rも本体のドライブで焼けるし、DVD-RAMも私のメイン機ではカートリッジのまま使えるのだが、取り出せばこいつでも使えるというのがいい。

10万以上の予算でパソコンを買おうなんて思わなくなった。そして、定期的に新型に買い換えるのが一番よいという持論を持っているので、こんなもんではないかと思う。旧型はおっとさんの所にいく予定だが、その前にディスクを交換してリカバリをしようと思っている。まあそんなガリガリ画像処理をしなければまだまだ充分使えるし、OSを立ち上げなくてもCDやMDが聴けたり、テレビ録画もできるAVパソコンなのだから。

写真は到着した箱を前に。箱もちっこくてなかなかよろしい。このニューマシンは、旧マシンでできた事は全てでき、全てにおいてグレードが上ったという機能を持っている。しかし音だけはちょっとだけ、うるさくなってしまったが…

20050820.jpg

2005年08月19日

鉄の旅

鉄(テツ)といえば、旅の世界では鉄道愛好家で鉄道を使ったり巡ったりする事を指すのだが、実際に会ったことや見たことがないと、何の事やらさっぱりわからない呼び名だろう。

多くの鉄は鉄道ヲタクと同義語であり、今でいうマンガやアニメのヲタクと同類に見られる事も少なくないのではないだろうか。殆どのその方向の人は、微妙に路線が違うだけで、同類に見られる事を嫌う。それは普通の人も、類友のように親しみを込めていわれる場合ではなく、私と君とは違う、と否定してしまうだけで、特にそれ以上の事ではない。

既に話題としては遅いのだが、現在テレビで放映中の「電車男」というドラマがある。既に映画は封切られロードショー中で、原作本までベストセラーになっているのだが、別にそれは鉄の話ではない。しかしヲタクと大きくリンクしている主人公がいる事で、妙に題名から自然に想像してしまう。

このストーリーもう有名な話になったのだが、発端になった2chのスレッドこそリアルタイムで見てはいないが、本になる前にはこの話を知っていた。ネットに存在する情報をまとめたサイトを知り合いから教えて貰って知ったのだが、まあ何だか2chの社会的立場も随分変わってきたきっかけにもなっているストーリーでもあるので、よく憶えている。大抵は2chは悪い話題で取り上げられる事が多いのだが、こういう話題があってもいいんではないかと思わせるものだった。

そのテレビは録画しながら見ている。録りためてから一気に見ようかと思ったが、少しづつ見始めてしまった。そこに出てくる主人公を慕うPSPで遊ぶ子供が妙に笑えた。どこから連れてきたのか、どうみても鉄なのだ。セリフを憶えるだけでも大変なのに、総武線の駅を暗唱できるなんていうのは、ネイティブじゃないだろうかと思う。

実際に旅をしていて、ユースやとほ宿に泊まったりすると、高い確率で鉄な旅人に出会う。判る人には判るのだが、それは一見して判るのだ。別に会話をきっかけにするのでもなく、同じ臭いがするのでもなく、あっ、という一瞬にそれを感じるのだ。オーラというか、そういうものを持っている。というのはちょっと大げさなのだが、要は容姿やファッションでそれを感じる事が殆どなのだ。

ただキャンプをしているとそういう旅人と会う確率は減る。鉄道で旅するとはいっても、今北海道はどんどん鉄道路線が減っている。バス路線に変わり、旅をするにしても少ない電車をうまく効率的に乗り継いで旅しなければならないだけでなく、辿りつけないエリアも存在する。鉄道は最も高度成長期においては安全で正確に目的地に辿り着けるメジャーな交通手段であったのだが、どんどん地域の過疎化や採算重視の企業、国の財政難により、国営で営利よりも国民の為に必要な重要交通機関という位置付けが消え、過疎路線はどんどん廃線にされていってしまう時代が現代だ。いいのか悪いのかわからないが、これも高度成長期に未来を考えずに私腹を肥やす事だけで突っ走ってきた報いだろう。素晴らしい人の生活の中で生まれた文化のひとつであった鉄道は、どんどん姿を消そうとしている。

鉄たちはどこにいくのか。まだまだ日本国内には多くの路線が活躍中だ。そして利益が出ている路線は、新型車両が投入され、どんどん近代化されていく。その視点から、彼らは目的を選んでいるのではないかと思う。

私や由は鉄ではないが、たまに鉄道の旅も面白いと感じているので、神戸にいく時や海外に出た時はバスや鉄道をよく利用した。私は上富良野にテントを張り、富良野まで食事をしに鉄道に乗ったり、ツーリングの最中でも鉄道を使う事で、またちょっと違った旅の雰囲気を楽しんだりする程度だが、メインの交通手段として旅をするような事までは考えられない。

写真は台湾の三渓線。懐かしさを感じるディーゼル車両。日本統治時代に敷かれた線路だ。台北ベースにバックパックの旅をした時に、日帰りでバスや鉄道を乗り継いで、この電車の起点から終点まで乗った。正確にはひと区間だけ、滝を見る為に線路の上を歩いたのだが、この電車に乗ったとき、横になんと台湾人の鉄が座っていた。思わず観察してしまった。

漢字で台湾鉄道の旅と書かれたノートに、その日の乗車データやメモを一生懸命書いていた。デジカメの動画モードで、先頭車両からみる前方や、車窓からの風景をひたすら撮っていた。そして姿もファッションも、まさに万国共通と思わせられる程リンクする、そのものだった。

鉄ではない私だが、今でも中標津駅の記憶をもっと残しておけばよかったと思う。あと上武佐駅。私は最初に開陽台に訪れた時、中標津駅の前で休憩を取ったのだが、写真も残っていない。鉄道は日本の開拓時代にまず整備されていった、ひとつの交通文化なのは確かなのだから、もっと残るような運営を考えて欲しいものだと思ったりもする。

20050819.jpg

2005年08月18日

ある丘から港へ向かう日

久しぶりにリアに全ての荷物を積み走り出すと、しっくりくるまでにしばらく時間がかかる。駐車場に降りてくると、観光バスやレンタカーやバイクの観光客がこちらを見ている。どこから現れたのかが不思議なのか、トイレの裏から飛び出してきたフル積載のバイクは、そのままアクセルを開けつつ、丘を下っていく。

駐車場脇にハイジーの家があった頃は、ここでまた1度停まり、すぐに丘を降りていけなかった。テントを撤収後、駐車場までまずはバイクを降ろして、長い休憩に入る。ハイジは開店してすぐの時間帯なので、殆どお客さんもいない。ご飯ものは炊いている最中なので、お昼前はライ定も丼ものも食べられないが、今日これから帰路につくというのに、カウンターでノートに何かを書きなぐったりする。

かあさんが出勤してきて、握手をし丘を下る時代はやはりよかった。ハイジのベランダからかあさんが手を振り、バックミラーでその姿が小さくなるのを見ながら左手を高々と挙げ下っていくと、今年の夏も終わったという気分になった。もの悲しくなったり、寂しくなったりはしないが、しばらくは丘を下っていく気分に浸る。また来年、と口に出しながら、ミルクロードを下り、1本裏のストレートダートに入ってアクセルを開ける。

町内を抜けR272に入り、釧路に向かった回数は何度あるだろうか。軽く二桁は行っているのだが、このメジャールートは私にとって始まりと終わりを意味する重要なルートだった。開陽台を知るきっかけのひとつになった佐々木譲著の「振り返れば地平線」で、主人公がこの道でUターンしたのはこの道だと私は思っている。

ただあの本は物語であり、そうそう起こる事ではない。ストーリーははっきり言って陳腐な部類だ。黒塗りのセリカとの抗争や、女性を争って二人の男性の友情が決裂するなんて、無意味なストーリーだ。しかしあの丘にたどり着いてからの描写はなかなかのもので、実際ゾクっとする程だった。

開陽台を知ったのは、バイクに乗り始めてすぐだった。トレールのMR50にのってから、私は舗装路をただ走るのではなく、どこにでもいけそうな気分になれるトレール車が好きで、高校の友人みんながRZやGPZを愛車に選んでいく中、私だけはXLを選んだりしたのもそこが理由だった。そしてツーリングをするという事がバイクに乗る事の最重要な理由になっていく。当時、多数発売されていたバイク雑誌も、こぞって夏前には北海道ツーリングを特集しており、道東の案内の多くに、開陽台が取り上げられていた。

今でもまだ記念に取ってある本なのだが、ホットドックプレスという男性ファッション誌と、TheBikeという毎日新聞社のツーリング雑誌の特集がお気に入りで何度も読んだ。そこにはやはり開陽台が載っているのだが、それを眺めながら私はいつのまにか、北海道に行きたいという事にリンクして、開陽台は私の目指す場所になっていった。

丘に通うようになって、帰りの道、といっても釧路駅前経由、西港までの時間はちょっと慌ただしく複雑だ。船に間に合うギリギリになるまで丘に居るので、和商市場に寄る時間が極めて短くなってしまう。当然R272をハイペースで走るのだが、結構危険なルートなのは確かだ。私は北海道ではおかげさまで無検挙なのだが、R44に入ってからはいつも落ち着かなかった。

長いイエローラインと、追い越せない車線のせいもあり、結構あわただしく和商横にバイクを滑り込ませ、中で丼を作って貰ったり、刺身を盛り合わせて貰ったり、色々と買い物をしたものだ。六花亭は当時釧路に支店がなかったので、サンバード長崎屋の1階にある六花亭コーナーで発送手続きをしたりした。

今は和商市場は座るスペースもでき、勝手丼とかいう名前で誰もが味気のない容器のご飯を買い、どうみても高いお好み海鮮丼を作って食べている旅行者も多いようだ。私は昔3階か4階に温泉のあったビルの横にあった、定食屋が好きだったのだが、全てなくなってしまった。六花亭も春採湖や鶴見橋に支店ができたので、サンバードからはなくなった。もう長い事行ってないが…

駅の近くで色々船の中で食べるものを買い込み、潰れないものはリアのネットに挟み、潰れそうな弁当類はビニール袋を左手首にかけ、西港まで走った。そして線路を越え、右手に白い船体が見えてくると、いよいよこの旅も終わりという気分が高まる。

もっと昔、釧路駅前の近海郵船の代理店でチェックインすると、食事券が800円かそこらで3食つくパックがあったので、よく利用していた。ウチワではあまり口外せず、秘密にしていたのだが、今はもう近海郵船のフェリー航路すらなくなってしまったので時効だろう。乗車した日の夜は焼肉定食、翌朝は和定食か洋定食、昼はカレーライスがついてその値段は破格値だった。

私の旅は開陽台が目的地であり、八重山もネパールもタイもみんな、経由地なのだ。そして旅の港と言える場所は釧路でもある。中標津と釧路は、私にとってとても重要な場所で、そして訪れるたびにちょっとだけ胸がワクワクする。そんな地だったりする。

釧路サイロを右舷に見て、西港を出航してしばらくいったあと、フォワードサロンからよくイルカを見た。襟裳沖近くでもよくみたが、何だか彼らとは何度か再会しているような気がした。

写真は丘の駐車場、ハイジーの家の横から、今走り出そうとしている所。

今は肩こりが酷いのでザックは背負わないが、この頃は寺崎勉さんのように、リアの荷物の上にザックを置くようにしていた。フェリーで過ごすものを全てこのザックに入れ、タンデムシートに積載した荷物は一切緩めず、そのままザックを背負ったまま船室にチェックインするようなスタイルだった。

20050818.jpg

2005年08月17日

ある丘を降りる日

それが1泊であろうと、1か月であろうと、丘を降りる日は何かと複雑な気分になる。

テントの撤収は、実はこれまで丘では雨の日というのが1回しかないのだが、やはり最低でも霧、できれば晴れている日に丘を降りたい。テントのメンテナンスも必要になる上に、私のパッキングではテントをバックの中に収容する為、濡れていると何かと困るのだ。

釧路から離れる時は、かあさんがハイジにあがってくる時間にギリギリ間に合うかというあたりで、丘を下る。かあさんもそれが分かっているので、朝の主婦のお仕事を早めに切り上げて、普段より少しだけ早くあがって来てくれる。そして、握手をしてまた来年という会話を交わすのだ。どこかのユースみたいに、いってきますとは言わない。あくまで丘は帰ってくる場所だから。

ただ丘に上った時は、まあ長年のお約束になっている「ただいま」という挨拶になるのだが、まあそういう言葉を交わすのがそろそろ恥ずかしい年齢になったというのもあるだろう。

また、小樽や苫小牧から離れる時は、大抵一気に走るのではなく、殆ど弟子屈の宿に1泊する。そして荷物や洗濯物の整理をして、翌日には埠頭のある町へ向かい、最後の港町の1泊を楽しむというパターンが多い。なので必然的に丘の滞在日数が減るのだが、それはそれで旅にきているのだから楽しな工程でもあるのだ。

ここ最近は似合わないが美瑛や札幌で1泊したりしている。途中結構な頻度で経由したくなる町として、最近は夕張が挙げられる。弟子屈から美瑛経由で向かう時は、R333がお気に入りだ。ハイペースで美瑛に昼に到着し、吹上温泉まで登る時もある。どちらにしてもあまりこれまでいかなかった場所をルートに選ぶのが最近のお気に入りだ。

小樽や苫小牧では寿司やジンギスカンで最後の夜を楽しみ、朝出航する船に乗る。ちょっと寂しく、また旅を振り返るには丁度よい時間という感じだろうか。

丘を降りる朝は、朝食を早めに済ます。そして得てして多くの長期滞在のキャンパーが苦手な撤収作業にかかる。途方もない時間をかけて、ゆっくり、ゆっくりと片づける。順番を間違えて、また荷物を開く事もめずらしくない。少し片づけては一休み、そしてまたのそのそと片づけ始める。しかし最近の私は、北海道にいく時は荷物がシンプルに戻っているので、それほど時間はかからない。

丘で身についた撤収方法として、ペグを抜くのは最後という事。張る時も、まっさきに本体をペグで1本、地面に打ち込んで飛ばないように固定するのが私たちの張り方だ。このあたりは面白い事に、殆どの友人がそういう風に設営・撤収する。

そしてテントを畳むと、テントの下の芝の色がすっかり変わっている事に気がつく。数日パラダイスに居たという証拠なのだ。その時間が、そこに色として現れる。

パッキングされたバックなどを、自分のバイクにストレッチコードでしっかりとくくりつける。丘に残る者やハイジに挨拶をし、あの天国への道を下っていくのだ。

20050817.jpg

2005年08月16日

ある丘の日中

丘にいる時は、たまに気が向けば林道や観光地に足を伸ばす事はあるが、基本的には大した用事もなく日々を過ごす。

それは東武やへ買い物であったり、金沢さんの所へ油を売りにであったり、なかしべつ温泉やマルエー温泉、保養所温泉へ行ったり、友人の自宅にお茶を飲みに行ったりなどなのだが、それだけでもあっという間に時間はたってしまう。夕陽前にはなんとか丘に帰ろうと思うのだが、いつもギリギリになってしまう。あとはハイジの閉店後の休憩に間に合うように戻ったりというのが、1日の過ごし方だ。

当然、丘を一歩も降りずに過ごす日もある。殆どを柵や椅子に腰掛けたままだったり、ドカシーを敷いて裁縫をしたり、ハイジに行ったり来たりする事で過ぎてしまう事になる。私はどちらかというとラジオとかテレビを見ないたちだったが、ちゅらさんをやっていた時は、朝からしいたけのテントに見に行ったりした。午前中は案外あっという間に過ぎてしまう。

丘は朝、晴れると夏なら4時すぎにはテントの中にはいられない位の暑さになる。外は爽やかなので、大抵椅子に座っていると真っ黒に日焼けしてしまう。反対にガスっていたり雨だと、今が何時なのかよく分からないうちに昼になっている事もある。天気によって大きくその日の過ごし方が左右されるのもキャンパーの宿命だろう。

知り合いがいたり、新しい旅人と知り合いになったら、色々な話で時間も足らない位だ。中身のある話なんか極めてわずかなのだが、その下らないでもなぜか素直に楽しめる。不思議と、自分がリラックスしているのか、よく笑う自分がいるのに驚いたりするのだ。

この写真には、いつもの場所に、いつものような電線ロールの芯のテーブルを囲み、いつものように下らない会話で過ごす私たちが写っている。奥にはやはり、オカルトの人々のコロニー。私はこの時、テントが存在すら忘れていた、IBS石井スポーツのUL-DXIIを張っているのに画像を整理していて気がついた。前室が大きくてなかなかよかったのだが、あまり長い期間使わないで転売されていってしまった。

最近は丘にあがっても、この写真のような時間はなくなってしまったが、判っていてもまた丘にあがれば同じような過ごし方をするのだと思う。昔と違って今は、市内や近所に友人も多く住むようになったり、挨拶や再会しに丘を不在にする事が多いのだが、それでもここで過ごした時間は、今の自分にはなくてはならない歴史を経てきているのだ。

大げさに書いているようなのだが、私は結構真剣に丘の時間は自分の中では宝物だと今でも思っている。何もない時間。でも大事な時間。

20050816.jpg

2005年08月15日

ある丘の朝

風でカサカサとフライシートが鳴っている。テントの向こうから、人の声やコッフェルのアルマイトが擦れる音、ストーブの燃焼音がする。かすかに人の声や、砂利をブーツで歩く音が聞こえている。

目を醒まし、シュラフのジッパーを下げる。寝返りを打ったせいか、ねじれたシュラフをひっぱりながら、上半身を引き抜く。

テントの上の部分だけをモスキートネットにししていた入り口のジッパーをおろす。そして体を少し伸ばして、フライシートの下にぶら下がっているジッパーのタグをつまみ、少しづつ上に引き上げる。テントの中とは明らかに違う動く空気が一気にテントの中に流れ込んでくる。

テントの入り口にあぐらをかいて座り、何をするでもなく足元に転がっているストーブをポンピングする。なぜかキャンプ中は握力が弱くなるようで、そのポンピングも段々とだるくなってくる。そのうちにコーヒーが飲みたくなり、パーコレーターに水を入れて、とりあえずストーブの火を安定させたあと、火にかける。

寝癖のついた頭をガシガシ描き、フライシートを開け放った視界から狭い視界の中の外を見渡す。そのまま頭の中はまた一旦空白になる。

しばらくするとお湯が沸いてくる音に我に返り、ストーブを弱火にし、火から一旦パーコレーターを降ろす。ドリッパーに挽いた豆を少し入れて、パーコレーターの蓋をあけ、中に落とし込むと、あらためてストーブのゴトクに載せる。

透明なトップに少しづつ色がついていくのをみて、適当な頃合いで火を止めて、ロッキーカップ1/2パイントに豆があふれてこないように静かに注ぐ。レギュラーコーヒーの香りが一気にテントの中に入り込む。

一口それを口に含むと、漸く少しづつ頭が動き出す。テントに遮られた後方では、人の通過する足音がする。今日ここを出発する旅人たちが、荷物を運んでいる音だろう。また朝食を作っているのかもしれない。水場とテントサイトを往復する人も多い。

コーヒーを飲みながら、昨日買っておいたパンをかじる。別に料理なんかしない。朝は適当で済ます事が丘では殆どだ。たまに気が向けばフライパンで卵やソーセージを調理する。味付けは塩コショーだけだ。それだけで朝食は終了。

漸く外にごそごそしながら出ると、電線ロールのテーブルの前には、寝ているのか起きているのか分からない友人がぴくりとも動かずに座っていた。手をあげると、彼も手をあげる。言葉は交わしていない。残りのコーヒーをカップに注ぎ、テーブルに置く。夜露に濡れないようにフライシートと本体の間に畳んでおいておいた椅子を取り出して座る。

そのまま一緒に一言も交わさずに10数分じっとしている事もよくある。オホーツク方面には国後が見え、丘の下の方では鐘の音が時折響く。それぞれの時間が動き出しているのを感じながら、自分たちはそこの風景の一部に溶け込んでいるだろうか。単なる観光客の目にはそうは見えないだろうが、少なくとも私たちはそこに居るのが当然のように、ただ座って動かなかった。

丘の限りない1日が始まった。既に丘を降り、次の目的地へ走るもの、露天風呂に向かうもの、町に買い物に向かうもの、日帰りで知床や釧路に向かうものなど、それぞれの時間が始まったのだ。そして、このだだっぴろい空間に自分たちがいるささやかな喜びを感じつつ、私はテーブルのカップを口に近づける。

武佐サマが今日も私たちを見ている。ずっと昔からそうしているように。

ガスってきた。ハイジに行くか。でもまだ開いていない。じゃあ読みかけの文庫本でも読むとするか。二人はテーブルから離れ、また自分のテントに戻っていくのだった。

20050815.jpg

2005年08月14日

最も丘が賑わう夜

この週末、開陽台は1年で一番に賑わいだろう。今日のテント数はおよそ40を越えているという。開陽台ハイジーの家ののりちゃんの報告からだが、彼女がハイジーに勤務するようになってから、まめに仕事の終わり頃、野鳥の会よろしくテント数をカウントしてくれ、iMode掲示板の方に報告してくれている。この報告は今の丘の上の状況が判る、丘に今あがっていない者にとってとても重要なものなのだ。

その賑わいの中、きっと私の古い友人も1~2人はいるのではないかと思う。ただ昔のように、丘にいけば誰かがいるという時代も終わってしまい、偶然にその場で再会という事しかなくなってしまった。それも時代の流れだろうか。世代交代とも言われるが、正直な所私は今の開陽台の常連さんはよく分からない。私自身がそんなに長く滞在できなくなってしまった事もその大きな理由なのだが、それは別に仕方がないと思っている。

ただ変わっていく丘や、時代においても、あの丘の風景が好きで、あの丘の天候を楽しめ、あの丘に集まる人が好きな旅人が、今も私たちが温めていた時代のように大事にしていってくれる事を期待している。町に対してどうのという意見をした事もあったが、単純な事だ。営利目的でもない、純粋にあの場所が好きな者が、丘に長く滞在するようになるのは別に不思議な事ではない。

この夏も、多くの出会いと新しい開陽台の旅人が誕生している事だろう。昔ほど旅人は多くないだろうが、旅の世界以外においても高年齢化が進んでいるように、今の若者の世代はそれほどあの雄大な風景の中で過ごす時間や、旅で自分のフィールド外の旅人と知り合い、多くの事を学んだりする事に魅力を感じないようだ。私たちからすればとても残念な事だが、それは大きなお世話なのかもしれない。

これまで、いろいろな所で私はあの場所を知らない人や、あの場所にテントを張らず、昼間に一瞬立ち寄っただけの旅人たちに言ってきた事がある。それは強制でも何でもない。私自身も全都道府県を旅したが、それで全てを知ったとは言えない事はよく分かっている。だからこそ、伝えたい。

あの丘にテントを張って、夕陽、星空、朝日が見れるまで何度か通って欲しい。それが1度訪れただけで出会えたならラッキーかもしれないが、実はそれはアンラッキーなのだという事。霧に包まれ、真夏でも寒くてたまらないあの丘の姿も、その中で多くの旅人と出会い、語る事が、開陽台なのだという事。

私はなぜか、もう人生の半分以上の年月を、この丘のある人生として過ごしている。私の基盤がそこにあるといっても過言ではない。単なる北海道の東の丘が、なんでそこまでという事もあるのだが、私にとって、そういうものなのは事実だ。

今月末、昨年はあがれなかった丘にあがる。今度は新しい家族を連れてになる事で、楽しみな反面、天気もそれなりに恵まれてほしいと願う。

今この時間、きっと丘の上では色々なドラマが展開されている事だろう。あのシンとした空気の夜、今日は霧に包まれぼんやりした肌寒い空間で、会話は絶え間なく続く。そう、まるで夢の中のように…

20050814.jpg

2005年08月13日

雷雨の先に秋の気配

朝が起きられない。目が醒めたら既に8時すぎ。昨晩は久しぶりにそれなりの雷雨だった。一晩中断続的に雨で、朝も雨が残ると聴いていたのだが、外は雨はあがっているようだった。雨だと雨の雰囲気の中で、布団の中でまどろむのが好きだ。足元にはくーもまだ夢の中。すっかり飼い主にライフサイクルが似てしまったようだ。

たまった洗濯もなんとか干せそうな雰囲気になっているので、まずは洗濯機を動かす。むぎ茶がわりに沸かしたプーアール茶を冷蔵庫にしまい、朝飯をと思ったがパンがきれていた。仕方がないので短パンを履いて、コンビニに向かう。まずめったにコンビニなんかいかないのだが、今日はちょっと外の様子もみてみたかったので出かけた。

外は結構過ごしやすく、湿度が高いがまあ普通に活動するだけでは汗も出でない位だった。空には灰色の雨雲が散りばめられているので、すっきり今日は晴れないだろうと思われた。まだ局地的な雷雨があるかもしれないと思う。

その後はアイスを食べながら映画をみたり、取り溜めたドラマを3話ほど立て続けにみたりと、何だか晴れていれば暑さにばて、涼しければだらだらとしてしまい、どっちにせよ変わらないのにふと気がついた。どちらがいいかというと、やはりばてていると体がだるくなるが、涼しいと気分的にも体調的にも余裕ができて嬉しい。

気がつくと夕方になっていた。さっさと散歩にいかないとと慌てて出かけようとするが、既に空はゴロゴロ言い出しており、これから夕立が来そうな雰囲気があった。その為、濡れてもよい格好で出かける。お金も硬貨だけを持ち、時計もいつものダイバー、デジカメも雨に濡れて大丈夫なものをもって出かける。

公園のいつもの場所に着く前に、盛大な雷が鳴り出した。木の真下にいかないよう、少し離れながら東屋のある広場に到着すると、既に数人の犬仲間の方がいた。いつものように遊ばせるのだが、犬達は結構盛大に雷が鳴っても平気にしているようだ。雨が降ってきたので、殆どの人が帰ってしまったが、我が家と数人はまだ東屋の下に残った。程なくしてバケツをひっくり返したような豪雨になってしまった。

雨に濡れると結構寒さを感じる。何だかすっかり濡れてしまうと気分がよい。足もとのサンダルがじゃりじゃりするが、クールマックスのTシャツはすぐに乾くし、短パンはまあ濡れても何とでもなるので、東屋から離れて写真を撮ったりしていた。しかし犬たちは雨だってどうでもよいらしく、特にくーはわざと水たまりの中を歩いたり、空から降ってくる雨に目をしかめながらも、嬉しそうに遊んでと飼い主を見上げる。君はいいけど、あとが大変なんだよと言っても何の事?という顔をしている。あとが大変だ…

雷の回数が減り、音も段々と遠ざかっていく。雨もそれに連れていかれるように、あっという間にやんでしまった。低い雨雲の向こうには、高い空と高い位置にある秋っぽい雲が顔を覗かせていた。

いつのまにか、秋がすぐそこまで来ているようだ。まだ川遊びにも行きたい。晴れて暑い日を探さなければ、水が冷たくて遊んでいられなくなる季節がもうすぐなのかもしれない。今更慌てて夏にくーとできなかった遊びを思い出してしまった。

北海道の旅が近づいているが、その前にできれば川にでも遊びに行きたい。しかし今はお盆休みの真っ最中。どこに行っても混む事を考えると、結局計画倒れになる予感がする…

写真は昨晩の落雷。左にちょこっと見えているのは、池袋のサンシャイン60ビルである。

20050813.jpg

2005年08月12日

アイスの季節

暑いと頭の片隅で「やめとけ」という声がかすかに聞こえるのだが、アイスクリームやアイスキャンディーを食べたくなる。別に酒飲みでもないのだが、甘いものも塩辛いものも、まんべんなく好きだ。ただ、単に甘いだけのものとかは苦手でが、和菓子だろうが洋菓子だろうが、嫌いではない。いや、好きと言ってもいい。

お酒のつまみとしてもあうアタリメやから揚げなども大好きなのは、私の父親が酒が大好きで、わさびや醤油をたっぷり使う人だったので、似てしまったのかもしれない。とはいえうどんなどは塩分が控えめでダシの効いたものがうまいと思う。単にしょっぱいとか甘いものが好きなのでもない。

真夏の蒸す夜に、スーツにネクタイという格好で、新橋の線路下の居酒屋で飲んだりする事も昔はあったが、最近はとんといかなくなった。付き合いが悪いといわれる事もあるが、やはりアルコール分を採るとすぐに発作がおきてしまうような事もその理由のひとつだ。でも今だに単純に暑い日に内側から冷却するアイスクリームやキャンディーは夏の常備品でもある。

よく涼しい開陽台でも、カメハウスではよくアイスを買った。しいたけ兄やまめも甘いもの大好きなので、よく一緒にそれも100円アイスなどの安いものばかりだ。ここ最近はその頃の私なら考えられない高級なアイスを食べる事も少なくない。今はなきFIC北進台のソフトや、ラ・レトリくりーむ童話のジェラートなどはよい例だ。ダブルなんていうのもめったに頼まないが、ありだと思っている。

しかし、昔の旅スタイルでは、2食分位に相当するジェラートを食べるなんていうと、数日はホンコンヤキソバで暮らす事になりかねなかった。風通しのよい涼しい場所が日中ない開陽台では、乾麺やレトルト安い時に買いだめしておくのだが、たまにする贅沢という中でも、高価なジェラートはなかなか手が届かないご馳走だった。何年かして、和琴の兄貴をおだてて、しいたけ兄とフジワラ君と3人分、究極に限りなく近いご馳走だったチョコレートパフェをおごって貰って食べた旧店舗一番奥のボックス席の夏を思い出す。

最近は季節を問わず、道東を訪れる時は必ずくりーむ童話には立ち寄る。ベースが札友内の宿か和琴になってしまうので、風呂に入りに行くついでにでも寄れるし、寿司屋に行く途中でもあるので、寄らずにはいられない。ラ・レトリにはめったにいかないのだが、真冬でも道東には個性的なジェラートがあって楽しい。

今年になって、開陽台ハイジーの家で、バスターミナル前のジェラート屋、りすの家のメニューを取り扱うようになったらしい。どんな味なのかわからないが、当然味見はしてみるつもりだ。酪農の町、中標津ではFIC北進台が後継者問題で事業撤退してしまったし、ラ・レトリもそんなに特別な味でもない。でもきっと近くを通りかかったら寄ってしまうんだろうなとは思う。

東京の我が家でも冷蔵庫には私が買ってきたアイスが入っている。殆どがコンビニで買ってきた安いアイスばかりなのだが、子供のようにあれば食べてしまう意志の弱さはこの歳になっても変わらない。体の為にも採りすぎはよくないので、セーブしないとならないのだが…最近だとおっとさんが好きなしろくまが一番近いコンビニにあるのでよくストックされている。

いい歳になったのだから、旅先くらいではちょっとした贅沢は許されるかなとは思う。ただ海外のように、貨幣価値が違う場所では、逆に贅沢や甘さが相手に失礼になってしまったり、悪い結果に繋がってしまう事もある。国内限定という意味では、折角旅に出たなら、その場所でしか食べられないものを、味わう事はよい事ではないだろうか。

100円、10円を削って、日々を生活していた時代があるからこそ、許されるのかもしれない。逆にそういう歳になってしまったと悔やむ事もあるが、ストイックな旅の日々をもう一度というのも、いつかまたやってみたい。実際に財産も失い、スッテンテンで旅出る事があるかもしれない。明日は誰にもわからないのだから…

写真はご存じ、くりーむ童話のジェラート。色々な味が楽しめて楽しい。

20050812.jpg

2005年08月11日

トウキビを煮てみる

北海道の味といえば、いろいろあるのだが、子供の頃、海水浴に行ったときやお祭りの夜店で一番のご馳走だったのは、醤油の焦げた香ばしい香りのトウモロコシだった。歯に挟まるのはご愛嬌、私は結構キチンと食べるタチなので、前歯で3粒位を外しながら、先の方から食べて行った。

どちらかというとトウモロコシは甘さよりも、醤油の味が印象に残りがちだった。炭火で焼くという事自体が、それまでアウトドアでバーベキューのような事をしたことがなかった幼少時代、とんでもなく大変な料理であるような気がしていたという事もある。炭を使うというのは、焼きとり屋や鰻屋など、簡単に一般家庭でできるようなものではないようなイメージをもっていた。

炭で焼くとやはりおいしさが違う。最近になって、漸く炭を使いこなそうという気になっているのだが、つい最近まではやはり炭は「かさばる」「着火が大変」「後始末も大変」という印象が先にたち、なかなかその気にならなかった。だがダッチオーブンや長い時間、火を使う場合は、炭が便利であって、また車で荷物を運ぶならという事から、とうとう(今更、とも言うが)手を出す事にしたのだ。

真っ先に考えたのは、トウモロコシを焼く事。だが、トウモロコシはどちらかというとその後の旅の経験の中から、焼くよりもシンプルに茹でるトウキビのイメージが勝りつつあった。醤油で焼いたワイルドなトウモロコシもウマイが、シンプルに素材の甘さを引き立てた、茹でたてのトウキビもウマイ。これはまったく別な食べ物だという認識のもと、トウモロコシとトウキビという呼び方を勝手に自分の中で決めてしまっていた。

北海道を旅していると、ジャガイモやトウキビ、赤肉メロン、アスパラ、サンマ、サケなどが極端に安く手に入る事がある。それはしめたもので、早速その日のメインディッシュやデザートとなるのだが、料理のレパートリーが炭をつかっていない分、狭くなってしまう。サンマなどは、七輪がよく似合うし、事実キャンパーで七輪をもっている強者も少なくなかった。サケなどはアキアジ祭りで400円/尾で生を買ってきて、イクラを作り、身は味噌とキャベツでチャンチャン、アラは味噌汁などを楽しめた。

メロンなんかは半分に切られてパックされ100円で出ていたりすれば、当然買い物カゴに入った。北海道はオイシイのである。

トウキビはたいてい長い為にコッフェルで煮るには折らなければならない。追っても入らない時がある位だが、ストーブで煮る時間は結構嫌いではない。薄曇りの開陽台。腹へったからトウキビでも食うか、といった所で煮ている写真がこれである。

甘くてジューシーな北海道のトウキビは、北の大地の味がする。粒が数個、色が薄いのが混ざっているのが、また北海道のトウキビらしいのだ。

20050811.jpg

2005年08月10日

サウスヒルズからの贈り物

すっかり夏休みシーズンの汐留からお台場は、早朝から既に親子が順番を取る為か、戦いが始まっているようだ。ゆりかもめも、普段と違う人種が乗ってきており、帰りも興奮醒めやらぬお子さまのお祭騒ぎが、毎日繰りかえされている。狭い車内に座るわ動きまわるわ、たまったものではない。おかげで通勤が余計に辛いものになっている。

ただ今日は比較的涼しく、湿度は高かったがまだ何とかマシだった。天気は不安定で、昼間には時折雨が降っていた。ここ最近、お昼前から天候が不安定になり、雷雨情報がにぎやかになっている。局所的に短時間で大量の雨が降り、当然それをさばく下水設備はどこにもない訳で、冠水したり通行止めになったりしているニュースもよく耳にする。テレビなどでも、しょっちゅうニュース速報で大雨洪水警報が流されている。

そんな色々な要因から、夏の盛りなんだなあとあらためて思わされる。友人が一人、また一人と夏休みを取り、旅に出た話を聴いているせいもあるだろう。毎年こんなものなのかと思ってしまう。

会社帰りに親父の墓参りをした。中野のお寺なのだが、今日は命日なのだ。もう7年にもなるのだと思いながら、軽く墓石を洗った。これまでも毎年していた訳ではないのだが、いずれは私は東京を離れる事になるだろうと思っている。そうしたら墓参りなんかきっとそうそうできない。近くにあるうちといいつつ、それでもなかなか強制的に何かなければ寺に行く事もあまりない。まあ、人間はいずれこの世からいなくなる訳で、それから先どうなるのか誰にもわからない。魂の輪廻のようなものがあっても不思議じゃないと思うが、確証がある訳でもない。

だからこそ、今みたいに会社に通う時間が人生の殆どのような毎日を何とかしたい。仕事をする為に生まれてきている訳ではないし、仕事以外にやりたい事が沢山ある訳で、あとに何か残るのかと思うと、途方もなく憂鬱になる。困った性分だ。

3日間、道東に仕事で渡っていたじんじんさんが、疲れている中、お土産をもってきてくれた。新しくなった東武の袋に、熟れたメロンとバタ成など、色々もってきてくれた、飛行機で、しかも仕事なのに、申し訳ない。明日からはまたおでかけ。彼も私以上に色々葛藤を抱えている訳で、なぜか私たちの世代は、今の社会にどうしても納得しがたい環境に追いやられているようだ。

くーはそんな人間の愚かな悩みはまったく感知せず。大理石の上ですやすやと眠っている。舌が口からちょろっと見えていて、しまい忘れているようだ。彼女は毎日の食事と、散歩、そしてフリスビーやアジリティをする事だけに幸せを感じている、とてもナチュラルな精神構造をしている。それが時にとても羨ましくなる。

人間の子供もそうだが、そういう時代はひとときだけで、あとは回りの人間関係の中や、親の姿やしつけなどの温度差で人格が形成されてしまう。そういう意味では、犬はおいしい所、純粋に楽しい事だけをする為だけに、全力で生きている生き物だ。それだけに、人として色々自分を見つめる機会にもなり、彼女の幸せな表情を見るだけで癒され、いつも寄り添ってくれる。

昔は犬を飼うなんて思ってもいなかったが、今ではすっかり彼女のいない日々は考えられないような気分になっている。親バカな飼い主は、また雑誌やコンテストに写真を沢山投稿する日々なのであった。

明日、じんじんさんから貰ったメロンの皮近くの部分をやるからな。

写真はじんじんさんありがとうの品々。しかしサウスヒルズは言い過ぎだろう?

20050810.jpg

2005年08月09日

誕生日その2

2005年8月9日。既に人類が滅びると言われていた日も越え、随分と時は経ってしまった。21世紀と言われる年代になり、多くは20世紀の時代からこの世で生活している人だ。宇宙の輪廻からすれば、それこそ一瞬の時間かもしれないが、それなりに毎日を暮らしていると、「もう」とか「やっと」というような表現がされる程、人それぞれに色々な歴史を過ごしてきた事だろう。

私もこの世に生まれてから2/5世紀ほど過ごしてきた。嬉しい事や悲しい事、これでもかという程うちひしがれた事もあったが、何とかこうして自分の好きな旅やモノと出会って、暮らしてこれた。今ではすっかり自分一人の力で生活し、やりくりしながら毎日食事も取って、欲しいものも選びつつ買う事もできている。

それが自分の仕事の対価として納得のできる給料かと言われれば、それなりに間違ってはいない分を手にしていると思う。しかし冷静にまわりをみてみれば、もっともっと厳しい経済状況の人もいれば、もっともっと裕福な人もいる訳であって、あくまでも中流階級という視点からという事にしておきたい。

縁あって、私は由と今暮らしている訳だが、人間はそれまでまったく別の人生だった男と女がある時一緒に暮らし始める。いわゆる伴侶と言われているのだが、その伴侶と出会うタイミングは人それぞれだ。1回では出会えないかもしれないし、一生出会えない人だって居る訳であって、私はまあ標準的なタイミングで伴侶といわれる人と出会った。

年齢差も同じ歳もあれば、大きく離れている事もある。それはどうだってよくて、赤の他人が家族になるという事は、重要な事だ。それまでとは違った新しい人生が始まると言ってもいい。人が男と女に別れて生まれてくる摂理は、それこそ謎で一杯だ。

色々な出会いがある。幼なじみ、同級生、先輩や後輩、職場の同僚、見合い、紹介などが主に多い関係ではないだろうか。30歳を越えた頃、私にはいつになったらそういう相手が現れるのだろうかと真剣に悩む日々もあった。今思うと懐かしい話なのだが、実際には悩んで悩んで、先の見えない自分の人生に何を糧にしていけばいいか途方にくれた事もあった。

私や由は、20歳位から同じように旅に没頭し、予定をたてないその日暮しの生活を、日本の片隅でそれこそ両手で抱えられる程の家財道具だけをもって、質素な生活を楽しんでいた。私よりもひと回りかふた回り昔では、ヒッピーとかカニ族とか言われていたいわゆるネジ者だ。バイクに乗る事で暴走族と言われる人種と同類にみられるが、基本的につるむ事なく、バイクでひたすら走る事に何かを求めていたカミナリ族達の世代は、私の親父の時代かもしれない。

由は神戸に生まれて神戸に育った生粋の関西人だ。私は新宿生まれの新宿育ちで、家は3代以上続く江戸ッ子だ。そのようにまったく別な場所で、まったく別な文化圏で生まれ育った人間が、北海道の道東のエリアで何度かの夏を過ごし、その人間関係から辿られ、日本のまん中に流れる天竜川の河口で出会ったのだから、縁というのは面白いものだ。まあ単なる旅人の友人たちとの出会いや再会も、同じように面白いものなのだが。

既にこの夏で結婚8年目。由は今日、またひとつ歳を取ったのだが、その8年という年月はなかなか感じない。今年は毎年行っている中国大陸へのサイクリングは休止。ちょっとした理由があるようだが、もう相当な回数中国には渡っている。チベットから始まり、昨年の内蒙古自治区まで、何だかんだいいつつよく自転車をこいでいる。

くーが来て、これまでと違った過ごし方が始まったのだが、また一緒にバックパックを背負う旅もしたいし、お互いバイクでツーリングなんていうのもいつだってできる。そう、いくらでもその気になればできるのだろう。
誕生日というイベントは段々と薄らいでくるようなものなのだが、まあこの世に生を受けた記念日である。素直に運命に感謝しよう。

こうして、今年も二人とも歳をひとつ重ねた。

写真は昨年の内蒙古で。由の愛車、ピンクのロードスポーツ。これで初めての北海道も走ったのだが、今はリムやディレーラなど全てリニューアルしてある。フレームには長年の旅でついた傷がそのまま残っている。

20050809.jpg

2005年08月08日

ジンギスカンブームらしい

ダイエット?お肌にいい?これまでそんな事考えてもみなかったが、テレビでも雑誌でも取り上げられていて、お店もいつのまにか増え、いわゆるブームという状況らしい。

ジンギスカンはタレでも味噌や醤油ベースなど、色々ある。どちらかというと、農機具などが入っているD型と言われる納屋の中で、巨大な鉄板を置いて、スーパーの一番大きな袋サイズで、透明なビニールの中にぎっしりとタレに使ったラム肉がその上に次々とひろげられていく。そういうイメージなのだが、テーブルの上でお洒落に野菜と一緒に食べるような感じらしい。

松尾や小林という、ジンギスカンといえば出てくるブランドは、北海道は滝川が本拠地だ。野菜や果物などが入った少し甘く、深みのあるタレは、ラムやマトンによくあう。独特なジンギスカン鍋でモヤシやキャベツと一緒に食べると、これまた北海道の味がするのは、私だけだろうか。

たまに都心でも松尾のパッケージをみかける時がる。少々高いのだが、ちょっと食べるには丁度よい。有楽町の前にある北海道物産センターでは、松尾純正の鍋でさえ置いてあるが、私は焦げつくペラペラのアルミ製の、使い捨てジンギスカン鍋を使う事の方が多い。鉄鍋の方がうまいので、最近ダッチオーブンも使うようになったので、ダッチの蓋で焼いてもいいかと思っている。ただタレが焦げついてしまう料理なので、ちょっと後始末が大変だ。そういう意味でも使い捨て鍋をうまく使うと楽なのである。

お洒落に我が家の近くにもいきなりジンギスカン屋ができているが、私としては北海道の少し荒っぽいジンギスカンが好きだ。タレにつかっていない肉を、サッパリした漬けダレに少し浸して食べるのも好きだし、濃厚な大阪屋や和琴レストハウスの味噌ジンギスカンもいい。色々な味があってもよいではないか。

これは兄貴(とはいっても実の兄貴ではなく、キャンパーネームが兄貴という男)が松尾のジンギスカンを食べた事がないというので、買ってきてくれた肉。開陽台は、旧カメハウスの前で、霧の中で数人が背中を丸めて食べた。それも私のジンギスカンの思い出だ。

20050808.jpg

2005年08月07日

カフェとやらで休憩

10時くらいまで寝てしまった。寝すぎると肩がこり、頭が