ある丘から港へ向かう日
久しぶりにリアに全ての荷物を積み走り出すと、しっくりくるまでにしばらく時間がかかる。駐車場に降りてくると、観光バスやレンタカーやバイクの観光客がこちらを見ている。どこから現れたのかが不思議なのか、トイレの裏から飛び出してきたフル積載のバイクは、そのままアクセルを開けつつ、丘を下っていく。
駐車場脇にハイジーの家があった頃は、ここでまた1度停まり、すぐに丘を降りていけなかった。テントを撤収後、駐車場までまずはバイクを降ろして、長い休憩に入る。ハイジは開店してすぐの時間帯なので、殆どお客さんもいない。ご飯ものは炊いている最中なので、お昼前はライ定も丼ものも食べられないが、今日これから帰路につくというのに、カウンターでノートに何かを書きなぐったりする。
かあさんが出勤してきて、握手をし丘を下る時代はやはりよかった。ハイジのベランダからかあさんが手を振り、バックミラーでその姿が小さくなるのを見ながら左手を高々と挙げ下っていくと、今年の夏も終わったという気分になった。もの悲しくなったり、寂しくなったりはしないが、しばらくは丘を下っていく気分に浸る。また来年、と口に出しながら、ミルクロードを下り、1本裏のストレートダートに入ってアクセルを開ける。
町内を抜けR272に入り、釧路に向かった回数は何度あるだろうか。軽く二桁は行っているのだが、このメジャールートは私にとって始まりと終わりを意味する重要なルートだった。開陽台を知るきっかけのひとつになった佐々木譲著の「振り返れば地平線」で、主人公がこの道でUターンしたのはこの道だと私は思っている。
ただあの本は物語であり、そうそう起こる事ではない。ストーリーははっきり言って陳腐な部類だ。黒塗りのセリカとの抗争や、女性を争って二人の男性の友情が決裂するなんて、無意味なストーリーだ。しかしあの丘にたどり着いてからの描写はなかなかのもので、実際ゾクっとする程だった。
開陽台を知ったのは、バイクに乗り始めてすぐだった。トレールのMR50にのってから、私は舗装路をただ走るのではなく、どこにでもいけそうな気分になれるトレール車が好きで、高校の友人みんながRZやGPZを愛車に選んでいく中、私だけはXLを選んだりしたのもそこが理由だった。そしてツーリングをするという事がバイクに乗る事の最重要な理由になっていく。当時、多数発売されていたバイク雑誌も、こぞって夏前には北海道ツーリングを特集しており、道東の案内の多くに、開陽台が取り上げられていた。
今でもまだ記念に取ってある本なのだが、ホットドックプレスという男性ファッション誌と、TheBikeという毎日新聞社のツーリング雑誌の特集がお気に入りで何度も読んだ。そこにはやはり開陽台が載っているのだが、それを眺めながら私はいつのまにか、北海道に行きたいという事にリンクして、開陽台は私の目指す場所になっていった。
丘に通うようになって、帰りの道、といっても釧路駅前経由、西港までの時間はちょっと慌ただしく複雑だ。船に間に合うギリギリになるまで丘に居るので、和商市場に寄る時間が極めて短くなってしまう。当然R272をハイペースで走るのだが、結構危険なルートなのは確かだ。私は北海道ではおかげさまで無検挙なのだが、R44に入ってからはいつも落ち着かなかった。
長いイエローラインと、追い越せない車線のせいもあり、結構あわただしく和商横にバイクを滑り込ませ、中で丼を作って貰ったり、刺身を盛り合わせて貰ったり、色々と買い物をしたものだ。六花亭は当時釧路に支店がなかったので、サンバード長崎屋の1階にある六花亭コーナーで発送手続きをしたりした。
今は和商市場は座るスペースもでき、勝手丼とかいう名前で誰もが味気のない容器のご飯を買い、どうみても高いお好み海鮮丼を作って食べている旅行者も多いようだ。私は昔3階か4階に温泉のあったビルの横にあった、定食屋が好きだったのだが、全てなくなってしまった。六花亭も春採湖や鶴見橋に支店ができたので、サンバードからはなくなった。もう長い事行ってないが…
駅の近くで色々船の中で食べるものを買い込み、潰れないものはリアのネットに挟み、潰れそうな弁当類はビニール袋を左手首にかけ、西港まで走った。そして線路を越え、右手に白い船体が見えてくると、いよいよこの旅も終わりという気分が高まる。
もっと昔、釧路駅前の近海郵船の代理店でチェックインすると、食事券が800円かそこらで3食つくパックがあったので、よく利用していた。ウチワではあまり口外せず、秘密にしていたのだが、今はもう近海郵船のフェリー航路すらなくなってしまったので時効だろう。乗車した日の夜は焼肉定食、翌朝は和定食か洋定食、昼はカレーライスがついてその値段は破格値だった。
私の旅は開陽台が目的地であり、八重山もネパールもタイもみんな、経由地なのだ。そして旅の港と言える場所は釧路でもある。中標津と釧路は、私にとってとても重要な場所で、そして訪れるたびにちょっとだけ胸がワクワクする。そんな地だったりする。
釧路サイロを右舷に見て、西港を出航してしばらくいったあと、フォワードサロンからよくイルカを見た。襟裳沖近くでもよくみたが、何だか彼らとは何度か再会しているような気がした。
写真は丘の駐車場、ハイジーの家の横から、今走り出そうとしている所。
今は肩こりが酷いのでザックは背負わないが、この頃は寺崎勉さんのように、リアの荷物の上にザックを置くようにしていた。フェリーで過ごすものを全てこのザックに入れ、タンデムシートに積載した荷物は一切緩めず、そのままザックを背負ったまま船室にチェックインするようなスタイルだった。

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- at 23:41
comments
何度か船を使っていると知恵もついて、船内セットと称して食料や着替え、時間つぶしの文庫本や乗船前に買ったマンガ雑誌を背負っていましたね。2等船室だとそれに夏用シュラフが加わりますが。シェラカップなどのマイカップも必需品ですよね。
初めて船を利用した時はその知識がなかったので何も持たずに乗ったかと思います。
2回目からはいろんなものを持ち込んではみたけれど、へべれけに船に酔ってしまってシュラフ以外は役に立たなかったような記憶が・・・。(^_^;)
東京⇒釧路間では、烏龍茶のみで30数時間を寝て過ごしていました。一番ひどい船酔い経験です。寝ても覚めても体が揺れている・・・。降りた釧路は嵐でしたが、下船出来た安心感で横殴りの雨でも和琴に向かうのがすごく楽しかったのを覚えています。
10数年前から比べると、今の船は格段に揺れなくなりましたよね。
のだてさん
今日も練習でしたか。暑い中、朦朧としそうですが、風が少しさわやかになってきましたね。これからが本当のシーズンかも。(^-^)
そうそう、私のパッキングも、積みっぱなしのものと船内持ち込みを完全に分けてます。2度目くらいから意識し始めて、3度目くらいからはもうそれなりに分けてました。今はまずあれをこっちに入れ忘れた、というのもなくなりました。(^_^;
この写真で判る通り、ザックの横にチタンのシェラカップが1つ、ぶら下がっています。これは休憩時に水を飲んだり、船に乗ったときにそのまま船内でコーヒーを入れる時に使うカップです。雑魚寝フロアはもう乗らなくなって久しいのですが、シュラフは持っていきませんでした。ただ日本縦断の時は、シュラフインナーを持っていってましたので、それを使っていました。
太平洋航路は結構うねりがあるルートですよね。夏の日本海はベタナギですが…由が釧路航路に乗って、むちゃくちゃ酔いました。シェフから、アネロン・ニスキャップという薬を教えてもらってからは、全然酔わないそうです。私はまったくどんなものでも酔わないので、平気なんですが…近海郵船最後の航海で、結構な揺れを経験しました。おっとさんはその時、ビール飲んではしゃぎすぎて、大波瀾を起こしてくれました…(^_^;
和琴から直接、港に向かった事は1回くらいしか無い、多分和琴を出る時に旅の終わりは感じているのだが、もう少し、もう少しだけ北海道を味わいたいと言う思いがそうさせているのだろう。
釧路駅前で買うチケットは毎回利用させて貰ってましたよ、そんな秘密なんて(^^; みんなに教えてましたが、あの食事券料理が一品足りないんですよね、小鉢が付かなかったりするセコイところがありました(^^;
やっぱり、近海郵船がなくなったのは痛いですね、あれさえあればバイクだけ送って人は飛行機でと言う贅沢ツーリングも簡単だったんだけどねぇ
おっとさん
釧路駅前代理店の食事券は有名だったんだ。というか、開陽台で知り合った連中は、レストランであまり食事取らなかった気がするなぁ。(^-^;
ちなみに近海郵船は今もバイクや車の無人車航送、有明から釧路までやってますよ。大体JAF割使ってバイクなら往復2.5万位、車でも4万くらいです。詳しくは郵船トラベルまで。(^-^)