2005年11月30日

正当なサービスと価値

頭痛が2日続き、会社を休んでしまった。

理由はわからないが、とにかくジクジクした頭痛が続いて辛かった。眠るとその間だけ忘れられるのだが、その分夜眠れなくなってしまう。何もする気もおきないので、ただ布団をかぶって寝ていた。くーはその間、布団に乗っている時もあったが、脇のクッションで丸まって眠っていた。

日中少し仕事の絡みで会社にネットを繋いだり、ネットトレード情報をチェックしたりはしたが、それぞれほんの20分程度だっただろう。それだけ辛かったという証拠だ。

そういえば月曜に、由の関西の実家にADSLが敷かれた。回線速度が出るかとか、本当に安定して繋がるのかが気になってはいたのだが、無事使えており、IP電話も使えているようだ。ほっと胸をなで下ろしている。

市営住宅にはなぜか、フレッツ光が敷かれていた。つい最近のようだが若い人が殆ど住んでいない市営住宅に、NTTのフレッツ光が何故敷かれたのだろうか。インフラ費用としても充分高価な光は、ISPの契約が必要でありその分、月にコンスタントにかかる費用はバカにならない。それだけインターネットを使う世帯がどれだけあるのだろうか。住民には高価な接続メニューの案内が届いているようだった。

国の政策で勝手にデジタル放送が始まり、これまでのテレビなども買い換えなければならなくなる。ネットの費用だって今は単にインターネットにごくわずかなストリーミング放送の利用しかないのに、経済的な負担が大きいフレッツ光を住宅単位で勝手に敷き、個別に契約させるというのは何だかうさん臭い。本当に住民によいサービスを考えているのだろうか。

JR西日本も、NTT西日本も、何だか信じられない。それは私だけだろうか。信じて貰う為によりよく安いサービスを提供しようとする姿勢が見えないのがその大きな理由だ。市営住宅なのに、何故NTTが牛耳るのか。フレッツ光は今、必要なのだろうか。

使う側は無駄なお金は払いたくない訳で、僅かな年金で暮らす両親と、安い価格で連絡を取れるようにしたり、離れて暮らす娘たちなどの生活がわかるブログを見るような楽しみを、一人の息子として環境を整えてあげたいと思うのだが、そんな事はまったく考えてくれない訳で、こちらで安くて使えるサービスを探し、契約をするしか方法はない。黙っていると、NHKの受信料のように納得のできない理由で勝手に人のよい国民からお金を吸い上げていく。酷い話としか思えない。

今回約月2000円弱で、ネットが常時接続になった。我が家のADSLは一番高速なコースなのだが、2件分あわせてもフレッツ光の1世帯分の契約より安い。使えるサービスは動画のストリーミングサービスを自由に使えない程度の差なのだが、現実にはまだまだコンテンツが少ない訳で、慌てて光を引かなくても構わないと思っている。光が必要になる時期は、デジタル放送が始まり、みたい番組だけを契約する時代が来てからだと思っている。

あと大きな理由は、離れて住む両親に、安全にネットを使って頂く為に、ウィルスパターンファイルはまめに最新になるように常時接続にしたかったというのがある。ダイヤルアップではたまったものではない。メールのウィルスチェックサービスは付加しているが、それだけでは不十分だからだ。

会社には1000通/1時間のSOBER.AGがメール爆弾なみに届いている。そんな時代に、安心してネットが使えるようになるにはまだ程遠い行政やサービスメニューだ。しかし光とかデジタル放送とかは金が直結しているのでさっさと整備していく。マンションの強度偽装にかかわる行政や監査の仕組みも全て同じような事だ。

結局は行政や元国営企業、大企業などがお膳立てしてくれる事は期待できない。賢い消費者になり、NOと言える知識や経験をつけなければ、フィッシング詐欺のようにターゲットにされどんどんと資産を搾取されていくのだ。物騒な世の中だ。

写真は由の実家の近くでみつけた小さい食堂のような所のメニュー。素朴さが好きだ。安くてそしておいしいのは嬉しい。これこそが正当なサービスに対して適した額を支払うという事ではないだろうか。

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2005年11月29日

頭痛の季節

夜中に頭痛で目が醒めた。最近酷い頭痛がなかったのだが、今日は左肩側がズキズキ痛む。何度かそのまま寝ようかと思ったのだが、どうにも収まりそうもないのでいつものバファリンプラスを飲んでからまた眠った。

しばらく寝ただろうか。また夜明け前に目が醒めたのだが、まったく収まっていなかった。左肩がだるい。別に重いものをカバンに入れていた訳でもないのに、原因がわからなかった。ひょっとしたら眠方がおかしかったのかもしれない。

右肩がだるいのであれば、投げ練の影響かと思ったがそれも違う。理由はわからないが、とりあえずマッサージ機をかけたのだが、変わらない。

結局夜まで、今もまだ少しズキズキする。風呂に入って早く寝よう。

写真はあまり意味はなく、ニカニカカヌー犬、くー。爽やかな川でも下れば、頭痛も治るだろうか。

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2005年11月28日

江戸川の特訓その2

日曜の江戸川河川敷。一角にディスク隊が陣取ったスクリーンタープと、その前にはしっかりコートのようなスペースができていた。川に向かって投げる。

ロビ君とポーちゃんのお父さんがマーカーを置いて距離がわかるようにしてくれた。それを目安にディスクを投げる練習だ。まっすぐ投げ、どこでディスクが曲がったりするかによって、安定したスローイングを練習する。回転が少なかったり、ディスクが手から離れるタイミングによって、右や左に曲がったりする。これがなかなか安定してくれない。

犬たちはもうディスクを捕りたくてたまらなく、吠えたり落ち着きがなくなったり。今はもうみな、自分のディスクは籠の中に20枚前後を入れて持ってきているので、この日集まったディスクは50枚以上あったのではないだろうか。練習を開始すると、我先にディスクを追う。

ただ今日集まった4匹のコーギーは、特に姉妹犬の福来ちゃんとくーは近づきすぎると危なかったのだが、最近はあまりケンカのようにはならない。ロビ君が男の子なので基本的に問題ないのだが、他の3匹はみんな女の子なので、状況によってはガウガウが始まる。しかし投げ方も考えているのだが、今回は一度もそういう事にはならなかった。みんな、自分のディスクを追うので他に気がいかないのか、集中してくれている。

競技の時は2ラウンド制なので、1ラウンドが1分の持ち時間としても3分もディスクを追えない。しかし今回は朝から晩まで好きなだけディスクを追える。

スローは考えすぎるともうメロメロになってしまう。折角ロビ父さんから教わった事も、頭では理解していてもなかなか思うように体が動かない。悩みつつ、スローを普段の練習型に戻すと上手く飛んだりもする訳で、なかなか自分のスタイルを見つけるには難しい。

反面、福来ちゃんのパパとママは安定している。由も結構安定してきている。飛距離の差などあれ、やっぱりそれぞれの投げ方で少しづつ方向が決まってきていくようだ。私も少しづつそれを掴みかけてきているようなのだが…

印旛では特に、投げ出しのタイミングとくーのスタートのタイミングがあわず、ディスクにくーが間に合わないというのが何度もあり、その練習をしたかった。地元の公園では砂場であったり、地面がでこぼこな所も多いので安心して走らせられない。当然な事なのだが、大会会場のような芝の上で、思い切り走らせてディスクを追わせる練習ができた事で、とても有意義だった。

結局日が暮れるまで投げまくり、帰りにはお好み焼き屋で夕食を囲みながら、また色々な話をした。次回は我が家以外は静岡は掛川の方まで遠征予定だが、我が家はちょっとインターバルの予定だ。今度この3チームが顔をあわせるのは、JFAの朝霧アリーナ大会。来週末になる。すぐ先のようだが、大会は月に2~4回のペースで開催されている。おまけにNDAだけでなく、今回からJFAにも参加する事にしたので、選んで参加しなければ倒れてしまうかもしれない。JFAのルールはNDAよりも少し厳しいので、憶えなければ。

今回とてもよい環境でまる1日しっかりと練習ができてよかった。皆が集まらなくても休日の午前中あたりに出かけていって、練習するのもいいかなと思っている。自宅から23km程度なのだから、近いものだ。

くーは1日ひたすらディスクを追っていたが、体力は骨折前に戻ってきたようだった。ただ最後には足がついていかず、疲れていてもまだディスクやボールを投げろという態度は、底知れぬくーのパワーというか、本能を感じた。

くーの幸せな顔を見る為に、頑張らねば。

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2005年11月27日

江戸川の特訓その1

朝6時起きをして、江戸川の河川敷に大会装備で向かう。今回は飲料水用の水タンクに水を一杯積んで行く。

実はもうロッキーの荷物室には限界の装備。とにかく椅子を畳まない場合は荷物が載せられないロッキーのリア荷物室に、コールマンの3ポールスクリーンタープ、アルミロールテーブル、アルミディレクターズチェア2脚、キャリーカート、3人用ベンチ、水タンク18L、モンベルのパウダーホップジャケット2着を積む。

入りきらないものとして、小物が入ったザック、食材や食器、ガスコンロなどが入ったポリライトクーラー28、くーの入るクレート、ディスクが20枚ほど入ったカゴなど。後部座席のまん中には、くー様のクレートが進行方向に入り口を向け、設置される。ルームミラーの周辺に2つの後付けのミラーがあり、これを使って助手席と運転席からくーの状態を見る事ができるようになっている。

神田、錦糸町を経由して葛西の先まで。めったにこちらの方向には来ないのだが、休日なのに早朝は快適に空いていた。コンビニで肉まんなどを買ってかじりながら現場に到着した。

江戸川沿いの空き地は芝の広場だ。何故だか日本はちょっと場所があるとみんな河川敷は野球場になってしまう。これでもかという数の野球場が作られている訳だが、この広い球場で同時に遊べる人数は18人+α。なんて贅沢な遊びなんだろうか。サッカーにしても、公園を独占的に使っている訳で、多目的に皆が使える芝生の広場がもっとあってもいいのではないだろうかと思う。

まだ誰も到着していないので、荷物をおろして待つ。ちょっと周囲を歩くと放置糞だらけで参った。スコップ持参で来る人もいる。スコップを使うにしても、彫れる所にしてくれならいいのだが、彫れない所や養生している芝の上で飼い犬がしたらどうするつもりだろうか。細かい事が目にいくというより、何だかレベルが低いというか、自己中が多すぎる。狭い日本、自分で汚したものは責任を持つべきだ。キャンプにしても、来たときより美しくなんていうのは、ボーイスカウトやカブスカウトで言われる事。いい年をしたオジサンやオバサンよ、それで自分の子供や孫などが生活する地球に気配りはできないものなのか。

一通り放置糞拾いをしているうちに、今回の練習会メンバーが集まった。今回は先におろしている私たちのタープを張り、広場の半分を使い、練習を開始した。

天気は思いの外よく、汗ばむ位の気温になっていく。秋空にディスクが舞う。

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2005年11月26日

安くても素晴らしい宿

夏の北海道で色々な宿に泊まった。数としては4件。その中で一番期待していた羅臼の宿には大変失望し、それは今においても変わらない。犬歓迎をうたった宿だっただけに、そのギャップは激しく、また思い起こしても不快になる程の待遇だった。

そんな中で一番安く、また飛び込みで泊まった宿から、手紙がきた。私たちがチェックアウトの時に撮影してくれた写真が絵はがきになり、おまけにパソコンでしっかりと作られた葉書の文章には、くーという名前もしっかり載っていた。そう、1枚1枚ちゃんと作っているのだ。

実はこの宿でくーは前々日に処方された薬のせいで、水を大量に飲み、その分おしっこも大量にしていた関係で、ついさっき外の公園で排泄をさせたばかりというのに、部屋の中に入って30分もしないうちに、やらかしてしまったのだった。ただそれは飼い主がちゃんとトイレシーツを用意し、そこを教えなかったのも問題なのはよく反省しており、弁解の余地などはない。ただくーには責任がないというのは確かだった。

これまで宿には何度か泊まっていた訳で、無駄吠えなども含めて、とりあえず問題があった事はなかった。その分この事件はあまりにショックで私たちは呆然としてしまった。しかし、すぐに支配人さんに謝罪にフロントに走った。

支配人さんは全然迷惑そうな顔もせず、笑顔すらみせ、いいですよと換えのシーツを用意してきてくれた。そして汚したシーツなどを持って、そのまま重ねて「怒らないでくださいね。かまいませんので」という優しい言葉を残し、去っていった。

その時くーがなんでこんなに排泄が近いのか、前々日に処方された薬を飲んでからだというのに気がついたのだが、飼い主はまだまだそういう意味で分かってやれなかった。全て飼い主の責任だった。

そんな迷惑をかけた上に、写真を何枚も撮り、広告で使ってよいですか、とも言われ、こうしてしっかりしたお礼状が届くという事が、これまで多くの宿に泊まってきたが、とても新鮮で嬉しさを感じさせてくれた。

その宿はなんと公共の宿。帯広に程近い十勝川温泉にある、十勝川温泉はにうの宿サイクリングターミナル。ここのモール泉の温泉は最高で、それに入るだけでも泊まる価値はある程だ。それに宿の目の前には広大な芝生の十勝ケ丘公園があり、犬連れにとっても満足の宿だった。

帯広周辺にまた行く機会があれば、是非また泊まりたい宿だ。この宿の事はLiving-With-Dogsのサイトにレポートを書かせて頂いている。今後犬可の部屋が増えてくれると嬉しい。

写真はそのまま。

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2005年11月25日

小春日和

冷え込みも一息といった所で、ここ数日は小春日和と言える陽気で少しほっとする。

友人の子供に小春という名前の子がいる。小春と私や由にとっては、色々複雑な経緯があるのだが、一番親しみ深い子供とも言える。親戚とかそういうのは除いて、と言っても、親戚の子はまったく興味がなく、逆に由側の親戚の子たちの方が接点が大きいのだが、それを含めても身近な子供としての小春の存在は大きい。

小春が生まれた日、私たちはその小さい体を見に病院にでかけた。その年末にネパールに行った時に、タメルの洋服屋でかわいいフェルトのジャケットを作って貰った。出産祝いはそれとは別に、普通にミキハウスか何かのリュックだったと思うが、実は既にあまり覚えていない。

タメルの埃っぽい路地を歩くと、ミシンがある洋服屋が結構多いのに目がいく。結局はみやげ物というか外国人向けの店が殆どなのだが、コピー文化の中で微妙にデザインや色あいが違ったりするのを見るのは楽しかった。私たちも刺繍が凝ったハーフコートのような上着を買ったのだが、なかなか着る機会がなかったりして、タンスの中に眠っている。

小春は今は小学校3年。早いもので、今年からカブスカウトに入り、友人である父親も何でだか副隊長に任命されて、たまにでかけているようだ。私は小春を通じて、父親という存在が何か不思議な力を持っているが如く、我が娘の事をよく判ってやっているんだなという事を知った。うわべだけではわからない、何でそういう言動をするのかという部分は、感心させられた。

くーについてもそうだ。くーがする事はわからない事も少なくない。だが、よく考えるとそうだったのかと分かって来る。そういう行動が段々と多くなってきているように感じた。血は繋がっていなくても、これが親子なのかなと思わせられた。それもこれも、小春とその父親である友人が、そのキーをくれたような気がする。

今週の月曜日、小春の誕生日がまたやってきた。おおらかだが苦労もしている小春は、小学校3年生で日本の有人域4端を踏破している旅人だったりする。きっともう少しすれば、父親の言う事なんかもきかなくなってくるんだろう。それもまたあとからみれば懐かしい思い出になるのだろうが、父親は大変だ。

くーはその点、反抗期はない…と思う。

写真はその親子。結氷している屈斜路湖を散歩中。年を重ねても、こうやって家族で旅をしたり、つきあって行ける友人はやっぱり大切な存在なのだ。

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2005年11月24日

年末の旅計画の頃

気がつけば11月も下旬。お台場は潮風公園の木々も漸く紅葉してきた。朝晩の冷え込みも昨日あたりから一息といった所で、今朝もそれほど厳しく感じなかった。帰りなどはツイードジャケットだけでも汗ばむ位だ。

くーが来る前までは、もう年末年始の旅の計画も済み、航空券やら何やらの準備が済んでいる頃だ。それは夏すぎから動き出したバンコク行きやバンコク経由カトマンドゥ行きであったり、台北や北京行きであったり、関空経由昆明行きであったりする訳で、色々な旅行会社を使った。

国内では年末年始に旅した場所といえば、北海道であったり、沖縄本島あたりのものなので、できるだけ安く行く為には往路の出発の日をずらしたり、事前割引などを駆使した。しかし海外の場合はメジャーな路線はそれこそ格安航空券やスケルトンのツアーを使ったりする訳なので、ある程度選ぶ時点で余裕がある。しかしあまり渡る人が多くないエリアでは、その方面に強い旅行会社に相談する事になる。

これまで色々世話になった所は、まず風の旅行社。知り合いがいなくなったので今は使っていない、というより使う機会がないが、ネパール・チベット方面には強い。カトマンドゥはタメルに支店がる位で、現地で突発的にナガルコットに1泊のショートツアーに行きたくなって頼んだりした。

また雲南の麗江・大理の航空券などを手配して貰ったファイブスターもよかった。女性のスタッフだったが、安心して頼む事ができた。この旅行者は飛び込みでみつけたのだが、マニアックなコースにも対応できる旅行社で、神田のオフィスに実際に行って色々と相談した。また使ってみたいのだが、なんせ北京や台北などのメジャールートは扱っていない。

由が神戸の自転車旅行で使う西遊旅行もマニアックだ。昔ネパールに行こうと思ってあたった旅行社は、あのホテルエベレストビューを扱う新橋の某代理店や、大手のエイチ・アイ・エス、マップツアー、そして西遊旅行などもあたったのだが、高円寺の風の旅行社に落ち着いた。まああまりお金がなく、ドミを渡り歩くバックパッカーでもない私たちの要望に一番あう旅行社というのが選択の理由になる訳だ。

新宿のエイチ・アイ・エスはまったくアテにならなかった。それこそ年末年始の行程は今頃来てもムリだよという態度が見え見え。マップツアーは話をしやすかったが、系列のアクロスも含めてオリジナルな行程を組むと金額が相当ハネあがった。ただ、ネパールについては風の旅行社などはチャーター便の枠などはあっても、RA(ロイヤルネパール)の年末年始の枠はないらしく、2度訪れたネパール共、UA(ユナイテッド)とTG(タイ航空)を使う事になった。その為、往路はバンコクでトランジットになり、1日損した気分になってしまった。

計画をたて、航空券を手にするまではそれなりに独特の雰囲気だ。キンとした年末の空気の中、蒸し暑いバンコクを経由し、それほど寒くはなく過ごしやすいカトマンドゥに向かう時、洋服で悩んだりする気持ちをまた味わいたいような気もする。

年末年始は旅の季節。しかしここ2年程は遠くに出かけずにいたりする。開陽台に毎夏向かう事で、義務化するような事になるのも本末転倒である訳で、こういうのもまた悪くはないと思いつつ、そろそろ旅にまた出たいという気分も沸いてくる今日この頃だ。

写真は93年の正月。サランコットで朝食中のテーブルの向こうにポカラの町とペワ湖を望んで。手前のテーブルには由が座り、チベタン・ブレッドにはちみつをたっぷりかけて食べている姿がある。

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2005年11月23日

勤労は必要か否か

今日は勤労感謝の日という日らしい。

朝寝坊をし、食事をゆっくりと作り、夕方に由とくーと3人で散歩に行っただけの、何もしない1日だった。

普段勤労している人に感謝するのか、勤労できる事を感謝するのか。私はどちらかというと勤労する事よりも、やはり遊んでいたい。仕事が趣味であったり、仕事が好きだったりする人は、また別なのだろうが、私はひいき目にみても仕事は食べていく為に仕方なくしている事であり、短い人生、もっとしたい事は沢山あるという考えを持っている。

今の仕事について、最初は貪欲に仕事を吸収し、納得のいく仕事をしていきたいと思っていた。それこそ最初の3年はがむしゃらに仕事に取り組んだ。といっても、間には限定解除を取ったり、北海道ツーリングなどはしていたのだが、それ以外は土日も会社に捧げて、朝から晩まで仕事をしていた。朝8時半から夜は22時頃までは殆どといってもいい程、会社に居たのが今では信じられない位だ。

当時は某金融関係の顧客先に常駐し、仕事をしていたのだが、夕方17時にはオフィスは閉まる。その後私はオフィスに40分ほどかけて戻り、そこから翌日の仕事分やらまとめをして、22時頃にはオフィスを出るという感じだ。睡眠時間は今とはあまり変わらないのかもしれないが、自分の時間なんていうのはなかった。

バブル経済が崩壊し、私の顧客もシステム拡張時代から縮小もしくはアウトソーシング時代になり、職種が違う顧客に移る事になった。そこはとんでもなく酷い勤務形態で、通勤時間は往路で2時間、復路で3時間弱。夜は終電なので各駅停車で自宅に帰るのは深夜1時を回っていた。そして風呂に入り寝るのだが、4時間後には起きて8時からのチーフミーティングに出る為に出勤という日々が続いた。土日もまず土曜はまったくなく、日曜も度々出た。あっという間に毎月ボーナスのような給料を手にしたのだが、使う時間もない。

そんな時にバイクにお金を投資したりしていたのだが、今思うと勿体ない事をしたものだ。でもそれはまったく無駄だった訳ではない。私は色々な事を学んだのでよいのだが…。

私は父親が物心ついた頃には、自営業になっていた。元々は勤め人だったのだが、理由があって自立した。それは父親が急逝し、長男が継いでいるのだが、土日返上で会社に出る事はめずらしくなかった。

勤労する人は、何かしら我慢しながら、何かを犠牲にしながら働いていると思う。その人の為の休日ならば、もっとあってもいいのではないだろうか。やり手の経営者の人なんかはそんな余裕はないかもしれないが、多くの一般人は、もっと休みを望んでいる。その時間は家庭サービスをしたり、自分の為に時間を割く。

ドイツのように、もっとしっかり休みを取り、本当の意味でリフレッシュしたり、人間の発想を豊かにするように自分の時間をしっかりと過ごして、仕事に復帰すべきではないのだろうか。

実際は企業は昔と違って、社員は変わりが山ほどいるひとつの部品にしかみていない。最近になってその社員から逆襲にあい、告発される事も目立ってきた。そう、誰だってひとつしかない人生であり、それを第三者が勝手に軽んじる事はしてはならないはずだ。

自分の人生は、自分が守らなければならない。そして、働く事は必ずしもイコールにはならない。働く事はひとつの手段であり、全てではないだろう。我が人生よ、悔いなき時間を進んでいるのか?

自問自答の中、私は泥沼の底だった1993年の2月、真冬の北海道へテントを持って旅に出た事があった。

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2005年11月22日

理不尽な常識と自衛手段

由の実家は神戸なのだが、その神戸の市営住宅にADSLを敷く事にした。

遠隔で色々な手続きすると、連絡が難しいのだが、今キャンペーンで出張接続設定が無料だったり、ルータもアンケートに答えると無料だったり、エントリーコースだと月2000円程度で常時接続になる事から、我が家でこの費用を持ってしても、色々多くのメリットがある為、この計画を進めてみる事にした。

事の発端は、やはりセキュリティ対応。ダイヤルアップでLivedoorの無料サービスを使って頂いていたのだが、そのサービスが終了し、私の契約しているISPの子IDを取って、それを使って頂く事にした。しかしダイヤルアップは変わらない。この子IDには、唯一ウィルスメールのチェックサービスを付加している。

ダイヤルアップで以前は充分だったのだが、実際はウィルス対策をする事で、ウィルスパターンファイルやMicrosoftUpdateを定期的に行わなければならなくなっているのが現在だ。パターンファイルなどは毎日更新される訳で、差分アップデートをしてもそれなりに時間がかかる。MicrosoftUpdateなどはとんでもないデータ量だ。

ちょっと前、ZOTOBというウィルスが広がり、ちょっとでもネットに繋ぐと、MS05-039の脆弱点をついてZOTOBに感染するという事があったのだが、運悪くこの日に繋いでいた事がわかり、慌ててネットへの接続はしないようにとお願いし、パッチやパターンなどをCDに焼いて送ったのだが、結局対応はできなかった。

しかし常時接続になれば、基本的にはルータにより直接アタックされる事はなくなり、またパターンファイルやMicrosoftUpdateも設定をすれば勝手にアップデートしてくれる。この点から、少々費用がかかっても、何とか常時接続の環境に持っていくべきだと思っていた。

ただそれを実行すればよいというものではなく、実はその市営住宅にはちょっと前にNTTのフレッツが入り、勝手に接続したくば高額な接続費用を払えという横暴なソリューションを提示してきた。私としてはそのメリットは考えられない上に、NTT嫌いなので絶対にNTTフレッツなどは使いたくない訳で、安いADSLが引けないものかと思っていた所だった。それに光収容になった場合は、ADSLが引けなくなる可能性も気になっていた。

今回このZOTOBの件で本格的に調査をした結果、3.3kmほど線路長があり、速度はあまり望めない事や、伝送損失も44dBとあまりよいロケーションではない。しかしダイヤルアップよりはマシという事から、ADSLが引けるかを調べてみる事にした。

調べるには申込みをしなければならないので、コースや子IDなどを使って可能かなどを問い合わせをしたり、色々ケースを確認し、申し込んだ。すると、あっと言う間に、NTTの適合結果もOKになり、光収容替え工事費用も無料になる事で、あっという間に工事日が決まってしまった。NTT交換機側の工事は11/25で、実際にPCの設定に人がやってくるのは11/28というスケジュールになった。

実際どの程度の速度が出るのかわからないが、これで色々な問題がクリアされる。例えばIP電話についても我が家とは通話料金が無料になる訳で、付加価値も多い。28日は会社にいながらその出張設定担当者と電話で会話する事になるだろうと思っている。

無事繋がる事を祈りつつ、約700km弱離れているのに、電話工事の依頼を出す事ができる時代にちょっと感心してしまった。一切NTTには余分な金を払わずにだ。

時代はブロードバンド、常時接続の時代。こんな時代にNTTは電話加入権を踏み倒し、NTTフレッツなどといったサービスでまた別に金を取ろうとする。コンテンツサービス会社ではNHKが戦後の放送法をふりかざし、善意のご老人達から到底納得いかない視聴料をぶんどり、今度は勝手にデジタル放送で費用を負担させようとしている。

阪神大震災で被災した由の実家や親戚たちに、NHKが何をしてくれたというのか。NTTが何をしてくれたというのか。緊急放送すらなく、実際受信設備がない家庭に何で受信料を払う義務があるのだろうか。携帯やカーナビでテレビが見れるのはどう説明をつけるのか。電波というのは公共のものなはず。全てが私利私欲の為であり、これでもかと汚い手を使う元国営企業は、国民一人一人が声を出していかねばならないだろう。

私は由の両親に少しでも費用負担が少なく、そして必要なセキュリティレベルを保つように環境を整え、その上気兼ねなく電話ができるような環境を与えてあげたい。それだけだ。

写真は台湾の電車の中での広告。統計でみると、アジアでウィルスの発信源もしくは被害が多いのは、韓国と台湾であるようだ。

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2005年11月21日

イクラ丼の夜

友人からイクラを頂いた。

正確に言えば、和琴ミーティングに集まった皆への差し入れだったのだが、以前の日記の通り、私はディスク大会に出ていたので、夕食を外で済ませてきたのだった。その時に集まった友人に振る舞われたのだが、私たちは食いっぱぐれていた。

事前にもしもできるならちょっと残しておいて欲しいという事を、和琴のおっとさんに頼んで置いたのだが、それを今日わざわざ届けてくれた。ありがたや。

北海道ではイクラはシーズン、結構たやすく手に入る。とはいえ、やっぱり醤油漬けを作るとなると手間がかかる訳で、おすそ分けをして頂く時位しか口に入らない。または高いお金を払って、お店で食べるという事になる。

釧路の和商市場の田村商店で、瓶詰めの醤油漬けを買ったり、また白いごはんを買って、載せて貰って食べたりしたのだが、釧路から船に乗る事もなくなった今、それだけの為に釧路にいく事もなくなった。たまに釧路空港から出る時は、六花亭やなごやか亭をまわると、もうイクラ丼どころではない腹の状態となってしまうので、鮨好きな私にとっては、なごやか亭を取ってしまう。

同時に和商市場のクオリティの落ち方で、あまり魅力を感じなくなったという事もある。80年代後半から90年代前半にかけては、本当にオトク感が高い「勝手丼」が存在していたのだが、値段的に魅力がなくなってしまい、もうわざわざ味気ない発砲スチロールの丼を手にする事もなくなった。それこそ300円で丼に入りきらないほどの甘エビや、ホタテなどを持ってくれた時代はもう過去の事だ。

私は牡蠣や雲丹がいまいち好きではない。食べられないという事でもないのだが、どうしても食べたいという人からすれば、嫌いという分類に入ってしまうだろう。しかしイクラは昔から好きだった。

イクラ丼にする時も、白い炊きたてのご飯に盛るよりも折角家で食べるのだから、鮨飯にして、その上にたっぷりと焼き海苔をかけ、その上にどっかとイクラを載せた。それだけでは寂しいので、馬鈴薯がなかった為紅芋で代用した豚汁を添えて、豪華な夕食となった。

ちょっと遅いが北海道の味を堪能。粒がしっかりしていて歯ごたえのあるイクラは、やっぱり内地ではなかなか高くて食べられない。

友人に感謝すると共に、自然への恩恵にも感謝。

写真はイクラ丼をはじめて食べた年の、釧路ツーリングトレインのプラットホーム。寒さに震えつつ、和商市場の海産物で、一晩を一緒に過ごした旅人たちと乾杯をした。

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2005年11月20日

赤城の風2

今回は思いのほか緊張せずにスターティングエリアにたてた。それもこれも、私がドギーズクラスに出場するなんていうのは恐れ多い訳で、ある意味肩を借りて投げさせて頂くという立場だからだったという事にある。失敗を恐れず、楽しむ事に徹したい。

1投目、見事に右に逸れてファールエリアへ。
2投目、いきなり突風が吹きはじめ、後ろのタープのロープがはずれそうになる程。ナイロンがはためく音が響き、大きく投げたディスクが空高くはねあげられ、流されてしまった。当然取れずに0P。
3投目、これも全然風が止まず、大きく右に斜めに落ちる、いわゆるギロチンでディスクダウン。0P。
4投目、ショート気味に投げ、しかしまだ強い風に右に流されるが何とか20m以上の距離でランニングキャッチ。3P。
5等目、ショートだがしっかりと回転をかけようと意識しながらスロー。途中で2m程急激に上空にはね上げられたかと思うと、またすぐに同じ高さにたたき落とされるような動きをしつつ、右に流されてしまうが、これも
ランニングキャッチの3P。

散々な結果に終わってしまった。私の投げている間に、突風が巻いたらしく、タープが大きく膨らみながら暴れていた。

2R目までしばらく時間があいて、食事をとったり話をしたりと、前回の印旛とは大違いで、ゆっくりする事ができた。撮影なども出場が重なってしまう事があるが、やっぱりゆっくりできるのがいい。ドッグスポーツで知りたかった世界が少しづつ諸先輩方の話を聴く事ができて、有意義な時間にもなった。

1投目、ショートで投げてジャンプの4P。
2投目 低く投げたが風に押さえつけられ右に急降下。ディスクダウンで0P。
3投目 一旦高く風ではね上げられ、急降下するがなんとか追いついてランニングキャッチ。5P。
4投目 くーが投げるのを待ってしまって慌ててしまい、ディスクは天に向かったあと、右ファールエリアへ。

タイムアップで合計9P。合計15Pで終了。なんとも辛い結果になってしまった。

終了後、ロビ君とポーちゃん家、福来ちゃん家、そして我が家で夕食を食べて帰った。1日タープを共にして、ベテランの方々やディスクドッグ競技を知ったきっかけになったウェブサイト、小一郎君・小十朗君家の方々などとも話ができて、とても為になった事。そしてロビ君とポーちゃん家とも色々な話ができて、結果はふがいないものになってしまったが、有意義な1日になった。

ゆっくりしているうちに、21時を大きくまわり、解散した。藤岡ICから高速に乗り、すいている関越を少々疲れで眠気に襲われながらも走る。22時3分に練馬料金所を出て、半額をキープし、22時半には自宅に帰りついていた。朝早くから夜まで、1日動き回っていた1日だが、少しづつ競技へ参加するテンポもわかってきたような気もする。

年内、NDAのEastDivの競技はあと2戦。しかしどちらも静岡の西なので、参戦は見合わせるつもりだ。反面、JFAの競技の参加も考えている。他の競技も含めて、くーが楽しめるには何をすべきかを考えて、色々チャレンジしていきたいと密かに思っている。

写真はくーに捕らせてやる事ができなかった瞬間。やはりキャッチさせた時の笑顔が何ものにもかえがたく嬉しいのだが…

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2005年11月19日

赤城の風1

朝4時起き、5時出で赤城へ。ETCの特権で、朝6時前迄にもしくは夜22過ぎに料金所を出入りすれば、高速道路の料金が半額になるという事を知ったので、意地でも6時前には練馬ICを入りたかった。とはいえ今日走行予定距離は片道120km程。朝7時すぎには現地入りしたいので、なんとかテンポよく走りたい。

10月に入ってから、もうこれで5度目。約1か月半で参加5回を数えるディスクドッグ競技。私は最初の1回は撮影だけだったので投げていないが、実際ディスクを真面目に投げ出してから1か月半もたっていないという事になる。

ビギナーズラックで初戦10月22日の朝霧アリーナで初心者クラス優勝という栄誉を手にしてしまったのだが、それも愛犬くーが優秀だからこそ。投げ手の失敗をフォローしてくれる事に、飼い主は謙虚に受け止め、もっと練習をしなければならない。

朝霧では同点決勝になり、私だけでも3ラウンドを投げた結果のトータルが、微妙な差で2位の方を抑えて優勝させて頂いた。これは素直に嬉しく、これがまた私にとってプレッシャーの原因になったのかもしれない。由は三郷、印旛と連続でプライマリー2位となったで、今回はもうプライマリーは出る事はマナー上よくないという認識から、ステップアップとなった。

赤城は標高も高めで、コートは少し傾斜があると聴いていたが、到着して驚いた。コの字じ囲まれたコートだったので、風も林でガードできるかと思ったが、これが朝には雪が舞う天気で風が異様な動きかたをしてくれた。コートの右と左では風向きが違う。そう、巻いているのだ。吹いている時と吹いていない時の差が極端で、これはもう運も大きく左右する試合になると思われた。

今回はコートサイドが狭いので、ロビ君とポーちゃん家のタープに間借りさせて頂いた。私たちが到着した時は、既にタープが設営中だった。手伝いつつ、お邪魔させて頂く。

早速コートで練習をしたのだが、思いの外今回は調子がよさそうだ。目撃者もいるが、50mの距離が飛んだディスクもあった。風をうまく掴んだのだろうか。あとは本番でどういう風が吹くかは神のみぞ知るという訳だ。ビデオやカメラを用意して、参戦するドギーズクラスの順番を待つ。

今回知り合いの殆どがドギーズクラスへの参戦の為、写真を撮る余裕はないが、前回の印旛の2コートを走りながら行ったり来たりしていた時よりもはるかにゆっくりと順番を待つ事ができた。朝霧もそういう感じだったが、やっぱりゆっくりと楽しみたい。フリースタイル系から始まった競技だが、先にレディースが行われているのをみていると、とんでもない風が時折吹く。1分しか投げる時間がないのに、20秒から30秒前後の風が吹くと、その間を考慮しても半分以上はロスする事になる。

そして、前半に姉妹犬の福来ちゃんとママのチーム、ロビ君、そしてくーと私という順番。少し間をおいて、今度は福来ちゃんとパパのチーム、しっぽコギの前回G1優勝のハナちゃんとパパのチーム、そしてくーと由が投げる。

試合が始まり、私の順番がまわってきた。

写真は由とくー。

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2005年11月18日

裏方さんのお仕事

パソコンの電源ファンの音がうるさくなってきた。一度筐体を開けて清掃してみたのだが、ヒートシンクと呼ばれる冷却フィンには結構な量の埃が溜まっていた。その他、ファンというファンには埃が体積していたので、それが原因だと思い、掃除機とブロワーで清掃したのだが、あまり高価はなかった。

ファンのセンサーに問題があるのかもしれない。またファン本体に問題があるのかもしれないが、80mm X 80mm X 15mmのファンを探してみたり、情報を集めてみたのだが、解決には至っていない。

一応まだ保障期間なので、メーカーに聴いてみると、メーカーに送りつける事になるという。その間は当然、使えなくなる訳で、何かと面倒だ。別に通常のメジャーメーカーであっても、修理の時はこういうものだろう。

元々このPCは、ベアボーンで売られているものと一緒であり、相当数出回っている。まあファンが問題であれば、こちらの方でファンを買ってきて交換すればよいのだが、今の所どうすべきか悩み中だ。

また今日はずっと気になっていたramble.com、ramble.net、そして私のyonkichi.comに導入してあるXOOPSのバージョンアップを行った。まあメインで目につく使い方をしているのはramble.comだけなのだが、脆弱なバージョンをそのまま放置しておくのは困る。年末にでもまとめてやろうかと思っていたのだが、今回まとめて現在の最新バージョン、2.0.13a JPとなった。

またこれも気になっているこのMovableTypeのバージョンアップ。既にVer3が出ているようだが、バックアップなど準備もいるので、また次回とした。これこそ何かあった時の事も考えて、年末にまとめて実施予定という事だ。

明日は朝4時起きで赤城へ。久しぶりに雨の心配のない週末だ。ドギーズ初参加、さてどうなる事やら。私の課題はとにかくあがらない事。まずはそれが一番の難関か。

写真はファンの調子が悪い由のメインマシン。一番我が家では最高性能だったりする。

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2005年11月17日

葉の色づく頃

毎朝今シーズン冷え込み記録が更新されているらしい。通勤の時に聴いているJ-WAVEで知らされる。まだ夜が明ける前に起きてきて、ほんの30分準備やら何やらをしているうちに空は白んでくる。

この季節になると、雲の少ない高い空が段々と鮮やかに色が変わってくるのが見れる事と、どう考えても綺麗ではない大都会の空気でさえ、少しは爽やかに感じられる。ただ眠くて寒くて、布団から出るのが日増しに億劫になってくる。その勢いで休んでしまう事もこれからの季節、月に1度くらいはあるだろう。

社会人になってから5年間連続で、11月の上旬に標高1600m程度の林間で数日のキャンプをしていた。風呂に入ったあと、ちょっとロープに干しておいたタオルが干された形状のまま、氷ついている事もある気温だ。夜は焚火にあたりつつ、年を重ねるごとにメンバーも増え、装備もキャンプといいつつも、巨大な鍋などが増えて、それでも必ず林道を抜けてその地でジャムっていた。

斜面の中、少しでもフラットな所にテントを張る訳だが、白樺林の中なので、ちょっとした貸し切り気分になれるサイトで、見上げると空はあまりよく見えないが、それでも枝や葉の間から、星がきらめいていた。ささやかな楽しみだった。職場の人に話をしても通じない遊びだ。でも会社の中には、結構バイク乗りが居て、キャンプに興味をもち始めた友人が居たのだが、9割以上完全にバイクを降り、キャンプなんかしなくなってしまった。確かに当時はブームだとも言えたので、そういう時期だったのかもしれない。

ブームを越えて、今同じ遊びをしている連中は、やっぱり同じなようで、一風変わっている。普通に見えて、普通の遊びにはあまり興味を示さない。面白いもので、やっぱり久しぶりに会っても、髪に白いものが混じっていたり、太ったり、子供ができたりしていても、あまり変わっていない。皆それなりに生活している訳だから、時代に取り残されている訳ではないのだろうが、でもやっぱり筋の通った変わり者はそういう匂いがするようだ。

私もバイクには殆ど乗らなくなってしまったが、でもまた来年はバイクで旅をするだろう。若い頃はバイクに乗っている事にこだわり、乗らない人とは話題も換え、降りてしまった者はよい目で見なかったりした。しかし人それぞれの乗り方がある訳で、それは決められたものではない。

誰にみせるものではない。誰かに言われてする事でもない。自分が決めるまでだ。そう思える歳になったとも言える。

今日電車の窓の外を、看板を背負ったGPz900Rが抜いていった。Kの方でもZの方でもなかったようだが、背中から感じるものが、私にも伝わってきたような気がした。看板を背負って走る事は、カッコいいからするのではない。根底にあるのはヘルズ・エンジュエルスの精神なのだろうが、見えない看板を持っている者も沢山いるだろう。ただ悲しいかな、以前はよく街中を元気よく駆け抜けていく姿を見かけていた彼らを、最近とんと見なくなってしまった。

ロング・ライダーズ。まだ当分、バイクで旅に出られるだろう。落ち葉の敷きつめられた道を走り抜け、舞い上がる紅葉した葉がそれを知っている。

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2005年11月16日

しばれるなや

今週に入って、寒気が入り込んでいるだの、西高東低の冬型だので、朝起きるのがキツイ。たかだか8度あたりってこんなに寒かったんだっけと思う。最高気温が12度だと天気予報で言っているが、そんなの大した事ないじゃないかと思うのだが、朝はとにかく辛い。

元々低血圧気味なのだが、朝は5時40分に目ざましをかけている。しかし結構な確率で、鳴る前30秒~10分前に目が自然と醒めるのは不思議だ。すぐに起きられなくて、また一旦布団に潜り込むのだが、意を決して起き上がるタイミングが掴めず、また眠ってしまう事もある。

暑いよりは寒い方が、アタマや気分も引き締まっていいと思っている。暑いとオーバーヒートして何もできなくなるよりもはるかにましなのだが、やっぱり寒いのは寒い。勝手なものだと自分で思いつつ、頑張って起きている。夜、少しでも早く帰ってくる為に。

何度か8月末の北海道は釧路、釧路駅構内のツーリングトレインで、朝の気温が4度というのを経験した。さすが北海道と言わんばかりに、モンベルのスーパータフバック#3から出ている鼻先が冷たくて鼻水が止まらなかった。それからしても、昨日今日の朝の寒さは、その時以上のような気がする。

どんよりとした曇りの寒さと、すかっと晴れ渡った空の下での寒さの違いもあるのだろうか。釧路、霧多布の寒さは気分的に道内では上位なような気がする。北海道で最も寒いエリアは、朱鞠内湖の近くにある母子里(もしり)と、阿寒に程近い陸別(りくべつ)が冷え込み方日本一を競っている。氷点下40度を越えんばかりの冬が、もうすぐそこに来ている。そこよりも私的には、夏の道東、太平洋沿岸の寒さの方がしみじみ感じられる。

1994年の2月、完全結氷した摩周湖。川湯でも氷点下37度をマークした日に、和琴で車中泊した。レガシィのリアシートを畳み、半分をベッド、半分を荷物置き場にして寝た社内は、内側から窓がガリガリに凍っていた。人の吐息や体温から、湿気が外気との差で氷ついたのだ。

朝車内で暖かいスープを飲み、目的地である浜小清水に向かう為に出発する間、2時間はかかってしまった。冬の北海道は行動時間が極めて短い。

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2005年11月15日

デバックで悩む

MovableTypeのテンプレートをいじったら動作がおかしくなった。

まあ私はエンジニア職とはいってもあまりプログラミングは得意ではない。いや、得意どころか性にあわないと言ってもいいかもしれない。情けないが、現実だ。

ただエンジニア職といっても色々ある。システム設計や構築などは、私が主に手がける仕事だ。この職につくまでは、学校でもコンピュータのコ位のまでしか知らなかった。ただ営業がどうも性にあわないので、人の顔色を伺い、愛想笑いをしながら、おつきあいしなければならない事だけはやりたくなかった。相手が機械ならそれがよかろうと思ったが、実際はまあ顧客と話をしながらシステムの概要から仕様を決めていく訳で、そうそう人と話をしないで仕事ができるような職業はざらにない。

逆に工場のラインでひたすらモノを組み立てるような仕事もイヤだ。まあそんなえり好みなんかできない時代なのかもしれないが、今でも自分の仕事はどうあるべきかと自問自答しながら、日々会社に通っている。

今回、ちょっと別件でGoogleのアドセンスのIDが必要になって、登録したはいいが、あなたのサイトはまだ設定していないので早くしなさい、というようなメールがすぐにやってきてしまった。あまりデザイン上、加えたくないのだが、仕方なくテンプレートに組み込んだ。

しかし、再構築がうまくいかない。元々、じんじんさんからrss配信でエラーが出るという話もずっと手がつけられないままでいる。自分で1から組めるようにならないとならないなと思いつつ、時間がないまま放置が続く訳で、色々このような状態のものが気にかかる。

調べていくうちに、MovableTypeの再構築はサーバへ結構な負荷をかけるようだ。特に私の使っている3画面型で、メニューが多く、そろそろ記事数も多くなってきている関係で、エラーが多発する。安いレンタルサーバだから仕方がないのかもしれないが、いろいろ工夫をしながら使わないとならない。

今回は最後まで解決しなかった個別アーカイブの再構築の部分で相当時間をくってしまった。とりあえず今は見えるようになったが、そろそろこのブログも最新バージョンにしたり、色々手を入れないとならないと思っている。

写真は関係ないが、今日は朝から冷え込んだので、寒い時に思い出す、氷点下の真冬の北京。観光屋台だがそれなりにおいしく体が温まるものが多い。見るだけで目を背けたくなるようなものもあるのだが…

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2005年11月14日

回転する尻尾

くーは私が玄関の鍵を開けると、吼える。不思議と、由と私二人ともいない時は吼えないのだが、どちらか片方、もしくは両方自宅にいる時は、訪問者用のチャイムや電話が鳴ると吼えだす。小犬の頃に何か怖いと思うような事をしてしまったのだろうかと思い返すのだが、思い出せない。

しかし、扉が空いて、それが宅急便の人であろうと、新聞の集金の人であろうと、今度は尻尾をふりまくり、近寄っていく。いや、近寄っていくどころか、とびついて顔をべろべろと舐める。

しつけ教室に長い事通っていたくせに、実はこの飛びつき、飼い主が許しているのである。飼い主としては、帰ってしらんぷりされるよりも、帰ると大歓迎してくれる犬がいる事が嬉しい訳で、その時に激しいヨロコビを表現してくれるので、そのままにしている。

ただ特に教えた訳ではない。自然とそうなったと言ってもいい。しつけは私は相当厳しくしたと思う。小犬の頃が一番重要だと思い、由が甘やかす中、私だけは厳しく接する事も多々あった。反面、不思議と由にはあまり大歓迎というお迎えをしない。この部分は由が不満な点である。

怖い存在が私で、遊んでくれる人が由という図式なのだろうか。でもちゃんと服従が効くので、よしとしている。厳密に言うと、ダメな時もある。犬だって人だって、目の前に全てを振りほどいてもやりたい事があったりしたら、そちらに向かっていってしまうだろう。ただそこでリードやコマンドなどが、効けばよいというのが我が家のしつけだ。

最近はすっかり私の方が甘くなってしまい、私が食後、寒くなってきたのでホットカーペットを入れて横になると、私の胸のあたりまでとことこと歩いてきて、フンといいつつ、私に背中をくっつけて寝ころぶくーを見ていると、やっぱり疲れている気分も少しは和む訳で、くーがくれるものというのはあらためて大きいんだなと思ったりする。

今日もしっぽは飛び立たんばかりに回転しながら出迎えてくれたくー。楽しい犬生であるように、飼い主は努力をするのだよ。

写真は帰ってきて押し倒される飼い主。しっぽが回転しているので、ブレている。

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2005年11月13日

福来ちゃんの活躍

ひき続き土曜の印旛村。

昼食時にロビ母さんとあゆみさんがおいしいものを用意してくださった。いつも申し訳なく思いつつ、頂く。でも何だかゆっくりと落ち着いて食べられない。HOOVERママさんや、近所の散歩仲間の方々が大勢、応援にきてくださったのに、何だか一人でビデオだカメラだ片づけだと走り回っていた。あっという間に2R目が始まる。

今度は風が斜め前から吹いているだけでなく、コートの中では巻いているようだった。しかし毎日練習していた中で、ある程度投げ方にコツを感じていた私だったのだが、何だかまた基本をいろいろ忘れてしまっていた。足の位置、目線だけでなく、何よりグリップがしっくりこない。どうしてしまったのか、予想通りスローは荒れた。結局2R目はキャッチ数すら憶えてない程だった。2か3キャッチだろう。合計17Pと低迷した。くーよ、悪かった。

由は2R目も風に悩まされながら頑張り、合計36P。結果的に前回に引き続き2位を手にした。腰が痛い中、そして風がある中よく頑張った。私よりも安定感は上だし、緊張しすぎる事もない。私はまた課題を沢山の残した。

しかし姉妹犬、福来ちゃんの飼い主は頑張り、あゆみさんはフレッシュマンズで同点3位で再度決勝を行い、無事3位入賞を果たした。そしてきみちんさんは、なんとドギーズクラスで大活躍。ダイナミックなスローで挑戦3戦目にして決勝に進出した。

決勝は夕暮れ間近、眩しい斜陽の中で行われた。結果木村さんとマルちゃん組が圧倒的な得点で優勝。福来ちゃんときみちんさんは4位だったが、素晴らしい試合だった。私もあのようになれるかわからないが、くーを決勝で是非走らせたいと思っている。頑張らなければ。

へとへとに一人だけ疲れて、ちょっと渋滞に巻き込まれたが、18時すぎに家に着いた。皆日曜も試合を行うのだが、私たちは正直土曜だけで限界かもしれない。それに、今度の土曜は群馬に遠征だ。体調を整え、また練習に励もう。

日曜はゆっくり寝坊をしたのだが、足がやはり疲れているというレベルではなく、痛かった。慌ただしい2コートというのと、種目の組み合わせで、今回は本当に余裕がなかったと思う。朝霧は朝、ゆっくりと朝食を取り、マイペースで練習時間なども調整できたのでよかったのだが…

夕方くーを散歩に連れていき、少しディスクの練習。そんなに酷くないスローなのだが、やはりあがり性という事や、集中力がないというのが問題だ。特に最近酷いのは自分でも感じているので、なんとかしたい。といってもすぐになんとかなるものではない。あわてず、クリアしていきたい。

写真はくーの幸せな瞬間。普段ではみせない表情で、獲物を仕留めている。

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2005年11月12日

練習と実際の時間差

朝から結構な雨。いくら9時すぎには雨はあがる予報とはいえ、真っ暗な中荷物を車に載せ、ワイパー全開で護国寺から首都高速へ。朝5時半というのに既に渋滞気味。しかしそれも都心環状線のネックである竹橋から箱崎JCTまでで、あとはスムーズに流れる。しかし交通量は多い。土日の朝はこんな感じなのだろうか。

湾岸に出て雨足が強くなり、横風も強くなってきてハンドルがとられる程の突風が時折吹いている。こんなコンディションで投げるなんていうのは初めてだ。と、横をディスクドッグのステッカーを張った大柄のバンが100km/h巡行で走るロッキーを抜いていった。ひょっとしたら参加者かもしれない。

東関東道に入り、四街道ICで降りた。何だか妙に遠く感じたが、自宅から約50km。1時間ほどかかった。しばらく県道を走った先にあるミニストップで朝食などを買うが、社外に出たら嵐だった。この状況はおさまるのだろうか…

眠気が醒めない状態で、印旛沼を渡る橋を越えてしばらくいくと、右手にスクリーンタープが並んでいる広場が見えてきた。会場に7時に到着。9割方埋まっている駐車場のあいている場所に車を入れると、横に湾岸で抜かれたバンが停まっていた。持ち主はなんと、憧れの木村氏さんだった。この人のロングスローは恐ろしい。なみいるボーダーコーリーを押し退けて、ディスタンスでは敵なしの人だった。挨拶をして、荷物を運ぶ。

タープを設営している時に雨が酷くなり、建てたタープの下で呆然としばらくフィールドを見つめていた。まだ今回もタープを並べて張る予定の姉妹犬の福来家も到着していないが、そろそろ来る事だろう。覚悟を決めてカッパと荷物を取りに車まで戻る。

今回大きめのキャリーを使ったので、タープだけは先に持っていって張ったが、その他を1度で持っていく事ができた。今回はこれまでで一番荷物が多かったが、ただ無駄なものも多い。少しづつ荷物をシェイプアップしていこう。天候はまったく回復せず、とりあえず全ての用意は完了。その頃福来家も到着、近所の犬仲間で今回初参加のもも家も到着。カッパを着て投げ練を開始する。

そしてしばらくして気がついたのだが、今日はコートが2つある。AコートとBコートと分けられ、Aの前に張った私たちが参加するフレッシュマンズとプライマリーはBで行われるようだった。2コート制は初めてなので、不安だったが、これがあとあと結構効いてくるのだった。

競技開始のミーティングがあり、もう少し投げ練をしようとロビ父さんにまたお世話になっていたのだが、すぐにフレッシュマンズが始まっていたのを知り、慌ててBコートにくーを連れていく。ビデオの設定を忘れて、走って戻り、設置と撮影開始をして、入場口に走って戻ったりと、寝不足の体にキツい。

雨も漸くあがったと同時に、風が少しづつ出てきた。遠くの空には青空も見える。そんな中、福来ちゃんとあゆみさんの順がまわってきて、綺麗なスローが連続で決まる。高ポイントで1Rを追えた。間一人おいて、私の1Rが始まった。

低いスローが多く、目線の問題がまだクリアされていない状況を感じさせる。くーをスタートさせたあと、投げるタイムラグが短く、くーが追いつかないのが2度あった。1度はファール。そしてラストスローでジャンプの6P。くーに悪い事をした。でもこれで2R目は気楽にやれると安心して追えた。

フレッシュマンズが終了し、プライマリーが始まる。今度はカメラを持って撮影ポイントに走る。ももちゃんのママが初参加とは思えない素晴らしいスロー。ももちゃんもやる気マンマンで素晴らしい。また間1人おいて、今度は由とくーの登場。実は由は今週前半から腰を痛めていて、スローが辛い。上半身だけを使い、投げたのがよかったのか、オールキャッチの21P。なかなかの滑り出しだった。

終了と共にAコートに走って移動。途中ビデオを忘れてバッテリを交換しながら、ロビ父さんとポーちゃんの番に間に合わせ撮影。既にAとBコートを走って4往復。この2コート制がどれだけ負担になるのか、じわじわと効いてきた。

午前中でへとへとになりつつある私は午後まで耐える為に、栄養ドリンクを飲んでみた。

写真は腰をいたわりながらスローをする由。くーは真剣だ。

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2005年11月11日

明日は印旛村へ

明日は朝まで雨が残るそうだ。芝のコンディションがあまりよくないだろう。ただ予報では少し前倒しになってお昼前には雨はあがるとの事。それを信じて、頑張って早起きしてでかけよう。

少しづつ場馴れしてきて、緊張度合いも少しましになってくると思っている。そしてそろそろ口で言っていたよりも真剣に、くーにキャッチして貰う事を第一に投げるように考えられるようになってきた。そう、順位なんかどうでもいい訳で、何よりある程度成長した私のスローと、くーが楽しくキャッチできるようになればそれでいいのだ。

口では得点なんか二の次なんて言っていたが、少しづつ先輩方から助言頂いて、少しづつポイントというものから切り離して考えられるようになってきたかな、と自分で思っている。やっぱり人間、欲が出る訳で、くーが表彰されれば飼い主は嬉しい。でもそれが私にとってプレッシャーとなって、自滅してしまう訳だ。なんて愚かな事だろう。

写真はくーがキャッチできなかったディスクを見る表情。なんて悲しい顔をしているのだろう。くーはとても表情豊かで、目の輝きや悲しい時の差があまりに分かりやすい。たったディスクが取れなかったという一瞬に、こんな表情をしているのだなという事が、写真を撮って初めてわかる。

くーの為にも悲しませないで、できるだけキャッチしやすく、足腰に優しいスローができればと思っている。そう、簡単ではないのだけど、それを第一に投げる事にしたい。

ただくーは別にランニングで捕れるようなディスクでも、あえてジャンプしてキャッチする事が多い。明日も合計1分が4ラウンド、合計10分もディスクを追えないのだが、その中で力いっぱい、ディスクを追ってくれる事だろう。

問題のひとつに、明日は朝が雨なだけでなく、北風が強く吹くらしい。おだんご(0点)にならないよう、そして風が強い時に結構高い確率でなるギロチンにならないように、どう投げていいのかまだよくわかっていない。投げ練の中で少しコツが結果として出てきたのだが、それがまだ身にはついていない。

とにかく、くーの為に頑張ろうと思う。

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2005年11月10日

キャンプ用品もTPO

最近、私が使うキャンプ用品が変わりつつある。

キャンプをするという事は、何もない所に寝床をつくって寝たり、水も火もない所で煮炊きをし、食事を作って食べたりする訳で、そしてそれは使わない場合は収納し、運ぶ事ができるもので構成されている。

言葉でいうと簡単だが、安全に一夜を過ごせる場所を見つけ、地面をならし、テントを張る事から始まる。調理も一人分か二人分だけを作ればいい訳で、効率よく作るにはシングルバーナーを座った椅子の前、いわゆる地べたで火を扱い、調理する。地べたに置くことで、ひっくり返したり、ガソリンがオーバーフローしても別に大丈夫だ。

材料を切るのも椅子の膝の上。まな板だけは持っているので、包丁かもしくはフォルディングナイフで切り、そのまま足元にあるストーブの上に乗っているコッフェルに投入すればよい。切ったものを一旦あげておくような皿はない。

水もポリタンかペットボトルで充分。足らなくなればなった時点で水を汲みにいく。食べるのもコッフェルのままか、せいぜい皿がわりにしているシェラカップやロッキーカップによそい、食べる。テーブルだけは低い小く折り畳めるものがあるので、ささやかにもりつけはその上で行われる。

こんな風に、極めて質素に、必要以上のものは出さない、持たない、広げないというルールから、できる限り一夜を過ごす時間の中、自由にぼーっとできる時間を少しでも増やすのが、スタイルだ。

犬が家族に加わり、オートキャンプという事もするようになった。今度はデイキャンプみたいなもので、スクリーンタープを建て、その中で競技を観戦したり、参加の準備をしたり、食事を取ったりするのだが、逆に水場が遠い事もあって、オートキャンプ用のジャグがあると便利だ。テーブルも必須だし、リラックスできてしっかり休める大きめの椅子もほしい。

反面ランタンやシュラフはいらないが、いろいろやっていくうちに、あれば便利な装備に目が行くようになった。あと同じ機能を持つものでも、これまでとは違う装備にした方が、安全が確保できるものも出てきた。

その一つ、ガソリンストーブは犬にもタープにも危険だし、何よりポンピング操作も面倒なので、ガスストーブがメインになる。ここで言うストーブは、コンロの事を指すのだが、冬にかけて、かじかむ手や足から冷える事がある為、暖を取るストーブも必要になる。これまでのフォールディングヒーターはヒーター部がむき出しの為、火傷の危険性があり、安価なカセットコンロのガスが使えて、ランニングコストがよいヒーターを購入した。これはまだ実地で試していない。

ディスク競技の先輩である方から、寒がりなので石油ストーブを持ち込む人がいると聞いた。それも確かに手だろう。ただ重さや大きさ、そして何より液体燃料を使う上で、持ち運ぶリスクもある。反面石油ストーブは、使っている間、上にヤカンでもおけば、いつでもお湯が沸いている状態にもできるので、メリットもあるだろう。石油が値上がりしている今、カセットガス2本で10時間もつストーブが暖かさで問題なければ、一番よいだろうと感じた。カセットガスは、ホームセンターなどで3本298円や198円で売られているので、むちゃくちゃ安い。場合によっては2箇所に置いたりしたとしても、どの燃料よりも安い。

そんなこんなで、椅子もアルミのテーブル付き折り畳みタイプに変更。ただ違うのは、どれも収納時に効率よくコンパクトになり、1度で車からキャスターに載せ、運べるという条件を満たすものだという事だ。

下らない事にこだわる私は、その制限枠いっぱいの中で、効率よく快適に過ごせるようなモノを探すのが楽しくて好きだ。

写真はスクリーンタープ。絶対に買わないと言っていたものだが、競技などで1日中野外にいる時はとても便利だ。それはSNOWPEAKなどのアルミポールのものが欲しかったが、C社に勤める友人が言うには、消耗品だという事で納得したので、安いものを選んだ。ヤフオクで15999円だったコールマンの3ポールタープが初めて張られたのは、富士山を望む朝霧アリーナだった。

あと、先日の三郷大会のレポートを、くーの姉妹犬の飼い主さんレポートをまとめてくれた。姉妹対決とはいわないまでも、姉妹でディスク大会を楽しめるというのもなかなか楽しくてよい。

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2005年11月09日

正業と副業との狭間

インフルエンザの予防注射のあとが腫れている。昨年ほどではないが、さわるとポッコリ、鏡をみると赤くその周辺だけが色がついているのがわかる。

昨年は当たらなかったワクチンは、今年はどうだろうか。一度風邪にかかるとなかなか治らず、ちょっとこじらすと肺炎になってしまう肺をもつ私は、予防注射は欠かせない。大げさではなく、命にかかわる事なのだ。鳥インフルエンザで話題になっているが、強力なインフルエンザが世界中にひろがり、万一私に感染したら、極めて高い確率で私の命は危険な状態になるだろう。藁にもすがる思いとも言える。

バブルが終わりかけの頃、私は過労で倒れた。会社に義理を尽くした訳ではなく、職場の廻りで一緒に頑張っている同僚に迷惑をかけたくなかったから、無理をして徹夜を続けた結果が、そうなった訳だ。しかし会社側、管理職は私の職場環境がどうなっているかを見る事すらせず、3か月以上顔すらみせなかった。倒れたあと1か月療養したあと職場に復帰したのだが、扱いは酷いものだった。何の為に頑張っていたのかもわからなくなり、私はすっかりこの会社や管理職連中に失望した。私自身、その後いろいろあって、管理職への階段が開かれた時もあったが、私は全て断った。そうなる事は私の中で考えられないというより、拒否する以外考えられなかった。新しい自分が目指す道を探して、ランブルを立ち上げたり、ウェブデザインをしたりするようになった。

実は今年に入ってから、本格的にネットトレードをしている。最初に投入した資金が少なく、なんと10万。ここから11万に持っていくまでに3か月近くかかっている。効率が非常に悪い。IPOの応募も数え切れないが、一度も当たるどころかかすりもしない。シビアな世界だ。

当然他にもいろいろやっているので、デイトレードはできない。いわゆるスィングトレードという奴なのだが、ここ半月ちょっと低迷中だ。銘柄の分析があまり理論的ではないが、一応自分での基準で売買注文をしている。その後回転資金をすこし増やしたあと、月に1割程度のプラスが出てきたのだが、この半年は後ろ向きだ。予想外に落ち込んだ4銘柄中、2銘柄は持ち直したあと、利益が少しだけ出た所で一度手放した。今の所、3銘柄を所有しているが、1銘柄はあとちょっとで手放せそうだ。そして1銘柄は損切りをするかしないかで悩み中。最後の1銘柄はなかなか好成績で様子見という所だ。

最初に利益が出た分から、スクリーンタープを買った。結構面白く、しばらく細く長く、小遣い分を使ってトレードを続けていこうと思う。もっといろいろな銘柄を知りたいし、もう少し時間をかけて週末に銘柄分析をしていきたい。いつか、プラスになった分で旅にでも出たいものだ。

また別な方向で、少しづつ仕事になるパートナーのネットワークができてきそうな気配もある。会社員でいる事は実は結構よい事も多いのだが、どうしていくべきかは、今の生活の中から少しづつ新しい世界を覗いていき、その中から決めていければと調子のよい事を思っている。

自分が何の分野にしても未熟者だという事はわかっている。しかし逆に自信満々、悪い事は考えないような性格なら、とっくにもっと違う生活を初めているのかもしれない。

人生どうなるかわからない。人生も、ひとつの旅だ。

仕事というか会社に失望し、逃避行のように2月の北海道にキャンプ用品を車に載せて出た旅だった。近海郵船で釧路に付き、まず向かった先はやっぱりここだった。

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2005年11月08日

強風の中の投げ練

海沿いは風が強い。元々海だった所を埋め立てて陸地にした所の上に、20階建てクラスのビルが生えている。そんなビルに隣接した空き地でしている昼の投げ練は、ひどい状況だった。

風が強い状況では、ディスクは当然まともに投げては飛ばない。今日はディスクが曲がるどころか、着地して完全に静止したあとでさえ、風にあおられて転がりだす。ディスクを入れてきた紙袋も、石の重しをおいてなんとか飛ばないようにしたが、ディスクを5枚入れておいた袋が勝手に走り出す。

そんな中で、まだどういう投げ方がいいのか模索中だ。当然雨天決行のディスク大会。突風が吹いていても開催される。当然皆条件は悪いのだろうが、その中できちんとキャッチを決めてくる人は、やはりしっかりと投げ方を知っている。私もなんとかキャッチできるディスクを投げられるようにしたい。

こんな風が強い中で、頭上を旅客機が飛んでいく。風向きなどの理由により、着陸のアプローチになっているらしい。私自身、これまで関西方面や北海道方面、沖縄方面から羽田に戻ってくる時、着陸前にオフィスビルが見えたりしていた。結構低い高度でフライパスするのを、上からも下からも見た事があると、何だか不思議な気持ちになる。

写真はコンテナ埠頭の上をパスし、右手に見える海の対岸にある羽田空港へ着陸する為、このあと90度左に旋回して着陸する、というシーン。

このコンテナも各国からの荷物が届いていて、ちょっとした旅気分になれる。

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2005年11月07日

くーの見つめる先に

くーの嫌いなものの中に、インターホンのベル音と、電話の音がある。他には人が気づかない音なんかも反応するのだが、いわゆる人間でも心地よい音とは到底言えない警告音は、くーにとっても嫌なもののようだ。

ひょっとしたら、それらが鳴る事で、何かが連想されるのかもしれないが、今の所思い当たらない。不思議と由か私のどちらかが在宅し、第三者もしくはどちらかが帰ってくる時に呼び鈴が鳴ると、結構な勢いで吠える。電話はもう鳴る気配を察知して、これまた吠える。しかし、両方不在でくーが留守番している場合、どちらかが帰って来る時は吠えない。必ず一人もしくは二人が部屋にいる時に呼び鈴がなると、吠えるのだ。我々を守ろうとしているのだろうか。

ただこれまで100%、入ってくる人を確認すると尻尾を思い切り振って挨拶に飛びついてくる。誰が訪問しても、誰が帰ってきても嬉しさを体全体で表現するのだ。おかげで宅配業者の中には、くーを可愛がってくれる人まで出てきてしまった。よい事なのだろうが、番犬になるという訳ではない。

くーは何をみて、何をどう感じているのだろうか。言葉がしゃべれないが、何が楽しくて何が怖くて、何がしたいかは伝わってくる。生き物のとして、率直という以外何者でもない。かけひきなんかなく、嘘や相手を騙す事もない。そう思われるような行動の場合も、率直にこうすると何が起こるか、という事を知っているからだ。

そういう意味では、私はくーが慕ってくれている時に、とても落ち着ける。擦れてしまったのかもしれないが、こいつは私を信頼して近くに居てくれる。由もそうなのだが、こうしてみると人間の子供がいなくても、いわゆるひとつの家庭と言えるのだと思う。

人間の子供が居れば、また違った事を感じるのかもしれないが、今のところ誰にも迷惑をかける訳でもなく、家族3人が平和に過ごす時間が増えたように思える。大変な事もあるが、今はくーを我が家に迎えてよかったと心から思っている。

くーから色々な事を学んだ気がする。多くの新しい知り合いもできた。新しいコミュニティもできた。どれもくーが居たからだ。感謝しなくてはならない。

この夏、くーに私たちにとって一番重要な場所を見せ、過ごす事ができた。これはとても有意義な事だった。私たちがこの丘の上で、ちょっとしたイベントをしたのだが、その時も50人もの友人が交通費自前、宿泊は自ら天幕をもってやってきてくれた。もう8年も前の事だ。

くーは何かを感じてくれただろうか。雲海に沈む根釧原野を望みながら、くーはじっと地平線のある方向を見続けていた。

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2005年11月06日

雨の週末が続く

久しぶりにでかけない週末だ。しかし土曜は母親孝行の為に、いろいろ高い弁当を買ったり和菓子を買って、実家に半日寄ってきた。朝10時すぎから16時頃まで、バスで都心にでかけるとヘトヘトになる。

帰ってきてからちょっと休んで、近くの公園に散歩に行ってきた。実は由が右手の薬指を切ってしまい、ディスクの投げ練ができなくなってしまい、くーに少し私がディスクを投げてやる事になった。ただ、場所柄そんなに本格的に投げる場所はないので、ちょっとだけ。

由が散歩にいくと2時間前後帰ってこないのだが、私はそんなに長時間の散歩はなかなかしない。休日散歩に付き合うと、何だか片手間ではなくひとつのイベントのようになってしまう。大勢の犬仲間の人々と交流し、くーは相変わらずディスクを私が持っている事を知ると、ずっと私の廻りから離れない。ディスクに対する執着心は本当にすごいものを感じる。こうして今、くーとディスク競技に参加できる事を、本当に嬉しく思える。

今日は午前中も寒々しい曇り空。午後から雨が降るというので、選択をし、部屋の片づけをしていた。今週末の競技用に荷物を色々整理したりしているのだが、なんせ車が狭いので選別するのだが、オーバーフローしない訳がない。それに先週、長年使っていたキャンプ用のスチールの折り畳み椅子から、アルミのテーブル付き椅子を買ってしまい、それに積み替えた。これまでのような積み方ができず、色々試行錯誤の末、配置が決まった。

今日の時点でスクリーンタープ、アルミの折り畳みテーブル、我々用の椅子2脚、客人用2脚、3人掛け折り畳みベンチ1脚、寒冷地用ジャケット2着、ビニール傘、サンシェードが載せられた。この他に、寒さ対策用ヒーターと、ポリライトクーラーに加え、小物の入ったトートバック、私のカメラバック、くー用品の入ったバックなどが加わる予定だ。

今回、寒さ対策ヒーターを買ったのだが、これはそれまで持っていたガソリン用のコールマンキャタリックヒーターでも、プリムスのフォールディングヒーターでもない。カセットガスを使うタイプだ。これがあれば、2本のガスを使って10時間燃焼させられるというコスト的に優れているだけでなく、犬が間違って本体に触れても火傷をしない構造をしているので、タープ内を少し温める事ができる。今日位寒いと、手がかじかんでしまうだろう。これから冬に向けての装備として、今回購入した。

アルミの折り畳みベンチも、ちょっとした時に便利だ。お世話になっている友人を呼んだ時にも座って貰えるし、自分たちもそこでちょっと横になる事だってできる。値段が安かったのと、小さくなるので購入してみた。私たちの椅子も、長時間座っていると膝の裏あたりに圧迫感が残るタイプなので、そういう事のないタイプで安いのに換えた。サイズはちょっと厚みが増したが、重量は軽くなった。

あと明日到着する予定だが、フォールディングキャリーのしっかりしたものを買った。これまで使っていたものは、くーのクレートを載せて電車で神戸にいく時などに使ったのだが、ちょっとヤワだ。くーの入ったクレートを載せ、その上にザックを載せる位なので、それほどしっかりしたものは必要なかったのだが、朝霧でちょっと長い距離に加え、砂利道を引っ張った時は難儀した。その為、タイヤが大きく、もう少し荷物が載せられるキャリーが欲しかったので、それも購入。これは運転席の背中に建てて積む予定。

くーはキャンプ以外では、後ろ座席のまん中にキャリーを配置する。乗り降りする時はそのキャリーを横にずらし、後ろ座席に飛び乗ってクレートに出入りするのだ。乗ったあと、進行方向に出入り口を向けると、運転席と助手席のまん中に出入り口が来るので、くーを見る事ができる。これが一番安心なのだが、キャンプの時は荷物が多すぎるので、どうしてもリアの座席を畳み、荷物の上に漸くくーの入ったクレートが配置する事になる。その為、ルームミラーをみると真後ろが見えず、くーが見える事になる。

ディスク競技の時は、狭い狭い荷室に荷物を効率よく積まないと、後部座席にまで荷物が乗る事になるので、くーの乗り降りがし辛くなってしまう。その為、色々苦労するという訳だ。

もう少しすれば荷物もうまくまとまってくるとは思うのだが、私はとにかく撮影機材がデジタル一眼機器だけでも多いのに、ビデオカメラ、三脚などが多い。初回はパソコンも持っていったが、壊しそうで今は持っていっていない。効率よい積み方。これはバイクのパッキングにも言えるので、実は私は楽しかったりする。

写真は朝霧の会場の我が家。椅子は面倒だったので来客用の小さいタイプを使用した。

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2005年11月05日

道東の丘の行方

今年、ハイジーの家の閉店に参加した友人からのコメントで知ったのだが、今年で20周年を迎えたハイジーの家は来年で終了するかもしれないという話があったらしい。

それがまだ人からの効き伝てなので、性格な理由は分からないが、ハイジーの家が駐車場のテナントの契約満了時期と同時に、現在の展望台ができる年が重なり、色々な話があったようだった。事実その話を少しばかり調べたくて、町の某所に話を聴きにいった事がある。94年の秋だった。

結局の所、色々な私利私欲や地元の力関係があって、話が二転三転して、最終的には新展望台にテナントとして入る事にはなったといえ、圧力や制限は相当あったように感じる。感じる、というのは私がそう感じたからだ。直接ハイジーの家の関係者に聴いた事はない。

観光地を管理するのはその地元の自治体、役場などだろう。私有地であった場合はまた別なのだろうが、そういう場所にあり、少なくとも中標津という町で道外の人間に対して知名度のあるものとすれば、酪農と開陽台だけだろう。それは、胸を張って地元のよさを自慢できるものである事が、結局の所どうでもいいという事だ。

採算なんていう話は、シンボルとなるランドマークに必要なものではない。大切にして、町民が胸を張って自慢できるものは、損得なしにすばらしいものなのだが、なんでそれをないがしろにして平気なのだか、私にはさっぱりわからない。結局金が全てという事なのだろうか。そういう解釈になってもおかしくない事が、あまりにも多すぎる。そして都合のよい時だけ、名前を出す事になる。

ハイジーの家は単なる民間の飲食店だ。しかしピーク時以外はテナント料が存在する場所では、営業は難しい。しかしそれを20年続けてきた事は、何なのか。採算だけではないのが容易にわかるだろう。そう、役所ではない。一般企業であり、続けていくには黒字にならなければ生き残れないのだから、問題は深刻だ。

でもこうして20年、続いてきた。観光バスがやってくると、ほんの20分前後で突発的にピークがやってくる。それに対応したとしても、重ねてピークがやってくる時もあれば、こない時もある、スタッフはてんてこ舞いになるのだが、その波は時には津波のようになったり、時には鏡のように静かな水面を見せる。

ただ、私たちはその場所が好きという事以外、損得の勘定はない。その分、町にとってもハイジーの家にとっても、不要な存在だとも言える。しかしバイパスを走りつなぎ、町にお金を落とさないツアー客よりも、町に少なからず経済効果を与えているのだろうと思う。雀の涙なのかもしれないが、別にそれは私などは逆に、お邪魔させて頂いている立場だと思っている。

結局の所、営利とはまったく別な所で、素直に中標津や開陽台を大切に思っていても、発言権はないという事は分かっている。これ以上批判や希望は言うつもりもないし、言っても迷惑がかかるだけなのだろう。行政に対しては、これまでも希望というスタンスで意見をした事もあったが、残念ながらそういう事で何か変わる事はなかった。

私が大切に思っている場所、人たちには、もうこれ以上無理をしてほしくない。だからこそ、来年でハイジーの家が終わるとしても、それは賛成だ。心からお疲れさまという言葉を贈りたい。そして開陽台には、これまでのようにあの場所にあがり、空を見上げる回数は極端に減るだろう。二度と登らないという事はないだろうが、それこそ残りの人生で片手分も登らないかもしれないと思う。

ただ、あの丘で私が過ごした日々の事は、決して記憶からも消える事はないだろう。

写真は94年の秋、目障りな建造物を神聖な丘の上に建てている最中。

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2005年11月04日

季節はめぐり…

今年も大勢の古い友人が丘にあがっていた。ハイジーの家は今年で20周年。私が開陽台にあがった最初の年はハイジーの家ができる1年前の夏だったので、私もそれだけ同じ年月を重ねてきた事になる。そして当時丘で出会い、日々下らない話を丘の上で交わした友人たちも、みんな同じように年月を重ねている。

当時はまだ10代だった者も多い。不思議と彼らは殆どが結婚し、子供が家族に加わり、暖かい家庭を造って過ごしているようだ。しかしなぜか当時20歳を越える昭和30年代生まれの者は、まだまだ独身で旅の生活を続けている者がいたりする。形こそ違っても、彼らは皆デリケートで子供のような事にムキになり、熱くなれる連中だったりする。

社会の歯車に組み込まれる事は、悪い事ではない。悪い事どころか、そうしなければ生活もできなくなる。ただ生活の見た目が違うだけだ。年を重ねるごとに、面倒な事も多くなる。自分がしたい事を諦めなければならなくなる事だって少なくない。普通に仕事についている者だって、そうしたくてしている訳ではない者だって多いはずだ。

私は彼らと過ごした丘の日々が夢でなかった事を思い出す。彼らと巡り会えた運命に感謝をしている。そして決まりきった人生を送る人々の中で、日々仕事をしている中にいて、色々な考えが存在する事を許せるようになり、尊敬の意を向けられる考えを持てる事ができるようになったのも、あの丘で職業や年齢を越えた出会いがあったからこそだ。

今も旅を続けている友人達が、所帯を持って普通の勤めをしている友人と比べて、寂しさや孤独感を感じている訳ではない。何かあればすぐに心配して電話をくれたり、地震があればボランティアに飛び、火事にあえばすぐにそれぞれができる形で援助を送ったりするような、繋がっているという事を感じさせてくれるのだ。

ハイジーの家は来年の春まで、展望台と共に閉じられる。その場所で繰り広げられた人生の交差は、こうして20年以上たっても切れないで繋がっている。これって、すごい事なんじゃないかと思う。

私も含めて皆、頭に白いものが増えてきた。また冬を越えたら、新しい物語が始まるのだろう。

そして自分の頭にはまた白いものが増えていく。

写真は94年、最後の閉店メッセージ。この年、春、秋、冬と、何度も丘を訪れた。

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2005年11月03日

夏の片づけ

今日は完全なオフ。実は実家に顔を出そうと思っていたのだが、面倒臭いので明後日の土曜に延期した。とにかくいろいろやっていない事をしたいと思っていた。

午前中はあっという間に終わってしまうのだが、まずは最近遊んできた装備の片づけ。今年は比較的出動回数が多かったモスをクリアケースに仕舞う。他にICIスタードームとモンベルのキーバ3が入っている大きなケースだ。今モンベルのムーンライト1は会社の後輩に貸しているのでなんとか3つが入った。

キャンプをはじめた頃にかったエバニューのポリタンが5つあり、どれも匂いが少し残っているので全て捨てた。今はペットボトルという便利な水タンクがあるので充分だからだ。当時はバイクで旅に出る時、水を最低2L積んで、キャンプ場ではない所に野営したりしていたので、1Lのポリタンが3つあった。残りは1.5Lが2つ。どれも振り分けバックの左右に入れてバランスを取っていた。随分捨てたのでスペースが空くかとおもいきや、これらはコールマンのポリライトクーラー28の中に入れて収納していたので、あまりメリットはない。

詰め替え君でカセットコンロのガスをプリムスの黄缶にガスを移す。これもお湯沸かし用として充填し、ディスク競技の時に使う為だ。サーマレストの整理もしたかったが、捨てるまでの決心はつかなかった。由も同じような装備をもっていたので、ウルトラライトロングが2枚ある。しかし私がその後Stytekモデルの半身用と、アルティアックのスキンマットというどちらもシュラフが滑らない素材のものを使っていたので、今年は古いサーマレストは使っていない。微妙に装備も変わってきている。

シュラフもあらためて一旦呼吸をさせて、ケースに仕舞う。今年新調したモンベルのダウンハガー#1が2つと、昔から使っているカリマーのローツェ800gダウン、ポカラ350gダウン、ノースフェースのブルーカズー450フィルパワーなどが入っている。どれも全てダウンだ。

そんな事をしつつ、85年初めて北海道を旅したあたりからつけていた旗数本。元々旗をたてて走るのが嫌いだったので、殆どたてていないのだが、ホクレンの旗は貰える時は貰った。95年から2000年までの旗は数本あったので、1本を残して全て捨てた。

片づけは思い出のあるものを捨てる事になる。捨てる事は悪い事ではないが、ひとつの歴史がある訳で、なかなか使わなくなっても、邪魔になっても捨てられないものだ。ただタイプによってはどんどん捨てるという片づけ方が性にあっている人もいる。由がそのタイプだ。とある人が言うには、血液型A型の片づけは、捨てる事だというのがわかるような気がする。私はO型なのだが、性格はまったく逆転しているみたいだ。

これから月に数回あると思われるディスク大会向けに、クーラーボックスやパーコレータ、ストーブなどをすぐに出せる位置にし、当分使わないと思われるので仕舞った。年末年始や寒い時期にキャンプの予定が入れば、それはそれでまた考えればいいだろう。

ディスク競技向けにちょっとだけ装備の買い増しをした。それはまたいずれ。

写真は我が家のリビングの頭上に並ぶ私のコレクションたち。

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2005年11月02日

飛び石連休の喜び

明日はサラリーマンには嬉しい祝日。飛び石なので、金曜休んでしまえば4連休。なんて事を考えてはいるのだが、最近ディスク大会で毎週のようにおでかけしているので、計画的に休みを取りたい。

私の仕事は一応オフィスにいないと迅速な対応が取れないのだが、場合によっては自宅からならネットを繋げて緊急の対応はできる。その為、家にいる方が対応できるので、へたに外出するよりは安心だ。でも勤怠としてはちょっと複雑なるので、あくまで体調が悪い日にどうしても仕事をしなければならない時に活用するとい所だ。

飛び石を連休にして、でかける人も多い事だろう。今は紅葉シーズン。山や高原はきっと鮮やかな色で埋めつくされている。今年はでもディスク大会へのエントリーでそれなりにお金も使っているので、旅は一旦休憩。実際飼い主もくーも、ちょっと疲れがたまってしまった。歳なんだろうか。

まあくーについては、どこ行こうがディスクでもボールでも枝でも、レトリーブさせてくれる事で幸せを感じられるのだから、問題ではないだろう。最悪家の中でマグライトのスポットライトを追っていても幸せなようだ。朝だろうが深夜だろうが、くーはマグライトを置いてある電話台の前から離れない。

昨日、スランプと書いたのだが、スランプというにはまだ私は経験が浅く、その以前の状態だろう。またうまく投げる事ではなく、距離を飛ばす為だけに練習をする事も、実は主旨を逸脱しているのだというのは判っている。まずは自分のスタイルをみつけたいと思う中で、まともにディスク・コントロールできるフォームやグリップなどを1日でも早く掴みたいと思って焦っているという所だろうか。

競技ではなく、犬と1日楽しむ事だ、という事を、先輩方はおっしゃってくださっている。そうなのだ、それが何よりも大事だし、そういうスタンスだからこそ、私はこれだけハマってしまっているのである。これがポイントだけが優先されるような競技であれば、きっともたないと思うからだ。

この飛び石連休は、半日は母親の為に使い、残りは練習もするが一息つけようと思っている。そして、来週末の印旛には、笑顔で参加したい。

くーが無邪気に喜ぶ顔を見せてくれて、怪我なく楽しめるのが何より重要なのだから。

会社帰りのバスの中で。写真は練習のあとのディスクたち。

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2005年11月01日

何だかスランプ気味

投げ練も風が強く、地面においてあるディスクが飛ばされるほどの中のせいもあるが、追い風では結構伸びてよい感じなのだが、向かい風だともうギロチン(ディスクの軌跡がスライスし、地面に直角に近い角度で落ちる事)が連発。特に公式ディスクの2番だと、それは顕著だった。まだ3番の方がマシだ。

NDAの公式ディスクは1番から5番まである。段々と数字が大きくなるにつれて、固くなるという話なのだが、2番は妙に軽く感じる。朝霧では2番はすばらしくよい感じで飛んだのだが、三郷は3番の方が安定していたように思えた。微妙なバランスが実際あるのかもしれないと、腕を棚にあげて思う。

午後からは東京国際フォーラムで某ウィルス対策ベンダーのカンファレンスに参加。私は一応ここのベンダーの資格ももっていて、このベンダーのツールを使ったシステムを設計・導入・運用しているのだが、ここ最近は新バージョンやライセンス費用の高さでちとおいつけないという感じだ。

懇親会のようなものがあったのだが、パスしてさっさと帰る。久しぶりに山手線でぐるっとまわって帰った。

帰るとくーが日がとっぷりとくれた部屋の真っ暗の中で出迎えてくれたのだが、どうやら由はまだでかけているようだ。くーは眠そうで私にくっついてへそ天になり、目をとじている。あんなに活発にディスクを追いかけたくーは、家の中では結構甘えて体をくっつけてくる。

小犬の頃はまったく近寄っても来なかったのだが、骨折していた期間に随分甘えてくれるようになった。これはこれでよかったのかもしれないが、やはり持久力は明らかに落ちているように見える。そろそろ3歳、まだ元気さは上り調子だとは思うのだが、小犬のようなパワフルさはおちついてきているようだ。

私が旅に一番どっぷり使っていた時代は、19歳~34歳くらいの間だろうか。くーにとってのそういう時期はよくわからないが、今も昔もディスクをみると目が輝き、マグライトやハードルを見るとワンワンと興奮をし追うようになるものの、おとなしくしている時間も増えていているように思える。

くーが思いっきり楽しめるように、このスランプを早く抜け出さないと。明日も投げ練予定。

寒くなってくると、長い体をまんまるに巻いて、足の間に入り込んでくるのです。

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