小春日和

冷え込みも一息といった所で、ここ数日は小春日和と言える陽気で少しほっとする。

友人の子供に小春という名前の子がいる。小春と私や由にとっては、色々複雑な経緯があるのだが、一番親しみ深い子供とも言える。親戚とかそういうのは除いて、と言っても、親戚の子はまったく興味がなく、逆に由側の親戚の子たちの方が接点が大きいのだが、それを含めても身近な子供としての小春の存在は大きい。

小春が生まれた日、私たちはその小さい体を見に病院にでかけた。その年末にネパールに行った時に、タメルの洋服屋でかわいいフェルトのジャケットを作って貰った。出産祝いはそれとは別に、普通にミキハウスか何かのリュックだったと思うが、実は既にあまり覚えていない。

タメルの埃っぽい路地を歩くと、ミシンがある洋服屋が結構多いのに目がいく。結局はみやげ物というか外国人向けの店が殆どなのだが、コピー文化の中で微妙にデザインや色あいが違ったりするのを見るのは楽しかった。私たちも刺繍が凝ったハーフコートのような上着を買ったのだが、なかなか着る機会がなかったりして、タンスの中に眠っている。

小春は今は小学校3年。早いもので、今年からカブスカウトに入り、友人である父親も何でだか副隊長に任命されて、たまにでかけているようだ。私は小春を通じて、父親という存在が何か不思議な力を持っているが如く、我が娘の事をよく判ってやっているんだなという事を知った。うわべだけではわからない、何でそういう言動をするのかという部分は、感心させられた。

くーについてもそうだ。くーがする事はわからない事も少なくない。だが、よく考えるとそうだったのかと分かって来る。そういう行動が段々と多くなってきているように感じた。血は繋がっていなくても、これが親子なのかなと思わせられた。それもこれも、小春とその父親である友人が、そのキーをくれたような気がする。

今週の月曜日、小春の誕生日がまたやってきた。おおらかだが苦労もしている小春は、小学校3年生で日本の有人域4端を踏破している旅人だったりする。きっともう少しすれば、父親の言う事なんかもきかなくなってくるんだろう。それもまたあとからみれば懐かしい思い出になるのだろうが、父親は大変だ。

くーはその点、反抗期はない…と思う。

写真はその親子。結氷している屈斜路湖を散歩中。年を重ねても、こうやって家族で旅をしたり、つきあって行ける友人はやっぱり大切な存在なのだ。

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