2005年12月31日

大晦日は家族と共に

朝寝坊の大晦日。家族揃って近所の公園に散歩へ。寒さ対策をして行くと、着膨れしてしまう。

神社にもまだ人が殆どいない。きっとあと10数時間もすれば、大勢の参拝客で賑わう事だろう。私たちが今の地に住んで、もう8年以上になるのだが、同じ区内で生まれ育った私は、学生時代ずっと中学の友達の家が経営する小料理屋で一晩中飲み明かした。今では殆ど酒を飲まない私でさえ、朝まで飲み続けたこともできた時代だった。

結婚してからすっかり年末年始は家や旅行先で家族と過ごすようになった。ネパールはポカラや北京、沖縄、北海道などで過ごす年末年始というのは、ちょっとした雰囲気で私は好きだった。逆に休暇を終え、羽田や成田に戻ってくると、その寒さや翌日からの仕事に震えるのが、パターンだった。

くーが生まれた2002年12月14日、そして我が家にやってくる事が決まったその一週間後から、我が家ははじめての犬を迎えるにあたっての準備にてんてこ舞いだった。フローリングにマットを敷いたり、サークルを100円ショップのネットを買いあさってジョイントで組み、クレートを買い、居場所を作ったりしていた。くーがやってくるのは2003年2月なので、その正月には激寒の北京で2度目の正月休みを送った。当分、海外に出られないかもしれない、と予想しての事だった。冬の北京は水餃子の味、なんて思いながら、氷点下10度近い町を歩いた。

写真は厳寒の天壇。氷の世界。

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それからというものの、家族で自宅で迎える年末年始というパターンになり、久しぶりに対して面白くもないテレビをつけながら、年越しうどんを食べて過ごしている。

今年も夕食は由の作ったうどんだった。私は散歩を終えてから住所録のデータベースを更新して、宛て名印刷ですっかり疲れてしまった。こんな雰囲気で2005年は暮れて行った。そして、ぎりぎり日付が変わる30分前に、本局の窓口の職員に、99枚の年賀状を出す事ができた。

今年はくーの骨折後の療養で8月くらいまで。8月後半から9月にかけては念願の家族での北海道の旅、10月からはディスク三昧という感じで、後半は精力的に遊んできたが、私の本業の方は相変わらず精神的にも低迷したまま。来年はどうなるのだかちょっと心配だが、あまりそれにふりまわされず、1度しかない人生なのだから、楽しく過ごせるような事を優先的に暮らしていきたいと思う。

今年、お世話になった人たちに感謝すると共に、私たちの人生、くーの犬生が楽しくなる出会いに感謝し、今年の締めくくりとしたい。

このブログも今年2月からはじめて、ズレはあるが毎日駄文をUPし続けているのだが、ここに訪れて読んでくださっている皆にも感謝したい。

ありがとうございました。そして、来年もよろしくお願いします。

写真は、夏の釧路川源流。家族でカヌーで下る事ができた。

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2005年12月30日

やっとこさ年賀状を

朝から首を寝違えたのか、首が回らない。まあ借金(ローン)もあるので、首が回らないというのはあたっているのだが、痛いのは痛い。段々と夕方になるにつれて酷くなってしまった。

結構私はこういう事が多い。単に体が弱いだけなのかもしれないが、頸椎捻挫(いわゆるムチウチ)に何度もなっているのが原因じゃないかと思っている。整形の先生は、首の骨のカーブが一定ではないので、一部に力がかかりやすいそうで。

バイクで自爆事故(いわゆる一人ゴケ)は数えきれない程したのだが、その時は首を痛めた事はなかった。しかし由のいわゆる嫁入り道具を、その一つであるロッキーに積載し、東京にやってくる日、運悪く由が運転している時に、八尾の長原インターで渋滞があり、その最後尾についてしばらくしたあと、後ろからタイヤのスキール音がして激突されてしまった時は、見事に頸椎捻挫になってしまった。

その時の事は忌まわしくて思い出すのも腹がたつが、相手は事故の常習で、違反をもみ消そうと必死で警察には言わないでくれと言う始末だった。アホかと思うが、事故現場ではその相手のボンゴ・フレンディはエンジン部分が大破し潰れ、ラジエターが盛大に水蒸気を吹き出して自走ができない。それも高速道路上でだ。由は相当感情的になっていた。ロッキーのリアがひしゃげてしまっていたし、荷物は運転席に飛び出してきていた。

こいつが全○済の保険に入っていたのだが、この会社も酷かった。私の方の保険代理店の人に仲介を頼んで、少し話が進んだが、払う気がないようで、当然当事者も謝罪の一言すらない。そんな時、バイクの友人、といっても私よりはるかに年上で、社会的な地位がしっかりした知り合いが、その全○済に勤める知人がいると言うので、ちょっと相談して頂いた。

驚く事に途端に態度が豹変。翌日には保険金の支払いの手続きが始まった。何だかどうしようもない世界だなと感じさせられる。最近も保険業界が難癖つけて保険金の支払いをしないという事が取り沙汰されているが、いつ自分にふりかかってくるかわからないものだ。その友人にはとても感謝した。その人がいなければ、泥沼化していたか、こちらが諦めるまで少しでも払わない話が続けられたかどちらかだろう。

ロッキーはものすごく頑丈に作られているらしく、これだけぶつけられているにもかかわらず、そのまま自走して東京まで残りの400kmを走り切った。修理時もフレームへのゆがみは出ていないとの事。リアに着いているスペアタイヤがクッションの役割になったのもあったのだろう。相手のボンネットにはタイヤの形が見事にわかる程だった。

その後は整形に何カ月も通う事になってしまった。それから特に、たまにグキっとやってしまう。

今日はそんな首の中、漸く年賀状の作成を行った。由は元々美術屋なので、私よりもこだわりがある。また私は赤緑色弱なので、色に弱い。基本的に由にデザインをさせるのだが、いつも通り決まらない。腸炎の事もあったりして、どんどん押してしまい、こんな日になってしまった。困ったものだ。

明日は住所録のデータベースを更新して、宛て名印刷に入る。なんとか大晦日投函となるか?

とうとう今年は旅というかバイクの写真はゼロになってしまった。これまで意地でも1枚は使っていたのだが…まあいいか。こんな写真が年賀状に復活する年は来るのだろうか…

写真は夕陽の時間、美瑛の丘で。

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2005年12月29日

冬への備え

昨晩突然思い立って、朝6時に起床。由やくーはまだ寝ている。埼玉へとロッキーを走らせる。

師走の為か、忙しいのは判るが意味もなくいきがっている車が多い。自己中な車にはあまり近寄らないのが得策なのだが、狭い上に幹線道路は決まっているので、都内はなかなか近寄らない訳にはいかない。気分が悪くなった状態で、ガレージに到着。兄は仕事で不在だった。

ロッキーに積まれている油圧ジャッキを出し、ハンドルだけ父親の形見になってしまったレガシィの車載を借りて、夏タイヤを外す。この夏タイヤはヤフオクで熊本の出品者からアルミ付で購入した。9分山で送料込、4本で4万円だった。しかしそろそろひび割れが多く目立つようになってきてしまった。来年は買い換えだろうか。

冬タイヤは1998年頃に買ったと記憶している。純正の鉄カンホイールにヨコハマのガーデックスを装着した。これを選んだのは、寄ったオートバックスに在庫するサイズの有無と価格が一番安いモデルだからだった。

実家の車を運転していた頃は、ピレリやミシュランを好んで履かせていた。冬タイヤを使うのが私だけだったのでタイヤとホイールを私のバイト代で買ったのだった。一番最初に4駆+スタッドレスに乗ったときの感動は忘れない。それまでチェーンの面倒臭さと限界の低さの世界で、スキー場にでかけていたからだ。長野の友人の車には、当時まだ許されていたスパイクが履かされており、アスファルトで火花を散らしなが、スリップする車でスキー場にでかけていた事もあった。

そんな中、「私をスキーに連れてって」という映画の中で、セリカのGT-FOURにスタッドレスを履かせてゲレンデを走るシーンがあった。それが映画の中の話だけではない事を、実際に経験した。一度も車を降りずにスキー場に安全に到着できる事を経験してしまい、それからはもう雪道は4駆にスタッドレスの構成でないと走りたくなくなってしまった。

ロッキーは切り替え式のパートタイム4駆。結局の所一度は外にでなければならないのだが、RVのメリットである最低地上高の高さも、雪道では頼もしい。しかしロッキーにスタッドレスを履かせてからというものの、スキーに行く回数は極端に減ってしまったのだった。

一番雪深く、アイスバーンを連続して走ったのは、くーが生まれて1か月目にひと目見ようと会津若松のブリーダーの所に行く為、羽鳥湖を越えて行った2003年1月。そしてくーを迎えに行った2003年2月だった。どちらも長い距離をアイスバーンと圧雪路の繰り返しを抜けたのだが、以前乗っていたレガシィ+スタッドレスの組み合わせよりは少々不安定だった。まあ、冬の北海道で、車高の低いレガシィで、ちょっとした吹き溜まりに乗り上げてしまい、亀になってしまった事があるので、本格的なRVの安心度は計り知れない。クセを感じながら、基本に忠実な走りをすれば、ロッキーで冬、でかける事は安心でさえある。

タイヤ交換を終え、NDA三郷大会が行われた10月29日に、車の下回りがドロドロになったままずっと洗車もしていなかったので、水洗いだけの洗車をした。ワックスを持ってきていなかったのだが、まあとりあえず気分的によくなった。年末年始に暇があれば、シュアラスターのワックスで綺麗にしてやろうかと思う。フロントガラスのレインXも、もう効果がなくなってしまっているし、車内はくーの毛だらけ。なかなか掃除もしてやれない。

保管していた事でスタッドレスの空気圧が相当落ちていた。1kgない状態だったので、大会仕様の荷物が乗っているロッキーは、リアが結構沈んでしまっている。そろそろと一番近い出光まで走り、ガソリンを入れ、空気圧をチェック。高速を走る事が多いので、高めにしておく。

足回りがしっかりしたので、いつものペースで自宅に戻る。それほどまだ混雑は始まっていない。自宅に着いたのは10時を少し回っていた。7時に家を出たので約3時間かかった。由とくーは朝の散歩から帰ってきたらしく、丁度くーの朝食が終わった所だった。

その後はタイヤを出し入れした時に埃まみれになったので、熱い風呂に入り、食事をしたあと、由の提案でハリーポッターの3作目をゆっくりと観た。現在公開されている4作目も含めて、3作目が一番デキがよいと思う。

夕方になって、少しだけ年賀状のデザインを作った。今年は特に遅い。由がいつもメインのデザインを考えるのだが、いつもはじめるのが遅い。私が作るとデキはどうあれ、チャチャっと作ってしまうのだが、こだわりがあるので、由に案を出させてから作り出す事になる。現時点でまだ納得が行っていないので、仕上がりは大晦日にかかってしまうだろう。この調子だと完成と投函は年明けになりそうだ…

天気予報では元日と2日は天気が崩れるらしい。私が予想するに、雪になるだろう。スタッドレスに今日換えてよかった、ときっと来年早々に思う事だろう。

写真はタイヤ交換風景。一人で汗をかき、埃だらけになりながら終わらせた。こういう事は一人の方が早く終わるので、結構毎年こんなパターンだ。

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2005年12月28日

待ちに待った日

2005年の仕事納めの日。午前中は通常通り業務を行い、午後からは大掃除、15時からは打ち上げというのがパターンなのだが、ここ最近は私はさっさと掃除が終わったら帰ってしまう。会社ではとても付き合いの悪い奴なのである。

今年ディスク競技に出始めて、とはいっても競技に出始めたのは10月22日からなので、正確には2か月ちょっとなのだが、その間、昼練というのをしていた。毎日ではなかったが、多い日で平日全日、少ない日でも週3日は昼食を終えて35分から40分、ひたすらディスクを投げていた。

昨日はちょっと肩が痛んでいたので練習をやめておいたが、今日は仕事納めでもあるので、投げてきた。

今日は風が強く、なかなか練習日和だったのだが、やっぱり納得の行くスローが10投中1投位。これでは練習にならない。いや、練習になっているのだろうが、終わらせるタイミングがみつからない。実際は仕事が始まる13時5分前にはオフィスに戻らなければならないので、そんな事を行っている場合ではないのだが、今日は困ってしまった。

荒川のディスクが5枚はおいといて、公式ディスク2枚だけを最後に何度か投げる。しかしフォームが自分でもおかしいと判る位、何だかうまく投げられなかった。ちょと数日投げなかっただけで…と練習はまめにしなければならないという事を、改めて思い知らされたのであった。

15時まで仕事をしながら身の回りの片づけを少ししていると、暇な連中が沢山やってきて、予定より早くに打ち上げが始まってしまった。私はいそいそと会社をあとにした。

今日は先日ちょっとした事で壊してしまったデジカメを修理に出す為、新宿に立ち寄る。ペンタックスとミノルタの修理窓口に出し、他に寄り道もしないで帰宅。さて、これで本当に冬休みに入った訳になる。

仕事の話はあえてしたくないが、今年は内容が薄かったような気がする。来年は少し元に戻さなければならない。とはいってもなかなかモチベーションが戻るには、環境が大きく影響しているので、自分だけの努力だけでは難しい。何だか不毛な世の中になったものだと嘆いてみる。

旅やバイクや犬や競技。この中から、私を少しでもモチベーションを戻して貰えるようなきっかけが生まれてくるのだろうか。来年はそれに期待したい。いや、自分でも努力は当然するのだが、努力をしてもそれを無駄にされる事があまりにも多すぎるのは、現実なのだが…

休みに入るが、定期的にリモートでネットワークに繋いで業務はしなければならないだろう。明日から長期の休みが始まる、という夜が一番私にとっては嬉しい。

写真は先週土曜に手にする事ができた、入賞者に与えられるブラックディスク。これがこんなに早く手にれきるとは思っていなかった。

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2005年12月27日

ひょっとして犬ブログ?

すっかり犬ブログ化しているこの、「丘に吹く風」。まあネタが書きやすいので仕方がないのだが、本家「くーたら日記」もここ数日フォローしているので更新が遅れがちになってしまう。訪問して下さる方には申し訳なく思っているのだが、時間も限られているので何とか余暇で追いつこうと頑張っている。

土曜の競技の時に、風が強くなってしまった事から、練習で無理な投げ方をしてしまった。そのせいか、由が倒れている間の私の右肩は、たまにズキンと酷く痛むようになってしまった。ちょっとした炎症なのだろうか。

酷くならないうちに病院に…と言いたい所だが、私は病院嫌い。少し投げ練を休止して、痛みが引くまで様子をみようと思っている。今日も昼の投げ練は中止。風があるので練習日和なのだが、ここ最近ちょっと無理をしてしまったかもしれない。おまけに風への対抗手段は見えていない。無理な投げ方をしすぎていると、基本を忘れてしまいそうになる。

キーボードを打っていても、手首が結構こる。すると右肩に負担がかかる訳で、なかなかよくならないのかもしれない。今私が思っている課題のひとつに、手首をもっとしなやかにしたいという事があるのだが、逆に固くなりそうな使い方を普段強いられている。

明日はやっと納会だ。今年も漸く終わる。その後はたった6連休しかない冬休みが悔しい。1月、2月は連休も殆どなく、憂鬱になる。もっと休ませて欲しいものだ。ヨーロッパの某国はお昼から夕方まで昼休みじゃないか、と日本の「働く」というサイクルに疑問を感じつつ、年の瀬を迎えようとしている。

旅に出るにも休みが必要。やっぱり人は休まなければ、頑張れない。そう思う。

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2005年12月26日

朝の散歩

1日半、胃痛と腰痛と下腹部痛に襲われた由は、朝の段階で少しは会話ができるようになったが、痛みは移動しながら続いているようだった。私は由が動けないので朝早くからくーを連れ出して散歩。朝は冷える。

昨日は実家から頼まれているお守りを買いに、くーを連れて神社まで行ってきた。この神社はたいそう有名らしく、栃木や群馬からも観光バスで乗り付けてお守りを買っていくというツアーがある程。冬至の日は家の前の道に観光バスが並ぶ。

くーを参道を連れて入っていくと、警備員の人やら色々な人から声をかけられる。お守りを買う場所も並ばないとならない程人は居たのだが、くーを連れていくと後ろに並んでいる人があやしてくれている。ありがたい事で、私はそのすきにお守りを買う事ができた。

参道には色々な出店が出ていて、ちょっと正月気分も盛り上がってくる。ちょっとしたお祭りのようだ。しかしその参道を歩く事はちょっと怖くてできない。食べ物も落ちているし、人ごみで踏まれそうだからだ。なので裏口からそそくさと退場。40分くらいの散歩だったが、私が散歩をさせるとこんなものだ。

今朝はまあ朝も早いので、公園へ向かった。朝の公園は人が少なくてよい。早速犬連れの方と出会うが、殆どくーを連れているのが由ではない事に驚かれる。その都度、由が体調崩して倒れている事をいいふらし、ディスクの練習ができる場所に移動。

1投目、見事に場外。ディスクは歯に比較的やさしいNDAの2番なので、最近投げ慣れているJFAのディスクとはちょっと違う、というのは言い訳にしかすぎず、2投目はなんとか普通に飛んだ。すると脇からゴンちゃんというコーギーの血が入っているミックス犬がやってきて、私に遊んでと近寄ってきた。当然くーは「今ディスクやってんだから邪魔すんなー」と言わんばかりに吠えたてる。そういう時はディスクを隠してしまう。

ゴンちゃんは由が大好きな犬だ。コーギーの血が騒ぐのか、ディスクやボールが大好き。ただ散歩時間が由とあまりあわないので、夜暗くなってからしか会えないらしい。私も何度か会ったことがあるのだが、私が遇うという事は朝早い訳で…

ゴンちゃんの飼い主さんは、ディスクに興味があるらしい。以前お会いした時もそうだったが、散歩仲間の中でやっぱりくーのディスクをみていると、やってみたくなる方もいるようで、それはそれでよいきっかけではないかと思ったりする。犬が喜ぶだけではなく、犬と飼い主が一緒の事をして遊ぶというのは、なかなかできない事だ。犬を散歩させたり、与えるものだけではなく、一緒に何かをする事。これはディスクをやってみて大会で感じた事だった。

それまでもディスクを投げて遊んだりはしていたのだが、飼い主も真剣になって遊ぶ。ただ、それにはトレーニングを積む事も必要になる。流石にいきなり普段走った事がない犬が、全力で走ってディスクを捕まえたら、足腰などに負担がかかりすぎる。関節や骨を守る筋肉をつけてから、本格的にディスクをはじめる事がやはり理想だと思うからだ。

事実関節を傷めてディスクができなくなってしまったコーギーは結構知っている。それはそれで仕方ないのだが、飼い主にはやっぱり責任がかかってくる訳で…私たちはくーが果たして競技に出られる体力を持っているのかは気にしていた。

くーはコーギーにしては小柄だし、8kg台の体重と、コーギーにしては足が長い事から、比較的競技に入っていきやすかったのだろうと思う。でも現実に大会に出ている多くのコーギーは、みんなスタンダードに近く足は短い。それが思いっきり動かされて走っていく姿は、健気さだけでなく、少々怪我するなよ、という心配に繋がっていったりもする。

今ではすっかり骨折も完治し、骨折のブランクで落ちた筋肉も戻ってきた。とはいえ、あまりジャンプさせないよう、スローの練習に余念がないよう、頑張らねば。

散歩から帰ると、由がちょっと楽になったらしく、ハリーポッターの中国語本を読んでいた。もう少しかかるかもしれないが、なんとかほっとして、由に病院に必ず行くように告げ、私は寝室を出た。

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2005年12月25日

由の辛い時間

由の体調が思わしくなくなってきた。自分からベンチで横になりたいと言ってきたので、本人は相当キツかったのではないかと思う。車までベンチを取りに行き、寝かせる。しかししばらくして、気持ち悪くなってしまい、結局椅子に移ってしまった。

2R目は午後から強まってきた風で他の競技でも結構荒れ気味になってきていた。私も全然風へ対抗できる腕を持っていないので、風の出方によっては大きくフリスビーの軌跡は変わってしまう。くーに無理なくとって貰えるように投げたいとは思うのだが…

私の2R目は由の体調が悪くなってしまったので、ビデオの撮影ができなかった。風が強い側からに投げる方向が変わったせいか、流されまくり6Pしか取れず、17Pで終了。

ろびぽ父さんとロビ君はしっかりとポイントを重ね14P。合計26Pでこの時点で暫定トップ。

由は最後にハンドリングしてしまい、1キャッチ無駄になってしまった。2Rは4Pでトータル11P

この時点でこの日のランキングはハジメ君が34Pでトップ。2位が26Pのロビ君。3位がファルコ君の21P。4位が私とくーで17P。5位がココ君が15Pと、私がなんと決勝に進む事ができる事を知り、狂喜乱舞した。由も体調が悪い中、決勝に出られる事が嬉しくて喜んでいた。

決勝は風ももっと強くなり、由はどんどん体調が悪くなっていった。気になって仕方がない中、私の順番が回ってきた。コートは1Rと同じ向きになり、追い風になった。向かい風よりはどちらかというと好きだ。

私のラウンドは1投目、風に途中から叩き落とされ届かずノーキャッチ。2投目はミドルのランニング3P。3投目はなんとロングのジャンプ8P。4投目はランニングの5Pという感じで、16P。合計33Pとなった。

そして決勝ラウンドの成績は…

1位:ハジメ君  45P
2位:ロビ君   38P
3位:くー    33P
4位:ファルコ君 29P
5位:ココちゃん 27P

なんと3位入賞。表彰台に登る事になった。

これもひとえにくーの根性。私のスローをカバーしてくれたのはくーだ。そして辛いのに応援してくれた由。いつもそっと応援してくれるろびぽ家の皆がついていてくれたから出た結果だった。嬉しい。

表彰式後、写真を撮ったりはしていたが、由がもう立っていられなくなる程ガタガタと震えだしたので、車にまず由を載せ、暖房をきかせて待っていてもらううちに自分のものだけを片づけ、ろびぽ家には甘えさせて頂き撤収。日曜の競技はこの調子だと難しいので、キャンセルを考えて全て荷物を撤収させて頂いた。帰り道、千葉方面の道を知っているろびぽ家に先導して頂き、浦安手前で別れ、先日江戸川で練習した道まで北上して下道で帰った。

帰る途中、由の熱があがり、39度くらいはあがっていると思われる症状だった。早く家に着いてやりたかったが、どうにもならず歯がゆい思いをしていた。20時にやっと到着、千葉ポートから4時間近くかかってしまい、最後はマンションのエントランスから支えてやらないと歩けない状態になっていた。

私も最後の力を振り絞り、荷物をおろして車を車庫に入れ、くーを連れて戻り足を洗い、由にはリンゴを擦ってヨーグルトに入れてやり与え、私も風呂にだけ入って結局食事は取らずに寝てしまった。

あまりにも色々な事があったクリスマスイブ。明日には少し症状がましになってくれる事を祈って眠ったが、夜中何度かうなされている由にタオルを冷やしてやったりしているうちに、クリスマスの朝がやってきた。

エントリーはキャンセル。これで年内の我が家のディスクチャレンジは終了した。

写真は公式小型選手権で2位だったロビ君と、3位のくー。こんなに早くファイナリストディスクと入賞ブラックディスクを手にできるとは。由の事が気になるので、私としてはそれほど実感はない。自分のスローが風で安定しないのも理由だろう。

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2005年12月24日

クリスマスカップ参戦

朝5時起きで用意。首都高速に6時前に乗ろうと思っていたが、なんと護国寺の入り口を入ったのは6時1分。たかだか100数十円の違いなのだが妙に悔しい。今日は中央環状線へのJCTはどこも流れていた。あっという間に湾岸に入ると、ろびぽ母さんからメールが入った。場所はキープしてあるので、ゆっくり来てもよいとの事。お言葉に甘えて東関東道に入らず、手前でおりて下道を行く。

高速と並行に走っている国道は最初、流れていたのだが、途中妙に混み始めた。昔からこの湾岸エリアというか千葉と東京を結ぶ道路全てによい思い出がない。どう走っても混んでしまうのだ。この道を改善できないものなのか。

結局到着したのが7時を少し回っていた。おまけに高速を降りてから国道沿いを走っていたにもかかわらず、会場の千葉ポートタワーまで1件もコンビニがなかった。丁度ろびぽ家も到着し、荷卸しをしていた最中だったのだが、朝飯を買いに町の方にコンビニを探しに一旦走り、なんとかセブンイレブンを見つけて熱いコーヒーを飲んで目をさました。

会場に戻り、荷物をおろす。今回は2日間、ろびぽ家のSNOWPEAK自立式タープにお世話になる事にした。最近導入された石油ストーブがこれがまた暖かい。本格的に寒さ対策がされているタープはやはり快適だった。

2コートで行われるマンモス大会。JFAの今年最後の大会なので、参加者も多いようだ。私はまだ前回の朝霧からJFAに参加しているので、まだルールの微妙な違いに自信がない。まずはベテランのろびぽ父さんにお願いして投げ練を開始。流石に美しいスローで私は1歩も動かずに的確なコントロール。私は右に流れてばかりで、反省するばかり。矯正していく。

さて、1R。私は公式小型選手権で1番手。由が最終競技者なので、同じ犬での参加では間を多くとってくれている。スローは失敗は半分という所だろうか。くーはスタート直後、大きく右に出てしまい、そのあとディスクを追うので遠回りをする感じになってしまう。しかし追いつくのですごいと飼い主も感心してしまう。

午前中はまだ風が穏やかなのだが、コート反対側に横に吹きつける風があるので、フリスビーはまっすぐ目に飛んでいっても、途中から大きく右に軌道をかえてしまう。

1投目、右にファール。2投目、ほぼまん中に飛びジャンプの6P。3投げ目、またも風に煽られ右にファール。4投目、ほぼまん中に飛びランニングキャッチで5P。合計11P

3番手に投げるのは、ろびぽ父さん。スローはいつも着実でアクションも小さくそれでしっかり飛距離を出すスタイル。学ぶべき部分が多く、いつもビデオに撮らせて頂いて見入ってしまう。12Pで終了。

そして12番手に由。スローコントロールは私よりはるかにうまい。飛距離も練習の成果が出ていて充分。ただまだ私同様、風に大きく左右されてしまう。くーはなぜかナイススローの1投目は必ずファンブルしてしまうようだ。タイミングがあわないのだろうか。

全てのスローはよかったのだが、1投目ファンブルでノーキャッチ。2投目はランニングで3P。3投目は走り出す方向が逆で、途中からリカバリしたのだが届かず。4投目はうまくタイミングがあってジャンプの4P。最後の5投目は飛距離もあったのだが、風でフリスビーが突然急降下し、間に合わずノーキャッチ。合計7Pで終えた。

そしてお昼前にもう1競技に今日は参加する。ペア大会という、通常60秒の競技なのだが90秒かけて、夫婦や親子などのペアで交互に投げ、ポイントを競うものだ。前回朝霧で姉妹犬の福来ちゃん家が堂々の初参加優勝を手にした。我が家も一度参加してみたかった。

最初に投げるのは必ず夫婦なら妻らしく、由からスロー開始。風が時折強くなり、フリスビーの動きが妙になってきていた。1投目、由でファンブル。2投目、私でランニングの5。3投目、由でランニングの4。4投目、私でファンブル。5投目、由でタイミングあわず。6投目、私で途中からフリスビーが急降下し届かず。7投目、由で風に流されながらもランニングの5、という事で合計17。トータルで5位で終わった。楽しかったがタイミングがあわず少々残念だった。

お昼に間がすこしあいたので、ろびぽ母さんが作ってくださったおいしくて暖まるシチューや、私が持参した豚の角煮などでお昼。由は何も食べず。元気がない。

午後の競技は翌日のブログで。すっかり犬ブログ化してしまっているが…

写真は無理な体制で執念だけでキャッチするくー。このあと顔から転倒し、口を切ってしまった。風にあおられたとはいえ、飼い主は反省しきり。

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2005年12月23日

試合前夜

明日から2日連続でディスク大会へエントリーしている。2日連続なのは実ははじめてなのだ。

ディスク大会は土日で2日間行われる。しかし私の体力がないのもあって、土曜だけの参戦ばかりだったのだ。100km前後の距離を、両日朝5時台に出る訳だし、朝から晩まで遊び回っているので、結構翌日は色々な所が痛くなったりする。情けないが、そういう体なのだ。

昨年のクリスマスは何をしていたかというと、なにもしていなかった。くーの骨折後22日目だったので、どこにも出られる訳もなく、ヘコみまくっていた。今年は昨年できなかった分まで、目一杯くーと楽しみたいと思っていたので、頑張ってエントリーをしてみた。

由は昨日は飲み会から帰ってきて、風呂に入ってすぐに寝てしまったのだが、まだ少しお酒が残っているらしく、朝からぼーっとしている。朝、私がリビングのPCを起動すると、電源ファンの音がしない。先日から調子が悪かった電源ファンがとうとう壊れたかと、朝から電源ファンを買いに行き、交換したのだが治らず。どうもマザーの端子がおかしい。これは本格的にサポートに送らねばならない。年末にPCが使えないのは厳しいので他の電源から直接ファンを繋いで間に合わせる。

ファンコントロールが効かないので煩い。来年の春までは保障期間なので、ハードディスクを出荷状態に戻してメーカーに送りつけなければ。原因究明と暫定対応をしていたら、すっかりお昼になってしまった。既に明日の用意が完了してゆっくりしているはずだったのに。まあ元々ベアボーンベースなのでこんなものなのだろうが、こういう時には保障があるとほっとする。

私は明日、明後日の為にずっと欲しかったシャトルシェフという保温調理器を昨日買ってきて、豚バラを煮込んだり、ビーフシチューならぬポークシチューなど、料理の仕込みはしていた。その後料理の仕上げをしたり、ビデオのバッテリーやらデジタル一眼レフの用意、クーラーボックスに入れるものを用意しているうちに、日が暮れてしまった。

どっと疲れてしまったが、明日は早いので早く寝ようと思う。

写真はとうとう置き場所もないのに買ってしまったシャトルシェフ。上蓋が固定されないのにはちょっと予想外だった。ベルトで工夫してみたが、ロッキーの振動では汁ものはこぼれてしまうかもしれない。

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2005年12月22日

由の東京物語

今日は由は犬仲間と忘年会。あと来週の中旬にもあるようだが、犬を飼うようになってから、近所付き合いが格段に増えた。

由は神戸で生まれ育ち、1997年に東京は新宿という日本で最も人が集まる町にやってきた。当然ラッシュも人込みも、大阪もめったにいかないのでせいぜい三宮の賑わい位しか知らない。電車だってまず殆ど座れる。

そんな中、旅仲間が住む場所として、東京は一番多いという事もあって、寂しさを感じるというものでもなかったようだ。逆にこれまで以上に旅仲間と顔をあわせる機会が増えて嬉しいという程。反面、職場の友人や、毎年中国へ自転車旅行に行く団体の友人達とは疎遠になってしまいがちなのは、きっと口に出さないまでも寂しさを感じていたのではないかと思う。

こちらに来て臨時の仕事を3年程続けてしていたのだが、これまで細々とやっていた中国語の勉強に力を入れるようになって学生になり、知り合いができてもなかなか一緒に遊ぶという事までは至らなかった。そんな頃、くーがやってくる事になる。

くーがやってきてからというものの、道端で見知らぬ人に声をかけられる事が異様に多くなった。小犬の頃はそれは散歩に出ると10人以上から声をかけられたりもした。成犬になってからは、尻尾が珍しいのか、コーギーという犬種を知っている人からの声は相変わらずかかった。

そして何よりくーが散歩を開始した2003年6月頃から、公園で遇う犬仲間がすごい勢いで増えていった。それからというものの、コーギー仲間だけではなく、犬種を越えた人づきあいをする事で、バイクや旅で知り合った人のように、世代や職業を越えた友人関係ができあがっていく。

由は阪神大震災を現地で経験し、職場だった避難所で長い事働いた。そして生活が地震前のように機能しはじめたのだが、その時に近所付き合いや人のネットワークの重要さを身に沁みて必要性を感じたのだった。

私は都会育ちの都会生まれ。あまり近所との関係を深めない、逆に浅く広くというのが普通だった。現実に深く付き合っていたら、騙されたり危険な目にあうのが都会だ。殆どが東京以外からやってきた人なので、郷土愛などもない。浮浪者も多く、大騒ぎする酔っぱらった若者が深夜まで奇声をあげるような地に生活する事で、どんどんすれていった、という事もある。

犬仲間が近所に大勢できて、由は震災の教訓に繋げる事がよくある。何か災害があったときに、○○ちゃんのパパやママはどうしているか、などという話題から、助けに行けたりする訳で、昔の近所付き合いというのができる環境になったとも言える。実際私の住んでいる16世帯のマンションでさえ、数人声もかけないような住人がとうとう出てきてしまった。全員と仲良くしなくてもいいのだが、やはりマンションの住民は誰が住んでいてどんな顔をしているか位は知っていた方がよいだろう。

由はそんな犬仲間たちと、年に数回飲みに行ったり、旅行に出たりする。私はそれを歓迎し、その日は私は自炊して家で帰りをくーと待つのだった。

今日もそんな夜。

写真は由がまだバイクツーリストだった頃の1枚。岐阜のカクレハ高原で数日テントを張り、雨の中神戸に帰る朝。

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2005年12月21日

向いている子って

昨日書き始めたら長くなってしまった。友人から初めて犬を飼うにあたって、ボーダーコリーとコーギーのどちらが飼いやすいかという事と、外にディスクを一緒にできるのはどんな犬種という質問コメントを頂いた。

それについての話の続き。

通常我が家は、朝晩それぞれ2時間という長時間の散歩と運動をしている。休日などは3時間くらいかけてしまう事もしばしばだ。ただ平日は勤め人家族にとってはそれは無理な話。だとしても、朝30分、夜30分でも必ず散歩させてやらないと、走れない本能でストレスが溜まってしまい、病気になる事だってあるようだ。

ボーダーもコーギーも限りないと思える程のスタミナがあるので、全力疾走を連続で30分位させていてもバテはするが、少し休めばパワーが戻る。そういう面から、チワワやダックスなどの小型犬とはちょっと違うと思えるかもしれない。例えばヨーキーやダックスでもレトリーブができる運動能力とスタミナを持つ子も居る。現実にはディスク競技が殆どがボーダーかコーギーの独壇場というのは、やはり犬種の持つ運動素質は無視できないという事だ。

ほかディスク競技に参加している犬種としては、ジャックラッセルテリアなんかも底抜けのスタミナがある。小型で愛らしい姿、テレビCMに出る回数も一時期増えたのだが、飼ってからあまりのやんちゃぶりに苦労する人も多いと聞く。柴やラブのディスクドッグも居るので、ある程度運動能力のある子なら、犬種を問わずディスクはできるは思う。ただ、マズル(口)が長く出ていないシーズーやパグなどは、ディスクは物理的に厳しいだろう。

我が家は正直な所、あの愛らしい立ち耳やかわいい体型に参ってしまい、一応アウトドアが似合う犬という事もあったので、くーを迎える事になった。しかし1歳半くらいまでは飼い主に慣れずに相当苦労する日々が続き、由と育て方で言い争いまでした事さえあった。そして由がしつけに行き詰まり、涙した事も1回や2回ではなかった。しつけ教室に毎週通い、少しづつ、くーと由の主従関係を確率していった。これをしていなかったらどうなっていたか想像できない。

逆に姉妹犬の福来ちゃんは最初から手がかからなかったそうなので、同じ犬種でもその犬が持つ性格に大きく左右される、という事にもなるだろう。結局の所、どんな犬種を飼っても、どんな子が自分のもとに来るかは、神のみぞ知る訳で、重要なのはこの言葉につきる、と今振り返って思う。

犬を飼いたいという気持ち、最後まで面倒を見るという気持ち。
それさえあれば、どんな犬種でもドッグスポーツは可能。

ディスクを追う事が幸せと感じる犬も、レーザーポインタやマグライトの明かりを追うのが幸せだと感じる犬も、来てみないとわからない。ただ、ディスクやアジなど、少しづつ犬にこれをしたら楽しいんだよという事を、焦らずに覚えさせてやる根気強さも必要だと思う。

ディスクをする事で、歯を傷めたり、関節を傷めたりする事もある事をよく認識した上で、基礎体力をつけさせ、飼い主も高くジャンプしすぎないようにスローを練習する、という事を前提に、我が家はくーというコーギーをディスク球技に参加させている。

あと、もう一つ。くーは食事よりもディスクが好きなので、くーの犬生の中で、思いっきりの笑顔がみたくてディスクをさせたいと思っている。飼い主がしたいのではなく、くーがそれを求めている事は、重要な要素だ。

是非これからディスクドッグの世界に入ってこられる方も、愛犬が怪我をしないように基礎体力をつける所から考えて頂き、そしてスローを何より練習し、できる限り無理のないキャッチができるように努力すべきだと思う。努力すべきという事は、私もそれはまだ過程であるから。これからもくーが幸せを感じられる時間を、飼い主として共有し、楽しい時間を過ごす事ができればと思っている。

是非、犬と一緒に幸せを感じられる遊びを味わって頂きたい。当然ながら犬は生き物で、小型犬であれば一生はたった10年から20年しかない。その間をいかに幸せだと思って貰えるか。我が家に来てよかったと思って貰えるかは、飼い主が犬と一緒に遊ぶ事をもっと楽しく感じればいいのだと思う。

単に散歩させたり写真を撮るだけでも楽しいのだが、ディスク競技に出るようになって、それは倍増した。ディスクに限らず、これからも何か新しい事に挑戦していきたい。まずは来年はディスクの世界を楽しみたいと思う。

写真は我が家にやってきて数週間目。生後にして3か月弱あたり。寝ている姿は無邪気だが、抱いている由の手にはバンドエイドが…苦悩の日はまだ序章だった。

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2005年12月20日

ディスク競技向きの犬種

旅の友人から、初めて犬を飼うにあたって、ボーダーコリーとコーギーのどちらが飼いやすいかという事と、外にディスクを一緒にできるのはどんな犬種という質問コメントを頂いた。

それについて、まだ犬を飼って3年弱の私が言うにはおこがましいが、これまで経験した事からまとめてみたいと思う。ただこの話があっているか間違っているかは私には判断できない。ただ、私の経験から、今思う事をまとめてみたいという事。この話に対して異論がある方もいらっしゃると思うが、それはそれ、あって当然だと思う。それぞれの飼っている犬は性格も環境も違う訳だから。私はそれらを否定する事もその立場でもない。

昨晩も暖房がわりにと由がくーを布団に突っ込んできた。私が先に寝ていたのに、上からボソっとくーを置かれた。まあしばらくすると暑くなって足元のかけ布団の上に逃げてしまうのだが、しばらくは飼い主に撫でられながら白目をむいていびきをかきだす、というのが寒い時期の就寝時のパターンだ。

今こうして飼い主とよい関係になるまでは長かった。昔は飼い主に対して唸ったり、噛んだりした事もあった。今でも飼い主よりも魅力のあるものに対しては、そちらに気がいきがちになってしまう。本能とでも言うのだろうか。逆に言えば邪気がないとも言える。

大変だった、と今では笑って言えるようになった。その時はあれでもか、これでもかと色々な事を試した。犬を飼う事の大変さの先に、今こうしてくーを中心にした生活があったというのは過言ではない。

さて、初めて犬を飼うにあたって、まずボーダーコリーとコーギーのどちらが適しているか、という事について。応えは簡単。どちらも大変だという事だろう。我が家は家が狭く、大型犬は現実問題無理だという事もあるが、私は単に飼うならコーギーしかいないと思ったからだ。由は逆にシェパードなどの大型犬が好きなのだが、当初はダックスかな、なんて言っていた。家の大きさの制限や私がコーギー好きなという部分で候補にもあがらなかった。

実際にボーダーもコーギーも働く犬。ボーダーはシープドッグとして北海道でも多く働く犬としてみかける。またディスクやアジリティなどにも必ず上位に登ってくる運動神経バツグンな犬種だ。その分、きっと普段の生活である散歩など運動させ発散させる事がいかに大変だろうか、想像がついたりする。

コーギーはかわいらしい体型や表情に騙される事が多々あるのだが、あの体型なのにものすごい運動量を求められる。現実には都会で飼われるコーギーは散歩時間が圧倒的に短く、運動する事も少ない為、肥満になっている子が多くみかけられるだろう。コーギーが皆コロコロしている中で、くーは痩せてしっぽもある為、ミックスじゃないかとすら今だに言われる。まあ個体差はあるのだが、くーがそれだけ運動しているから、スリムな体つきだという事は間違いではない。

ディスクドッグをしたい為に、ボーダーを飼う人も少なくないだろう。またよい血統をという人もいるようだ。まあ運よく、くーはディスクが食事より何よりも好きで、外のスタンダードなコーギーよりちょっとばかり足が長いという特徴から、ディスクやドッグスポーツをするにはよい条件を持っていると思う。

ボーダーと違って、圧倒的に小柄で足が短いコーギーは、それなりにトレーニングをして筋肉をつけないと、非常に犬種別で多いといわれる関節の病気や怪我をしがちだ。それはそうだろう、それまで散歩しかしていなかったコーギーがいきなり、10kg以上の体重でジャンプし、ディスクをキャッチし着地する事で、どれだけ体に負担がかかるかは容易に想像ができる。悪くすれば一生運動はできなくなってしまう。ジャンプをさせなければよいのかもしれないが、キャッチの瞬間、ジャンプして思い切り反動をつけてディスクを捕らえるという事は、飛ばなくてもいい場面でも何度もみられる。本能なのかもしれない。また実際そんなうまい場所に飼い主がディスクを投げられる訳もない。

長くなったので、明日に続く事にする。

写真はディスクどころか生後1か月のくー。小さかった。

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2005年12月19日

激サムな朝

毎朝の事だが、今日はこれまでにない程寒さが厳しいと感じてしまう。

目ざましの騒がしい音で飛び起きた。しかし由もくーも動かない。まだ真っ暗なので、実際に見えた訳ではないが、くーだけは耳をこちら側に向けて、目をちらりと開けたに違いない。

昨日の疲れもあるのだが、ベッドから出るのが辛かった。体にムチを打つようにして、着替えてバスで会社へ。外の北風は依然衰えていなかった。ラジオからは都心もとうとう、氷点下の朝だったと伝えていた。寒い訳だ。

右肩がちょっとだるく、昨日も少し投げる事ができたので、今日は昼練返上で仮眠を取る。とはいっても机に突っ伏してなので、あちこちが痛くなったり、結局リラックスできなかったりするのだが、とにかく眠かった。

色々年明けから幹事的な事をしなければならないイベントが目白押しだ。犬仲間と行くスノーシュー、由のお母さんや妹さんを連れていく北海道流氷旅行、そしてまだ詳しい予定がたっていないディスク競技。色々大変だ。おまけにディスク競技は思いの外エントリーフィーがかかる。2日分を一気に振り込んだりすると倍になる訳で、ガソリンや高速代などの交通費も倍になる。なかなか葛藤がある。

仕事もあと1週間ちょっと。でも年末年始の休暇は短い上に、私の仕事は休日に自宅からのフォローもあるので長期休暇は尚更あまりどっぷりと休みに浸かれない。その分まだそれなりに自由にさせて頂いているのだから余り大きな事を言えるものではない。

今週は木曜までだ。頑張って早起きを続けよう。

写真は昨日行った多摩川の隠れ家風カフェ。

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2005年12月18日

寒空の下で

この冬最大、12月としては記録的な寒気がやってくる。

そんな中、屋外で会おうというのだから、犬仲間というのはアウトドアな人々だとつくづく思う。

今日はお昼前に多摩川沿いにひっそりと佇むイタリアンフレンチのお店でお昼を食べ、その後大井のしおさいドッグランに移動して、また犬仲間と会って少し遊ぶというような企画だった。ディスク競技に出るようになってからというものの、散歩には必ずディスクを持っていく。そして安全にできる場所があれば、ディスクの練習を少しでもするという事がパターンになっていた。

今回はディスクの先輩、ロビ君ポーちゃん家、そして実はバイク乗りで結婚された頃には夫婦で外車に乗っていたというHOOVER家と我が家の3家族でお昼を一緒に取った。

それにしも強烈に分かりづらい場所であり、また人通りが殆どないすごい立地に佇むレストランだった。私もよくわからないので、30分早めに到着するように行ったのだが、既にアプローチで私の作った地図が嘘をついていた事がわかり、あわてて携帯に注意事項をメールした程。おまけにすれ違う事はまず困難と言われる川沿いの道を行き止まりまでいくのだが、途中関係者以外立ち入り禁止の看板もあって、これでもかという程人気がない森の先にそのお店はあった。

寒風吹きすさぶ多摩川河川敷。対岸ではとんでもない砂ぼこりが立ち上がっていた。時折吹く北風は強烈に冷たく、呼吸すらできなくなる程だ。そんな中、他のメンバーが到着するまで、すぐ脇にある広場でディスクに興じる。追い風なので、ディスクは空高くあがったかと思うと、垂直に動いたかのように落下したり、地面すれすれで1mくらい上にあがったりしている中、くーは私が投げる時は少し遠くまでいかないといけないなというのが判るようになってきたのか、動きが少しづつ変わってきた。

そんな寒さの中、犬連れはテラス席に通される。といっても左右はビニール、屋根は庇で囲まれているので、風は吹き込んでこない。それにストーブを3台、6人の間に置いて点けて頂いたので、寒さはそんなに感じなかった。ランチメニューのサラダとパスタとコーヒーを楽しみながら、色々な話を楽しんだ。

ちょっと早めだったのだが、大井のドッグランに移動。車3台で環八、環七を走り繋いでいくのはちょっと大変だ。何とかスムーズに公園の駐車場に到着し、ドッグランの近くにいくと既に待ち合わせをしていたダイゴ君家福来ちゃん家、そしてナユタ君家がおり、6家族7コギが大集合。久しぶりに遇うダイゴ君などと、日が暮れるまでドッグランで遊んだ。

日が暮れたあと、福来ちゃん家の案内で、秘密の練習場に向かう。素晴らしい環境の練習場で、ディスク好きなコーギー達は我先にとディスクを追う。その中ナユタ君だけは暗くなって鮮明に見えるレーザーポインタの軌跡をひたすら追っていた。

もうディスクが見えない程暗くなってしまったので、駐車場へ戻る。ここから近い方たちと別れ、昼にランチを一緒に取った3家族で武蔵小山の揚州商人へ移動。我が家が好んで行く中華料理屋だ。日曜にしては思いの外すいていて、また色々な話をして長居してしまった。

ディスク競技に出ない週末なのに、朝から番までずっと遊んでしまった。私のパターンだと体調を崩す可能性が高いのだが、明日は会社に行けるだろうか。

写真はこの寒空の下、集まったみなさん&コーギー達。

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2005年12月17日

病院滞在最短記録

今日は定期通院の日。朝一番早い予約なので、家を8時前には出ないといけないのだが、目をさましたのが7時50分。あわてて寝癖を治して着替え、家を飛び出した。

玄関をあけると、目の前に妙なものが…ジンギスカン焼きそばがぽつんと置かれていた。しかしあまり頭は回っておらず、そのままバス停に急ぐ。なんであんなものが置いてあったのだろうか。

バスは土曜ダイヤの為、最寄りのバス停で10分近く待つはめになってしまった。こういうのはなぜか法則があって、急いでいる時に限って出たばかりだったり、目の前で乗りたい乗り物に行ってしまわれたりする。非常に悔しい思いをする。

反面山手線とかで飛び込み乗車したりする人というのは、その電車がホームを去っても既に駅の近くまで次の車両が来ている事を知っているのか知らないのか、そのせいで電車の出発が遅れたりして大迷惑をかけたりする。田舎の電車ならともかく…

バスは満席。20分弱で新宿駅に着き、所々走って病院に駆け込んだ。受付を済ませると、予約時間は既にすぎていた。昔のこの病院では、2時間待たされるのは当然であり、短くても1時間は当然だった。しかし今年に入ってシステムが大幅に改善され、予約時間として割り振られる時間帯を30分単位とする事によって、長く待つ事は殆どなくなった。

これまでに最短時間だったのではないだろうか。受付を済ませてすぐに中待合室に入ると、私の前の順番が表示されていた。そして1分も待たずに、私の番号が表示された。そして診察も5分程で終わり、次回の予約票と処方箋を貰い、会計を済ませた。今日はこの病院の玄関を入り、出るまでの所要時間は15分。記録的だった。

病院の対面にある薬局で大量の薬を引取り、遅い朝食を取りにヨドバシカメラ方面へ向かう。

立ち食いそば屋で暖かいそばを食べ、ヨドバシカメラで最近ちょっと調子の悪い携帯の代替機がないかと探したり、ビデオカメラのカタログを貰ったりしつつ、小田急ハルクが空くのを待つが、それでもまだ20分位待たなければならない。丁度バスが来たので乗ってしまった。本当は、ハルクの地下で肉や魚を少し買い、由が好きなケーキでも買っていこうかと思ったのだが、まずは帰る事にした。

普段は渋滞している伊勢丹前の道もそれなりに流れており、あっという間に自宅に帰って来れた。自宅には由もくーも散歩に行っているらしく、誰もいなかった。

玄関に朝置いておいたジンギスカン焼きそばを見て、誰が置いていったのかを改めて考えてみた。ふと、そういう事をしそうな友人の筆頭の事が頭をよぎり、携帯でメールを再度読み込むと、昨晩2通のメールがまだ受信していなかった。昨日は帰り道の途中にバッテリが切れ、充電して放置していたのだった。

その張本人はじんじんさん。わざわざ我が家まで届けてきてくれて、丁度エントランスに出入りをした人がいたらしく、そのタイミングで我が家の玄関前にそっと置いて、声もかけずに去っていったとの事だ。その時間帯はリビングに居たのに…でもそういう事をするのが、私の友人は大好きなのだ。

由と一緒にたべようと思う。ありがとう。

明日、朝から夕方まで犬仲間の人たちと会う予定なので、今日はゆっくりしようという予定だったので、あとは年末期限が切れる大量のマイレージをクーポンに換えたり、溜めていたDVD-HDレコーダーの中の録画データのチャプターを整理したり、貰ってきたカタログを眺めたりしていた。

明日は相当冷え込むらしい。そんな中で、野外で集まる事ができるのだろうか。寒い季節、旅先には必ずモンベルのパウダーホップジャケットがあった。明日はとうとうその出番が来る時のようだ。

写真は散歩にも連れていってくれないので、飲んだくれてあれるくー。宮の華は安くておいしい泡盛なようだ。

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2005年12月16日

コーナーの向こう側へ

というタイトルでも、山川健一氏の著書の事ではない。

我が家の近くに、ちょっとした起伏のある道がある。

箱根山地区と言われるちょっと高台。昔軍事施設があったようで、私が小学校、中学校時代は、とても広大な森に見え、少々不気味な雰囲気さえあった。今ではすっかり散歩コースや通勤コースになっている。

私はバスを行きとはちょっと違う、手前で降りて、街灯の少ないカーブと坂が続く細い道を下り、朝とは別の方向から家に帰る事が多い。徒歩で15分程の道のりだ。

このコーナーはブラインドになっている所も、S字カーブもあり、それがフラットではなく勾配がついている。抜け道としてタクシーやトラックが飛ばしていくのだが、一応歩道とはしっかりガードレールで分けられているので安全ではある。途中1つだけ信号のある横断歩道があるのだが、押しボタン式である事と、車が来なければ赤信号で渡ってしまう人しかいないので、めったに赤にならない。

ここをバイクで何度も走った事があるのだが、なぜか攻めるとまではいかないが、ちょっとだけキビキビしたコーナリングをしてしまう。別に必要性はまったくないのだが、そこはバイクに乗っている人間の性なのかもしれない。深いカーブ手前のS字では、筑波サーキットのS字を駆け抜ける平忠彦よろしく、逆の重心をかけたまま切り返したりしてしまう。

夜は特に街灯の部分だけしか飛ばしていると見えない。しかし山道を走るように、点々と間隔をおいて立っている街灯下の道路だけが、ぼんやりと照らされている中を、ストロボに照らされるように、街灯と街灯の間の暗闇と、照らされた明かりの続く真っ暗な道を駆け抜ける。

アスファルトは街灯に照らされ、光っている。そんな道をみていると、ツーリングの帰り、日が暮れた奥多摩や秩父の山の中を、飛ばしている自分を思い出してしまう。デジャヴ、とまではいかないが、真っ暗な世界に、曲がりくねった道を照らすように等間隔で並ぶ街灯の明かりは、独特の世界ではないだろうか。

普段の会社への行き帰りの中に、そんな事を感じさせる道が1本あるという事は、ちょっと嬉しい事だ。バスを使う事で、バックパックを背負い、郊外のバスで移動しているような気分もあって、少しだけ気分転換になるのは、時間こそ早く到着するが、山手線ですし詰めにされながら帰るよりははるかに気分的によい。

たまにそんな事を思っている時に、スロットルとギアをうまくあわせながら美しく走り抜けるバイク乗りをみると、もっと嬉しくなってしまう訳で…

写真は随分昔、旅先で撮影する為に移動中の1シーン。あまり意味はない。

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2005年12月15日

投げ練は続く

ちょっと先週はサボったりしたが、今日もお昼休みの40分弱、いつもの広場で投げ練をした。

もうそろそろ冷え込みがきつく、流石にそれでもツイードジャケットを着て練習をする訳にはいかず、薄手のセーターをYシャツとネクタイ姿の上に着て、外に出る。するとその直後は寒くて震えが来る程だ。

しかし練習場所までそれを我慢し、投げ出すとすぐに寒さを感じなくなる。結構な運動量なのだろう。しばらくは8枚を投げて、歩いて広い、また逆側から8枚を投げて、という事を繰り返す。

今日は斜め左前方からの向かい風がたまに吹くので、よい練習になると思いつつ、一方向からの練習をしたのだが、これがまたお粗末な程安定しない。無風でなんとかそれなりに投げられるようになっても、実戦にはまだまだ程遠いレベルだという事をつくづく感じた。

今、練習に使っているディスクは全て大きい皿。JFA用のものだ。といっても公式ディスクは3枚だけ。残りは荒川のディスク。今はNDA用の小さい皿は、年内は使わないだろう。来週末に迫ったクリスマスカップには、少しまともな投げ方ができるようになっているのだろうか。

そして、投げ練は続くのであった。

写真は私の投げ練場所。丁度駐車スペースを示す車1台分のロープが、地面にひかれている。

丁度1台分の幅は2.5m。10マス分で25m。12マスで30mなので、それ以上飛べば5-6ポイントエリアとなる。これを目安に投げている。

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2005年12月14日

3歳の誕生日

今日はくーの3歳の誕生日だ。犬の年齢で3歳といえば、すっかり年頃の女の子(くーは一応、女の子だ)なのだが、約8カ月は骨折の為にまともに走る事もできない状況だった。

犬を飼う事になったのは、私が別に積極的に求めた訳ではない。旅の友人が突然ポメラニアンを飼って、和琴ミーティングというキャンプの集まりにつれてきた事から、事は始まった。

犬がいると、当然だが旅もこれまでのようにできなくなる訳で、また私みたいにしょっちゅう体調を崩すものとしては、毎日欠かさず朝晩の散歩をしなければならなく、それは雨の日でも雪の日でも休みなしだという事が、私にとってはまず絶対に無理だと思っていた。

その友人は、「旅に出る時は預かってやるから」という言葉に、由は飛び乗ってしまった。その日から、由の中でふつふつと犬選びが始まった、という訳だ。

実は私の子供の頃に、犬が我が家に居た。兄がどこからかつれてきたのか、私はその経緯は知らない。十姉妹や亀、なんだかよくわからない魚などが、実家が平屋だった時代に居たらしい。6歳になる頃、私がそれまでアトピー持ちだったのが治った途端、小児喘息になり、動物たちはどこかに貰われて行った。雑種の白い犬が裏庭に居て、シロと呼んでいたのを、うっすらと思い出せる。

それから私はずっと喘息と付き合う事になる訳で、毛のはえた動物なんか絶対に無理という環境に居た。由はそんなのを知りつつも、犬を飼う事がもうとめられないという状態になっていった。ただ私の持病の事を忘れていた訳でもないのだが、私も子供の頃の減感作治療の時代から、犬のアレルゲンはなかった事で、別にいいかという感じでいた。

そして色々犬種や犬を飼う事についての勉強をしたあと、くーがやってきた。初めて飼う犬、やはりあまりにも知らない事が多すぎ、またわからない事だらけだった。私たちはそれこそある日は涙を流しながら、またある時は意見をぶつからせながら、くーと一緒に生活する為に努力をした。

しつけも、訪問トレーナーからはじまり、パピークラスには毎週通った。そしてその後、個別レッスンになっても、月に2度は大田区まで車で通った。犬が全て生活に関わる日々が続いた。

こうして振り返ってみると、0歳台は病気としつけの涙と苦痛の日々が多く、1歳台はしつけ教室と少しづつ旅行に出るようになった。そして2歳台に入ると殆どが骨折の療養生活。後半にずっと念願だったディスク競技へのデビューを果たした。

個人的には旅行も競技も積極的に関わっていきたい。そしてその中から知り合った犬仲間の人は、実は同じ匂いがしたりする事も少なくない。

一段と冷え込む2005年12月14日。くーは無事、3歳を迎えた。
3歳台は、競技と旅行をこれまで以上に積極的にしていきたい。
くーをこの日、由の手作りのヨーグルトチーズケーキで誕生日を祝った。

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2005年12月13日

コートの季節

朝の冷え込みは強烈だった。今日、とうとう初めてコートを出して着てしまった。

これまでは、せいぜいツイードジャケットの下にラムウールのVネックセーターと、カシミアのマフラーをレイヤードする位だった。

朝起きてダイニングに一人降りてくると、まずキッチンの照明をつけ、ホットカーペットをつける。最近はそれに加えてエアコンを出るまでの30分、動かしている。そしてテレビの音量を一番小さくして電源を入れる。

テレビでは各地のライブ映像が出る訳だが、まだ各地は真っ暗だ。天気予報で今日は各地の冷え込みが厳しい事を伝えている。それを聴いて、コートを出す決心をつけた。各地のレポートでも、どのアナウンサーも口を揃えて寒さを第一声としていた。

徹底的に寒くなると、装備もしっかりするつもりになるのだが、中途半端な冷え込みだと、バスや電車に乗った時に汗をかいてしまう。私は汗っかきなので、ちょっとした運動ですぐに汗をかく。私のコートはアウトドア用なので、その分相当に冷え込まないと逆効果になってしまう。

これまでは通勤用で一番長く着たのは、皮のハーフコート。テットオムというブランドのものだった。確かどこかのバーゲンで買ったものだが、皮はよいものなので重かった。しかし実質15年位は着たんではないだろうか。内側のキルティングの端がボロボロになり、中綿が覗くまで使った。

丈が短いので、風がある日は厳しかったが、前を開くと電車でもバスでもそれほど暑くならなかったので温度調整がしやすかった。また他ににもトレンチコートやステンカラーなどのコットン系や、アルパカウールののダブルブレストチェスターフィールドコートや、ステンカラーのウールコートも着ていた。ウールのコートはどちらも濃い茶色で、それこそ脛まで丈があったので、マントのようだった。

ウールコートは扱いに気をつかうし、畳んでもかさばるので、着るシュチュエイションを選ぶ事になる。それらの中で、今残っているのは、ウールコートだけになってしまった。

一昨年位に、その愛用していた皮のコートを手放したのだが、通勤用に軽く暖かいコートがほしくて探した。今は由が散歩用としてきている、シェラデザインズの60/40マウンテンパーカーもあるのだが、ツイードの上に着るにはちょっと小さい。そういう着こなしも好きなのだが、もしも買い換えるならオレンジが欲しい。結局買ったのはモンベルのハスキーコートというモデルだった。

ハスキーコートの初期型は、学生の頃好んできていたグローバーオールのダッフルコートのような、ボタンループが飾りよろしくついている。内側は全面大きめのフードの内側も含めてフリースがライニングされている。これをしっかり襟元まで閉じて着ると、汗をかく程だ。その分、今日のような寒い日は安心できる。

色はテラカッタ。とても気に入っているが、モンベルは毎年微妙に素材や構造を改善していくので、初期型はいろいろ気に入らない…も多い。

まずアウターの素材が、動くと生地同士が擦れる音が気になった。前のボタンループも飾り的な要素が強いので実際に使っていると邪魔な感じもする。

しかし寒い今、このコートは心強い。明日も着る事になるだろう。

このコートが写っている写真を11月14日のブログに使ってしまったのだが、他にないので、私が写っている写真を使ってみる。

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2005年12月12日

ETCのオトクな使い方

ディスク競技に出るようになって、この10月から毎週のように高速道路を使う事になっている。なかなかその経費もバカにならない。

今日は朝からクリスマスカップのエントリーをしたのだが、2日間で2万円弱。これまでにないお金の使い方だ。それに加え、ガソリン代、高速道路代などがかかる訳で、それなのに月に2~3回の大会参加をしているという事は、それだけ今は多くの経験がしたいという気持ちになっているという事だ。

丁度ETCを装着したのは、ハイカがなくなる事や、ロッキーで色々な所にくーを連れて出かける為だった。今月で終了となるデポジットも、10万円分を投入したりしたのだが、今になって色々なメリットがある事に気がついた。

東京から伸びている高速道路で、100km未満であり、夜の22時から朝の6時に入口か出口を通過すれば、高速道路料金が一気に半額になる事。首都高速も朝6時前に入れば、2割引になる事。デポジットが終わって、マイレージポイントにサービスが変わるが、ハイカよりも特典が多い事。まあ、逆にこれまで無駄に払ってきたような気分にもなる訳で、どれだけ道路公団が酷い事をしてきたかを証明しているようなものだ。

しかし御殿場から東京まで高速を使って、高速料金が1250円というのはやはりオトク感が強い。実は朝霧への行き帰りは、中央高速を使い、河口湖で出た方が距離も短く速かったのだ。しかし中央高速はカラクリがあり、高井戸から八王子間は600円という料金が設定されており、それから先は別な料金になる。その関係で、半額割引も八王子・高井戸間しか有効にならない為、八王子から河口湖まではその時間帯に走っても割引は一切ない。

その為、わざわざ裾野から富士山をぐるっと廻り、朝霧に入るという事を考えたのだ。高速を降りてから、50km弱山道を走らなければならない。しかし都内ではなく富士山周辺を走る事は気分的に楽しいというのもあった。反面、凍結路面に警戒しながらになってしまったが。

早朝・深夜割引をできるだけ活用する為に、帰りも22時すぎに東京の料金所を抜けるようにしている。赤城でもそうだった。一度この値段で走ると、まともにお金を払うのがバカらしくなるのだ。

土曜の夜、東京ICを通過したのは、22時を30秒ほど過ぎた頃だった。ギリギリというか、走りながら速度を調整し、ラジオで時間を確認しながら料金所を抜ける。料金表示を確認して、ちょっとした達成感を感じ、都心を抜けて自宅に向かうのが、ディスク大会の帰りのパターンになっている。

同時に、朝も意地でも6時前に入り口に入らなければならない。寝不足は解消する事はない。

雄大な富士をみたあと、割引時間まで風呂に入ったり、鮨を食べたりして時間を潰しながらというのは、ちょっと大変だ。

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2005年12月11日

朝霧高原へ…part2

午前のラウンドが終了した。活気があると言われるJFAの競技だが、日曜はエントリーも定員を越えたようだが、土曜はまだ余裕があったようで、プログラムが前倒しで進んでいった。お昼もゆっくり食べる事ができた。

各競技の2Rに入る前にペア大会があった。これには福来家が参加。我が家も一度参加してみたいと思っていたのだが、とりあえず様子見という感じだったのだが、あれよという間に福来家が優勝をさらっていってしまった。
HOOVER君のママさんがはるばる応援にやってきてくれて、差し入れをしてくださった。HOOVER君はとてもキュートだ。スタンダートに近い短い足、コロコロした体。コーギーらしくてとてもかわいい。

由が今回エントリーした小型犬大会というのは、私が参加している公式小型選手権と微妙に違っている。前者はどちらかというとビギナー向けでコートもフェアエリアが広い。反面公式は年間で獲得ポイントが積算され、最終的にはファイナルへの候補を目指して皆、戦う。公式戦はハンデなしの大会となる。NDAはドギーズというクラスがやはり年間の獲得ポイントでファイナルを目指すのだが、小型犬大会ような種目はない。またエントリー費用が違う。まずは由は小型犬大会に出ようという事を考えたようだ。

NDAでいうプライマリークラスやフレッシュマンズというのに対して、JFAではビギナークラス、チャレンジクラスというのがあるが、ビギナークラスはディスクではなく、ボールなどでもよいようだ。なのでディスクができない犬種、ヨーキーやダックスなども活躍する場があるという意味では、参加枠が広くてよい。

また複雑な理由があるようだが、JFAはフリスビーといい、NDAはディスクという。フリスビーは商標登録されている名称である事から、それを正式に日本で使う権利があるのがJFAだけだ。フリスビードッグ、ディスクドッグとそれぞれの呼び名が違う。

私としてはどちらもそれぞれの歴史があって、よいと思っている。ドッグスポーツの世界には、似たような種目でも違うような競技も沢山ある。ディスクもそういう事らしい。ディスクのサイズや形状が微妙に違っても、どちらも楽しく参加できるのは確かだ。ルールの違いなどでまだ慣れない面もあるが、今年はとにかく経験の年。貪欲にぶつかっていきたいと思う。

午後になって風が結構出てきた。小型犬大会で由が2R目、最後にハンドリングをしてしまい、折角キャッチしたポイントが無効になってしまう。このファールがなければ優勝していたのだが、結果は25ポイントで2位。J初参加で2位はよい結果ではないか。由はちょっと残念がったが、私は充分な結果だと思っていた。

さて公式小型選手権の2R。時折ムチャクチャな風が吹き始めた。タープも2つほど飛ばされてしまったり、ポールが強風で折れてしまったりする程の中、競技が進行した。

私の投げる番の前からひどい風が吹き始め、私の時もそれは止まなかった。案の定、1キャッチ3Pで合計15P。悔しい。まるで赤城大会のようだった。

日が暮れはじめると一気に冷え込んできた。競技プログラムは前倒しで日没前に終了した事から、なぜかゲームが終了後に行われるという。フリフリ6という、人が犬の変わりにディスクを追い、キャッチし、6人が全員参加するという面白いものだった。

私は結局参加しなかったが、各クラスからチームが出て、由や福来家、ロビ父などが参加。他のチームも妙にもりあがり、ルールが厳しいJFAだが、好感が持てた。皆、楽しそうに、犬に掛け声をかけるようにゴーゴーと叫び、全力で走ってキャッチしていた。

翌日の日曜も競技に参加する福来家、ロビポー家と別れ、私たちは御殿場に向けて車を走らせた。先々月に和琴ミーティングの時に寄ってなかなかおいしかった沼津魚がし鮨の御殿場店に寄り、大変な混み方で凹んだが、90分並んでしっかり鮨を食べて帰った。

家に着いたのは23時前。朝から晩まで走り、投げ、叫び、笑った土曜日。足がとんでもなく痛くなってしまった。

次回はクリスマスカップ。そろそろくーの名を皆に憶えて貰えるように、頑張ろう。

写真はその人間ディスクディスタンスのフリフリ6風景。

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2005年12月10日

朝霧高原へ…part1

JFAの競技へ初参加の日だ。朝4時起きして5時丁度に出発。まだ漆黒の闇の中、明治通りからR246に入り、時間稼ぎの為に首都高へ。いつもならこんなに短い区間、首都高なんか乗らないのだが、今日は7時15分には受付が開始されるので、急いでいるのだ。

東名に乗ったのが5時20分。本当は5時に通過したかった。裾野ICまでノンストップで走る。助手席と後部座席では一人と一匹が寝息をたてている。しかし路面の継ぎ目で結構な振動があるので、ラインをずらしてギャップがマシな部分を走った。

実際東京ICから裾野ICまでは、93km程度あるのだが、インターを出たのは6時10分。ロッキーでこのテンポで走るのはなかなか神経を使う。富士山が白んできた空に浮かびあがり、よくみると路肩に雪があるのが見えた。

十里木高原を抜けるのだが、随分手前から路肩の積雪が結構目立った。当然、凍結注意の電光掲示板も光る。まだ夏タイヤなので慌てて声を出してしまった。由が目を覚ます。

路面は部分的に真っ白になっていた。慎重にコーナーを抜ける。これ以上酷くなったら困る所だが、何とか富士宮の方に抜ける事ができた。スローダウンしてしまったので、朝霧アリーナ手前にあるR138沿いのコンビニに到着したのが7時丁度。約裾野ICから45kmの峠も含むルートだった。コンビニに入ろうとすると、富士山の稜線に沿って太陽の光が空中に伸びていた。もうしばらくすれば、富士山のこちら側にも朝陽がやってくる。

簡単な朝食を買い込み、朝霧アリーナへ。時間は7時10分。急いで荷物を会場脇に持って行こうとすると、ロビ君とポーちゃんの父さんが荷卸しから車を駐車場に戻す為に降りてきた。ふと気がつくと我が家の隣には福来家の車もあった。我が家が今日は一番到着が遅かった。

福来家のタープにお世話になる為に、荷物を持ち込ませて頂く。10月22日にここに来た訳だが、その時とコートの設置角度が随分ズレていた。風向きをみて設営したようだ。空は雲ひとつない快晴。冷え込みもそれほどでもなく、風もなく穏やかな大会日和となった。

開会式など色々雰囲気が違う中、競技が始まった。最初は公式オープン。なんだかテンションが違う。皆すごいロングをどんどん決めていく。レベルが高いかもしれないと感じた。

朝食をかじっていると、由の出る小型犬大会がまわってきた。由はいつも通りあがりもせず、スローを繰り出す。目立たないがしっかりと距離も出てきているし、私よりも安定さは高い。スローは大げさな人もいるが、手首をしっかり使って投げている人と実はそんなに飛距離は変わらないので、由は1R、15ポイントをあげた。風が少しづつ出てきた。

私の参加する公式小型選手権は、ロビ君や福来ちゃん、そして表彰台常連のマルちゃん、フォアちゃんなどが大挙して参加している。今日はそれもあって、初心に戻って上がらずに投げる事ができたような気がする。ただくーがディスクとタイミングがあわずにはじいてしまう事が数回。合計2キャッチで12ポイントで終了。ちょっと残念だが、まあ充分かなと思えた。

実はこの時、私は試合用のディスクを使わず、注意を受けてしまった。本当は得点も成立しないのだが、初心者とみて頂いた事で何とか許して頂いた。色々細かい部分がまだよくわかっておらず、進行を妨げてしまい、迷惑をかけてしまう事になってしまった。

大会主催者の方、参加者の方、申し訳ありませんでした…

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2005年12月09日

明日は朝霧へ

朝5時出で富士山の向こう側、朝霧高原へ向かう予定だ。

JFAの競技には初めて参加する事から、いろいろ細かい部分が気になるのだが、自分でまた自分の首を締めるような気にし方はせずに、気楽に参加したいと思う。デビュー戦な訳だから。

そういえば10月22日に初めて私がディスク大会へデビューした日も朝霧だった。寒そうだが、初心に立ち返って、失敗を恐れずに楽しんできたい。

心配といえば、風邪が悪化しない事。朝から晩まで動くので、ちょっと心配だが、帰りは最悪由に運転して貰ってもいいわけだから、気楽に、気楽に。

言葉では簡単だが、なかなか自分の細かい性格はどうにもならないわけで、でも進歩がないのも問題だ。とにかく早く寝て体調を整えて出かけよう。

写真は10月22日の富士山山頂。翌日は綺麗に晴れたようだが、この日は朝まで雨が降っており、1日中雲の中に頭を隠していた富士が、夕方一瞬山頂の顔を出したのだった。

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2005年12月08日

何か変

風邪っぽい気分が治らない。日曜の事もあるので、大事をとってとうとう休んでしまった。

症状は喉と頭が少し痛む事、風邪っぽい気分がある事。熱はあるかないかわからない程度の微熱なのだが、この位はちょっと発汗したり熱い飲み物を飲んだりすれば出る差なので、あまり気にしてはいないのだが、何より気分がすっきりしないのがひっかかっていた。

ディスク大会に出はじめた10月1日から、結構ハードな時間に活動しているのだが、大きな体調の崩れはなかった。いつもならこの時期、風邪をこじらせたりしてしまう事もあるのだが、今年は間にインフルエンザの予防注射をしても、体調は崩れていなかった。

今日は暖かくしてブログを後回しにして寝よう。

写真は先週撮った近所の公園で。今シーズンは紅葉を見に旅行ができなかった。

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2005年12月07日

夜間走行

平日、通勤の為に目をさます頃は、まだ太陽はあがっていない。真っ暗というかうっすらと空が明るくなってきたあたりだ。家を出る頃には空は随分明るく照らされているが、まだ太陽は顔を出していない。

大会に出かける時は、大抵真っ暗な中、出発する。それなりにテンポよく都内を脱出し、高速道路に乗る。するとまだしばらくは真っ暗な中を走る事になる。

パワーのあるバイクに乗っていた頃は、それなりに高速の上でもテンポよい速度で走ったのだが、あいにく今の車はそれほどの速度は現実に出せない。おまけに振動も風切音も激しいので、結局あとは速度を落とさないように、止まらないように走る事に神経を使う。当然信号は守るのだが、法定速度ぎりぎりで走っていても、右や左からえらい勢いの車が抜いていく。

最近は左から抜く車が増えていて気に入らない。追い越し車線が空いていても、右から抜いてくる。それもわざわざぎりぎりの所で私の前に入ってきたりする。車を追い抜くマナーというのがなっていないのが多すぎるのだ。これが老人の運転している車なら、あわててブレーキを踏んでしまう事だってあるだろう。困った時代になったものだ。

夜間は基本的に赤いテールランプを見続けて走る事になる。最近はスモークをリアに張ったので、後ろから煽られてもあまり気にならないので、テールランプのイメージが脳裏にはりつき、スロットルを戻さないように右足の裏に神経を集中する。その時、くーや由はすやすやと夢の中だ。

暫くその時間が続き、永遠に夜中なのではないかという気さえ感じた頃、空が少しづつ色を変えてくる。その方角から、今自分がどの包囲に向かって走っているかに気がつく。

夜明けはよい。段々と夜がやってくる時間よりも、なぜか生きる者にとって色々な可能性を感じさせてくれる。眠さもあるが、やはり暗いうちから家を出て、朝に目的地に到着する事はよいものだ。

永遠とも感じるテールランプに誘導された夜、私は車を走らせる。きっと今週末も。

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2005年12月06日

ちょっと体調悪し

明け方、窓を叩くサラサラという音が。寒くて確認ができなかったが、初雪かもしれない。
相当な冷え込みなようで、喉がバリバリする。
なんだか喉と肺の調子が悪く、週末に不安が。
今日はしっかり寝て、最悪明日は会社休んで体調整えて週末に…逆だ。

写真は赤城での由とくー。ここ最近、練習の甲斐あって、飛距離も少しづつ伸びている。
くーは元気です。

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2005年12月05日

富士がよく見える季節

日本には富士見とか、○○富士とかいう、富士山が見える場所、富士山のような山に対して呼ぶ名前が使われるのは、やはりその存在感が日本の象徴とも言われる山だからなのだろう。よく外国からはフジヤマ・ゲイシャなどと言われる通りだ。

私の実家は高校1年の頃にビルになったのだが、それまでは木造平屋のガタピシな長屋だった。長屋だったのは元々本家の建物に、私の父親一家が住ませて貰った為であり、私が物心つく頃まで、2世帯ほど借りている人が居た。なので私と兄の部屋は長屋の一部屋の四畳半であり、両親の寝室がその隣、今がそのまた隣で長屋の部屋をぶち抜いて我が家が使っていた。要は貧乏一家だった訳だ。

しかし父親がサラリーマンから自営になるあたりで、平均以上の生活ができていたようだ。兄も私も私学に進む事ができたり、親父も自分の会社を持って一国一城の主となった訳で、その家が建て替えると同時にマンションの上層階を半分使った家が我が家になった。

それまでは窓があっても空か隣のビルしか見えなかった窓も、当時はあまり高い建築物がなかった事もあり、秩父や丹沢の山並みの向こうに富士山が顔をのぞかせている風景が居間の風景になった。

通勤時にお台場に近づくにつれて、富士山が見えてくる。それでもいろいろ視界を邪魔するものがあるので、とぎれとぎれになるのだが、一番よく見えるのは船の科学館の向こうに見える富士山というアングルだった。

今朝はすっかり雪化粧をした富士山。今週末は朝まだ暗いうちから家を出て、今見えている富士山の丁度反対側にある、朝霧高原に行く事になる。きっと冷え込みは激しいだろう。また年末に向けて風邪などひかねばいいのだが…

写真は南極観測船宗谷の向こうにあるはずの富士。携帯のデジカメだとこれが限界のようだ。

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2005年12月04日

ディスクの違い

昨日、今日はディスクの競技が掛川の近く、静岡はエコパスタジアムで行われている。姉妹犬の福来ちゃんとお世話になっているロビ君ポーちゃんは参加しているのだが、我が家はちょっと疲れが溜まっている事や、私の実の母親のヤボ用、そして実際参加するとなると片道240kmという距離を走る事に怖じ気づいている事などがあり、参加を見合わせた。NDAの競技はこれで年内の参加競技はない事になる。

しかし今度の週末は、はじめてのJFA競技への参加を予定している。ディスクのサイズが微妙に大きく、また形状も違うので、投げ練もそのタイプに替えて行うのだが、なかなか難しい。これまでのNDAのディスクは、グリップが決まるまでに1か月くらいかかってしまった。そしてまた形状の違うディスクを使う訳なのだから、練習する期間も少しばかり欲しい所だ。

場所は朝霧高原。そう、私がビギナーズラックで初戦、初心者クラスであるプライマリークラスでエクストラを経て優勝した会場だ。ただこの時期相当冷え込む事が予想される。

お昼前に散歩に出たのだが、出てすぐに小雨が降り出してしまった。くーは元気なので、とりあえず紅葉の終わりかけの公園で、コンデジを使って少し写真を撮りながら、ディスクの練習を少しだけした。ちょっとした芝の長細いエリアをみつけて投げてみる。

競技に参加しはじめたのは、ほんの2か月前。その頃からすれば相当コントロールも距離も出てきた。あらためて由と投げ練をした小さい広場の距離をみてみると、驚く程狭かったりして、何だか日々の投げ練は無駄ではなかったのだとしみじみ感じたりしながら、小雨が強くなってきた公園を離れた。

帰ると、JFAの会員証やディスク、書類などが入った封筒が届いていた。今週は少し、冷え込むようだが、昼の練習はなんとかこなしたい。そして週末、朝霧高原があまり冷え込まない事、雨が降らない事を祈るばかり。

ディスクのサイズはこれだけ違う。左がNDA、右はJFA。

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2005年12月03日

不参加

今日は開陽台に集った古い友人が主催をしてくれている、飲み会が新宿で行われる予定だ。当然行く予定だったのだが、ちょっとヤボ用があって、結局自分の身が解放されたのが深夜だったので無理だった。

1999年10月に少人数でオフ会という形で開催、その後開陽台ハイジーの家のかあさんが上京する日にあわせて、新宿副都心のビルのアジア料理屋で、2000年2月に開催したオフがあった。後者は結構な人数が集まり、私と由が幹事をしたのだが、何だかみんないいオトナ、いやオヤジになってしまっていて面白かった。

その開陽台ハイジーの家が20周年を迎え、来年がひょっとすると最後のシーズンになるかもしれないという話をききつけ、有志が集まって飲もうじゃないかという会というのが今回の主旨だ。

重要人物であるしいたけ兄弟は、なかなかそういう繁華街に出てくる事が今とある理由でできないので、主役不在という形なのかもしれないが、一人一人が80年代後半から90年代中盤までを、あの丘で過ごした時間から知り合い、広がった友人関係であり、それぞれが主役といってもいいのだが、殆どの共通の友人にしいたけ兄弟があったというのも事実だ。

他にも複数の常連達がいて、それぞれの歴史を作っていったのだが、少なからず皆が関係してきたのが、やはり開陽台ハイジーの家という存在なのは確かだった。20年という時間は膨大なのは、それぞれの顔つきだけでなく、家庭ができたり、子供がいたり、それぞれが今この社会の中で生活している事実が証明している。

ただ今日参加できなかった事で、その友人たちと会えなくなる訳ではない。旅人の殆どがそうであるように、年に1度、開陽台で会えるか会えないかという関係は、これからもそうである事だと思うからだ。

一番いいのは、あの丘で再会する事だ。しかしなかなかそういう機会はない。言い切ってもいい。でも気持ちは新宿の居酒屋でも、あの風に吹かれ、草の匂いの中で、下らない話をしている時と変わらないだろう。

幹事や今回の開催に労力を尽くしてくれた友人に、申し訳なく思うと共に、また必ず会える事を信じている。

写真は2000年2月の、かあさん上京時の集合写真。

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2005年12月02日

ラジオから聞こえてくる

通勤時にシリコンオーディオプレーヤーのFMラジオで、J-WAVEを聴いているという事は前にも書いた事だ。最近は多くの人がiPodなどのMP3プレーヤーを持ち歩いているようだが、私のはちょっと前の国産モデルだ。いや、厳密にいうと韓国製らしい。

内蔵メモリが256MB入っており、結構いい値段のものだった。その時点でもそれなりに候補となるモデルは何台かあったのだが、結局内蔵電池式だと電池切れの時にどうしようもないので「単四型の充電池が使える」事、今後の拡張性も考えて「外部メモリースロットがついている」事、そして「できるだけ小さく、Yシャツの胸ポケットに入れていても邪魔にならない」事などがあげられる。

選択時点で実はラジオ機能はあまり重視していなかったのだが、こうしてみると結構ラジオを聴いている。ラジオなんか、中学時代の深夜放送や、孝行時代のFMのエアチェックをしていた時以来だ。

別にどうしても音楽を聴きたいという事でもないし、真面目に聴き入っている訳でもない。聞き流すには結構都合がよいのかもしれない。そしてやはり何より胸ポケットに入れていても面倒臭くないレシーバーがあるからこそだろう。

ラジオを聴いていると、実は季節を感じる事もできる。この季節クリスマスの話題も多くなってくる。音楽こそクリスマスソングがかかるような番組は聴いていないのだが、ふと車窓を眺めながらラジオを聴いていると、すっかり厚手のコートをまとった女性をみかけたり、バイク便の乗り手が着膨れている事に気がつく。反面車はいつみても季節感はなく、オープンになる車をみかける事はまずない。

車で走る時は、由のロッキーを運転するようになってから、あまり音楽をかけなくなった。実家の車を借りて運転している頃は、色々音楽ソースを持ち込んで聴いていたのだが、今は交通情報を聴く為につけているラジオが多い。折角オーディオをよくしたのだが、やっぱり運転に集中している時はロードノイズと風切音が一番のBGMなのかもしれない。まあ荷物室には思いっきり荷物が詰め込まれているので、スピーカーを隠さないようにするのが一苦労という事もあるのだが。

ラジオはリアルタイムだ。今まさにDJが話をしているのを耳にする。テレビよりもライブ性が高い。そいういう意味でも聴いていて面白い。地震があればすぐに反応するし、今太陽が登ってきたという事も話題になる。これが例えば北海道とか沖縄の番組であれば、ちょっとしたイメージを頭に浮かべる事ができるので楽しい。

ラジオの良さはそういう所にあるのではないだろうか。別に対して気にする事もないが、バスの車窓を眺めながらふとそう思った。

写真はいつも乗っているバス。これはキョロちゃんの広告のものだ。

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2005年12月01日

ネオン輝く町を

新橋を経由して通勤しているのだが、新橋といえばサラリーマンの代表的な町とも言える。一昔前には、いい歳をしたオジサンが黒縁眼鏡の上にネクタイを鉢巻きのように結び、新橋西口のSL広場で大声でうたっている風景すら、新橋だからと納得される程だったのだが、今は時代背景なのか、そこまでいい気分になっているサラリーマンは少なくなった。といってもやはりサラリーマンは明らかに多い町なのは確かである。

隣の駅は有楽町。また毛色の違うサラリーマンや会社役員が平日の夜闊歩する町。私も勤めはじめて間もない頃、スタンドバーでバーボンやスコッチを飲みつつ、友人と会話を楽しんだりした。しかし今でいうクラブや女性が付くような店なんか誘われても行かなかった。

ネオンがきらめく町を、道路が貫く。そこをタクシーや黒塗りのハイヤーが走る。路肩には二重駐車だって警察は黙認する夜の町。JRのガード下には油まみれになった焼きとり屋やホッピーが飲める店があり、そこに集う少々よれっとしたスーツの人種と、一方通行の銀座の裏通りに車で横付けするような人種とはまた違う訳で、私は明らかににどちらかというとよれっとした人種の方だったのだろう。

ただ私は余り酒は飲めないので、1~2杯程度おいしいお酒を飲みながら話をしに行く位だった。そんな中で私が通った店は、知る人ぞ知るKOOLとJBA Bar SUZUKI。そして渋谷にそれ以上気に入っていた「月」というBARがあった。20代中盤、バブル時代に残業で懐が潤った時期の話だ。

朝は比較的足早に歩く勤め人か、圧倒的に人の数が少ない町なのだが、夜はどこから沸いてきたのかと思える程、多くの人が町にあふれている。小綺麗な洋服を着た女性、うさん臭いオヤジの集団、学生のようなノリの若者たち。それらを窓から眺めながら、今、私は帰路を急ぐ。

私がまだ実家に住んでいた頃、そして東京フェリーターミナルからの北海道航路があった頃、私はこの夜の町をバイクで駆け抜けた。それはかるく20回以上。由と一緒に晴海通りで銀座を抜けたりもした。その時は廻りなんか見る余裕もなく、ちょっと前まではその30分の1程の交通量だった道なのに、夜でもあふれる人と車に圧倒されながら。

旅の始まりと終わりは、何故だかあまり憶えていない。あまりのギャップのせいかもしれない。また周囲をみている余裕がないせいかもしれない。しかし、この人や光で埋めつくされた日本で最も人が集まる町を走り抜けなければ旅二出る事も家に帰る事もできなかった。

今は新潟港や大洗を使う訳で、こういう町を抜ける事もなくなったが、ふと毎日の通勤の帰りに、それを思い出す。そこに私が居たが如く、窓の外を眺めていた。

この文章はまさにその経路上を走るバスの中で書いている。今、麹町を抜け、旧日本テレビの前へ入ろうとしているのだが、12月に入った事が、外を行き交う人々のファッションが語っているようだ。

写真はありし日の東京港フェリーターミナル。ここから全てが始まったのだ。

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