2006年02月28日

春の足音

今日で2月も終わり。春にむけて少しづつ歩み始めたと感じられる頃だ。

梅の花も咲き始め、桜までもう一息。といっても北海道や東北などでは雪は降り続いている。都心では雨が多くなり、晴れると気温がぐんとあがる。四季というものが一番上り調子に感じられる時期がはじまったという感じだ。四季がある日本の良さが一番感じられる時期なのだ。

晴れた日、街中を走り抜けるバイクをみると、体の奥底から何か込み上げてくるものがある。興奮というのだろうか、それとも血が騒ぐというのだろうか。ふつふつとバイクに乗りたくなる気持ちだ。この季節になり、そして春の空気を感じ、自分のフィールにあうバイク乗りをみかけた時に、それは蘇る。

思い出してみた。この感覚は50ccのMR50を手にいれて、始めて江ノ島まで走った時、横浜新道を越えて藤沢あたりで道に迷い、炎天下の渋滞の中の風景に近い。また真夏の旭川市内、A-COOPでメロンを買った時のTシャツも汗で濡れるほど暑い日、歩道の上で走り出そうとしていた時のものかもしれない。フェリー埠頭を目指してひたすら高速クルージングを続ける自分も思い出せる。熱く灼けたアスファルトの上、タンクやシートすら熱くてじっと触れない夏の日の頃が浮かぶ。

バイク乗りは常に夏をイメージする、というのはこのあたりに来るのだろうか。決して夏が好きな訳ではないが、なぜかこうして思い出すのは夏のイメージが多いのだ。

ここ最近は殆ど乗らなくなってしまったバイクだが、降りたつもりは毛頭ない。またあの熱くて辛い日にバイクを走らせると、後日に思い出すシーンとして蘇る経験を、重ねたい。

写真はあまりに暑くて朦朧をした意識に危険を感じ、日陰も探す暇もなく富良野に向かう途中の道々で路肩にバイクを停め、キャンプ用に持っていた水をがぶ飲みした時の写真。この日富良野周辺は30度近い気温だった。

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2006年02月27日

親と子

土曜の夜、大会から帰ってきてから、両足が異様に痛くなり、それこそ立てなくなる程の痛さに見舞われた。まる1日走り回っていたからかもしれない。情けない話だ。疲れて23時すぎには寝てしまったのだが、深夜1時前に電話でたたき起こされた。そう、またお袋の体調が悪く、救急扱いで病院に向かうというのだ。

契約しているセコムは24時間体制で、ホームセキュリティ契約から人を派遣し、救急車の依頼と搬送先の病院が決まると登録してある家族などに知らせてくれるサービスなのだ。これは便利は便利なのだが、この時間に呼んだおかげで、深夜2時半までに結局3度の報告の電話が入り、もう泣きそうだった。

母親は老人性の鬱に近いもので、人間ドッグや検査をしょっちゅうしなければ気が済まない。昨年の秋ころには少しましになったのだが、ひどい時は毎週血圧が高いとか狭心症とか言っては、救急車を呼び、救急車の中では血圧は正常、病院に着くとすぐに落ち着くのだ。そう、病院が大好きなのだ。

そんな事があった翌日曜、叔父の一周忌の法要の為に寺に向かう。母親は明け方まで点滴をうって貰ってきたので、外出しないで法事は欠席する事になり、私と由だけが雨の中法事を済ませた。私も疲れが溜まっていたので、食事の前に抜けさせてもらい、再度母親の実家に寄って帰った。当の長男である兄は、予想通り30分遅刻して寺に到着。長男の意識は相変わらずまったくない。これでは中学時代からずっと母親の相手をしている私が最後まで世話をしなければならなくなりそうで、いい加減ウンザリだ。これまで何度も自分の予定を中止し、友人に謝りつつ予定をキャンセルし、母親の食事を作ったり、感謝の気持ちもなしに面倒をみせられてきた事か。

この週末も結局、また自分勝手な母親の為にふりまわされたのだった。私が自律神経失調症になった原因のひとつでもあるこの母親は、一体いつまで私を苦しめるのだろうか。

私自身親孝行をしてきたつもりだ。書き切れないほどの気配りと自分の体調が悪い日も、忙しい日も世話をしたりしてきた事に対して、親なんだから面倒をみて当然、親が体調が悪いといえば忙しくても会社も休むべきだと真顔でいう。予定していた旅行も中止するのが当然だと言われては、私も限界というものを感じる。それでもなお、ちゃんと母親の為に弁当を届けたり、気配りをしない訳でもないのに、伝わらないだけでなく、悪態をついたりされることのむなしさは私に深くのしかかる。

実の母親だからこそ、それは面倒を見るのは当然だと私でも思う。でも相手に思いやりのない言動や態度は、何も生まないどころかそこに対等な関係は存在しない。私は由と由のおかあさん、おとうさんにもっと親孝行をしたいのだが、神戸という土地柄それは簡単ではない。自分の親の情けなさというものをひしひしと噛みしめながら、私の運命として乗り切るしかないのだと思う。子は親を選べない。親は子を自分の色に染める事はできたとしても、それはお互いが家族だという事と、お互いを敬う気持ちがなければ、成り立たなくなってしまうのではないだろうか。

私自身幼少の頃からずっと持病を持っている。人並みどころか、人以上に頑張らねば、普通の生活もできないのだが、そんな事はこれっぽっちも人のせいにしない。それに「自分の方が年寄りで、他は皆若い」という論理を人に押しつけるような、彼女の中では自分以外はどうなっても構わないという論理はやはり私は納得がいかない。

今の世の中、親も子も、そういう思いやりが足らない人間が増えているような気がしてならない。

写真は雨のお寺。年間5回以上行っているのに、母親には少ないと言われる。私は墓なんかいらない。墓を守って貰おうなんてこれっぽっちも思っていない。

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2006年02月26日

KOGANEI OPEN part2

ドギーズ1Rが始まった。1番手は姉妹犬福来ちゃんとママのあゆみさん。2番手は私。

あゆみさんは1投目以外は落ち着いてよいスロー。福来ちゃんのキャッチ率は非常に高い。くーもキャッチ率は高いのだが、福来ちゃんの方が素直なのだ。そして最近はくーよりもジャンピングキャッチが多くなってきた感じだ。そして私の番。

1投目:ちょっと高めにあがってしまい、ディスクダウン。
2投目:左に流されこれも高めの3P。
3投目:ランニングの5P
4投目:ランニングの5P
5投目:残り0.4秒ほどのタイミングでとんでもないミススロー。0P
合計:13P

先週の練習あたりから、なぜか距離が伸びない事に悩んでいた。きっと自分が気づかないどこかに問題があるのだろうと思うのだが、飛距離は出ず。30mがなかなか越えられない。ただ自分としてはロングを投げるよりも、ミドルで確実にコントロールができる事を今目指し初めている。スローが安定すればくーはミスがとても少ないはず。ミスをするという事は、私のスローがくーにあってないという事なのだ。

またくーはスタート直後、殆ど真横といっていい程に右に走る。私はコートの右に投げるとファールになってしまう可能性が高いので、できるだけ左のフェアウェイを目指す。すると、真ん中よりも少し左前方に飛ぶ事が多いので本来はそれでいいのだが、くーが右に走りすぎるので、結局は無駄な距離を走り、1/3位のケースで追いつかなかったりする。これはくーの足にとってもよくない。投げ出しのタイミングを含めて、何とか矯正したい所なのだ。

ポーちゃんややっくるちゃん、~などが続き、あまり風がない為それなりにポイントは安定してとられていく。中盤、由とくーの順番。由は前回の開成町でドギーズの2位を取っているので、今回もショート&確実なポイントで頑張ってほしい。しかし、どうも今日は調子よくなく、ミススローが多い。

1投目:ちょっと飛距離が伸びないがくーがジャンプしてくれたので2P。
2投目:高くあがってしまい、風に煽られるが、ほぼまん中でキャッチ。ジャンプの4P
3投目:右に流されギロチン気味でディスクダウン
4投目:3投目と同じくディスクダウン
5投目:少しスローが矯正され、このラウンド一番のナイススロー。でも距離は伸びずランニング3P
6投目:ぎりぎり間に合った6投目。ちょっと高めにあがるがジャンプの2P
合計:11P

大御所のマイロくん、ハナちゃん、フォアちゃん、マルちゃん、ダイゴロウくん、ロビくんなどが終わり、1R目が終了した。

間をすこしおいて、ダイゴ兄ちゃんが登場するプライマリークラス。また同時にひまわりちゃんの一家もあゆたん君を抱っこしながら夫婦+赤ん坊+犬という一家総出でコートに立ち、歓声を浴びていた。ビデオ撮影中にじんじんさんと大きくなった小春が、スーパークラスを観戦しているのを発見。

2R目のドギーズが始まるまでの間、ローラーゲームやウェイトがあるのでカップラーメンの昼食をとり、投げ練習を始めると須藤カメラマン夫妻が登場。今回比較的近い場所なので、くーの写真を撮って貰おうとお願いしたのだった。練習もまともにできないまま、2Rが始まるとのアナウンスがあり、あたふたと選手入場口に並ぶ。

私の番。スローは安定していたが、距離が思いのほか伸びなかったのと、くーが右にそれるくせを矯正できなかったのもその理由だった。スローは比較的まん中低めで悪くはなかった。

1投目:丁寧に投げてほぼまん中へ。ランニング3P。
2投目:とんでもなく右に走っていってしまうがディスクは真ん中へ。間に合ってジャンプの4P。
3投目:右にいきディスクダウン。
4投目:ランニングの3P。
5投目:ジャンプの4P。
合計:14P

由の番。

1投目:ナイススローでどまん中低めなのだが、なぜかファンブル。0P。
2投目:ナイススローでジャンプ4P。
3投目:いきなり乱れ、右に大きくそれたが何とかインラインでランニング3P。
4投目:3投目とほぼ同じで、右に大きくそれランニング3P。
5投目:今度は左にストレート。くーは追いつけずディスクダウン0P。
合計:10P

そして結果、私が27P、由が21Pで、決勝通過ラインが38P。とんでもなく遠いポイントだった。今回もミスが多く、まともに戦う事はできずに終わってしまった。

優勝はやはり大御所マルちゃん。2位に安定したスローと安定したキャッチで福来ちゃんときみちんさん。3位はやはりしっぽコギで座り投げが美しく距離も伸びるハナちゃんといった面々だった。皆素晴らしいプレーを見せてくれた。

まだ陽があるうちに閉会式が行われたのだが、なぜか妙に疲れた。ダイゴ家と応援にきてくれたHOOVER家と共に、近くのサンマルクでちょっと高級な夕食を食べて、いっぱい話をして帰った。小金井公園での競技は、こうして慌ただしく、大勢の公園に訪れた人々が見守る中で行われた。

写真は私のへっぽこスロー。友人の須藤カメラマンが来てくれて撮ってくれた。しかし、くーよ、どこ見とんねん!

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2006年02月25日

KOGANEI OPEN part1

小金井公園。普段ならドッグランがある大きめの都内の公園にいくのと同程度の距離にあるその公園で、今回ディスクドッグ選手権が行われる。普段より100~150kmほど近い距離なので、朝は少しゆっくりできるかと思いきや、会場6時、それより前も人は入れる訳で、皆普段より1時間以上早くに会場入りをしなければならなかった。

また前日はあいにくの雨。明日の日曜も雨の予報なのだが、土曜だけが晴れの予報。コートのコンディションは事前にあまりよくなく、凸凹も多く、勾配もあると聞いているので、どろどろになる事を想定してでかけた。

朝4時に起床。今回は火が基本的に使えないと最初の頃に聞いていたので、大きめのポットにお湯、小さいポット2本にそれぞれコーヒーと紅茶を入れる。残った紅茶は朝、めざましがわりに飲む。

事前に載せておいたものに加え、そのポット類が入った重いリュックと、カメラバックなどを抱えて駐車場へ。道はまだ湿っているが、空には星がきらめいていた。まだ夜明け前だ。

予定より15分遅れの5時15分に家を出発。青梅街道を西へ。以前友人たちとオフをした武蔵野中央公園の先を左に入り、五日市街道へ合流。ふと前を見るとNPAのステッカーが貼られたミニバンだった。

今回あまりにも都心に近い事もあり、NDAに出た事がない人も様子見に現れているというケースがあったようだ。これだけ需要があるなら、もっと都心でもやって頂きたい。エントリー数が多ければ、元もとれるようにできるのではと思うのだが、今回はニッポン放送が後援となり、この会場を使える事が決まったようだ。まあ外にも色々とスポンサードがあったのだとは思うが、夢の島公園で行われていた大会も、値上げで使えなくなったそうだ。イベントにして観光客を呼べば、結構成功できるのではないかとも思うのだが…

暗闇の中、まだ夜明け前に小金井公園のパーキングに到着。既に30台くらいの車が停まっている。その中で一番前方にろびぽ家の車をみつけた。参加者専用の駐車スペースへ案内される6時まで、あと15分。しばらく様子をうかがうが、既にコートは2つ作られている。

知り合いの知り合いに確保して頂いたタープ設置場所の端に、建てさせて頂く。といっても、私たちは今日だけなので、2日参加の福来家にコート際に張ってもらい、我が家はその後ろに並べて荷物室件犬たちの待機場所となる。風邪も殆どない。朝もやの中うっすらと太陽があがってくるのが見えた。

続々と車が入ってくる。タープ設営スペースは観客が観戦するエリアも決められているので、実質普段の1コートとかわらないので、参加者が非常の多い今回のG1ゲームはみな張る場所がなくて困っていた。このあたり都内の公園では難しいのかもしれない。なんとかならないものかとは思うのだが、世間はドッグスポーツも含めて犬連れに対してあまり優しくはない。

そんな現状を少しでも変えていく一端を担えれば嬉しいと思う。草の根になるが、ウェブコンテンツでドッグスポーツの楽しさや素晴らしさを広められれば、何かが変わるかもしれないと信じて、協力できればと思っている。実際はそんなにたいした事はできないのだが…

コートは複雑で、私たちが出場するドギーズグラスは、1R目がBコート、2R目と決勝がAコートになるようだ。またBコートでは親戚犬ダイゴ君兄ちゃんが出場するプライマリークラスの1,2Rが行われる。また是非写真が撮りたいと思っているじゃすままさんやダイちゃんママさんのレディースクラスも、1R目はなんとかみる事ができそうだが、2R目はドギーズと重なってしまいそうだ。同じくじゃすままさんとアル君が出るローラーゲームも、Aコートで行われるようで、これも見逃さないようにしないとと思うのだが、2コートあると非常に慌ただしい。

久しぶりにドギーズの1Rが始まる前に朝食をゆっくり取る事ができた。しかしそれからはもう座る事もなく、ひたすら歩きまわる事になるのだった…

しばらくすると風が出てきた。ドギーズが始まる頃は、吹いたりやんだりの向かい風。しかしたまに追い風になったりするという、予想できない風だが、そんなに強くないので、あとは投げ方でフォローできるか?

今日のドギーズクラスエントリーは総勢36組。それもジャパンカップ・ノミネート・ポイント・ランキングの上位が勢ぞろいしている。そんな中で決勝に残れるのはやはり実力派だろう。当然、我が家は無理だと思いつつ、1Rを大切に投げる事を心がけていた。

写真は朝もやの中の開会式、オフィシャルのみなさん。

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2006年02月24日

明日は小金井公園へ

夜明け前からフィギアの日本人勢を見るのに早起きをする。ちょっと体調が悪いので部屋を暖かくして競技をみていた。結果は号外が出るほどのものだから日本人の殆どの人がきっと耳にしているだろう。メダルはどうでもいいとは言ってみても、彼女らはやはりメダルという目標を目指すのだ。

苦労に苦労を重ねた日々を越えてきたからこそ、オリンピックという大舞台に立つ事ができ、そしてその中でメダルを手にするものは力を持つだけでなく、それを限られた時間、限られた場で確実に出さなければならない。

それとはまったく別な世界といってもいいのだが、明日、私たちもコートに立つ。これまでで一番近い場所なのだが、会場が6時頃を予定しているので、我が家を5時半には出なければならないだろう。

G1ゲームといって、選手権の中では比較的大きい試合になるのだが、参加者の数にしては控えのタープを張る場所は少ない。その為皆朝早くに到着してタープを張る事だろう。我が家は明日土曜だけの参加の為、土日参加の姉妹犬、福来家のタープの後ろに張らせて頂く予定だ。それにしても急がなければならない。

今東京は冷たい雨が降り続いている。週間予報ではずっと雨だったのだが、いきなり明日だけ晴れるらしい。これはとても嬉しい事だ。ただコートの水はけはあまり望めないようなので、明日は結構どろどろになりそうだ。

何にしてもスローが先週の投げ練からちょっとスランプ気味。まあ初心に戻って着実なスローを心がけたい。明日は強豪が沢山エントリーしているはずだ。到底太刀打ちできない凄いプレーヤーが集まるのも、G1ゲームならでは。そろそろジャパンカップも近くなっているので、ポイントを得る為に、ノミネートされる為にもやっきになって参加してくるだろう。そういう意味では私たちは気楽なものなのだ。

明日、数人友人も見にきてくれるようだ。ただ参加する側としては準備や撤収、練習も含めて殆どお相手はできないのだが、ディスクドッグの楽しさを見て感じて頂きたい。我が家がはまったように、ショー的要素も多いイベントで、犬たちの真剣な姿にきっと、自分も犬を飼ってみたいと思う事だろう。

今日は早めに寝て、明日は小金井公園へ。その詳細はこちら。

小金井公園G1 GAMEge-
http://www.discdog.co.jp/annai/koganei.2.25.htm

参加者向け注意文
http://www.discdog.co.jp/koganei-simekiri-end-01.htm

小金井公園コート図
http://www.discdog.co.jp/koganei-tent.htm

都立小金井公園(地図内、いこいの広場で開催予定)
http://www.tokyo-park.or.jp/kouen/park.cgi?id=22

写真はショーとしても見応えのあるフリースタイル。予定では8時15分からと昼頃に行われる。

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2006年02月23日

流氷観光の準備

さ来週から北海道へいく予定だ。その時に借りる車が、マツダレンタカーのMPVという車種にした。車種指定でクラス指定よりも安かったのだが、たかだか4日間なのに5万弱もかかるレンタル料金はさすがサイズが大きいだけの事はある。普段マツダレンタカーを使う時は、ほぼ確実に1300のデミオなのだから。

また高い理由はオプションになっている4WDの分というのもある。スタッドレスは標準としても、4WDでないとやはり安心して走れない。それにナビも必要だろう。オプションなしだと4万ちょっとだったのだが、随分高くなってしまった。でもほかの業者ではもっと高くなるので、あきらめるしかない。

そのMPV、結構昔から好みなのだが、さて実際に大人5人乗車で、プラスくーとクレート、それぞれの4日分の荷物というのがちゃんと乗るのだろうかと気にしている。

MPVと同クラスはフレンディというミニバンなのだが、背が高い車があまり慣れていないのと、そんなに荷物室のサイズが変わらないような気がして、MPVでいいかなと思った。丁度フルモデルチェンジしてしまったので、車内の資料がウェブからは消えてしまった。路上駐車しているMPVをみつけてはのぞいてみるのだが、なかなか荷物室のサイズや最後尾の席のサイズなどがよくわからない。

今になって最前列以外は対面シートになる方が喜ばれたかなとも思ったり、荷物が乗らなかったらくーのクレート置き場に使うシートの前やクレートの上に荷物を積み上げる事になるかと思ったりと、色々心配が耐えない。今の時点で心配していてもしょうがないと言われるかもしれないが、まあそれが私の性分なのだ。

ただこのような車種は最低地上高さが低いので、吹き溜まりには気をつけなければならない。道東は風が通る道によく白い吹き溜まりができていて、乗り上げてしまうと動けなくなってしまうからだ。自分の車ならスコップを装備しているのだが、今回はそんなものも載せる余裕はないだろう。

羽田までロッキーで行き、民間駐車場に入れる予定なのだが、これも安航空券の業者が格安で使えるチケットを送ってくる出発1週間前にならないと予約ができない。まあそんなに混む時期ではないので大丈夫だと思うが、なんせ今回は大阪と東京から、女満別で合流し、帰りはその逆という事で、少しでも安いチケットを探すので苦労した。まだ安心はできないが、無事女満別でさ来週の金曜に会え、無事に旅ができる事を祈るしかない。

私と由の装備はきっと最低限。でも遊び道具は持っていくだろう。スノーシューは友人の所で借りるとしても、結構な出費になりそうだ。まあそれでもくーを冬の北海道に連れていく計画が実行できるので、楽しみでもある。そしておいしい鮨にありつける事も楽しみだ。

流氷の接岸状況をみていると、まだまだ大丈夫そうだ。いつもこの時期に道東に遊びにいく時は2月の中旬なので、今回はほぼ1カ月遅いのだが、これも参加調整の為。例年は結構3月下旬までは流氷にあう事ができると思っている。

網走からの流氷観光船、おーろら号の予約は現地入りしてからでもいいかなと思っている。今週末のディスク大会が終わったら、本格的に用意を始めねば。

写真はその網走の流氷観光船、おーろら号。観光客でごった返していたり、予約が必要だったり、俗化しているのは確かなのだが、双眼鏡など結構楽しめる。

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2006年02月22日

八重山からの便り

友人が八重山に行っている。羨ましい。すっかり八重山からは遠ざかってしまったのだが、今年中にはくーを連れて行きたいと思っている。八重山でなくても奄美大島でもいいと思っているのだが、JALのクーポンでいく事になると思う。

くーにとっては暑いのが苦手なので、真夏はまず無理だ。GWでも厳しいかもしれない。この調子だと今年の後半になる感じだ。その前に来月下旬あたりにはまだ雪を求めて遊びに行きたいとも思っている。

八重山はウチナータイムという時間が流れている。くーを連れて慌ただしく旅するのではなく、停滞型でゆっくりしたい。ただ犬の宿泊が許可された場所については、あらためてリサーチしなければならない。奄美ではちょっとよさげな宿をみつけて、昨年アサインしたのだが、予定した日程は満室だった。宿の人も残念がってくれたのでそこでもよい。八重山だとできれば竹富あたりでゆっくりしたい。波照間は日帰りかな、などと思ってみる。それよりも犬は高速艇に乗れるのか?

石垣まで飛ぶと、くーにとってはこれまでの最長距離になる。ましてや直行便なら往復2度、クレートに入れられて飼い主としばらく別れ離れになる事で済むが、本島などを経由して飛ぶとそれが倍の4度になってしまう。できれば2度で抑えたい。そうなると日程もちょっと厳しい事になるだろう。色々適当にフライトを決めていた頃と違って、できるだけくーに負担をかけないようにと考えると、難しくなってくる。でも一度は日本の最南端に立たせたいと思うのだが、それもくーにとっては大きなお世話。飼い主の一方的な願いなのは確かなのだ。

これまでは由と一緒の時も100ccのレンタルスクーターだったし、一人の時も50ccのスクーターだった。しかしくーが一緒となるとレンタカーになるだろう。まあ竹富とかは歩いて少しだけ廻る事しかできないだろうが。少しづつ暖かい日が増えてくると、自然と旅に出たくなってくる。そういう時、自分の中で冬に眠っていた旅人の血が騒ぎだすというものなのだ。

虫や内地にいない動物も多く出てくるので、くーから目は放せないが、できれば米原でテントを張って数日過ごしたいと思ったりもする。まあでもできる範囲でくーと旅をし、潮の香りのしない美しい海でくーを遊ばせたいと思うのだった。

写真はその友人がmixiの自分の日記にここのそばを今食べている、と書き込んでいた、石垣の丸八そば全景。私はここの三枚肉そばが好きだ。

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2006年02月21日

スポーツと結果

オリンピックウィークも後半に入ったようだ。昨日などは帰ったら由はテレビにかじりついていた。そう、カーリングの競技をみていたのだ。接戦のあと、イタリアに勝った日本チームは希望を繋いだと同時に、由の楽しみも繋いでくれた。

しかし既に周知の事実なのだが、今朝会社に出る前に昨日の2戦目の結果を知ってしまい、今日は帰ったらきっと残念な顔をしている事だろう。でもまだ一番楽しみにしている女子フィギアが今晩からなので、競技が始まるのを楽しみにしているはずだ。

由はスポーツが苦手なのだが、見るのは好きなようだ。その中でも阪神戦の野球や、フィギアを観戦するのは何よりも好きらしい。あと結構ミーハーなのか、話題の競技はその時だけ観戦したりする。例えば普段はまず見ないサッカーも、ワールドカップの日本戦などはみていたりする。私もアルペンなどは結構見るのが好きだ。やはり回転の佐々木選手が気になる。逆のスノーボードのハーフパイプはまったく興味がない反面、スノーボードクロスはなかなか面白い競技だと思うようなタイプだ。

今年のオリンピックはなかなか日本勢がメダルを手にれきないようだが、なんだかそういう周期なような気がする。惜しい所まで行っても、3位以上が取れないという感じだろうか。スポーツの世界も、何だかんだ言って、結果が大事なんだなと思うのが、まさにこのメダルの話題だろう。どんなに頑張っても、結果は結果といて残る。人はやはり人より強く、争う中からその喜びを見出す生き物なのだろうかとふと思う。

ディスク大会だってそうだ。投げ手と犬のどちらも欠けては結果が出ない。結果はその時によってその日のポイントがハイレベルだったり低めで勝負が決まったりする訳で、いかにポイントを手にするかという事で、入賞が決まる。自然とポイントを少しでも高く取ろうと、遠くに投げられるように練習する訳で、犬がそれを取るには全力疾走し、つかまえるという行為が必要になる。まさにスポーツなのだ。

私なんかは最初に参加した大会で、初心者クラスではあったが優勝などをしてしまった分、嬉しい反面欲というのも自然と顔を出すようになってしまったのは確かだ。先輩の中には、ポイントよりも飼い主と犬が楽しむ事と言ってくれる人と、もっと上位クラスでも狙えると言ってくれる人もいて、自分はどれを目指すべきかが見えなくなりがちだ。

ディスク競技で自分が上位に立ちたい訳ではない。くーの能力を引き出し、多くの人に見て貰いたいという気持ちの方が大きい。この子はもっと上手いはずだから、もっと力を持っているはずだからという事を証明したいのだ。だからこそ、普段はくーのしつけなどは由を主体に任せているのに、ディスク競技なら私の方が頑張ればと邪な気持ちが入ってしまい、私がもし投げたらもう少しくーは実力を発揮できるのでは、と思ってでしゃばったというのが正直な所なのだ。まったくもって親馬鹿なのはよく自分でもわかっている。

しかし前回の競技では由がドギーズで2位に入り、もう私が出なくてもよいかもしれないなとも思ってしまった。まあJFAの方では3位に入った事もあるので、どっちがどっちという事ではないのだが、これで漸くくーも少し注目して貰えるかなと嬉しい結果になったという訳だ。

といっても、コンスタントに上位を狙える腕があるなんてこれっぽっちも思っていない。そんな甘い世界ではないのは充分わかっている。なので、しばらくこの競技には出つづけようと思っているが、日本各地を遠征し、シーズンの成績がよいメンバーだけがノミネートされるジャパン・カップやジャパン・ファイナルを目指すなんて事は今の段階ではこれっぽっちも思っていない。そう、年間で戦うなら、もっともっと頑張っている人たちがいる。その人たちに結果を出して欲しいし、私たちは単発の大会でくーが楽しんで参加できる事を第一に、頑張ろうと思っている。

ディスク収集家の由としては、やはり今持っていないNのドギーズの優勝と3位、Jの優勝と2位のトロフィーディスクを手に入れるまで、気長に無理せず楽しんで参加したいと思う。

ひょっとしたら来年かさ来年、考えが変わっていて日本各地を遠征しまくっているかもしれない。それはそれで今の自分からは考えられない事だが、先の事はわからない。くーにとっても、まる1日朝早くから車で数時間運ばれ、1人2分+α、2人でエントリーすれば4分もしくは決勝に出られれば+αだけしか、ディスクを追う事ができないのだから、練習会の方がよほど楽しいだろう。

スポーツの世界もやはり勝負。勝つか負けるかという尺度がある。そんな中で、どこが自分にとっての優勝かは、自分で決める事ができるのもスポーツだろう。

今週末の土曜は我が家から30分程度の距離の東京都小金井公園。しかし天気が予報では雨っぽい。東京開催という事で、ドギーズの強豪も、スーパークラスの強豪も集まってくる。G1ゲームという事で、ポイント換算率も高いので、ジャパンカップノミネートがかかっている人は、必死になっている事だろう。そんな人たちに迷惑をかけないように、私たちも末席に座らせて頂くつもりで、参加する。

自分自身の投げがあまりよくない状況なのが先日の日曜の投げ練に感じているので、今回も無理せずに行こうと思う。

写真はJFAの開会式の模様。儀式めいた開会式は、参加すると気分が段々ともりあがってくる。

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2006年02月20日

時間が足らない

仕事がある週のうちの5日間の中で、当然ながら月曜は一番嫌いだ。これから5日間も会社に連続で来なければならない。私は比較的朝早く来て、早めに帰るというスタイルを通させて貰っているのでまだマシなのだが、通勤時間も含めれば、14時間は会社の為に使われる。残り10時間のうち、睡眠は5時間ちょっと。風呂や食事の用意や片づけで1時間強。あとは3時間ちょっとしかない。

炊事をするとなると、実質用意に1時間前後かかる訳だから、もっと自由時間が減る。家に帰ってきっちりとタイムスケジュールをこなしていけば、その位余裕ができる訳なのだが、帰ってすぐに風呂に入るよりも、ちょっと一息ついたりするともっと時間が減る。

殆どはそういう時間を過ごしているのではないだろうか。日本人は働きすぎではないか?これだけ働いても、裕福になれないというのはやはりこの国の仕組みに問題があるのではないかと思ったりもする。

そういう愚痴を言ってばかりだと、もっと大変な人から怒られてしまうだろうが、私としてはもっと余裕を持って人生を楽しみたいと思う訳で、仕事が嫌いとかでもないが、何だか毎日暗いうちにでかけて、暗くなって帰ると何の為に生きてるのかわからなくなってしまう事もある。

社会人になりたての時は、22時や23時に家に帰るのは普通だった。それでも朝はちゃんと会社にいった訳だが、やっぱり働き盛りと言われる今の私の年齢とはいえ、色々な要因からモチベーションというのが大きく影響してくるのだった。

日曜はいつも休息するのは殆どなのだが、ディスクの練習会だったのででかけていた。ちょっと朝寝坊したおかげで少し朝は楽だったが、投げ練の内容が納得できなかった事もあり、何だかどっと疲れてしまった。これでは今週末の大会はひどい結果になってしまう。あ、この場合の結果は、点数ではない。ファール連発になりそうな予感がする程、何だか安定しなかったのだ。

おまけに週間予報では土日は雨。雨の中の大会なら初体験になるが、できれば避けたい。きっと大変な事になるだろう。冷たい雨は人にとっても犬にとっても、色々疲れや危険が伴ってしまう。なんとか天気が回復して欲しい。なんで今週はこんなに連続で天気が悪いのだろうか。

何とか週末までにスローのコンディションを戻したいのだが、雨だと練習もできない。おまけに今いつも昼に練習に使っている場所は入れないようになっている。これでは当日まで何もできない。それにきっと、雨なら練習もしている余裕はないだろう。

今回の会場はとても近い。だけになんとか天気の回復を期待したい。

写真は秘密の訓練場所。ひたすら投げる。

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2006年02月19日

ロビ君とくー

今日は2度目の練習会。今回もディスクドッグマスターのろびぽ家にお世話になる。寝坊しながらも会場に着くとすでにろびぽ家はタープを張ってロビ君とポーちゃんがボールやディスクを追っている姿が見えた。

2番手は我が家。設営も手伝わずに遅れてきて非常に申し訳なく思いつつ、荷物を運び入れさせて頂く。早速くーとロビ君はディスクを追いながらも、お互いを意識しあっている。先日のスノーシューでもロビ君は6歳という年齢を感じさせずにくーと一緒に雪玉やディスクを追っていた。ふと、写真をみて思ったのが、ロビ君がディスクを追っている時とはまったく違う表情をしてくーを追っているという事。そう、ロビ君が凄く嬉しそうなのだ。正直こんな笑顔のロビ君は初めてみた。

雪の中で遊びまわっている時でも、くーを追ったり一緒に何かを追ったりしている時は、本当にずっと笑顔なのだ。くーを好いてくれているのかなと飼い主としては嬉しい所なのだが、くーはロビ君は年上である一線をしっかりと譲る事も忘れていないのだが、あまりロビ君には興味がないようだ。ロビ君は去勢済、くーも避妊済なのだが、これだけパワフルな二人の子供がもしもできたとしたら、とんでもなく凄い子が生まれたのではとちょっと想像してしまった。

しかしくーは近親交配だった理由から、我が家に迎えたあと、それを知った私たちは悩んだ。当時お世話になっていたしつけの先生や色々見聞きした事から、初ヒートがくる前に、くーには謝っても足らない位に泣きながら避妊手術をする事を決めた。反面、犬にとって頻度の高いそれぞれの性別にある重い病気を予防するという意味があるというのも事実だが、単にその時はくーに痛い想いをさせてしまったという事実で、落ち込んでしまった。

今にして思えばそれが正解だったのかわからない。雄と雌という生き物の純粋な種別が子孫を残すという摂理なのだが、実際人間では許される事のないようなブリーディングが行われている世界なのも事実だ。多くはお金の為であり、またよりよい「形」を求めた交配。それがスタンダードという犬種の形を守る事にもなるのは十分分かっているのだが、私としては足が少々長くても、毛が長くても、尻尾があっても自分の家族だという事には変わりない。売って儲けるという事をするつもりもないし、単にかわいいから交配させようと思ったり、最近多くみられる一代限りなのだろうが、変わった犬を生み出す為に別の犬種を交配させたりする事も、自分ではするつもりもない。私は正直言って、珍しいから、かわいいだろうから、売れるかもしれないという理由から交配させようなんて冗談でも言う人は軽蔑する。

スポーツドッグという世界の中には、特性を持った雄と雌をかけあわせる事で、より強いスポーツドッグを作るという事もよく行われるようだ。

くーが生まれ持った能力は計算されたものではない。ただ、我が家の大事な娘だから。その娘が幸せで、楽しい一生をおくれるようにしてやりたいと思うからこそ、ディスク競技に参加するようになったり、しつけ教室で怒るのではなく、長所を生かしながら、人間社会に居てもストレスとして感じるのではなく、楽しく過ごせるように意識付けのトレーニングを積む事で、犬も人間も幸せに暮らす事ができると信じている。

ただ、それはよくわかっているのだが、くーとロビ君の嬉しそうに遊んでいる?姿を見ると、ちょっとだけ後悔というか、ないものねだりの気持ちが沸いてきてしまった。

ブリーダーが血統を考慮した上で近親交配するという話もあるようだが、実際に分譲される前にこの事をまったく分譲された5家族には話される事はなかった。くーが我が家にやってきて、ツメダニが見つかったり、アカラスの疑いがあり、強い薬を使われた事、そして膀胱炎になったり、ストルバイト結晶が検出されハイカロリーのパピー食を食べなければならない時期に、老犬用のダイエットフードを食べなければならなかった事など、辛い日々があったのは事実だった。

骨折で半年棒にふったのは飼い主のせいとして、くーが我が家に来てよかったと思える様な日々を送らせてやりたいと思うのだった。

嬉しそうな顔をみるたびに、なんでもしてやろうと甘くなってしまうが、ちゃんと飼い主の責任として、くーと一緒の時間を多くする為にも、しっかりしなければと思う今日この頃だったりする。

写真は仲むつまじい?ロビ君とくー。

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2006年02月18日

しつけ教室へ

今日は赤坂にあるしつけ教室の2度目。前回ロッキーに傷をつけてしまった立体駐車場はもう入れず、奥の狭いが屋外の駐車場が空いていたのでそこに入れる事ができた。都心の動物病院ではなかなか駐車スペースはないのは仕方ないが、以前お世話になっていた北千束の病院は満車の場合は近くのコインパーキングの駐車場代も払ってくれた。

動物病院は色々ある。今でこそセカンド・オピニオンとして複数の病院を併用している人は多くなったのだろうが、以前は選べるほど多くなかったと思う。我が家も近所では有名な動物病院に最初の頃通っていたのだが、医療費が異様に高く、また信頼できる先生が途中でいなくなってしまったので、離れてしまった。現実にこの病院が我が家からは一番近いので、子犬の頃は夜中や休日にくーを抱えて門を叩く事も何度かあったほどなのだが、今ではちょっと遠くなるが、歩いていける範囲に評判の夫婦で開いている小さい動物病院をメインの病院とするようになった。

また近所には評判のよくない病院も少なくない。ざっと思いつくだけで3件あるのだが、どこも我が家は使っていない。

いきつけの病院にしても、若い先生が増えていて、丁寧なのはわかるのだが、やはり経験が浅い。重要な診断についてはやはり経験豊富な先生にお伺いをたてたり、明らかにそれはおかしいと私たちですら感じる事をいう事がある。実際動物病院は犬猫そして小鳥や爬虫類までを見る訳だから、専門なんかがあってもそんなに実際に経験を積むほど患者を診ていないだろうし、知識だって乏しいはずだ。そんなのはちょっと考えればわかる。そしてそれは悪い事ではなく、現実問題無理なのだから。

人間だって皮膚科や小児科、脳神経科、循環器科など多くの専門分野があって、それぞれエキスパートと言われる先生がいる。犬という動物一種類をとったって、その科目別の専門家が必要だと思うほどだ。しかし、全て一緒になっているのが動物病院なのだ。

動物病院の中には、しつけ教室を持っている所もある。我が家が世話になっているのもそういう所だ。ドッグスポーツをしていく中での教室のようなものは、今の所あまりないようだ。基本的にアジリティやエクストリームなどはその世界で経験を積んできた先生がおり、個別にそういう所に弟子入りしていくというのが多いらしい。

一般的なしつけ教室というのは、家庭犬としてのしつけであり、人間と普段生活する上で必要になる経験を積んで、飼い主と犬がよい関係でいられるように、飼い主がそれを学び、犬へ伝えていくというようなものだろう。我が家も気の強いくーに、コマンドと呼ばれる命令に従い、人間社会の中で生活する犬として、マナーや能力を身につけていくものだ。

小犬の頃から通い続けている事で、色々な犬がいて、どういうケースが問題があって、どういう事を目指すべきかというものがうっすらと判るようになったと思う。犬を飼う事は簡単ではないという事、そして犬によってその持って生まれた性格に対して、何をしていく事で飼い主や犬自身、そして周囲という社会における必要なものという事に、悩み、時には涙し、学んできた。

コーギーという犬種は小柄なのだがものすごくパワフルな犬種だ。例えばチワワやダックスやトイプードル、ポメラニアンがどんなに気性が荒く自己主張が強い性格をもった犬だったとしても、きっとそんなに苦労はしないだろう。あまり吠えていると困るが、引っ張ったって人間がひっぱられて転ぶような力はない。コーギーは小学生の高学年の子位ならひきずり倒す事だってできる力を持っている。それが大きな違いだ。

我が家も最初はかわいさだけでコーギーを選んだのだが、気が強く、自己主張が強いくーが来たお蔭で、相当真剣に、そして多くの時間をくーとよい関係を作る為に費やさなければならなくなったという事は、これまで辛い事の方が多かったのだが、今ではそれを乗り越え、コーギーという犬種にどっぷりと漬かってしまったという結果になった。

まあでもおとなしいコーギーも居るのは確かだ。実際の所、生後2か月位で買い始める訳なのだから、その子がどういう性格なのかは飼ってから判る事。手に余ってしまい、里子に出されているコーギーも結構な頻度でみかけるのが、その証明になるだろう。そんな無責任な結果にならないように、できるだけ自分たちが乗り越えてきた事を伝えていきたいと思っている。

体のサイズの割に運動量は大型犬よりも時には必要であり、そして吠えるとその声は強烈に大きい犬種は、小型犬とは絶対に言えないとこれまで暮らしてきて感じている。そして真剣に取り組んでいかねば、まず主従関係はうまくいかない難しい犬種である事を、犬を飼いたいという親しい友人には伝えていきたい。

しばらく由が主体になって、我が家のしつけ教室通いが続くだろう。くーとよい関係を築き、今よりも一緒に行動できる範囲を広げる為、そして周囲へ配慮を今以上できるようになるために、トレーニングを続けていきたい。

写真は以前のしつけ教室でのシーン。今のしつけ教室ではグループレッスンなので、写真が撮りにくいのだ。

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2006年02月17日

旅を残すという事

開陽台が翌年大きく変わってしまうという事を知った1994年の夏。私はビデオカメラを新しく買い、会社を2週間休んで夏の旅を記録した。そう、私はノンフィクションが好きだ。SFも嫌いじゃないのだが、ノンフィクションがドラマチックではなくても好きなのだ。

ドキュメンタリーという題材で、いつかひとつの物語を文章にしたいと思っていた。文才がない私にとってはそれは無理な話。映像ではそれに似たことができるのではないかというのは、先日書いたブログの中の通り、一人の旅人と知り合ってから、一段を熱を帯びてきた。

ビデオはそれまでもそれなりに使ってきた。ただ編集という事がどうやっていいのかわからず、繋がった動画を一度見るだけばかり。そう、二度目をみたいと思えるようなものではなかったのだ。

それが編集という事を知ってから、何度も何度も飽きずに見るようになった。それが見る毎に思い出せるシーンが増えていくので、やめられない。そういえばあの店にはあれが売っていたなとか、あのあたりにルルが出るんだとか、この時火傷して大変だったんだよなとか、それまですっかり忘れていた事が鮮明に頭に浮かんでくる快感は、なかなかやめられない。時には涙さえ出るほどなのだ。

96年には変わってしまった開陽台を、9日間の旅の中で記録し続けた。ひとたび二度と訪れる事はないとまで思った場所に戻ってきたのは、そのビデオ映像の中に理由がしっかりと残っていた。ひとつの建物があるだけで、写っている旅人は何ひとつ変わらなかったのだ。そして彼らの笑顔も偽りではなかった。

時代は流れ、人も入れ代わる。そんな中で私たちがどういう風に過ごしてきたか、ひとつの歴史を刻んできたのかという事は、大した事ではない。事実は私や友人の旅人がそこに居たという事。誰に報告するまでもない、自分の中だけの、自分だけの思いだ。その映像を残すという事は、まさに自分の為。誰にみせるものでもなくてよい。

しかしそのひとつの歴史を、自己満足でよい、何かしら形にしてみたかった。それが映像であり、写真であり、文章だった。それをもしも興味を持ってくれる人が居れば、これほど嬉しい事はない。

そんな自己満足のビデオの中の映像を切り取ってみた。虹別林道をアクセルワイドオープンで駆け抜けるシーンをビデオで撮影したもの。Hi8から2度のダビングを経てmpeg化。それをキャプチャ化したので荒れが目立つ。

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2006年02月16日

閉ざされた家と開かれた家

今日は朝川崎へ。そしてマイクロバスで港北ニュータウンへ移動。普段よりちょっと遅く家を出たので、ラッシュ時にぶつかってしまい、東横線は混んでいた。上りの方が混んでいるのだろうが、下りもそれなりに混んでいる。

1年と少し、川崎に席があった事がある。今は人がいるフロアは減ってしまった。そういえばあのライブドアに捜査がはいった日、社内のメールサーバのデータが押収されたという報道をみていたのだが、そのサーバがあるビルに何か見覚えが。場所は歌舞伎町だという事をきいて、旧大和銀行のビルだという事がわかった。

職安通りに面したその建物は、1階が現歌舞伎町の巨大なドンキホーテになっている場所に昔からあった大和銀行が、ビルを建て直す時に一時臨時の窓口を開設していたはず。新しいビルになって、1、2階が大和銀行だったのだが、経営危険後りそな銀行になる前に、新宿西口の高層ビル街の支店と合併したと記憶している。

なぜそんな事を憶えているかというと、職安通りは今では立派なコリアンシティなのだが、私の中学の通学路だったのだ。ライブドアのサーバールームである建物は当然、私が通学していた時代よりもはるかあとなのだが、地元なので結構通る事があったからだろう。

コンピュータが入っているビルは、窓も全部つぶされているし、人気もあまり感じられない。あやしい雰囲気とでもいうのだろうか。その中には大がかりなサーバがひしめき合って設置され、入退出が厳しく固めらてあったり、巨大な空調が唸り音をあげている事だろう。私はそんな中で仕事をする事が多かった。

外が見えない窓、常に冷え気味という室温、耳鳴りの如く常に聞こえてくる機械の動作音。今では殆どが自分のデスクの上のパソコンで操作や監視ができるようになっているのだが、そうする為にしばらくそのような部屋に通う事になる事がたまにある。私は、その環境が嫌いではない。

今の仕事は学生時代に学んできた知識や技術が関係してくるようなものではない。それこそ農業という分野を学んできた私にとって、畑違いとも言える今の仕事に就いている訳で、だからといってそれなりに給料を貰って仕事をしている自分が事実居るのだ。学生時代の勉学というのは、どの程度役にたっているかというと、あるレベルまでは直接関係はないように思える。

とはいってもエキスパートというレベルに入るには、やはり誰でもという訳にはいかない。私は特に最近そう思うようになった。自分の限界というか、もしこれ以上のレベルを目指すなら、他のものを多く犠牲にしなければならなくなるという事を感じたのだ。

今のままではだめなのはわかっている。もう少し知識を深める為に努力しなければならないだろう。方法はとうとしても、しばらく手を抜いて仕事をしてきたのだが、重くなってしまった腰を浮かせ、少し動かないとならない時期に来ている。いまさらだが、最近しみじみそう思う。

仕事の内容は変わってきているが、知識を深める事はこの職業では常に必要だ。この部分を頑張れば、オフの時の時間の使い方や楽しみの感じ方が変わってくるような気がする。

少しばかり、今のままでよいのかどうかが気になっている今日この頃。機械が詰まっている無機質なビルを見上げて思う。

写真は弟子屈の常宿。センタとはまったく正反対で、窓は大きく明るく、私の憧れの家。カナダのリンダル・シーダー・ホームズのものだ。手前のテントは私の。雨続きで干させて頂いた。

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2006年02月15日

旅とビデオカメラ

旅の写真を撮るのは別に珍しくないものだろう。またビデオでの撮影についても同様だと思う。

ビデオカメラが実家に初めて登場したのは、ソニーのハンディカム初期型だった。兄だったか父だったか忘れたが確かあまりの小ささと綺麗な画像に驚いたものだった。当時、実家で買った最初のビデオカメラはソニーのベータマチックだった。

オーディオに凝っていた兄は、ソニーの評価も低くはなかった。我が家にあったCDデッキはソニーのものであり、それは評判がよいモデルだった。しかし、カセットデッキはナカミチだったり、アンプはプリメインに分かれているオンキョーのインテグラだったりと、詳しい人なら知っている機種が並んでいた。

アナログのレコードプレーヤーだけは納得ができなかったようだが、当時初めての試みという事で、パイオニアが出したリニアトラッキングアームという、レコードの溝に対してカートリッジ(針)のアームが常に同じ角度で当たるように、平行に移動するタイプだった。本当はマイクロのターンテーブルが欲しかったようだが、とてつもなく高かった。

カートリッジはシュアのVMタイプだった。ジャズやロック、ソウルが多かったせいだろう。兄が実家を出て独立してからは、私はMCタイプに変えたのを記憶している。そんな中でソニーはやはり通らなければならないブランドだったのかもしれない。

ハンディカムという商品名称のポータブルビデオカメラは、今も続いている。製品の品質は非常によかった。しかし私はその当時音楽にはまっていたので、あまりビデオカメラを持ち出す事はなかった。

大学時代から始まったバイク旅の世界でも、ビデオは忘れ去られた存在だった。そして仕事に就いてしばらくして、ある一人の旅人に出会う。

彼は首からビデオカメラをさげていた。手で構えるタイプではなく、首からさげ、右手を添えて撮影する変わった形のモデルだった。ソニーとフジがそのような形を出していた。

彼と出会ってしばらくして、彼が撮影してきたビデオを見せて貰った。そこには、なんと旅があったのだ。

旅が凝縮され、その情景や出会い、出来事が詰まっていた。編集により、ダイジェスト映像が高橋幸宏氏の曲にあわせて流れ、1シーンが3秒から10秒位のつなぎ合わせだったのだが、胸に伝わった。そのショックから、私もまねをしてビデオカメラを旅に持っていく事にしたのだった。

ビデオカメラは構えて撮るものだ。しかしレンズを向けられ、構えられると、撮影される側はやはりちょっと普段と違う態度を取ってしまう。しかし、同じタイプという事で首からさげるフジのシンプルハイ8というモデルを購入。構えなくても首からさげて撮影スイッチを入れるだけで、自然な表情や会話が撮れるのだった。

これが面白くて、ツーリングにも持参した。首からさげて撮影すれば、オンボードカメラよろしく、林道を攻めて走るシーンだって撮れる。三脚を使えば、自分が走っているシーンも撮れるのだ。これは面白いと思い、八重山や北海道などの一人旅に持っていくだけでなく、ネパールや雲南などの海外にも持参するようになった。

しばらくして液晶の接続に使われているフレキシブルケーブルが断線して壊れた。修理をしたりしているうちに、ビデオカメラは高性能になっていて、Hi8を1台買い換えたのだが、やはり首からさげるタイプは素晴らしく使い勝手がよく、古いシンプルハイ8を持ち出す事も多々あった。

時代は8ミリカメラからHi8、そしてminiDVへと変わっていく。そんな中で待ちに待ったモデルが登場した。それが今も現役のCanon CV11だ。

実はその前に相当な金額を投資して買ったHi8もCanonだったのだが、これがモーターの走行音やズームの音をマイクが拾ってしまい、静かな朝の風景とかはまったく使い物にならなかった。Canonはこれで失敗を繰り返さずによいものを作ってくるだろう、と思って期待を込めて手を出したのだが、まったく同じ問題でCanonに問い合わせる程腹立たしかったのだ。

Canonは小型の筐体にした事で、マイクがテープの走行音を拾ってしまい、技術的にはこれ以上改善できなかったという回答に、ではソニーはそんな事はハンディカム初期型からこんな問題はなかった事はどう説明するのかと言っても同じだった。

私はこの時Canonへの信用を失った。今では信用は少し回復し、デジタル一眼やコンデジ、プリンタやフラットベッドスキャナがCanonになっているのだが、この事があってからビデオカメラでCanonは二度と買わないと誓っている。

といっても、首にかけられる構造で、コンパクトな筐体は秀逸だ。今でも十分にみられるデザインなのだが、すでに生産中止。このような形をしたビデオカメラは今は存在しない。

先日ディスクドッグ競技を三脚をたてて撮影していた時、撮影開始ボタンが紛失し、撮影ができなくなってしまった。新しいビデオカメラで欲しいものは実はあるのだが、大会の映像を撮るならこれで十分なので、また保険を使って修理する事にした。

キャノンのサービスに持っていくと、今年の11月で部品供給を終了するとの事。最後の修理になるかもしれないので、各部の点検も行って貰う事にした。これにより半年の修理保証が付くらしい。無事帰ってきたCV11は、正常に稼働した。これから携行品の保険金請求をする事になるのだが、免責は3000円。修理費用は部品代が900円強で標準修理の料金が9000円というもの。まあ6000円ちょっと、保険で得した事になる。

私の欲しい新型ビデオカメラは、三脚に載せっぱなしで撮影するにはちょっと適さない。なので、しばらくディスク大会にはこのCV11に頑張って貰いたいと思っている。ボディに内蔵するタイプのバッテリの為、寒い日には稼働時間が5分とかとんでもないものなのだが、直前まで肌にあてて暖めておくと、20分位は撮影できるという手間のかかるビデオなのだが、もうちょっと頑張ってほしいと思う。

前のように旅の動画も撮ってみたい。その場合は、欲しいと思っているパナソニックのSDR-S100を手に入れたいと思っている。

写真は雲南省の麗江のメインストリート。バックには玉龍雪山を望み、私の首にはCanonのCV11がかかっている。修理も完了した事だし、もうしばらく付き合っていくつもりだ。

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2006年02月14日

白い世界の競技

オリンピックウィークにはいったらしく、由がテレビにかじりついている時間が長くなってきた。私もどちらかというと冬季五輪の方が好きだ。スノースポーツがまたよい。私もアルペンははまって結構長い事やっていた。スポーツマンでないくせに、スキーだけは妙にハマったのだ。

私の板はいまだにカービングではない。長い事愛用してきたダイナスターのCOURSE SLはエッジが石でめくれて捨てたのだが、友人からロシの4Gをタダで貰って今もまだある。そう、あのトンバが履いていた硬い板だ。どちらかというとスラロームの戻りがよく軽い板が好きなので、この貰った板も殆ど履いていない。

ブーツも一生懸命ラングにあわせようとしたのだが、どうにもあわず断念。長い事海和敏宏氏を崇拝していて、サロモンのSX92EQUIPEを履いていたが、これというブーツがその後見つからなかった。

スノーシューやクロカンなども楽しいのだが、アルペンでのウェーデルンの楽しさも捨てがたい。ただゲレンデスキーというものがイマイチ魅力を感じなくなってしまい、今ではリフト券を買わなければならないスキーに目が向かなくなってしまった。

久しぶりに滑降、いわゆるダウンヒルをみて、ちょっと昔の血が騒いだ。菅平の宿に泊り掛けでシーズン通して特訓したり、大学時代や今の会社にはいった頃は、毎週末日帰りで群馬のスキー場に通ったりした。寝不足と運転でもうろうとしていたのにもかかわらず、ひたすらリフト1日券が無駄にならないように朝から晩まで滑り通したほどだ。

峰の原や菅平のアイスバーンは髭が剃れるほどにエッジを研ぎたてたり、ホットワクシングを毎月していたりと、そのはまり具合は相当なものだったのだ。

当時基礎スキー全盛の頃で、私は最初に手にいれた板はオガサカだった。そしてユニティ、ニシザワと日本製の板を乗り継ぎ、外国製へと移っていった。今回の競技ではエランがよく目につく。私の好きなダイナスターは見る事ができなかった。そんな事を言っている私は、既に時代から取り残されているのかもしれない。

アルペンは佐々木選手がワールドカップでも表彰台に何度も登っているという話を、朝のJ-WAVEできいていた。今日のダウンヒルは出ないようなのだが、調べてみると20日の競技に出るらしい。是非応援したい。主観が入ってしまうが、スノーボードのハーフパイプの競技をみても何も面白さや凄さを感じなかったのだが、やはりアルペンは冬のオリンピックでも花形的な競技ではないかと思っている。あの凄い速度の中で、人が板だけで挑戦する姿は、美しく、力強く、そして何よりワクワク感がある。

古い写真だが、20年位前の私。ブーツはカベール。しばらくこういう滑りをしていたが、ある年SAJの検定を受けていた友人に、こう揃えてターンするスキーは古いと言われてしまった。

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2006年02月13日

犬仲間との旅

くーが我が家の一員となってから、犬仲間と一緒に旅行にいく事が増えた。泊まりの旅行では、昨年のキャンプや先週末のスノーシューなど。正直、これまでとは別の文化というか、これまでのようにいい加減な予定や内容ではよくないような気がしていた。

現地集合現地解散。途中でもしも合流したら、相手の動きをみてフィールがあえば、一緒にランを楽しむというようなバイクと違って、犬も奥さんも乗っている車であったり、動力性能が圧倒的に差があった場合は、なかなかタイミングがあわないものだ。

学生時代の友人や、会社の友人とどこかにでかけるとすると、なかなかしっくりこずに妙に疲れるというのもあった。犬仲間という人たちはどんな人なのだろうかと少々気になりつつ、探りをいれているという感じだったりする。そう、とても失礼な事なのだが、自分はどういうスタンスで走り、配慮をする必要があるかという事を、手さぐりで感じようとしていたのだ。

しかし蓋をあけてみればろびぽ父さんは元バイク乗りで旅もしていたし、ダイゴ君のパパも今も私と同じエンジンのDR250Rを所有している。HOOVERママは結婚前後になんとグッチのイモラに乗っていたり、HOOVERパパは今もZ1Rをレストア中という強者だ。そう、みんなバイク乗りなのだ。

運転をしていて、心配しすぎてタイミングを失ったり、逆に私がリアにスクリーンを貼って慣れていないせいで、うまく動きが読めなかったりと、反対の立場になりつつある。運がいいというか、何かやっぱり繋がるものがあるのだろうか。犬繋がりだろうと何だろうと、出会う人とは出会うようだ。

これからどんな旅を一緒にするのかわからないが、少なくともろびぽ父さんやHOOVERパパと私はおない歳。世代も一緒な訳で、そんなに心配する事はなかったのかもしれない。犬を介して知り合った訳だが、これからも色々な形でお付き合いできればと思っている。

そんな飼い主たちを知ってか知らずか、犬たちは並べられて写真撮影が終わるまで我慢させられてたまらないといった表情だ。まあ、飼い主の喜ぶ事にたまには前向きに協力してみるのもいいものだよ,
君たち。

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2006年02月12日

那須2日目

朝は6時に携帯の電源が入るので、その音で目がさめた。夜12時すぎに電源を落とすスケジュールが組まれているので、マナーモードになっていないとちょっとうるさい。

くーは由の布団の上で寝ていた。特徴のある耳が掛け布団のラインの上にはっきりと見えた。外はうっすらと明るくなっている。もうちょっと寝ようと試みたが、くーがこちらのベッドの下まできて転がったり、うろうろし始めたりしたので結局起きてストーブに点火し、昨日からセットしておいたポットからお湯でコーヒーを入れた。

テレビではオリンピックの日本人勢の活躍を報じている。今年はメダルがなかなか取れないようだった。

朝は部屋まで朝食が配達されるので、犬も普段どおり飼い主の食事に注目しつつも静かにテーブル脇で眺めていた。ゆっくりと食べ、チェックアウトの10時まで遊ぶ為に片づけをする。由はくーを連れてドッグランに向かい、私は車に我が家の荷物を乗せて出られるようにし、今回の宿泊費を払いに管理棟に立ち寄り、ドッグランで合流。まだ外に誰もきておらず、アジリティのスラロームで練習をしている由とくーだけだった。

しばらくしてダイゴ君やロビ君、ポーちゃんがやってきてディスクやボールで遊んでいると、すぐにチェックアウト時間になってしまった。とりあえず今回キャンセルになってしまった福来ちゃんの所にお土産を買うべく、前回も寄ったチーズガーデンへ。中にある喫茶店で皆でケーキセットで今日のこれからの予定を検討。西那須の方によさげな場所がある事をろびぽ母さんが思い出してくださり、そこへ向かう事にした。

御用邸チーズケーキやワインにあうチーズなどをおのおの買って、次に昨年秋、北軽井沢キャンプの時に軽井沢でソーセージを買った腸詰屋というお店に向かうが冬期休業。仕方なく西那須にある千本松牧場という所に向かった。ここでは気球に乗れたり、ドッグランがあったりして、いわゆるレジャーランドのような所らしい。

北風がとても冷たく強い。外でじっとしているのが厳しいと感じる中、そのレジャーランドを探索。とりあえずお昼をここで食べる事にした。ジンギスカンの食べ放題などがあるが、我が家はラムと豚の石焼きビビンパを頼む。他は鉄板焼きやいろいろ肉関係を頼んでいた。まあそれなりだったが、牛はどこ産のだか書いていなかった。

この千本松牧場という所は、全て細かく利用料金が設定されていた。強風で気球などは営業していなかったが、ドッグランも釣り堀もバスケットボールのゴールでさえ、全てお金を取るらしい。仕方なく近くによさげな公園である那須野が原公園をこれまたろびぽ父さんが見つけてくれたので、そこに移動。巨大な公園でのびのびと犬たちを遊ばせる事ができた。ここでHOOVERママさんとパパさんが、次回の小金井公園でのNDAディスクドッグ大会にデビューすべく、特訓を行っていた。

その後は宇都宮餃子を食べて帰るというろびぽ家に便乗し、宇都宮経由で帰宅。HOOVER家、ダイゴ家とは那須野が原公園の駐車場で別れ、皆無事帰宅した。

今回スノーシューは3時間弱、それもトレックというよりは雪遊びだけだったが、それなりに楽しめた。ただ参加した皆はどんな感じだったろうか。ガイドのような事が私ができれば、木々や足跡などを説明できたのだが、あまり余裕がなかった。

今シーズンもう1度くらいスノーシューがしたい。来月予定している北海道は別にして、3月下旬あたりに雪を求めてでかけようかと相談中だ。

那須のこのエリアのよい所は、土日でも人気がない事。やはり混んでいると興ざめしてしまう。温泉もよいし、那須にはまた来たい。

写真は那須の森の中の、ろびぽ父さんとロビ君。

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2006年02月11日

那須1日目

今日から2日間、那須にでかける。

朝4時起床、紙コップ10杯分の沸騰したお湯を普段会社で使っている保温ポットに入れる。そして紅茶用とコーヒー用に私と由が昔使っていた小型のポットにいれ、小型のリュックにいれる。そして着替えが入っているバッグとカメラバック、ナビなどを車に積み、予定よりちょっと早くの5時10分に出発した。

首都高を経由し、東北道浦和料金所を5時50分に通過。蓮田SAに6時すぎに到着した。ここで他のメンバーと待ち合わせになるのだが、ここは妙に狭い。SAとは言葉ばかりで車はあふれ、クラクションの音がよく聞こえる。なんとか移動しながら駐車スペースを確保。

最近SAやPAにも単なる売店ではなく、コンビニのような店舗が入っている事もあるようだ。ようだ、というのは、普段めったにSAには立ち寄らず、一気に走り抜けてしまうからだ。久しぶりに何があるのか見回ってみると、サンドイッチやオニギリなどが売られていた。しかしなんとも不味そうなものしかない。選べないから仕方なくというのではなく、ちゃんとコンビニのテナントをいれ、おいしいものを提供すればよいのに。どこかでまた道路公団(今は民営化されたが)と業者との癒着があるのではと疑ってしまう。もっと地元の名産だっていい。地元のおばあちゃんの手作りオニギリなんか最高なのだが…

ちょっとだけ買って車に戻って食べていると、ろびぽ父さんが歩いてきた。どうやら私たちよりも前に到着しており、オリンピックの開会式を車のナビをテレビにして見ていたとの事。そしてもう一組親戚犬のダイゴ君の所ももっと前に到着し、仮眠中だったらしい。しばらくしていると集合時間よりも30分早くにHOOVER君の一家も登場、黒磯PAで再度集まる事で、移動開始。ETC&6時前に浦和料金所を通過した3組は一旦鹿沼ICで乗りなおし、無事再会。那須ICで降りた。

途中コンビニに寄りつつ、思いの外下界は雪がなかったのだが、寒そうだ。ボルケーノハイウェイの料金所前から雪が突然出てきて、料金所のおじさんに聴くとこの先はチェーンが必要という。仕方なくHOOVER家のブレイザーがノーマルタイヤなのでチェーンを巻く。あとの3台はスタッドレスなのでそのまま。しばらく走るとこれはノーチェーンでは無理という道があったのだが、すぐに目的地に到着した。

ホテルは2年前と変わっていなかった。フロントにスノーシューレンタルの事を聴くと、既にしっかり用意して頂いていた。前回は2人で平日にやってきたので、人気もなかったが、今日は流石に土曜だけあって車も多く、お客さんの姿もみられる。料金を払い、皆装備を確認したあと、ちょっと下った町営駐車場まで車で移動。足跡もまったくない那須自然研究路に入っていく。

冬期、それも積雪期なのでてっきりリボンが木々に結ばれていると思っていたが、さっぱりない。まあきっと4家族と5匹の犬なので、最後まで歩けないだろうと思いつつ、適当に入り込む。足跡がないルートは楽しい。どこをどう歩いてもよいのだから。雪の量は多めで、スノーシューでは問題なく歩きまわれる固さだった。

少し上り気味のルートを歩いていったのだが、その先もずっと上りだったので、一旦戻って谷を越え、少し広くなっている方向に進んでいくと、なだらかなアップダウンのある森の中だった。そこですぐに遊び始めた。

犬たちはもう狂ったように雪をラッセルしつつ、走り回る。撮影大会と既に汗をかいてしまった飼い主は一服とお茶、ビールタイムになった。私は背負っていた紅茶はコーヒー、お湯などを広げたあとはずっと写真を撮っていたのだが、紙コップを忘れてしまった。大失敗。いれたつもりだったのだが、衣類のバッグの方に入っていたようだ。

犬たちは思い思いの遊びをしていた。殆どがディスク競技をしている位なので、雪玉を投げると皆で追い始める。雪をガツガツ食べて走り回っている。楽しそうな表情だが、足はやはり冷たいのだろうか。前回も3時間位ひたすら走り回っていたくー。ロビ君やダイゴ君も一緒になって雪の上を走り回っていた。ポーちゃんもたまに動きが激しくなったのだが、基本的にはいつも通りマイペースでまったりと歩きまわっている。HOOVER君が一番冷たいのが苦手らしく、途中で余り動かなくなってしまい、駐車場に引き返す事になった。

しばらく遊びまわったらあっという間に13時近くになってしまう。記念写真などを撮り、スノーシューレンタルをしてくれたホテルに戻り、展望風呂で汗ばんだり冷えたりした体をゆっくりと伸ばす。露天が気持ちよい。雪見の温泉は大好きだ。

随分遅くなってしまったが、昼食に山を下る。駐車場のおじさんがもう下るならチェーンは不要だと教えてくれたので、ここで外していく。下っていくと我が家が好きな温泉、鹿の湯が見えた。土曜だから車もいっぱいなのが見えた。これではゆっくり入れなかっただろう。

今回同行するはずだった福来ちゃんが体調を崩して不参加になってしまったのだが、福来ちゃんの飼い主のあゆふくさんが調べてくれた犬連れでも入れるレストランに向かった。宿まですぐの立地なのだが、ドッグランもあるという。一緒に食事ができるのは嬉しい。那須はこういう店が結構あるようだ。

何にもなさそうな所にそのレストランはあった。ドッグランで席をあけてもらうまで待つ事にした。しかしドッグランとはいえ、砂利が敷きつめられている関係で、犬にとってあまり足にはよくない。芝ならいいのだが…でも建物も食事も接待もなかなかよく、快適に過ごす事ができた。

ちょっと遅い夕食。あと4時間後位にはどどんと蟹じゃぶ鍋が食べきれない程出てくるはずなのだ。しかしおなかが空いている欲求には負けて、由はハンバーグ、私は鳥のから揚げネギソースがけを頼んでしっかり食べてしまった。米は五穀米で、いろいろ素材にも気をつかっているらしい。こういうレストランで生活していけるなら、そういう生活もいいかもしれないとふと思ったりした。満員になる事もないだろうし、料理は嫌いではないし。ただきっと平日はガラガラなのだろうなと思う。

犬たちは雪あそびで疲れたのか、くー意外はみな伏せていたり、横になって眠ったりしていた。くーはあまり落ち着かず、でも吠える事もなく由の足元をしばらくうろうろしていたが、食事をしているうちにやっと眠くなったようだった。

夕方、16時を少しまわったあたりで宿に向かう。宿にも大きいドッグランがあるので、チェックインを早めにし、食事までゆっくりしたいとおもっていた。2年前に来た時、やはり時間が余ったのでいろいろうろついたルートを覚えており、ナビでは案内してくれない細い裏道から宿に辿り着いた。

宿では4棟のコテージを借り、それぞれの家族がそこに入る。食事は犬も一緒に取れるようにと、どこかひとつのコテージに集まり、そこでワイワイと食べようという話になった。どこでやるか決めかねていると、HOOVERママさんがうちでと仰ってくださり、甘えさせて頂く。我が家はテーブルだけを持参し、鍋2つに8人が囲む形になった。

蟹は日本海から直送されてくるものらしい。2年前は2人で結構な量だった。私は蟹があまり好きではないのだが、ここの鍋はなかなかおいしくて、ひたすら蟹を食べていた。今回も皆、量も味も比較的満足できていたようで、この宿を選んだ私としてはちょっとほっとした。まあB&Bとかで外で料理を食べても、それなりに値段は張るし、犬可の宿でも犬1匹につきいくら、というオプション価格を含むと結構な額になってしまうので、気兼ねなく犬と一緒ん1泊できるという意味では嫌いではない。

皆で色々な犬の話。スノーシューやカメラの話、ディスクの話も出た。オリンピックがテレビで流れ、今日撮影した写真をノートパソコンでスライドショーをしたりしつつ、過ごした。犬たちも蟹や鍋のおいしい匂いにたまらなかったようで、蟹の殻を入れた袋に鼻を突っ込んだり、うろうろと徘徊したり落ち着かなかったようだ。ロビ君とポーちゃんだけは部屋の中でお留守番させられていたようで、ちょっと可哀相だったが、父さんと母さんが一緒の部屋で寝るので、夜はきっとぐっすり眠れた事だろう。

ただ夜は結構冷え込んで、灯油ファンヒーターがついてないととんでもなく寒かった。我が家も考えたが喉を心配して、寝ている間は停止させたのだが、鼻の頭が冷たかった。まるでキャンプしているような夜だった。

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2006年02月10日

コンデジ活躍の場

昨年、北海道に行く前に1台のコンパクトデジカメ(通称コンデジ)を買った。もう1台、我が家にはやはり私が選んだ由の散歩用カメラ、CanonのIXY50があるのだが、サイズは殆ど同じコンデジをなぜ、あらためて買ったのかという事には、理由が当然ある。

北海道で何をするかいろいろ考えていたのだが、その中でぜひやりたかったというのが釧路川の源流域をカヌーで下るという事。それも由とくーと共にだ。私は以前下った事があるのだが、由も、そしてくーも初めての川下り。

そして当然それを撮影したいと思うのだが、デジタル一眼を川に落とす訳にはいかない。カヌーというものは沈(チン。沈むという意味。)して当然という乗り物でもあるので、さすがに水没は避けたい。しかし写真は撮りたいというのもあり、防水に対応できるデジカメが欲しかったのだ。

IXY50にも防水パッケージというものがあるのだが、パッケージだけで1万以上、それも一まわりも二まわりも大きくなり、防水性もそんなに高いものではない。結露する可能性だってある訳で、苦労して持っていって撮影できませんでした、という可能性も否めない。

そんな時、標準で防水機能をもったデジカメで、かつ性能もそこそこよいモデルが発表されていた。ネットの記事でいろいろ調べていて知っていたのだが、やはり防水のコンデジを首からさげ、一眼は防水バックに入れて休憩ポイントで使おうという事を考えたのだった。

屈斜路湖畔で、釧路川の流れ出しの近くにショップを構える友人に相談した上で、半日つきあって貰う事にした。また丁度道東に来ていた古い友人も1人加わり、カナディアン2隻に分散して下りながら写真を撮ろうという事にしてもらった。私と由&くーはそれぞれ前に乗らせて貰う事になった。

由とくーのフネには後ろにショップオーナーの友人が乗ってもらう。彼とも長い付き合いで、出会いは開陽台に集う旅人の一人だった。彼は長期滞在のキャンパーだったのだが、今ではこの地に腰を下ろし、奥さんと犬と共に暮らしている。彼なら心配材料はまったくない。由とくーは前に乗っているだけでよいのだ。

私が乗るフネの後ろには、これまた開陽台つながりの旅人。子供が3人もいるのだが、この夏は一人で旅に出てきたようだ。カヌーに乗りたかったのもあって、協力して貰った。アリーのフォールディングを持っているようなので、カナディアンのパドルワークは経験があるので、私のようにダブルパドルしかまともに操作できないよりも頼もしい。

屈斜路湖から漕ぎだし、湖畔を走る道の橋の下をくぐって釧路川に入った。ここからしばらくは鬱蒼とした源流域で、左右に人のあるける道もなく、パドルが川面をたたく音しかしない。くーはしばらく光る川面を歩けると思っていたのかじっとしていなかったが、しばらくするとおとなしくフネからの風景を眺めていた。まあ野鳥の宝庫なので、その声がする方が気になって仕方がなかったようなのだが…

防水カメラは実際にストラップを手首にまわし、川面から下に沈ませて撮ったりする事ができた。しかしなかなかうまく撮れない。日差しが鬱蒼とした森に遮られているせいもあるが、なかなか雰囲気がある写真が撮れたのは数枚だった。しかし、安心してこういう遊びに持ち出せるコンデジという事でいえば、なかなか買った価値があるというものだ。

防水機能は防水だけにあきたらず、レンズも沈胴しないのでスイッチオンでの速写性もある。そしてバッテリパックやメモリカードを保護するパッキンのおかげで、細かいほこりが入りにくく、アウトドアでの利用にはなかなか優れているものでもある。

メーカーはペンタックス。そう、私のカメラライフの最初のメーカーだ。PENTAX MXは名機なのだが、このコンデジはその時の雰囲気はまったくなく、個性はそれほどない。しかし、この使い勝手のよさから、由は普段の散歩にもこのカメラを持ち歩くようになったようだ。

コンデジは日々進化している。用途や撮りたいシーンにあわせて、カメラを代えるのはよいと思うが、あまり大きなものだと持っていくだけで疲れてしまうし、壊す危険もある。そんな中、コンセプトがはっきりしている、この防水カメラというものは今後ももっと機能をあげて伸びていって欲しい。

旅先で撮影するのは、なかなか厳しい環境もあるのだから…

写真は釧路川を下る前の艇の由とくーと友人。私は後ろをいく艇から手を伸ばし、川面ギリギリから撮ったもの。

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2006年02月09日

望遠ズームレンズが主役

ズームレンズは昔から好きだった。好きというか、結局シャッターチャンスを逃したくないからこそ、アングルを決める時に戸惑わない為というと言い方がよいのだが、横着とも言う。当然ズームになるとレンズは暗くなる訳で、その分設定でごまかす事になる。

最近の一眼レフはみんなズームが標準だと思う。知り合いのプロカメラマンはズームは一切使わないのだが、やはりそこはアマチュアと自認している私、ズームでいかによい写真を撮るかがテーマなのだからそれはそれでよい。

プロはバイクに機材を乗せる場合も、車に機材を乗せる場合も、それなりにレンズなどを複数持っていく。そこでズームは大きな威力を発揮すると思うのだが、プロの中にはズームを仕事には使わない。確かに私なんかとはまったく比べ物にならない素晴らしい写真を、ミスなくそれこそ余分に撮る事もなく、1ショットで仕留める事ができる。これはちょっと凄い事なのだ。プロはやっぱり違う。

私としては、普段は標準ズームで17-85mm。さて写真撮るぞ、という気分になると、70-300mmに切り換える。APS-Cの素子なので、殆ど望遠のみという画角になる。犬を撮る時はこれが一番しっくりくる画角だと私は感じている。まあディスクドッグの写真を撮る時は、これにテレコンを付けたい位なのだが、まあ撮影位置を調整する事で、この望遠ズーム1本でいつも撮影する。

以前使っていた90-300mmのズームも、安くてよいレンズだった。Canonを使うようになって、超音波モーターがレンズ内に内蔵されていてくれるおかげで、フォーカス速度も早く、静かに被写体を追える。何度かS社かT社のサードパーティレンズを使おうと思って店頭で試してみたが、実際に使ってみるとやっぱりダメなのだ。音もうるさいし、フォーカス速度もやはりちょっと遅い。まあ高価なモデルになると超音波モーターがレンズ内に入っているのもあるのだが、それならCanonの純正とかわらない値段になる。

Canonは私がカメラにハマっていた中学生時代は、ゴツく重く、そしてNikonの次というブランドイメージが大きく、まさか私がすべてCanonに装備を変えるとは自分でも思っていなかった。今テレビなどでスポーツやニュースなどで報道されているシーンでみかけるカメラの殆どはやはりCanonなのだ。

私は知らない世界では、知り合いのプロカメラマンも、ずっとNikonでやってきてある時期、ガラっとCanonに変えてしまったのだが、プロ向けのサービスもCanonはしっかりしていると言う事らしい。仕事で機材を使っている人にとって、サービスがしっかりしている部分は大きい。

そのカメラは当然、犬どころかオリンピックやスポーツの写真を撮る場面でも多く使われている訳で、犬を撮る為の機材としても満足できるものだという事がわかる。

折角ちょっと奮発して広角系の標準ズームを買ったのだが、実はあまり使っていない。私が撮りたいものは、望遠ズームが満足させてくれるだろう。そう、私は単集点よりも、ズームをつかってよい写真を撮りたいと思っている。

望遠を有効利用して撮った写真。よだれが飛び散るキャッチの一瞬。

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2006年02月08日

くーがやってきた日

昨年末3歳を無事迎える事ができた我が愛娘、くー。3年前の今日、我が家にやってきた記念日だ。

犬を飼うなんて、これっぽっちも思っていなかった。私は6歳からの喘息だし、子供の頃は犬や猫の毛もアレルゲンとして陽性反応が出ていた。他にもソバガラやハウスダスト、家ダニなども陽性だったのだが、長い間かけて減感作療法で陽性アレルゲンはハウスダストと家ダニにまで減ったのだが、長く辛い治療の日々は、毎週土曜の病院通いとして高校時代まで続いた。

親しい旅仲間がいきなりキャンパーの集いで小さい犬を連れてきたのがそもそもの始まりだった。由は犬が大好きで、いつか飼いたいと思っていたらしい。私はまったくそんな事は知らなかったのだが、その犬はポメラニアンといい、その時既に有名だった某CMのチワワ、くぅ~ちゃん同様、小型犬しか現実的には無理だろう。

旅に出る事も多いので、生き物を飼う事自体、旅ができなくなる事だった。預ける事もできるのだろうが、責任を持って飼うのであれば、できるだけ一緒に過ごす方が自然だ。そしてその友人は「どっか行く時は預かるよ」と言い、由は妙に乗り気だった。

その後、犬を飼うという気持ちが冗談ではなかった事を知る訳だが、一応定期通院している担当医に犬を飼う事はできるかどうかという相談をしてみた。答えは予想通り、ノー。できるなら飼わない方がよいという回答だった。犬が直接原因にならなくても、埃などの発生度合いが変わり、今まで大丈夫だった環境でも発作が起こる可能性があるという。それはそうだろう。よく分かる。

しかしその時既に犬を飼う事を決めていた。そして問題は犬種。何を飼うかだ。

我が家はマンション。それも2LDKという間取りではあるが、収納スペースも殆どなく、一部屋単位が小さい。登記簿の敷地面積をみると、とても2LDKのサイズではない。そして玄関までと家の中に階段があるので、飼える犬はやはり小型犬が限界だろうという事は私と由の話の中で最低条件となっていった。

私たちの住んでいるマンションには先住犬がいる。トライのコーギーと、真っ白のビジョン・フリーゼだ。他には猫を飼っている家がある。これまでも大きな問題はないので、犬を飼う事自体は問題なさそうだ。そして私がなぜかこのトライのコーギーが気に入ってしまった。犬の中にこんな愛嬌があって表情が豊かな犬種がいるのかと驚いたのが私の正直な印象だった。短い足、長いからだ、そして大きい立ち耳、嬉しさを満面の笑みで表し、とびついてくる所に、正直この犬種しかいないと思っていた。

しかし、尻尾がない。犬や猫は尻尾が重要で、特に気持ちを表現するという事では尻尾以上素直な場所はない。てっきり尻尾がない犬種だと思っていたのだが、犬について学んでいくうちに、断尾という行為を知った。

そんなある日、私たちは断尾しないブリーダーをみつけ、コンタクトを取った。生まれたばかりの小犬が5匹その時いたのだが、1匹は亡くなってしまった。そして次に生まれる予定になっている子について、生まれたら連絡を貰うようにその場で頼んでしまったのだった。

生まれた翌日、殆ど何が何だかわからない5匹が並んだ写真がメールで送られてきた。由とそのメールと写真をみながら、2匹まで絞った。この時点では当然知るよしもなかったが、それはくーと福来ちゃんだったのだ。我が家はコーギーはレッド・ホワイトで、ブレーズが通っている子に惹かれ、結局協議の結果くーを迎えたいとブリーダーに返事をした。ブリーダーから写真が送られてきた2時間あとの事だった。

そして我が家はその日から始めて犬を飼う事で、事前に何を用意すべきかを学んだ。部屋の改装をし、くーの居場所を造り、クレートやシーツ、水さしなど色々なものを用意した。そして1日でも早く会いたいという事で、1カ月は免疫面から人と会わせないという事だったので1か月後の1月10日に雪と氷に包まれた会津若松市まで車を走らせたのだった。

そして生まれた5匹は2か月後にそれぞれの過程に分譲されていった。我が家は3年前の2月8日に再度、雪の会津若松市まで走り、帰りはストレスが少ないようにと高速を乗り継いで帰ってきた。くーはなんだか面倒臭そうな表情をしながら、買ったばかりのクレートの中や由の膝の上で、寝ないでうごめいていた。

この時分譲された人たちと連絡をとりたいと思い、掲示板でメールアドレスを知らせてほしいと頼んだ所、運良く5匹とも連絡先がわかり、子育てに悩む事も多いと思い、専用の掲示板を作って情報交換をした。結果的に分譲後、実際に再会を果たしたのは3匹。そして当時連絡は取れたのだが、今は連絡がとれなくなってしまったのが2匹となった。また同じ犬舎出身の親戚さんは、3人と連絡が取れており、親しくさせて頂いている。

その中で一番よく会っているのはやはり福来ちゃんだろう。トライカラーのブラックヘッドでフラフィーという特徴のある姿は、お洒落な飼い主さんと東京都内で暮らしている関係や、ディスク競技に参加している事もあり、非常によく会う。くーと福来ちゃんは女の子なので、仲はよくないのだが、最近は少し諦めたようで並んでくれるようにもなってきた。ちょっと運命が変われば、福来ちゃんが我が家にきたかもしれないのだが、これもまた縁。

我が家にやってきた夜は、3時間おきに排泄を知らせる夜泣きで寝かせて貰えなかった。とんでもなく大変なものを抱え込んでしまったのではないかと正直怯えたのだが、今こうして苦労したパピー時代を越え、くーが我が家に来て本当によかったと思っている。

写真はくーがやってきた日の翌日の姿。おなかがパンパンだ。まだ3年、もう3年。

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2006年02月07日

いかに一瞬を切り取るか

最近ちょっと眼からウロコというか、デジタル一眼を使いはじめて2年、これまで犬を撮る為に試行錯誤してきた私は、カメラがもっている機能の有効利用が少し見えてきたような気がしている。

14歳頃から20年間は一眼レフといってもフォーカスから露出まですべてマニュアル機だった訳で、結局色々な機能があるデジタル一眼レフの中で、恩恵を受けていたのはAFくらいだった。撮影もプログラムでシャッター速度をあげ、飛び上がりながらディスクをキャッチするくーの一瞬を切り取りたかった。また被写界深度を浅くし、絞り優先で撮ったりもしていたが、その場合AFポイントがなかなか定まらない。

もともと車を撮る事などで流し撮りなどを小さい頃からやっていたせいか、結構犬をファインダーのまん中に納める事は得意かもしれない。少々ズレる事もあるが、フレームアウトしている場合はあきらかに自分がミスをしていたというのを認められる場合だけであり、ミスといえばフォーカスがあっていないものが殆どだった。

そう、あとはフォーカス。これさえ自分のものにすれば、被写界深度をコントロールして、美しい動きの一瞬を捕らえた作品を撮る事ができる。ディスクドッグ競技に出るようになって、それがずっと課題だっただけに、このテクニックを身につけたいと思っていた。

そんな中ずっとしっくりこなかったのだが、AFモードとフォーカスポイントの設定で、非常に有効な設定をみつけた。それがこの写真。もうしばらくこの設定で色々試してみて、自分のものにしていきたい。

写真はダイナミックなジャンピングキャッチをみせるジャスティ君。スローをするのは美人飼い主、じゃすままさんだ。

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2006年02月06日

仕事の為に横浜へ

久しぶりに横浜に仕事に向かう。

港北ニュータウンの中に位置する目的地に向かうには、渋谷・あざみ野経由で行く事になるのだが、やはり遠いと感じるのは駅から目的地まで徒歩20分弱かかるからだ。電車に乗っている時間だけなら、実はあまりお台場と変わらない。果てし無く何もない住宅や畑がある道を歩くのだが、途中にコンビニが1件だけしかない。

昼は食事をする場所がもっと限られる。ファミレスが2件、マクドナルドが1件、カレー屋が1件という感じで、なかなか食費がバカにならない。駅まで行けばいろいろあるのだが、往復30分以上かけていたら食事をする時間がなくなってしまう。

今月は週に1~2度くらいの頻度でここに出向き、システム構築作業とその関連の雑用をするのだが、具体的にはとある事業所から3台のサーバを移設と同時に再構築を行うので、半分は体力仕事になる。

部下に殆どの作業をさせるのだが、結局手を出さなければならない部分は少なくない。私も久しぶりにシステム構築をするので、ボケを多くかましてしまう。しかし、やっぱりこのあたりの作業は一人でやりたいものだ。

今の仕事について3年は、もっと大きいコンピュータを扱っており、取説明書というよりは、専門的なマニュアルだけが頼りだった。1年目まではOJTとして先輩についていろいろやるのだが、しばらくすると先輩はいなくなり、私一人に。それでなくてもまったく別の専攻をしてきた学生時代からすれば宇宙語を読んで理解し、設定していかねばならない。

その時顧客先は女性が4人ほど、チーフが男性で1人、そして管理職が2人という小さい職場だった。とある金融系の企業のシステム部門で、女性は1人を覗いて殆ど事務作業。実質システムの話が少しできるのが、チーフと女性1人だけだった。

その後、他の顧客先にも行く事で、いろいろなパターンがあったのだが、どこにいっても私はプロとしてみられていた。そう、新入社員でもだ。

実際そういうのは珍しくない。今でも新人として入社してくる子は3か月もすれば配属され、名刺も渡され、何かしら仕事をさせられる。配属された職場にもよるのだが、いきなりハイレベルな業務を任されるもの、半年は文書作成だけさせられるもの、忙しい職場では本だけ渡されてひたすら読まされるものなど、いろいろいる。

特にエンジニアの仕事はやはりすぐに無茶なといわれるほどの作業を任され、苦しんでいるものは伸びる。ただその苦しみ方が上司の怠慢や企業が顧客へ提供するサービスという認識が甘い場合は別で、すべてその社員一人に任せっぱなしになってしまう。言葉が悪いが、これは単に放置といっても過言ではない。そして何とかそれをこなすと、まったく関知していなかった上司が自分の成果としてもっと上に報告するだけだ。苦労して何とかこなした社員へは何もバックがなく、あえていえば自分の技術レベルが向上すればそれが報酬となる。

エンジニアにもいろいろ種類があって、私のように営業のような事から実際にシステム構築、保守、運用などをやってきている何でも屋もいれば、決まったマニュアルにしたがってオペレーションをするオペレーターのような業務もある。横浜は主にこの後者が運用している場所なのだ。

昼も夜も関係なくシフトを組んで業務を行う事は、具体的に成果がなく、決められた事をきっちりとするだけ。余計な事もしてはならないのだから、きっと担当者はたまったものじゃないだろう。しかしそういうビジネスが一番安定しているのかもしれない。

今月は断続的にこの建屋の中にあるマシンの作業をする予定だ。ちょっとだけ体力仕事もあるが、遠いので早く帰りたい。

写真は職場の近く、お台場の風景。コンテナターミナルには海外からの船が横付けされている。上空には羽田に着陸する直前の飛行機が通る。

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2006年02月05日

今日も犬仲間オフ

今日はお昼すぎから犬仲間が大田区の平和島公園に集まるというのでお出掛け。昨日傷をつけてしまったロッキーが気になりつつ、今日は慌てず余裕をもって出かけた。

しかし突然トラブル。ウィンカーがまったく点かない。そういえば昨日リレーから異音が出ていたので気になっていたのだが、いきなり沈黙するとは…裏道に入ったがウィンカーが出せずに手信号で2度曲がった。その先にはガソリンスタンドがあるので、そこでリレーがないか訊こうと思ったからだ。

ダイハツに行くには池袋まで走らなければならない。悩んでいると、ハザードが点くかをまず試してみた。すると点く。違うリレーを使っているのだろうかと思うが、その後なぜかウィンカーの機能は復活。無事平和島方面に向かう事ができた。

この車は既に11.5年が経っているので、もうそろそろ色々な所にガタが来るのだろう。でもリレーがいきなり逝くのは困る。予備リレーを買っておくべきか、交換しておくべきかなどを考え悩む。

平和島公園に到着する前に、青物横町駅前のKFCで皆で食べられるチキンを買う。そして駐車場に到着すると、ろびぽ父さんが駐車場にやってきた。既にHOOVERママさんとろびぽ家は到着し、ディスクで遊んでいるそうだ。合流しようとするが、トイレや水飲み場がカチカチに凍っていた。そういえばラジオでは横浜市の某所では今朝うっすらと雪が積もったらしい。昨日は三宅島では雪が結構降ったらしいし、冷え込みはまた厳しくなってしまったようだ。

平和島公園にはキャンプエリアがある。前回来たのは昨年夏、北海道に旅立つ朝、飛行機に乗る前くーに少し運動させる為に立ち寄った時にここも来たのだが、その時にも居たホームレスが今日も一人で炊事場を我が物顔で使っていた。結局この日も最後まで遠慮する事なく、我々はそのホームレスを避けて集まる事しかできなかった。

彼らは当然という態度で公共の施設を占有する。大阪でホームレスが立ち退きになったというが、そんなのは当然の事だと私は思う。保護するとか援助するとかそういうのではない。公共の場所なのに遠慮という態度はこれっぽっちもないわけで、そんなのが何で優遇されなければならないのかさっぱりわからない。偽善的な言葉を並べても、これまで私が子供の頃からみてきた新宿での彼らの行動や言動には、私は聞く耳を持てない。今もバス停を占有されていたり、ゴミを道路に投げたりとこんな連中の為に何かしてやる必要はまったくないとしか思えない。

今日は九州からお仕事で東京に来られていたムート君とサージュちゃんの飼い主さんを迎える為に集まったのだが、総勢8匹のコーギーとその家族がお昼から夕方日が暮れる前までデイキャンプを楽しんだ。犬たちもそれぞれ楽しめた事だろう。思いのほか日中は寒くなくて楽しめた。

夕食を取って、帰ってきて風呂に入り、1日が終わった。あっという間の週末だった。

写真は姉妹犬の福来ちゃん。同胎犬なのだが、ブラックヘッドのトライカラーで、フラフィーという特徴から、ぜんぜん違うように見える。

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2006年02月04日

立春の冷え込み

異様に寒い。寒くなるときいていたが、これでもかという程の冷え込みだ。新宿へ向かうバスの中できいたラジオからは、朝8時の段階でも都心は氷点下だったそうだ。

今日は朝から定期通院の為に病院へ行くので出かけたのだが、小走りに体を暖めながら向かっても手や顔が痛い程だった。

病院は2か月の間にレイアウトが変わっていて、これまで内科だった所が1セクションひろがり、そのひろがった所に私の通う呼吸器担当が移動していた。これまでアレルギー外来が1人だったのだが、診察室だけで呼吸器専門として3つに増えている。最近子供の喘息率が高いときいているせいだろうか。私はもう人生の殆どを喘息と共にしているのだが、やはり発作が起きない日も肺をはじめ色々な所が健常な人と違うので、難儀だ。

小田急ハルクがまだ開いていない時間に終わってしまったので、一旦自宅近くにバスで戻る。そしてスーパーで昼食を買って戻り、13時から予定している新しいしつけ教室に行く為に早めに取った。

しつけ教室には12時40分ころ到着したのだが、駐車場が今日は2台分しかなく、1台は埋まっており、1台は立体でロッキーが入るかどうかわからない。すったもんだしてロッキーが余裕で入る事がわかり入れたのだが、あとで大変な事になってしまう。

教室では5組の生徒いた。くーは由が最近なんとかしたいと思っている「吠え」について先生は既に前回のカウンセリングで伝えてあるので、期待よりも不安一杯で教室に望んだ訳ですが、予想通りというか最初は静かにしていたものの途中からもう気に入らないやら始めての場所で緊張しているのやら、吠えが停まらなくなってしまった。

しつけ教室のメニューはもう散々やってきた事なのだが、復習のつもりでと思っていたが、コマンドは効くのだがなかなか持続しない。由はグループレッスンにずっと通いたかった理由がこれだったのだ。パピークラス後は個人レッスンになり、他の犬がいない所では別な吠えがあったのだが、やはり色々な条件下でやらなければ意味がない。くーはそれでなくても気も自己主張も強い子なので、最近そういうトレーニングはしていなかった。

由は競技一辺倒ではなく、通常の生活でも支障のない社交性を持ってほしいと思っている。私が散歩させる時もあまり人がいない時間帯を選んで散歩したり、交流させたりする事が面倒なので避けてしまうのだが、家庭犬というのはそうではいけないのだ。現実には多くの人が散歩させる時に犬同士をあわせて交流させる事をしていないのではないだろうか。それは飼い主の都合でもあるのだ。

パピークラスの頃に学んだ事で、犬同士の上下関係やどの程度じゃれる事で犬社会でやっていけるように判断するのかという事だった。多くの飼われている犬たちは、犬同士がリードをはずしてとっくみあったり、相手を甘噛みする中で関係を学んで行く。パピー期間にそれをしていない子は、当然一生そういう遊びができないし、突然そういうシュチュエイションになった時に怪我をさせたり、自分もする事になる。この生後数カ月の犬たちが集まるグループレッスンはとても勉強になった。

年齢に応じたカリキュラムがあるのは当然であり、それぞれの犬たちが生活してきた環境では、当然性格も含めて突出してくる部分は違う。誰でもお金を出したり、飼う気になれば犬を飼える訳で、あとはどういう風にその子と生活していくか、人間の子供が親がいない環境で友達関係や先輩関係を作っていく学校があるように、犬にも学び、経験させ、どんな場所でも飼い主との主従関係やコントロールが効くようにする事ができる事で、行動範囲も広くなり、犬と一緒に楽しむフィールドが増える訳だ。

しつけ教室にも、しつけの先生にも色々ある訳で、その中で自分が納得できる先生や教室と出会える事はなかなか難しい。口コミや友人からの紹介で今まで2箇所の教室に通ってきたわけだが、やはりそういう情報交換できる飼い主さんと出会えたり、仲良くできるのも、外に出て一緒に遊ぶ事からでないと無理なのだから。

しばらく由は通う気マンマンだ。ディスクの競技だけでなく、旅行も近場へ出かける事もあるのだから、基本に戻って一緒に通おうと思う。

問題は駐車場が少ない事だ。今日は結果的に車に傷をつけられてしまい、ショックな日でもあった…

写真はくーが生後5か月から参加したパピークラスでの1シーン。相手の黒ラブはどんどん大きくなっていったが、くーのサイズはあまり変わらなかった。今でもゴールデンや体が5倍以上ある体格があっても、気が合えばこうやって遊ぶ事ができる。

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2006年02月03日

おかえり、パソコン

パソコンが帰ってきた

昨年末、昨年8月に買い換えた由のメインPCのファンコントロールが効かなくなり、ブート後にファンの回転数がさがらず、騒がしくなってしまった。

電源ファンはPCの電源投入後、一旦フル回転させ、すぐに回転数が抑えられ、BIOSからOSに制御が渡されるのだが、回転数がさがらない。とてもじゃないが長時間使っていられない。

自作PCはこれまでも数台構築し、私のメインPCは今も自作機である。由が使うPCはまめに電源を落としたりしないので、メーカー品の方が熱対策や静音対策、そして保障がそれなりにしっかりしているので、これまでDOS/V機では富士通製が1台、ソニー製が2台と買い換えてきた。

メーカー固有のハード仕様や、プレインストールソフトがうっとうしく、そんな中で保障の付くBTOのPCが値段的にも機能的にも一番目指すものに近いのではないかと思うようになってきた。そして調べたあげく、Shuttle製のベアボーンをベースにしたCUBE PCをカスタマイズして販売しているこのPCに目をつけていた。

まあでも所詮ベアボーンをベースにしたPCだ。値段もアウトレットのモデルだったので性能からしても安めだったのだが、機能的には文句なく、またコンパクトな筐体に、きいていた通り比較的音も静かだったので、なかなか気に入ったのだった。

しかし思いの外早くトラブルが起きてしまった。単に埃を吸い込みすぎて、電源ファンがいかれたのかと思っていた。ケースを開き、ブロワーで清掃したがそれだけでは治らず。そして年末も押し迫った頃、とうとうファンが動かなくなってしまった。

年末なのでなんとか乗り越えるしかなかったのだが、とりあえずファンを買いに走った。薄型のファンを手に入れて交換したのだが、それでも治らず。どうもマザーボードから電源を取っているソケットがおかしいのがわかってきた。これは交換したらお金が相当かかる事になるので、とりあえずはハーディスクなどの電源からファンに繋ぎ、年を越してから修理に出そうという事にした。

このベアボーンは結構多く売れているらしく、ググるといろいろ情報が出てきた。しかし知りたい情報までは見つからず、それ以上はメーカーに任せようと思い、正月もあけ、しばらくしてからハードディスクを元に戻し、メモリも最初に搭載されていたものと交換して、修理窓口へ送りつけた。

そして1月の末修理を終えて帰ってきた。修理の明細が入っていたが、単にファンの故障で交換と書かれていた。ファンはおかしくなかったはずだと思ったが、電源を入れると確かに静かになっていた。どこがどう修理されているのかと筐体をあけてみる。

すると、今回問題になったマザーの電源ソケットには何も繋げられていなかった。よくみるとまったく違う場所から電源を取っていた。私はすっかりこの時、同じソケットがまったく別な場所にあるのを調べなかった事に気がついた。ファンの取り口は複数あるマザーも多いからだ。

どこをどう修理したかもはっきりした。そしてハードディスクとメモリを元に戻し、無事、2週間ちょっと前の状態に戻り、由の手元に戻った。その間のブログやデジカメの撮影データ、メールなどを戻し、無事、稼働を開始した。

PCが壊れたり停まったりすると、色々大変だ。それを元に戻すのは私の役目。しばらくすれば、また壊れたりする事もあるだろう。しばらくは頑張って動いて欲しいものだ。

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2006年02月02日

旅先での風邪

毎日朝晩、通勤時は少なくともマスクをするようにしている。カトマンズの砂っぽい街中でも、真冬の北京の喉も凍るような日にもマスクなんかしなかったのだが、仕方がない。私は眼鏡なのでマスクをしているとどんなに工夫しても曇ってしまい、息をするのも大変だったりする。

唯一、マシなのは不織布で鼻の頭に針金が通っている使い捨てタイプで、愛用している。針金を鼻の形に曲げ、その上に少し眼鏡の足がかかるようにかけると、しばらくは曇りにくい。眼鏡を使わなければならないというのは、本当に面倒だ。

雲南を旅した時、後半大理に入ってから本格的な風邪をひいてしまった。当然体温計なんかないが、とにかく辛く、予想では39度前後だったと感じさせられる症状だった。大理賓館で1日寝ていたあと、大理から昆明までの飛行機は気合でなんとかなったのだが、昆明で関空行きのJASに乗り換えるまで、4時間程間があったので由がホテルを数時間だけリザーブして休ませてくれた。由はその間、一人で外に食事に行ったのだが、私はまったく食欲がなく、砂っぽいベッドで横になっていた。

時間が来てJASに乗り込むと、ここでさすが日本の航空会社。一番後ろのまん中の席をあけてくれて、横にならせて貰った。肘掛けが完全にはねあがらないのだが、横になれてほっとした。キャビン・アテンダントの方々にも親切にして頂いて、気分的に6時間のフライトが楽になった。

しかしこの日はまだこれで終わらない。関空から羽田に帰ってくる訳で、最悪の体調で3機の飛行機を乗り継がなければならない。最後は横になれる訳もなく、我慢するしかなかった。羽田からは新宿駅までエアポートリムジンに乗り、家に帰った時にはもう意識は薄れていた。

翌日から1週間、年末年始の休みに加え、また会社を休んでしまった。おまけに肺炎を併発してしまい、社会復帰できるか、自分でも不安になってしまった。それだけでなく、結構私は10日前後の旅のあと、1週間会社を休んでしまうような事が何度かあったりする。ある年の八重山もそうだったし、小笠原を旅した時もそうだった。ネパール1年目の時も…

この虚弱な体でよくもまあ旅に出る機になる訳だと言われそうだが、本人はなかなか懲りないようだ。私は今も、まだまだ旅足らない。

写真は雲南、麗江から大理までワゴンで移動した途中にみかけた、この地方で広く行われている傾斜を利用した田んぼの風景。

この写真を撮った4日後、帰る日の前日に高熱で動けなくなってしまった。辛い飛行機の乗り継ぎの旅が、最後に控えていた。

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2006年02月01日

インフルエンザの侵攻

職場がインフルエンザのおかげで静かだったりする。今は2人休んでおり、もう1人は他の風邪だという話だが、かかってすぐなら判定検査も陽性にならないので実際はどうなのかわからない。中でも症状を聴くと、おなかに来るタイプらしく、それはひょっとしたら由もかかったウィルス性腸炎ではないかとも思えるのもいる。

タミフルを処方されて回復したのもいるのだが、実際ノロウィルスであれば2日もすれば熱はさがり、あとは胃と腸の調子がしばらく尾をひくという感じだろう。ちゃんと医者はインフルエンザと普通の風邪とノロウィルスを診断仕分けているのだろうか。何だかあやしい。

いつもまっさきにインフルエンザにかかる私が、まだ強烈な高熱という症状にあっていない。逆に年始にかかって一度無理してこじらせた風邪が、今もまだ少し尾をひいているような感じがする。熱は一瞬、無理をした日の夜に38度まで行った位で、インフルエンザなら39度オーバーな症状には今の所遭遇していない訳で、これからいつ感染するかヒヤヒヤものなのだ。

2月は3週目以外は出かける予定だし、3月には北海道が控えている。なんとか乗り切りたい。

狂牛病や鳥インフルエンザなど、恐ろしい感染病が静まる事もなく、逆に着実に生き残っている。淘汰できるのだろうか。私なんかはもしも鳥インフルエンザになんかかかったら、まず生命の危険に及ぶ事が容易に想像できるからだ。やはり6歳から薬漬けになっている体では、抗体も体力も弱い訳で、そんなのが気合だけでアジア方面へのバックパック旅やキャンプなどとでかけているのだから、困ったものだ。

ディスク競技にも毎週のようにでかけていた昨年後半、正直言って辛いと感じた事も少なくない。でもくーや由と一緒に、そして知り合った友人たちと一緒に1日を楽しむという事は、それを諦めさせなかった。そして毎日のようにディスクの投げ練を40分程度だがし続けて、ちょっと体調がよくなった気もしている。

今年に入って、投げ練をする場所がなくなってしまい、思う存分練習ができなくなってしまった。まあ昨年からちょっと右肩がある位置で痛いという症状があったので、今年に入ってからはしばらく練習をしていなかったのだが、できれば投げ練は続けたい。自分の体の為にも、くーの為にも。

インフルエンザを今年は乗り越えられるだろうか。予防注射をしてもかかった、という同僚がインフルエンザではなくノロウィルスだったという事であれば、予防注射の効果に期待できる。自分の体の為にも、年休の為にもこの厳しいシーズンを乗り越えたい。

写真はやはり帰国後数日風邪で休んだ北京の正月。これでもかという程寒く、外を100mも歩くと顔が痛くて建物の中に入り一息つきながら歩いた王府井は忘れられない。

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