2006年03月31日

置いて行かれそうな雪の話

どんどん春めいてきたので、あわてて先日の北海道の話を少し。

北海道では久しぶりにスノーシューをしてきた。以前、野中温泉に車を停め、そこからすぐに森に入り、沢沿いにオンネトーに降りてオンネトーの凍った湖上を縦断。オンネトー野営場でカップラーメンの昼食をとり、そこから湯の滝まで歩いた。

結構森の奥深くまで足を踏み入れた気分だったのだが、夏の雪のない時期だと結構あっという間だ。この時のスノーシュートレックに比べたら、今回のは殆ど散歩程度だったのだが、今回は広々とした屈斜路湖岸を歩く事ができで、結構気持ちがよかった。

冬の森を散歩するのも楽しいのだが、広々とした所もよい。ただ風が穏やかな事が条件だが…。

森の中だと多くの野鳥の声を耳にしながら、双眼鏡でその姿を捕らえる事に熱中する。残念ながら野生動物に会う事はできなかったのだが、運よく立派な体をしたアカゲラと出会う事はできた。ドラミングが雪の積もった森の中をこだまする。ザックザックと音をたてて歩くスノーシューを停めて、聞き耳をたてたりした。

屈斜路湖の湖上もどんどん溶け始めており、砂湯や和琴のあたりは例年よりも湖面がのぞいていた。トレッキングした場所も、うっすらと湖面が湖岸に沿って口をあけており、ここも地熱が少し高いのが伺い知れた。地球は生きているのがよく感じられる。

雪が一度軽く溶けて固まったザラメ状だったので、歩くのも少々疲れた。しかし動向した由のお母さんや叔母さん、妹さんは普段あまり運動されていないとは思うのだが、楽しんでくれたようだった。記念写真を撮って、きっと神戸に戻って色々な話しを孫や娘たちに話ている事だろう。

写真はその屈斜路湖畔でのスノーシューの風景。

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2006年03月30日

やっぱり好きなXR

こんなに体中が痛いという、お粗末な状況なのだが、なぜかバイクに乗りたい。きっとそれは春の兆しが明らかに感じられるからだ。そうに違いない。

会社帰りは雪でも降りそうな真っ黒い雲が職場周辺を覆い、突き刺さるような寒さの風が吹き荒れていた。まるで2月に戻ってしまったような感じさえするのだが、春らしく寒くなったり暖かくなったりと、一進一退をしながら季節は変わっていく。

昨日は帯広公害の中札内で記録的な積雪があったようだ。斜里でも結構降ったようだ。北海道もきっと冬と春を行ったり来たりしながら、着実に季節の移り変わりが進んでいくのだろう。

なぜかオフロードバイクに目がいく。最近街中で走っているオフ車は、殆どモタードと言われるオンロードの小径タイヤが装着されている。サイレンサーも結構な確率で交換されている。そしてまたかなりの確率で半キャップを被っている乗り手なのだが、たまにちゃんとしたヘルメットを被っている乗り手もいる。そういうのは乗り方自体が完全に違う。

そういう姿を見ると、動かしてやっていない私の愛車、DJEBEL250XCが不憫でならない。4月いっぱいまでは何かと忙しいのだが、5月あたりになったらメンテナンスをしてやろうかと思っている。ただ気になるのは、手がかかるバイクという事。バッテリはもう確実に買い換えなければならないだろう。何かとお金がかかる車種だ。

それと同時に、できれば程度のよいXRが見つかれば乗り換えたいとも思っている。ヤフオクを見たり、中古バイクサイトを見ては、なかなかそそられる車種がなくて諦めているという状況なのだが、実際これだと思える車種なんかあるわけがない。私の欲しいXRは10年ほど前のモデルだからだ。当然、ネットで探したって程度がよいかどうかなんてわからない。

硬いピレリMT21を履かせて、バッテリーレスの市販レーサー。自分にあっているのはやはりこの車種なんではないだろうか。

写真は依然乗っていたXR250RJ。友人のセロー(現在も現役)と一緒に、フェリーの乗船を待つ朝。

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2006年03月29日

春は体調不良の季節

また体調があまりよくない。夕方になると左肩が凝りだし、頭痛が始まる。そして頓服を飲んでも、翌朝までずっと痛みが残る。これではまともに生活ができない。

肩こりだけならよくある話しだが、最近腰を痛めてしまった。昔ヘルニアをしてからは、ちょっとしたショックで軽いヘルニアの症状が出てしまい、今も椅子に座っているだけでちょっとした動作で痛む。またディスクを一生懸命に投げ始めてから、昨年後半くらいからの症状なのだが、ある角度で腕を持ちあげると激痛が走るようになってしまった。まったく、運動不足というか、運動音痴というか、情けない事だ。

ずっと延ばし延ばしにしておいたのだが、とうとう今日整形外科に行ってきた。整形のスタッフは久しぶりですね、という声をかけてくれる。ここに世話になったのは、ロッキーを由の実家から東京に自走して運ぶ時に、高速道路上で追突されムチウチになってからの付き合いになる。

先生はちょっと煙草の匂いが気になる事をのぞけば、とても好感が持てる。ちょっと勢いに任せたような所もあるのだが、それなりに診断は的確だと思う。治療はリハビリ機械にかける事が殆どなのだが、まあそれなりに痛みも落ち着くし、治療方法としては間違っていないので、整形といえばここに来る事にしている。

今回は腰はまあいつものぶり返し。新型の牽引機に乗って、10分ほど腰をゆっくりと優しく伸ばす。また肩の方は、レントゲンを撮って確認した所、石灰の固まりが映っていた。筋肉が老化して石灰化したものが溜まる症状らしく、これはまさに老化の始まりらしい。情けない事だ。四十肩なのかなと思ったのだが、どうも調べてみると五十肩の症状に近い。なんだかもう涙が出てくる。

先日のNDA小金井から一切本気でディスクは投げていない。エントリーした千葉栄町は来週末だ。少しウォーミングアップをしっかりして、投げ練もしないと。くーに申し訳ない。

超音波で右肩だけをマッサージし、左肩の凝りも激しいので、肩をほぐして貰う機械にもかかり、しばらく通いなさいと言われながら病院をあとにした。

さて、週に2回か3回は何とかちょっと早めに帰って治療しないと…

写真はそういう日にはくーと添い寝。静かに腰に無理のないように。

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2006年03月28日

桜咲く

桜は日本人には特別な花だろう。花見というのもこの桜が咲く時期にあわせ、年度の始まりの時期という事もあるのか、多くの人々が桜の木の下に集まり、花を見上げながら語らい、酒を飲み、楽しい時間を凄す。これだけを見れば素晴らしい文化ではないだろうか。

日本人はその歴史の中には恐ろしい考えや文化を持っているのが当然という時代があった。しかし今は平和といってもおかしくない。争いの耐えなかった昔から、季節感のある国土から、花や紅葉、雪などの季節を感じながら楽しむという素晴らしい時間を知っている民族だ。

ただそのような文化の代表とも言える桜が咲く時期は、毎年の事だが、咲き始めてこれからという時に、雨や突風で花があっという間に落ちてしまう。今年はどうなのだろうか。

桜並木と呼ばれる桜を集中的に植えている場所が、日本各地にある。その桜並木の下、桜のトンネルを花びら舞い降りる中を歩くと、どんなに気持ちが落ち込んでいても、それ以上悪化する事はない。そういう花でもある。

そんな事を感じながらも、花見という事は殆どしない。いや、花見というか、日中花を眺めながら散歩したりする事はするのだが、花見=桜を見ながら酒を飲み大声で騒ぎ唄う、という単なる宴会の事を指すような感がある事から、分けたいという事なのだ。

ひなびた山村、清流流れる谷間の斜面に咲くピンク色の桜を眺めながら、林道脇にバイクを停め、コーヒーを沸かし飲みながら眺める、というのが私にとっての花見と言える。ほんの10~20年前は、よくそういう事をしていたと思う。パーコレーターのコーヒーにこだわって、豆はお気に入りのマンデリン。ピーク1を持っていく事もあったが、ガスでも充分小さいバッグをリアシートにくくりつけて、関東近郊の林道を走った。

独り占めできるその風景は、春を充分に感じさせてくれた。

最近ドタバタ忙しいのだが、できれば平日に車を出し、由とくーと奥多摩や秩父、奥秩父の山の中に行き、ゆっくりとした時間を過ごしたいものだ。

写真は近所の公園で。この桜も今は8分咲き位になっている。先週末はまだ3分咲き位だったのに、あっという間だ。

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2006年03月27日

季節の変わり目の想う

すっかりバイクネタがなくなってしまった。私の愛車は今どうなっているのかすら分からない。ただ近いうちにロッキーのタイヤを夏タイヤに交換しに行くので、少しみる事ができるだろう。

明日から数日、東京は天気が崩れるらしい。朝のバス停までの間に咲いている立派な桜は7分咲だった。冷たい雨で花びらが落ちなければよいのだかと思ったりする。既に国会周辺の桜は、はらはらと花びらをアスファルトに散らせていた。週末には定期通院やしつけ教室などもあるのだが、ちょっとは花を楽しむ事ができるだろうか。

季節の変わり目にはやる事が沢山ある。少しづつ暖かくなってきているのがよくわかるのだが、花粉症ではなくても鼻がむず痒くなったり、アレルギー反応が出やすくなる。先週あたりからは結構発作が突然おきるので、しずかに過ごしていたのだが、あまり効果はない。昨日久しぶりに由とくーと家族全員で散歩に行ったのだが、くーのバテ方が早くなったのはすぐに感じられた。そう、くーは暑さに滅法弱いのだ。

ディスク大会も真夏を除いてスケジュールがあるようだが、結構キツくなるのが容易に想像できる。最悪たった1分の競技でも、途中で休んでしまう可能性だってある。場合によっては私と由の二人のどちらかだけがエントリーするなども考えなければならない。折角遠くまで車で行くのだから、できれば二人で参加したいのだが、様子を見ながらになるだろう。

新しいメガネも作りたい。夏タイヤが組まれているホイールに交換した上で新しいタイヤに交換したい。ロッキーの溜まった傷も治したい。洗車もしてやりたい。バイクのメンテナンスをしてやりたい。などなど。他にもしなければならない事が沢山あるのだが、殆ど先週末は手つかずだった。

移り変わる季節を感じる時、前の季節でやり残した事がいつも気になる。また来シーズンとなると1年後になる訳で、なぜか新しい季節への期待と同時に感じてしまうのだ。

まあでも色々と制約もある訳で、その中で何とか課題をこなして行かなければと思う3月最後の週始めだったりする。

写真は不憫な思いをさせている私の愛車とお気に入りのストレート。毎年この道は何だかんだ言って走っているのだが、バイクではここ2年程走っていない。

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2006年03月26日

世界各地の今昔物語

カシュガルやトルファンといった、中国西域のシルクロードの今の風景をテレビで見た。そこにはまるで、昔から殆どかわらない商人や農民たちの生活が映っていた。

まったく変わらない、という事はないと思う。旧市街は1000年も前に作られたまま大きく姿を変えていないと言われるのだが、実際は多少なりと違ってきているはずだ。トタンやプラスチックなどが張られている部分もある。そして何より人間が着ている服や、持っている文化的なものは形を大きく変えているだろう。

ただ実際は大きく変わっていないはずだ。貧しい子供達が働く姿なども映っていたが、彼らは貧しくて当然の世界で生きている。貧富の差が激しい中国のような国では、貧しいと言われる人々は、今でも現実に貧しい。極端に豊かな層が存在するのも、特色だろう。鄧小平が掲げた豊かになれる者から豊かになれという言葉通り、大都市に住む人々はあきらかに経済水準が変わってきている。

ただ雲南省などを旅すると、観光客を目当てにした商売は増えているのだろうが、少数民族の人たちは中国がどうのという事はどうでもよいのではないかと思う。実際に西双版納周辺では、ミャンマーやタイとの国境を自由に行き来できる少数民族は存在している。チベットや西域に暮らす人々だって同じだろう。宗教的な違いこそあれ、彼らの生活は昔から大きく変わっている訳ではない。

当然なのだが中国は共産国家だ。毛沢東時代の文革ではその事実が明らかにしきれない程の事が行われてきた事だろう。私自身が読んだり聞いたりした事が事実かどうかさえ証明できるものではないと思っている。とにかく色々な厳しい時代を越え、それこそ4000年以上もこの大陸で繰り広げられてきた歴史は、やはり壮大だ。

私たちが今生きている時代は、その長い歴史からは一瞬にすぎないだろう。たかだか30年や40年の中で、急激に変わるものもあれば、殆どかわらないものもある。ただ言える事は、そんな一瞬と言える中においても、自分の目で見て、実際に経験してから話をしたいと思うのだ。

旅をする理由はそこにある。そしてそこには出会いがある。久しぶりに自分が今いる場所から遠く離れた今の映像を見た時、ふつふつと旅に出たい気持ちが沸いてきた。

あの角を曲がった所に居たガキはどうしているだろうか。あの看板ひとつさえない麺屋は今日も賑わっているのだろうか。あのカツ丼の味は変わってないだろうか。あの安ゲストハウスのオーナーは今日もサボって昼寝しているのだろうか。などを考えてしまう。

写真は北京の胡同(フートン)。路地が奥深くまで繋がる旧市街とその先に望む新興住宅地。北京はオリンピック開催の為、この歴史と伝統の残る胡同を撤去しようとしている。香港の九龍城もそのようにして消えていった。

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2006年03月25日

検査帰りにゴミの山

年に1度の検査の日だ。例年3月~6月の間に行われるこの検査は、そんなに時間がかかるものではないが、結構大勢の人が検査を受けに来ている。私は自宅から自転車で20分程度なので、受付開始の1時間前に家を出るようにしている。まあそれなら5番目まで入れるので、お昼までには自宅に帰れるという感じなのだ。

今回はパソコンを持参。この文章も待合室で打っている。昨年は確か株の本を読んでいたと思い出してみる。まああまり落ち着かないので、適当にシリコンプレーヤーでラジオを聞いたりしつつ、待っている。

こういう検査はもうそれこそ何十回受けただろうか。100回を越えているかもしれない。私の人生は病院で費やす時間はとてつもなく大きく、これまでの人生で検査と投薬がない時期が殆どない。難儀な体だ。こんな体を持った私と一緒になるような由は、偉いと思う。感謝すると共に、私ができる限りの事をしていきたい。実際は迷惑をかける事の方が多いはずだろう。そしてこれからもっと歳をとれば、その時間も増えてしまうだろう。

親しくしている友人に、不治の病にかかってしまったのもいる。これまでに病気で失ったのは3人。事故で失ったのは4人。自分の父親は医療事故だと信じているが、あえてここには加えていない。現在も病と戦っているのが4人。これが多いのか少ないのかは別にして、それからすれば私はまだ恵まれている方だ。くーと一緒に遊ぶことができるのだから。

儀式的な検査を終え、友人が立ち寄る時間までに自宅に戻る。その途中、うずたかくゴミが積み上げられ、2車線ある未知の1車線以上をそれが占有していた。そうか、また花見客の季節か。花見をするのは構わないが、その時に出すゴミがまったく無関係の人の家の前に、軽くミニバン2台分、3m程の高さで積み上げられ回収を待っているという風景を想像しているのは皆無に近いだろう。

日本人が花を愛でながら酒を飲む事は文化とも言えるのでよいだろう。しかしまだ1分咲き程度の桜なのに、これだけのゴミを出しているのか。結局の所どこでも騒いで飲めればよいという事だろう。その分、公園には危険なものが沢山残される。爪楊枝ひとつにとっても、落ちていれば凶器になりかねない。

正直うんざりとさせられる季節がやってきたようだ。マナーもへったくれもない人間がまたどこからともなく集まって来る。モラルを持った人もいるはずなのだが、あまりにもそれを越える酷さがあとには残ってしまう。残念だ。

写真は検査を行った機械。最近のはパソコンと直結されていて、カルテもDBから抽出されてきているようだ。

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2006年03月24日

春の週末は病院へ

今年度もあと来週の1週間で終わる。年度末だから仕事が忙しい、というような内容ではないのだが、偉い人に報告する資料などを作る時間は極端に増える。今週もそんな事が多かった。反面しばらくナリを潜めていた新種ウィルスが少し出始めている。これからゴールデンウィークにかけて、少々波が来るのではないかと気にかけているが、こればかりは予防が完全な訳ではないので、いかに迅速かつ臨機応変に対応ができるかにかかっている。

明日はNDA赤城高原大会。我が家は私の用事の為に不参加だ。来週も私の同じような用事の為、あまり活動的に動く予定ではない。今週中盤まではちょっと体調が悪く、また週末もおとなしくしていようと思っている。といっても明日は早起きしないといけないのだが…

NDAもJFAもファイナルノミネートがかかっているせいか、エントリー数や強豪が一気にまくろうと、きっと賑やかな内容になるだろう。我が家はそういう結果には無関係なのだが、次回のエントリーとなる4月のNDA千葉栄町まではおとなしくしている予定だ。今日、そのエントリー手続きを終えた。

明日からの赤城高原は、群馬にあるクローネンベルグというドイツ村のテーマパークの中にある会場で行われる。昨年11月にこの場所で行われた大会は、我が家のドギーズクラス初参戦という記念すべき大会だったのだが、巻いていた風のおかげで玉砕してしまった。投げ手のスキルが大いに問題なのだが、はるばる片道160km以上走ってあんな試合内容ではくーに可哀相だというのが本音だ。もう少し自分達が力をつけなければならない。

大会は色々な所で行われる。そういう意味で面白いのだが、この会場やこの芝はいいと思える時は、来てよかったとしみじみ感じる。まあいくらコンディションが良くても突風や妙な風が吹いていては、一気に興ざめしてしまうのだが、まあしょせん私たちは素人なのでそういう愚痴もいいかなと思ってしまう。

これまで思い出深い大会は、由が初参戦し、ドギーズ参戦2戦目で2位に入った開成町、私が初参戦してプライマリークラスで優勝した朝霧アリーナ、クリスマスイブ由がノロウィルスにかかって大変な状況の中、私がJFA参加2度目の公式小型で3位入賞した千葉ポートタワーなどだ。

まだまだ行ったことがない会場はあるのだが、ちょっとした旅気分にもなれてよい時もあれば、疲れてヘトヘトになり、もっと近い所だったらなどと思う事もある。強く印象に残る会場は、単に綺麗だったり快適だったりする訳ではない。

あまり遠くなく、もっと気持ちのよい会場での開催があれば、是非積極的に参加したいと思ったりする。まずは明日明後日、赤城に参加される友人達が楽しい大会を過ごせる事を祈っている。

私は明日は病院で検査予定。つまらない土曜になりそうだ。

写真は我が家の玄関前のタラの木の芽。

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2006年03月23日

PS2での最後のゲーム

多分に漏れず、テレビゲームは嫌いではない。私のゲーム歴はそんなに深いものではないが、中学時代に某繁華街の一角にあるゲームセンターの係員のバイトを非公式にしていた事もあって、当時人気があったスペースインベーダーやシーソージャンプ(他にサーカス、サーカス・サーカスという呼び名だった)などをプレイしていた。といってもバイトをしていた位だから小遣いなんか貰えず係員の権限で数回遊ばせて貰う程度だった。

それ以降、ファミコンやスーパーファミコンなど、買ってはいたが、ゲームばかりしている事はなかった。ただ昔からロールプレイングは好きで、ねちねちと経験値をあげていく中で、あまりにじれったかったドラクエなどは途中であきらめたりもしたが、ファイナルファンタジーシリーズやイースの1作目などは最後までプレイした。

特にスーパーファミコン時代になってからは、逆に殆ど遊ばなくなった。それこそバイクやキャンプという方が好きだったのもあって、興味が薄れてきたのだが、その後プレイステーションがデビューしてからは、またちょっとだけゲーム熱があがった。

それまでゲームなんかしたことのなかった由も、プレステ初期型と同時に買ったファイナルファンタジー7にはなかなか引き込まれたらしく、それからはPSのある生活になった。そして順当にPS2(初期型)が我が家では現役である。

もっぱら由はパズル系のゲームにはまり、XiやIQなどは好きなようだ。最近ではオトスタツやもじぴったんなども好んでしていた。当然RPGはFF8、FF9、FF10、FF10-2などに進み、キングダムハーツなど他のシリーズもプレイした。しかしネットに接続する必要のあるFF11は結局今でも手を出していない。

そして先日、FF12が発売開始された。私も他のものとついでに予約を入れていたので、発売日に我が家に到着。早速プレイを始めた。

キャラクターなどはCGモードではあまり進歩がないように思えるが、細部はなかなかよくできている。まあ7000円前後のソフトで、私たちのペースで3カ月位楽しめるのだから、そんなに値段も高いと感じない。時には中断できずに、夜更かしなどもする事もあるのだが、まあ無理しない程度にプレイするのが我が家のスタイルだ。

さてこのFF12はどの位楽しませてくれるのだろうか。あまり先を急がず、7000円ちょっとの価格分は楽しみたいと思う。そしてPS2ではこれが最後のゲームになるような気がしている。発売日は遅れたが、PS3も準備されているので、きっと次回作のFF13はPS3プラットホームではないかと思うからだ。

ゲームはちょっとした気分転換にはよいと思っているので、没頭してそれだけにならないように楽しめば、悪いものではないと思っている。ただ最近の子供のように、どこに行くにも手にはゲームボーイや任天堂DSを持って放さないようなのはどうなんだろうと思ったりもする。

ゲームとしている時の問題は、プレイ中くーが相手をしてもらえず、フテる事だ。本体からコントローラーに伸びるケーブルを面倒臭そうに潜るくーは、フンという鼻息をたてて、ハウスでつまらなさそうに寝ている時間が増えるてしまう。

くーにとっては飼い主がテレビを眺めている時は遊んでもくれないし、つまらないという図式になっているのは間違いない。

写真はフリースブランケットに埋もれてふて寝するくー。

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2006年03月22日

もう今シーズンは終了か

3月中にあと1回、スノーシューをしにお山に行くつもりだった。今年は雪も多く、寒い冬だったはずなのだが、急激に春がやってきたという感じだ。それもそうだろう、もう3月も終わりに近づいているのだから。

先日の道東の旅でも、屈斜路湖畔の森をスノーシューで歩くと、表層が溶けて再度凍ったという感じに、乗っかるとバリンと割れて深く足が埋もれてしまった。こうなるとなかなかスノーシューでも歩くのが辛い。

そんな雪質なのに、くーは思いっきり走り回っていた。たまにバリンと表面の薄い氷が割れて雪の中に埋もれるのだが、わしわしと走り回る。あまり足によくないので長時間はさせないようにと思いつつも、結局最後まで走り回っていた。本当に雪が好きなようだ。

歩きにくい雪だったせいか、夜には相当疲れたようで、くーにしてはおとなしい夜になった。前日は5人川のように布団を並べて寝ている所を、次々と巡回し、顔をべろべろと舐めてはそれぞれの布団の脇にコテンと転がって寝る。しばらくして暑くなると、となりの布団に移り、また同じようにコテン。そんな感じで移動し続けていた。

朝、由の妹さんの掛け布団の上に、まんまるにまるまって寝ているくーを見つけた。どうも結局そこが一番落ち着いて眠れたらしい。しかし、スノーシューの日の夜はその動きは1/10位で静かに寝てくれた。人間と違って素足の犬。色々なものが落ちている中を走りまわる訳だから、怪我をする事だってある。おまけに雪で感覚が鈍くなっているのだから、そのリスクは高まる。

でもあれだけ嬉しそうに雪の中を走り回るくーは、飼い主としても見ていて嬉しくなる。その翌日、夜のうちに降った雪が思いの外多く、川湯の中心地にある足湯横の森では、パウダースノーを雪煙をあげてディスクに興じるくーがいた。しばらく雪とはおさらばになるが、また来シーズン、今度は2月あたりに北海道に連れていって、流氷を見せてやるかと思う飼い主であった。

スタッドレスから夏タイヤに履き替えるのは、来週末あたりになるだろうか。その後、ヒビ割れたタイヤを交換しにいかねばならない。また出費がかさむ。

写真はまさに雪煙の中のくーのキャッチ。道東のパウダースノーは軽い。

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2006年03月21日

お彼岸の散歩はお寺で

今日は春分の日。お彼岸と言われるように、風邪っぽい気分が抜けない状態なのだが、半強制的に墓参の日だ。しかし今日はくーを連れていった。

寺はお彼岸という事もあって、今年も車であふれている。駐車スペースがない位にぎっしりと車で境内が埋まり、この日は寺の法被を着た案内が立ち、駐車スペースの整理をする程だ。あまり混雑した所にいきたくないし、普段から墓参りしているのだから行かなくてもいいと私は思うのだが、そういう考えはまったくない実家なのだ。元々彼岸しか墓参に来ない人が過半数だろうと思うのだが、私は静かにゆっくりとお参りできる普通の休日に行くべきではないかとすら思える。

といっても彼岸というのは昔から墓参をする事が「決まっている」というのだが、我が家を見ていると宗派とか宗教とかそういうものが曖昧なのだ。本来の宗派による墓参りや普段のお祈りなどに調べていくとギャップを感じる。これは結局長い時間を隔てて独自にルールが変わってきてしまった結果なのではないだろうか。

色々矛盾を感じるのも、今の若いものに風習というのが認められにくい現実になっているのではないかと思う。事実、ネパールやタイやインドではそういうギャップは少なからずあるかもしれないが、しっかりと受け継がれている。このあたりは見習わなくてはならないだろう。

仏教徒としてそれなりの信仰を守ろうという気もなく、単に先祖代々のルールを勝手に解釈していく事が、本当によい事なのか疑問なのだ。ただだからといって、宗教をないがしろにする訳ではない。私は自分が信じ納得のいく敬い方で敬っている訳なのだ。ただそれは昔からの風習からすればおかしいのかもしれない。それは分かっているのだが、大なり小なりそういうギャップはあるはずだと思っている。

一番大事なのは、先祖や自分の両親を敬い、自分もいつかこの世からいなくなった時に悔いがないようにする事だと思っている。ただ自分の後世に自分の存在を堅持しようとする気はことさらない。そんな大それた人生を送った訳ではないし、何より自分の人生とパートナーの人生が楽しく、幸せでいられる事が最重要だと私は信じているからだ。

そういう考えを持っている私を知ってか知らずか、今年も彼岸の1日を送った親類縁者は、実際の所信念を持ってこの日を迎えているのだろうか。私には確証が持てない。

墓参後、本家に戻り食事。くーも今回は連れていって貰って走り回っていた。甥っ子たちもくーが珍しいのか大騒ぎ。くーは子供が嫌いなので、尻尾をさげて逃げ回っていた。今は疲れて鼻先だけハウスから覗かせて眠っている。

写真は今日のお寺にて。毎年すごい車であふれ返るのだが、今日はそんなに混んでいなかった。

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2006年03月20日

瀬戸内の春の便り

由の実家から「いかなごのくぎ煮」が到着した。結婚してから毎年の春に、由のお母さんが瀬戸内の春の味、いかなごを甘辛く煮てそれぞれの家庭の味付けで作る、季節の風物をおすそ分けしてくれている。

いかなごというのスズキ目イカナゴ科らしく、漢字では玉筋魚と書くようだ。その呼び名も地域によって違うらしく、新子(しんこ)、大きいのをふるせ、小さいのをこな、かなぎ、小女子(こうなご)などがあるらしい。また、他にもこの呼び名の由来の説が沢山あるらしい。

いかなごの色も腹の赤い赤腹と、全体に青い青口があるようだが、当然ながら私にはよくわからない。大きさも20cm近くなるようだが、一度明石の魚の棚(うおんたな)商店街で、10cm程の多くなったいかなごを見たのだが、毎年実家から送られてくるいかなごはそれこそ「くぎ煮」と言われるに小さい。体調は3~5cmといった所だ。

何でも水温が15度を超えると砂に潜って眠ってしまうそうだ。12月から1月になると浅瀬のきれいな砂、淡路島の西側沖(鹿の背)や、東側沖の(沖の瀬)に彼らは産卵するらしい。そして、2月下旬からの解禁から4月末頃までが漁期になる。

生姜が甘辛い砂糖とみりんと醤油の味にマッチして、とても「日本の味」といった感じで、白いご飯にあう。これに豆腐と油揚げと葱の味噌汁に、漬け物でも添えて出てくれば、何杯でもいけてしまうと感じるのは、やはり私は日本人なのだろう。

最近は頂いたいかなごを東京の友人たちに配る事もなかなかできなくなったのだが、今回は先々週に北海道で世話になった友人や、職場で唯一色々と親しくさせて貰っている友人、そして私の母親に配る予定だ。

いつも大量のいかなごを煮て送ってくださる由のお母さんにはその手間を考えても本当には申し訳なく思っている。でも素直な気持ちで、この季節の味を楽しみにしているというのもある。

今年のいかなごを夕食で味わう事で、春を感じる。今年もそんな季節。由のお母さんに感謝しつつ、今日も季節の味を楽しむ夕食。

写真はこの時期になると明石周辺にあらわれる、いかなご宅急便のポスター。

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2006年03月19日

しつけ教室にて

少しづつ新しいしつけ教室の雰囲気に慣れてきた。そう、私がだ。由はそれどころじゃなく、積極的にしつけ教室ではトレーニングに集中しているようなのだが、付き人みたいな感じで先生の話を聞き、由とくーの横にちょこんと座っている私は、くーがやってきてからはずっとそういうポジションだ。

基本的に由がしたいようして、私がフォローするという立場を貫こうと思っているのだが、私自身がただ傍観しているだけではない。私も大筋は同意した上でフォローし、明らかに異論を唱える場合はしっかりと唱えるという形だ。なのでたまに教育方針でぶつかる事もある。

無責任なのではなく、由の考えや教育方針には特に異論を唱える部分は極めて少ない。ただ普段の生活の中で、由の性格なのだがうっかりしている事や、見えていない部分を指摘する事があるのだが、ちょっとしたいざこざになる事もある。私の言い方もあるのだが、まあ些細な事なので大きな喧嘩になるような状況には陥らない。

今のしつけ教室では、正直ポイントがよく私には理解できなかった。グループレッスンの難しさは少なからず私も感じている。そんな中でくーはやはりこれまで結構な時間、由に自由奔放の育てられてきた事から、我慢ができない場面が数多くみられている。それは由の普段の散歩や一緒にいる時間などから生まれたものと、くーが生まれ持った強い性格から来るものなのだろうが、それは私にも責任はある。

私はやはり由に比べて圧倒的にくーと過ごす時間は少ない。散歩もここ最近は殆ど由任せだ。これはある程度仕方ないという事は由にも理解して貰っていると思う。くーはそんな中でも私の事を怖いリーダーだと思っているようで、私が機嫌が悪いとすぐに察し、私の足もとに尻尾を下げてやってきて、そっとあぐらをかいている足の上に乗っかってきたり、見えない場所に移動したりする。仲裁役のような感じだ。

私ももっとおおらかになればいいのだろうが、由との時間ではない普段の生活の中で、妙に精神的に落ち着かない時間が多い事から、イライラしてしまう事よくあるのだ。数年前に自律神経失調症と診断されてから特にそうなのだが、子供の頃から何事にも憂鬱になったりする事がよくある性格なので、いわゆる神経がず太い人が羨ましく感じる事が多々あるのだ。他の人が気にもとめない所なのに、私はとても気になる事が多い。

しつけ教室に求めるものというのが、以前通っていた所と違っているのがその違和感に繋がったのだろうか。しかし3回目のレッスンにして、何か見えてきたような気がした。先生達もくーの事がよくわかってきてくれたらしく、そしてそれに対して私たちがどう接すればよいかという事もよく理解できるようになってきた。

由はしばらくこのレッスンをしていく中で、色々乗り越えたい問題を解決していきたいと思っている。私自身、それには大賛成で、それが2~3回目にして漸く、この教室に対しての信頼感が生まれてきた事もあって、一緒に参加していきたいと思う。まあ今まで通り、私は側にいてフォローする事になるのだろうが、それはでも私の義務でもあり、責任でもあると思っている。

よりくーとこれからも色々な事をしたり、出かける為にも、身につけていきたい経験がまだ色々とあるのだ。

写真は今通っているしつけ教室の1シーン。あまりカメラが出せないのでこの程度しか撮れないのだ。

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2006年03月18日

高校時代の友人

今日、夜から高校時代のクラブの同期に誘われている集まりがある。彼らは一緒に音楽をやってきた仲間なのだが、高校時代はクラブで一色だったと言っても過言ではない程、多くの時間を彼らと過ごした。

50ccのバイクに乗り始めたのも、彼らが少なからず関係している。私は高校に入るまではバイクにまったく興味はなかったのだが、そのクラブの同期の中の一人から、HONDA MB5というバイクのカタログを見せて貰い、最近の50ccというのはこんなにもバイクらしく、カッコいいのかと思ったのだ。そこから、私のバイクライフが始まったと言ってもいい。

影響されたのは確かに当時キリマンジャロにバイクで登った風間深志氏なのだが、夏休みや冬休みの練習の日々にバイクで学校に通ったり、練習帰りに皆で公園にバイクで道草してしゃべったりする時間は、既にうっすらとした記憶で残っている程度なのだが、確かにあったのだ。

皆とても変わり者で、私はその中では地味な存在だった。クラブの中で恋愛も多くあったし、それなりの高校生活だったと思う。ただ、私は前にも書いたかもしれないが、教師というものにことごとく恵まれず、この高校でも私が信頼できる教師には会えなかった。クラブの顧問なぞは最悪だったし、担任すらロクなのがいなかった。大抵卒業したあとで、なんだかんだ言ってよい先生だったな、と思うものだと思うのだが、今になっても自己中心的で教員としては失格だと思える人間ばかり。それは中学でもそうだった。少なくとも私の担任や顧問など、直接絡んできた教員は酷いものだった。そうだ、でも中学時代のクラブの顧問はまだマシだった。それ以外という表現にかえた方がよいかもしれない。

そんな高校の同期たちは、今も私に忘れずに声をかけてくれる。とても嬉しい事だ。しかし、なぜかいつも予定があわない。まあ私が飲み会というとちょっと抵抗があるようになってしまったというのも、自然と察してそういう日程になってしまう理由なのかもしれないが、まず飲み会という場が正直辛い体になっている。会社でももう2年以上、歓送迎会すら出ていない程なのだから。しかし、同期たちとの飲み会については、私が北海道や神戸などのでかける日にぶつかってしまうのである。

今回は大丈夫だろうと思って、久しぶりに顔を出すつもりだったのだが、今度は別な理由で結局欠席となってしまった。彼らと再会できる日は来るのだろうか。

毎回私に声をかけてくれるFとMにはとても感謝している。そして私は彼らとはいつでも会えるという安心感がまだあるので、そのうち再会はできるだろうと思っている。その日が来るまでは焦らずにいようと思う。

高校時代の写真は殆どスキャンしてないので、クラブの姿とかはないのだが、これはそのクラブの同期2人と行った四国一周ツーリングの時のもの。神戸から三宝海運の船で今治経由、松山まで渡り、早朝から道後温泉でのぼせてしまった。

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2006年03月17日

出雲がなくなる日

長い間、若者の旅人をはじめ、多くの旅人を運んできたJRの寝台特急、出雲が今日で廃止になるそうだ。私は鉄ではないので正直な所詳しい話はわからないのだが、出雲は聴いたことがある。

鉄道は開発の象徴だ。鉄のレールが敷かれる事で、多大な経済効果を生み、人々の生活も大きく変わってきた。日本においても南北に長く、海に囲まれた土地を、端から端まで鉄道は通された。そしてそのレールの上を、色々な車両が走り、その車両は速度や乗り心地を改善しながら、輸送力をあげ移動時間といわれるひとつの空間をどんどんと狭めてきた。

その中で、寝台という電車は、遠くに行く時に、生き物が本来必要とする睡眠する時間をうまく利用し、移動させてくれるという特殊な乗り物ではないかと思える。まあフェリーなど速度が早くない乗り物には、寝ながら移動していくという意味では同じ方向性を感じるのだが、寝台というのは何故だかとても不思議な空間というのを感じる。

私が初めて乗った寝台は、上野から札幌までの寝台列車だった。仙台や盛岡など、真っ暗で誰でもいないホームを車窓から眺めていて、あまり眠れなかった。そして詳しくは憶えていないのだが、気がつくと青函トンネルも潜っており、倶知安のあたりで今自分がどこにいるのかを考えていた。北海道の地形も殆どわからず、札幌で乗り換え、また留辺蘂でスイッチバックし、網走駅に降り立った。長い旅だった。そして帰りも同じルートを辿った。

寝台というのは、私にとってはこの時のイメージが大きい。ずっとあの独特のリズムで線路を走る振動と音がしている中で、ペラペラの布団で寝る事は、まさにこれから網走まで行くという旅のイメージにぴったりだった。

出雲は山陰と東京を結ぶメジャーな寝台特急なのだが、最近では相当に利用者が減っていたそうだ。だからこそ廃止になるのだろうが、昔は列車の中は人であふれかえっていた時もあったはずだ。タイやインド、中国などの長距離電車をみると、少しその頃の日本の中の電車という画期的な乗り物の姿を想像できるような気がする。

私がずっとみたかったもので、山田洋次の「家族」という映画がある。先日とうとうDVDが出たので買ってしまったのだが、これは今はもうない中標津駅や上武佐駅、そして開陽台が映っている。内容はいわゆるロードムービーで、九州から北海道に移住する家族の旅を追ったものだ。私が生まれた頃、瀬戸内は黒煙が吹き上がる工業地帯だったり、大阪万博があり、ふとみせる大阪駅には今もそのおもかげがあったりするのが妙に嬉しかったりした。

この時代は電車は多くの期待と不安を持つ人々を載せていたはずだ。今は義務的に、そして車内ではひたすら睡眠を取るだけの移動手段になってしまっている。もっと電車には、気持ちを駆り立てる空気を持っていたと思う。そんな昔から変わらない空気を持つ出雲は、姿を消す事になった。

鉄でなくても、旅を感じさせてくれるものが消えるのは悲しい。速度だけでなく、スピリットを運ぶ乗り物は、これからの若者に必要なもののひとつなのではないかと思った。

写真はブルトレの写真が手元にないので…釧網本線のとある駅のホームから。

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2006年03月16日

いきつけの鮨屋

これまでもチラチラとその存在を書いていたが、いきつけの鮨屋が道東にある。あえてその店名を公開しないのは、当然大事なお店だからだ。なのでお店を知りたい人にはメールで教えている。

私や由は鮨が大好きだ。そして、一番訪れている鮨屋は自宅や職場の近くではなく、遠く北海道は道東の鮨屋なのである。その場所や店名はあえて伏せるが、既にそのお店を知って7年位経つのだが、今でもダントツに旨いと今でも思っている。そして何より安いのだ。

おいしい鮨を食べるなら、銀座や赤坂などで多額のお金を出せば食べられるのかもしれない。しかし持論としては、高いお金を払って旨いものを食べるのは簡単だが、いかに安い値段で旨いものを食べる所に意義があると私は思っている。その支払う額が安く、おいしいものというギャップが大きければ大きいほど、その喜びは大きくなる。そう、単なる貧乏性なのかもしれないのだが…

季節柄、裾の旨い時期というのは今だと思っている。真夏の鮨よりも秋から冬にかけての、地の魚というのは日本人に生まれてよかったと思える食べ方である、鮨の完成度が高まる。それは縁側であり、生タラバであり、厚岸のかきであり、ほたて、ソイ、サーモンなどが顕著にその味の力を発揮してくれる。

またここに来るようになってから知った、炙り鮨というのがまた絶品なのだ。折角鮮度のよいネタに火を入れる事自体がちょっと抵抗もあるのだが、そのおいしさを知ってしまったらもう頼まずにはいられない。特にサーモン、ホタテ、縁側が素晴らしい味を表現してくれるのだ。

最近は1回の旅で2度以上訪れるほどになってしまった。ここ数年北海道は道東に訪れる場合はまず確実にそうしている。それだけ値段と味のギャップが大きいのだ。それも嬉しい方に。

今回由のお母さん、叔母さん、妹さんをその鮨屋に連れていった。皆、瀬戸内沿いの神戸の人なのでおいしい鮨はよく食べている。関西の人の多くは舌が肥えていると私は思っているのだが、みなさんにこの鮨屋を評価して頂くというのも、ちょっとした楽しみだった。

今回道東の2カ所の鮨やに行ったのだが、やはり予想通り、私の行きつけの鮨屋の評価はダントツに高かった。格が違うというのだろうか、何でここの鮨はこんなにおいしいのかと思える程、期待を裏切らない。ただちょっと今回は縁側の質がイマイチだったのだが、それでも標準以上。メニューも豊富なので、飽きない。また必ず頼むもののひとつとして、あら汁が挙げられる。これも素晴らしくおいしい。

直線にして1000km以上離れているこの地の鮨屋に、もう20回以上訪れているだろう。おいしいお店というのは、時間がたつと味はおちていくものなのだが、ここはそれをよい意味で裏切ってくれる。

我が家から気軽に行ける範囲に、新宿の北澤倶楽部や沼津港があるので、たまに行くのだが、特に前者は高く、雰囲気はなんだかあまりよくない。もっぱら後者の方でお茶を濁すのだが、まあそれなりの味を提供してくれる。また静岡にディスクなどで遠征に行くと、魚がし鮨チェーンにも顔を出す。鮨はやっぱりおいしいのだ。

さて夏にまた北海道にいく時に、何を食べようか。まだまだ健在でいてほしい度ナンバーワンのお店なのだ。

写真は炙り鮨の例。思い出すとまた食べたくなる。ホタテ、サーモン、鯖、マグロ、縁側の5種。

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2006年03月15日

速度超過検挙初体験

今回の北海道の旅でショックな事があった。それは、1985年から毎年1回以上、北海道を旅してきた私が、初めて速度違反で青紙を貰ってしまったという事だ。

これまでの経験で、どこが注意しなければならなくて、どういう走り方が北海道では危険に繋がるという事を体で覚えてきたのだが、今回は色々な自分のミスが重なり、最後は情けない程に注意力が落ちていたというのがその原因だった。そしてそれは今も深く自己嫌悪として残っている。

友人からはそれは糧として受け止め、気を引き締めればいいというようにアドバイスも貰った。確かにその通り、事故を起こさなかっただけで十分なのだが、今回は十分に自分が注意をしていれば、捕まる事はなかった訳で、おまけに取り締まりの場所も下り坂で真っ直ぐ、側道への分岐もないような場所で行われていた事、流れている車たちの中で、「わ」ナンバーがチェックされた事が、やはり何の為にこの国は交通取り締まりをしているのかという点で、疑問を感じさせずにはいられない。安全な場所で行う取り締まりにどのような意味があるのかという事と、彼らのノルマと気分で決まる取り締まりが今だに行われているという事は事実だからだ。

また私のミスのひとつとして、レーダーを忘れた事もあった。ちょっと疲れがたまっていて、養老牛の温泉に入った直後だったというのも要因に絡んでいる。とはいえ、全てにおいて自分の注意力が不足していたというのは明らかな理由だという事は自分でよく分かっている。

3年前、私はバイクでの旅の終わりに小樽で巻き込み事故にあった。その時私はバイクをおりるべきかと悩んだ。いくら疲れているからといって、車の動きを読めなかった私自身のミスだ。恥ずかしいと思った。結果、単に自爆に近く、コケて右足の親指を骨折し、左足を打撲してしばらく歩くのさえ辛かった経験は、自分に年齢と相談が必要なのではないかと思った。確かに集中力が以前より衰えてきていると感じる瞬間もある事が、その不安に繋がっている。

運転はまだまだする事になるだろう。その為にも、もっと自分の集中力を必要な時に高められるよう、精進しないと。事故だけは気をつけなければ。忘れっぽくなってしまった自分の気を、あらためて引き締めていかねばならない。

既に川湯の郵便局で反則金を支払ってきた。しばらくこの言いようのないモヤモヤした気持ちは残るだろうが、自分のミスは認め、今後繰り返さないようにしようと思う。

川湯郵便局の前にひとり車を停め、これから支払う反則金と青切符を記念撮影…由たちはホテルから足湯まで散歩してもらっている間の出来事。

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2006年03月14日

冬の北海道の観光地

週末の北海道の話を少し続けよう。

冬の道東に、由のお母さん、叔母さん、妹さんを連れてきたのには、ちょっとした親孝行と、くーを流氷に載せて写真を撮りたい、という目論見があった。しかし、ご存じの通り今年は2月に開氷宣言され、とっくに流氷はアリューシャン列島の方向に流れていってしまった。

少しばかりの流氷の塊を期待したのだが、見事に何もない。浜小清水の海岸にも、氷がまったくなかった。少しは打ち上げられた流氷が残っているかと期待したのだが…11日は大雨が降り、12日は+4度まで気温があがったりしたせいだろうか。一番の目的だった流氷観光はできなかった。

一応おーろら号のターミナルに行ったのだが、単なる海上クルーズになるという話らしい。何でも3000円の料金も2100円位にディスカウントされるそうだ。しかし駐車場は決まったコースを予定通りに巡る、ツアーバスであふれ返っていた。ご苦労な事だ。まあ流氷がなくてもクルーズは悪いものではないだろうが…

夏の北海道、そう、私の結婚式の時にこの道東に訪れた由のお母さんと妹さんは、夏の道東しか知らない。叔母さんは旅好きで色々な所を巡っているのだが、この時期は初めてとの事。お約束なのだが、美幌峠、和琴半島、硫黄山、摩周湖、くりーむ童話、開陽台、養老牛湯屋だいいち、屈斜路湖畔でスノーシュー、鶴見台、MOO、六花亭喫茶室、なごやか亭、細岡展望台、やまね工房、浜小清水前浜キャンプ場、そして月を巡った。中でも美幌峠、摩周湖は突風で体感温度は-10度近くなったり、濃霧の鶴見台でうすぼんやりとしか丹頂鶴を見る事ができなかったりしたが、冬の北海道を堪能してくれたと思う。

短い旅だったが、くーも春の歩きにくい雪の中を必死で駆けめぐり、相当に疲れたようだった。ディスクもあまりできなかったり、写真もあまり多く撮れなかったが、何よりゲストが満足してくれたという事でそれが一番の嬉しい事だ。

ただ、非常に悔しく、また自己嫌悪にさいなまれている1件の大きなミスが、悔やまれる…全て私のミスなのだが、1つ忘れ物をしたお蔭で、大きな代償となってしまったのが、今でも腹立たしい。

写真は濃霧の細岡展望台からのぞむ釧路湿原。くーも鼻が冷たいらしく、ぺろり。

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2006年03月13日

冬の北海道はレンタカー

今回大人5人、犬1匹という体制での旅行。女満別空港を利用するにあたり、当然だがレンタカーを利用した。そして、5人と1匹とその荷物を余裕を持って吸収でき、4WD+スタッドレスをいう車種を選択していくと、女満別をベースに旅行した時には必ずといっていい程つかったマツダレンタカーに今回も落ち着いた。

丁度MPVのキャンペーンをしていた事や、MPVがフルモデルチェンジしたのもあったのだろう、3泊4日でナビ付きで確保した。またちょっとだけMPVに興味もあったのだった。ミニバンのように背が高い車よりも、普通乗用車の方が運転は楽に感じる。まあ慣れの問題なのだが、反面最低地上高が低いので、雪庇や吹き溜まりでカメになってしまう事もあるリスクはあるが、それをいえばRV以外はみんな同じだろうという解釈だ。

助手席の扉の板金がへこんでいたが、まあそこそこ綺麗な白いMPVを借り、関西空港からの到着組を迎える前に、まずフィーリングを確かめに網走市内の鮨屋まで走った。4WDとスタッドレスはなかなか感じはよかった。

今回、最後列の簡易シートには、くーのクレートと由に乗って貰ったのだが、ちょっとしたギャップでリアの突き上げがひどいらしく、たまに唸り声をあげていた。ギャップ通過時は結構気をつかう必要があった。きっとリアサスがプアーなのだろう。5人乗車時には少しマシになったが、それでもやっぱり腰に響くようだった。くーは文句もいわず、おとなしく乗ってくれていた。

またリアの扉は左右とも自動扉で、慣れるまで開け閉めで戸惑ってしまったが、便利だった。スライドドアなので場所も取らない。このあたりはよくできている。また車内のまん中があいているので、外に降りずに移動もできるというのはすぐれものだった。これはミニバンだと当然の機能なのだろうが、ロッキーではありえない構造だ。ロックもワイヤレスで鍵の閉じ込みも減るというのも便利だ。全てがマニュアルでオートドアロックすらついていないロッキーに、羽田に戻ってきてから乗り換えると、ブレーキの効きも悪いので、やはり戸惑ってしまう。

MPVはとても乗りやすい、よい車だった。またいつか大人数で乗る時は選んでみたい。マツダは好きなメーカーなので、これからもよい車作りを期待したい。

写真は女満別空港のマツダレンタカー。MPVは写ってないが、ここでよく車を借りる。

ちょっとよくない言い方だが、レンタカーなら安心して砂利道やドロドロになりながら走る事ができる。自分の車だと色々気になるのだが、そういう意味ではレンタカーに生まれた車たちは過酷な一生を送る事になる。そういう使い方の中にも、ちゃんといたわりのある運転を心がけたい。少しの間だが、旅のパートナーなのだから。

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2006年03月12日

冬の道東の犬連れ宿

今回北海道は道東を旅行したのだが、これまでと違う点が2点あった。

まず1つはご存じ、くーという犬連れという事。そしてもう1つは、由のお母さん、妹さん、叔母さんが一緒という事。

その為、宿も限られた。今回、昨年夏に現地調査をかねて旅し、実際にフロントに立ち寄って聞いてみたのだが、その中で感触がよい所を選ぼうという事になった。それが、今回宿泊した川湯観光ホテル

川湯観光ホテルといえば、大手の老舗。増改築を繰り返して巨大なホテルとなっているのだが、その中でも風呂が女湯が3階、男湯が2階という温泉棟は新しい。どちらも同じレイアウトだが露天もある。泉質は川湯温泉、明ばん泉という酸性のお湯だ。髭を剃ったあと、ヒリヒリとしみるだけでなく、髭剃り負けした肌の血が止まらない。しかし芯から温まるよい湯だった。

露天やジャグジー、肩たたきの湯などは真湯なので、ちょっと残念だが、露天位は川湯温泉の湯を使ってほしかった。しかし川湯エリアは空気中にも酸性になっているらしく、車や建物の金属の腐食が激しくて大変らしい。それだけ川湯は純度が高いという所か。

女性4人、男性1人の5人で5人部屋を確保。これも単価をさげる為の努力だ。男性私一人なので、適度に私が部屋を出ていればよいだけなので、我慢して貰った。食事も3泊したのだが、それぞれ趣向を変えてくれたので、飽きはこなかった。このような宿で3連泊はなかなかする人はいないだろう。

できれば近所によさそうな宿があれば、そこにも泊まりたかったのだが、犬の追徴金ない価格でここ以上安い犬可の宿がなかった、というのも選択の大きな理由だ。また旅の窓口という昔から愛用していたネット宿泊予約(今は楽天トラベル)で取っているので、予約も楽だった。もはやネット予約ができないと面倒さを感じる。

フロントのスタッフは朝食時には朝食会場でスタッフをしていたり、出迎え、見送りなども同じ顔がみえる。うまく回しているようなのを見ると、フェリーのスタッフを思い出した。土曜は満室だったので大変な忙しさだったようだが、日曜の夜は風呂に入っていると、フロントの人やスタッフらしき人が温泉につかっていった。

今回これだけ大きいホテルに泊まった事と、土曜は満室と聞いていたので、相当警戒していた。夜は騒がしいんじゃないか、酔っぱらいが闊歩しているんじゃないかなど、気にしていたのだが、思いの外静かだった。宴会会場には地元の漁協や学校の団体が入っていて、1階に行くとドンチャン騒ぎが繰り広げられていたようだが、我々が宿泊した4階にはその音も届かなかった。風呂も思いの外空いていて、キャパの広さのわりに、うまくさばいているんだなと感心させられた程だった。

朝食は毎日同じメニューでバイキングだったのだが、久しぶりに朝からご飯食で納豆や地元の食材も食べる事ができて、なかなか満足だった。あの値段では満足、という言葉がぴったりくる。

フロントのおじさんも、私たちが20年近く前からここに訪れている事を知ったあとはいろいろ世間話もしてくれた。川湯に泊まったのは初めてだが、ここには川湯の歴史を感じさせられた。

また冬にくー連れで来る時は使ってもよいかなと思う。そう、今回親孝行の旅だったのだが、流氷が見られなく残念だったので、またリベンジの際には、宿泊場所としては候補にあがるだろう。

部屋の中で犬をフリーにできるのはとても嬉しい。というか、部屋でもキャリーから出すなという宿は使う気がしないのだが、マナーうんぬんよりも、客の一人として扱って頂く事はとても重要だ。

できれば部屋から玄関までもキャリーに入れなければならない、というルールは緩和して頂きたいと思った。夜のちょっとした散歩などに抱いて出入りしたいのだが、それが許されなかったのがちょっと残念だった。

3泊4日のこの温泉宿は、老舗のわりにはしっかりと犬連れ客への対応ができていて、私としてはとても満足できた。もし犬連れで道東に行く友人がいれば、推薦したいと思う。

写真は少々寂れた温泉街の風情あふれる川湯の街を散歩する由とくー。

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2006年03月11日

冬の北海道へ

今日は昨晩色々あって寝不足。昨日、春一番が吹いたという話をテレビのニュースで聴いた。朝7時半から18時すぎまで一歩もビルから出なければ、外がどんな天気なのかさっぱりわからない。風なら特にそうだろう。

大抵春一番が吹く日は、1日中強めの風が吹いているような感じなのだが、朝晩まったくそんな風を感じなかったのでわからなかった。季節なんかサラリーマンには関係ないという所か。

今朝はまた少し寒さが戻るという話だったのだが、そんな冷え込みではなかった。着実に春に向けて季節は進んでいるようだ。北海道も気温があがってきて、弟子屈の友人は雪がベタついていると言っていた。今週末まではもってほしい。

冬に北海道を訪れた事は何度かあるのだが、その殆どが2月の中頃であり、2度ほど年末年始の冬休みに渡った事もあった。2月は一番寒い時期なのだが、年末年始は道東はそれほど雪もなく、ちょっと拍子抜けといった感じだった。まあ道央はもっと雪があったのだが、場所柄もある。

北海道の一番厳しい季節は真冬である事は、住んでいる人も含めて同意見だろう。その厳しく美しい季節を感じるなら一番厳しい季節にいくべきだろう。ただ今回は参加メンバーの都合もあり、この位までなら大丈夫だろうという予想から、今週末を予定にしている。

急速に春に向かって走り出す季節をなんとか引き止めつつ、久しぶりの冬の北海道を楽しめればと思う。

その為に今日もリサーチ。私たちが訪れる時はプランも適当だ。しかし今回はできるだけこの3泊4日で冬の北海道を感じて欲しいので、一般的な観光コースも含めて計画している。その中で一番のポイントは食事処かもしれない。

くーを食事の間は車においておくので、できるだけ近くに駐車場があればとか、寒すぎず暑すぎずという駐車スペースがあるといいと思いつつ、鮨は決まっているのだが、その他にどんなお店がよいだろうかと色々リサーチしている。網走か弟子屈か釧路で、候補を事前にあげておきたいのだ。

網走では例の鮨屋は当然として、普通に海産物が食べられる食事処が2箇所ほどみつかった。釧路でも同じ系列なのだが、釧路港沿いの阿部商店・鮭番屋や、MOO裏のやはり阿部商店系列の煉瓦あたりか。弟子屈はまだ行った事がないが、摩周豚丼が食べられる食堂でもよいかなと思う。

何にしても朝晩はホテルなので、大した事はないだろう。満足して頂けるといいのだが。

写真はある冬の結氷した琵琶瀬川。霧多布湿原は美しく蛇行している。

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