2006年12月31日

大晦日

あっという間に冬休みに入って3日目。朝はそんなに遅くまで寝ておらず、朝っぱから食事もお茶も取らずに、昨日完成しなかった年賀状のロゴを加工する為、パソコンに向う。

結局デザインが完成したのはお昼を過ぎていた。すぐに印刷開始。120枚ほどを刷る。以前に比べて今のプリンタは比較的印刷が速い。今はもっとよくなっているのだろうが、2年落ちのCanon PIXUS 990iは大きなトラブルもなく働いてくれた。

裏の印刷と同時に住所録をメンテする。折角筆まめを買ったのだが、コンバートするのが面倒なので、結局筆自慢の住所印刷機能を使用する。今後の為に、筆まめに住所録は移行するつもりだが、年を越してしまいそうだ。

印刷に私がかかりっきりになっていたので、くーの散歩はいつも通り由とくーだけ。大晦日位は一家でゆっくりと散歩に行きたかったのだが、何よりいくらなんでも年賀状の投函は気持ちだけでも年内に済ませたいのだった。しかし帰ってくるなり、由は相当に怒っていた。何でもくーが散歩の時に、他のお友達とガウガウの大喧嘩をしたらしい。これまでにない位に由の怒りは治まらない。

夕食は別に年越しそばでもなく、ダビンチコードを観ながらインドカレー。程なくして由が楽しみにしていたスケートが始まったので、映画は中断。その後、切手貼りをして何とか23時にポストへ投函したのだった。

私はウェザーリポートの曲を聞きながら湯船につかった。ジャコパスのフレットレスベースの音が、風呂場に響いていた。

今年は体調がここ数年にない程悪かったり、くーと由と一緒にこれ以上にない程、毎週末出かけてきた。来年はどんな年になるだろうか。先はわからないが、できれば笑って過ごせる日々にしたい。

写真は今年最後の公園、落ち葉の上で。

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2006年12月30日

チベット圏への想い

何とか発作は治まったようだった。しかし安心できず、しばらく強い薬を併用する事にした。しかし今度は肩こりからの頭痛。まったく、健康な人が羨ましい。

今日は遅くなってしまったが、年賀状作成。ここ数年、由のペースでもあって、年内ギリギリに投函というパターンだが、今年はそれも難しそうだ。原案が半日かけて何とか出来上がった。が、イラレを使用する部分で由が担当になるのだが、こうなると由はすぐには終わらない。大晦日に印刷し始める形になるだろうか。ゆっくりできない年の瀬である。やりたい事の半分もできずに年を越えてしまいそうだ。

昼間、TOKIOの山口達也がインドはラダックに行き、チベット仏教を取材したという特別番組をやっていた。TBSで放映されたのだが、なかなかトボケたうそっぱちを並べた内容ではなく、しっかりしたものだったと感じた。まるでラサのような山に寺を建築し、その斜面には僧の家が並ぶ、要塞のような風景は、久しぶりにゾクっとした旅心を刺激してくれた。

乾燥して埃っぽい気候に、レーの町は正しい田舎の町の風景を残していた。そして圧巻だったのが最後の祭。これは一度是非行きたいと思える内容だった。ラサやシガツェは由しか行ったことがないが、私は一番行きたい地のひとつである。宗教としての方向性も、私が唯一頷けるものでもある。ただ、自身がそれに傾倒するという事はまったくないのだが…

いつか、年を取って夫婦で行けるかな、と夕食時に話をしたりした年の瀬であった。

写真は微妙に違うのだが、アンナプルナ山系に朝日が当たるサランコットにて。時に1997年1月1日の朝だった。

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2006年12月29日

冬休み初日

朝寝坊しようとしたのだが、何だかまた調子が悪い。風邪というのではなく、喘息の方がちょっと怪しい。大抵何もするを予定せず、体を休ませようとした週末に限って、体調を崩すものなのだが、昨日実家でほこりまみれの棚にDVDプレーヤーの配線をしたのが原因だろうか。

この秋に久しぶりに酷い発作に見舞われ、点滴を受けた時のような感じで、ちょっと声を出そうとすると、咳込むというか、胸が締め付けられるような苦しさがあった。

メプチンも1日の使用限度をすぐに越え、発作が酷い日用の薬を飲むのだが、じっとしているのがやっと。よほど病院に行こうかと思ったのだが、面倒臭くて結局1日ウダウダとしていた。

夜も横になると苦しく、結局寝たのが2時。明日もしも発作が治まらなければ、病院行きだ。折角の休み初日なのに、参った。

写真はあまり意味がないが、私が2階の寝室で寝ている時、くーはたまに階段の踊り場でこうして寝ている。下も気になるし、上も気になる時のようだ。

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2006年12月28日

今日で仕事納め

2006年最後の通勤。今日は午後からは大掃除で、14時半からは納会が行われた。

毎年そうなのだが、私は酒も飲まないし、喘息を理由に歓送迎会も出ないつきあいの悪い奴である。その事もあって、早々に逃げるように撤収。といってもあと7日後にはまた出社しなければならない訳で、短い年末年始の休暇に入る。

ここお台場は建物も増えてきてにぎやかになってきた。特にこの時期、朝以外は遊びにくる人が増えている。クリスマスシーズンや夏休み、ゴールデンウィークは当然だが、展示会がある日も人の量の差がある。

その中で顕著なのは、IT系や事務系の展示会ではなく、コミケ。新橋駅構内でも注意を促すアナウンスすらするほどだ。私はもっぱらここ何年も開催期間はわざと別の事業所で仕事を作って混雑から免れていた。明日から3日間、またそれが行われるようだが、今回もうまくパスできたようだ。

昨日、ぎりぎり帰り際に穴八幡神社に立ち寄り、実家から毎年頼まれている一陽来復のお札やお守を買った。もう閉じる直前だったらしく、テキ屋も店じまいに忙しそうだった。ガードマンがお札の方は急いでくださいと言い、小走りに階段を登り切り、目的のものを購入。昨年は由がノロウィルスにやられて倒れた数日目かの朝に、くーを連れて散歩がてら買いに行った。これを年末に1度、実家に届けなければならないのだ。

納会を終えてその足で実家に立ち寄り、お札類を渡し、新しく買ったDVDプレーヤーを接続してやって、帰ってきた。母親を相手にしていると、とても疲れるのだ。正直勘弁して欲しいとは思いつつも、こうして気はつかってやるのだが、いつもの事でお礼ひとつ言わない。長い付き合いだが、慣れるものでもない。すっきりしない気分だったので、家まで30分かけて歩いて帰った。小学校や中学校の通学路は、すっかり異国のような雰囲気になっていた。同級生の家はまだ何件か残っていたが、住んでいるかどうかはわからない。

この年末年始は年内に特に予定はないが、家の片づけなどは少しあるだろう。週末がずっと忙しかった為、納戸と化している私のパソコンルームは酷いありさまだ。少しは片づけられるだろうか。

夜は由と鍋をつつき、最後に卵でとじたおじやで満腹。どっと疲れが出たので、早々と寝よう。明日はこの冬一番の冷え込みだそうだから、ゆっくりしよう。

写真は昨年、正月に散歩がてらお参りに行った穴八幡。

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2006年12月27日

クリスマスはくーの為に番外編

土日と活発に活動した我が家は、翌月曜には二人とも仕事を休みを取っていた。

私は体力の消耗を控えられたので、年休も勿体ないので出社しようかと思ったのだが、朝から頭痛。肩凝りから来るもので、ジクジクと痛さがあり、こういうのには頓服もあまり効かず、結局夕方まですっきりしなかった。朝から低周波治療器で痛い肩を揉みほぐす。

昨日の競技で食べなかったパンなどを食いつなぎ、買い物もでなくて済みそうだった。なので今日は台所には私はたたず、殆ど寝室で寝て過ごしていた。

土曜はハリー君のママさんが、お手製のくーのフェルトぬいぐるみを作って下さり、プレゼントして頂いた。とてもかわいく、くーの尻尾の巻き方や色の配色、足の長さなども忠実に再現してくださり本当に嬉しかった。またクリスマススペシャルという事で、サンタ帽ものっかっていた。くーは新しいオモチャだと思って狙っているのだが、共食いになるのでやめてくれとテレビの上に飾らせて頂いた。

日曜は皆さんがシチューやケーキなど料理を持ち寄って食べるという事を聴いていたので、銀座のハナマサで牛肉を購入。コンボクッカーでローストビーフに。生の部分がちょっと少なめだったが、ニンニクを埋め込み、スパイスをまぶして寝かせて作ったものを、おろし醤油か粒マスタードで食べるように用意していった。

最近はノロウィルスが怖いので、肉を切る時用に薄いビニールの手袋を用意したり、保存する温度なども気をつけたのだが、できたてではないのでまあそんなもんかという味になってしまった。それだけでは寂しいので、クラッカーにカッテージチーズを塗り、その上にサラミを載せたオードブルも追加。

アジ友の皆さんの料理では、チョコグリママさんの作ってくださった圧力鍋のポトフや、マフィさんが煮込んでくれたビーフシチュー、ウィルマさんのシーザーサラダ、なっちさんのお肉と野菜いっぱいの洋風煮込み、ケーキなど数えきれない料理が朝から夕方まで出てきて満腹感を長時間持続する事になってしまった。

くーは帰ってきてからも元気いっぱい。ちょっとした飼い主の言葉に反応して、ボールを加えて目の前まで持ってきて、尻尾をふりつつ、見つめてくる。4歳になって少しは落ち着いたのかもしれないが、がぜんパワー満点のくー。来年のクリスマスもきっとくーの為のクリスマスになるんだろうなと思いつつ、頭痛が抜けたぼんやり頭で、のだめカンタービレの最終回を見たのだった。

写真はハリー君のママさんから頂いた、手作りのくー。宝物だ。

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2006年12月26日

クリスマスはくーの為にPart4

今日予定しているのは4走。JP1、JOP、AGOP、AG1。途中ぐるぐるオープンと最後のクリスマスJPが今回の目玉だが、我がチームはエントリーしていない。

特にぐるぐるオープンはいつも料理を作って頂いているベテランのべったんパパさんが発案。当初はスタート前にハンドラーがバットを中心に柄におでこをつけ、5回転したあと走り出すというものだったが、グレードアップして途中2度、4回転ずつ回転しなければなくなっていた。予想通り盛り上がり、半数近くは回転後よろよろと足がもつれてしまっていたり、どちらに進まねばならないかが分からなくなっていた。

発案者のべったんパパさんや、お世話になっていたYコーチも参加。我が家は由が私が留守中に試しにやってみたらしく、倒れてしばらく立てなかったという事から、エントリーはしなかったのだった。

ハンドラーがぐるぐるまわっている間、パートナーである犬たちは皆、何をしているのか分からず、一緒にぐるぐるとまわりながら吠えたり、脱走してしまった。多くはハンドラーの異常な行動に驚き、慌てているという雰囲気があり、実はこの競技はハンドラーと犬の関係というか、犬はどういう目でハンドラーを見ているのかというのが目の当たりにできる面白い心理テストのようなものに感じた。

また最後のクリスマスJPはJP3クラスの競技だという話だったのだが、それ以上に面白いルールが施されていた。なんと、ハンドラーは競技中、コマンドやアテンションなども含めて全て「メリークリスマス」という単語しか発してはいけないというものだった。

犬がくーだろうがウィルだろうが、「メリー」と呼ばなければならない。ジャンプやアップ、スルー、トンネルという言葉を発した時点で減点対象なのだ。この競技もそれまでやってきた練習や競技の中の常識を覆すようなものであり、それぞれの「メリークリスマス」の使い方はとても見応えがあった。

大爆笑の中にも、これも実は深い意味があるように感じた。犬は結局自分の名が呼ばれなくても、走れるものなのかもしれないという事。しかし世界選手権に出た方は、殆ど言葉を発さず、手や肩や体の向きや、クラッピングによるアテンションだけでクリーンランを披露してくれた。このあたりはやはり違うレベルなのかもしれない。

さて我が家はJP1、JOP、AGOP、AG1とハードルを落としまくりながら、3完走1失格という結果に終わった。中でも3つ完走した種目は殆どビリに近く、それの殆どはハードル落としや侵入時のミスで拒否を取られたものだった。ただ私の目からみても、それぞれ難しいハンドリングを要求されるコースであり、普段の練習で何度か走ってやっとクリアできたようなものが多く、このあたりも由には難しかったのではないかと思う。

あまりの成績の悪さにちょっと落ち込み気味ではあったが、楽しく走れたと言っていた。今年最後の競技会が終わった事になるが、由にとっては課題満載だが、自分なりにポイントを理解して、そこをこなせるように頑張っていきたいという気持ちがありありと感じられた。

昨年は日付が変わらんとばかりに深夜まで競技が続いたようだが、今回は日暮れ直前に競技が終了。閉会式というか商品授与式にはとっぷりと闇に包まれた。お世話になった皆さんと挨拶を交わし、次は1/3の自主練習会という予定を話して、会場を後にしたのだった。

1日中食べていた事もあって帰りは皆直帰。常磐道も首都高のC2も含めて東池袋までスムースに帰る事ができた。このまま帰って夕食というのが面倒なので、東池袋の揚州商人で夕食を取り、19時には家でゆっくりできたのだった。

9カ月、アジリティという遊びにはまり、本当にその奥深さにすっかり楽しさを感じるようになった我が家。それは楽しいだけではなく、辛い事も多々あった。それも草アジの門を叩き、主催されているTコーチや、ゲストコーチだったYコーチ、そして多くの苦楽を共にしたアジ友の皆さんが居てくれたからこそ続けられ、また魅力も深まったのだと思う。

この出会いを大事にして、アジリティとの出会いを、今年一番の出来事として記憶のとどめたい。

写真はこの日最初のJP1出走前の由とくー。リーディングスタート前の2人の挨拶。

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2006年12月25日

クリスマスはくーの為にPart3

翌日のクリスマスイブは、本命というと失礼なのかもしれないが、我が家のチームとしてはこの日を目指してやってきたようなものという、草アジファイナルin茎崎。

茎崎の会場ではなんとJFAがクリスマスカップを23、24に同時開催となっていた。私達は今年JFAの会員は更新しなかったので、公式小型に参加できないのだが、実際かけもち参加なんかもできるわけがない。

アジの競技会の横で、フリスビーが飛び交っている会場で、くーは大丈夫だろうか。そんな心配をしつつ、どうせ会場でガス抜きはできないだろうからと、23日にNDAの夢の島に出たという理由もあった。

前回初めて茎崎で競技会に出た時は、朝6時半でもうタープを張る場所が殆どなかった。その為30分早く出発。常磐道を利用する為、三郷の料金所を6時前に通過する事になり、どちらにしても早くでなければならないのだが、それ以上に早くに動き出す。

自宅を4時50分にスタート。5時に東池袋の首都高ランプより乗り、C2経由で三郷へ。この時間はいつもハイペースだが、ルーレット族も早朝は少ないようだ。今日はクリスマスを前にしたイブイブ。きっと都心の道はどこも混んで来るだろう。

順調に5時半には三郷を抜け、6時前に谷田部ICを降りた。まだ空は真っ暗だ。ここ最近では一番安いと感じる出光で給油。実はここで給油する事を考えて、先週20Lだけ補給していたので、殆ど空に近かった。ここは117円/Lなのだ。

洗車もしたかったが、朝は凍結の関係もあるのか、動かしていない。ここは下まわりも含めたシャンプー洗車が、ドライブスルー型だがなんと200円なのだ。茎崎にくるたびに洗車したくなる。

そしてセブンイレブンで給油。由はようやくここで目を醒ました。今日は朝昼晩と3職分になるので結構な量の食料を購入。体が冷えてしまいそうなので、肉まんをラジオを聞きながら食べていると、うっすらと東の空が染まってきた。

会場に入るとやはりタープはまだ少ない。しかし、アジリティの機材は既に並んでおり、御殿場のアジ友の皆さんは殆ど到着してタープも設営し、準備が済んでいた。すっかり出遅れた我が家はまたもウィル家のタープにお世話になる。ありがたい。

奥の方には2コートを取ったJFAの会場があり、既に車の数は相当なものだった。今回草アジファイナル2006は思いのほかエントリー者が少なかったのか、前回ぐるっと満遍なくタープが並んだ時の事と比べると、フィールド4方を囲むタープの1辺がスッキリと空いており、寂しささえ感じた。しかし何走もする人がいる為、そんなにエントリー数としては少なくないようだった。

くーは朝から昨日の疲れなのか、寝ているという驚くべき状況だったが、すぐにアジの雰囲気を感じて、ごそごそと落ち着かなくなっていった。奥の方ではリズムのよいJFAの音楽が聞こえてくる。そういえば昨年のクリスマスイブは、千葉ポートでJFAの大会だった。由が大会中盤から体調を崩し、なんとノロウィルスにかかって倒れてしまった。私が決勝に出てしまった関係で、帰る時間にはもう由は自分では歩けず、助手席でワンワンと泣いて苦しんでいたのだが、場所と時期が悪く、自宅まで3時間もかかってしまい、辛い思いをさせてしまったのが思い出される。

アジ友の皆さんが料理を持ち寄り、朝から暖かいスープを頂いた。昨日も今日も風も殆どなく、太陽が出てくると暖かい。穏やかなファイナル日和となった。

写真は早朝の茎崎フィールド。Aフレームの影にかかった芝だけが凍っている。

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2006年12月24日

クリスマスはくーの為にPart2

朝すっかり30分寝坊してしまった。普段はそんな事はないのだが、先日目覚まし時計を換えてから操作ミスをしてしまったようだ。慌ててお湯と紅茶とコーヒーを入れてドタバタと用意。由とくーを起こして、出発。

今回行き先は夢の島なので、九段と永代通りを経由して下道で向かう。スムースに走れたのだが、到着は6時半。何でも皆5時半には到着して、6時に合図により、場所取り合戦が行われたようだった。今回3コートというマンモス大会でもあるのだが、タープを張れる場所は1コートよりも小さいという状況だったので、事前にタープスペースの争奪戦は予想できたのだった。

我が家は今回、同胎の姉妹犬、NDAのドギースではもう誰もが知っている福来ちゃん、親戚犬のダイゴ君、ブラックヘッドのハリー君、そして駿足やっくるちゃんとそれぞれのパパとママの3つの連結タープにお邪魔させて頂く事になっていた。我が家は決勝には120%進めないと思って信じていたので、2R終了後に退散させて頂くという話を事前にさせて頂いていたのだった。

由からの要望で明日控えている草アジファイナルの為に、スラロームを積んであり、場所をつくってスラを設置。すっかり何しにきているのかわからない状態だったが、結構皆さんスラには興味があるらしく、大型犬の参加者の方もちょっと試しに、という感じだった。どうぞ、お使いくださいと書いておけばよかったかなと思っていた。

ディスク大会はいつものんびり。朝の場所取りは大変な状況だったようで申し訳ないのだが、ゆっくりとお茶を飲みながら会話を楽しむ。皆、朝からビールやチューハイを飲んでいるのも、ディスク大会ならではだ。

やっくるちゃんのママさんは、私と同じCanon EOS 20Dを持っている。それにEF70-200mm f2.8L IS USMを装着しており、羨ましかった。きっと使わせて頂いたら欲しくなるに決まっているのだが、このレンズは値段が桁違いなのだ。私がやっと買ったEF70-300mm f4-5.6 IS USMと比べても対してかわらないと思っていたのだ。ただ値段は圧倒的に違うので、そう思いたかっただけなのだろう。

ダイゴ君のママ、いのいのさんもEOS KissDNに、私が最初買って使っていたEF90-300mm f4.5-5.6 USMを装着して使っていた。すっかりデジイチはEOSシリーズという雰囲気なタープだった。

競技の途中、いたずら心で、やっくるちゃんのママの20Dを持ち出し、やっくるちゃんを撮影。しかしやはり恐れていた事が。あまりにスムースなAFの動きと、ボケの美しさにドキっとしてしまった。また20D自体のシャッター音も私のに比べると軽快。10Dから20Dに買い換えた時に感じていたのだが、やはり私の20Dのシャッター音にはノイズが多いように感じてしまった。何よりLレンズの良さを自らの行動で感じてしまったのだった。やはりいつか欲しいレンズだ。これに1.4xのテレコンをつけて…と数えきれない程考えた構成がまた頭に浮かぶ。

本題の競技の方はというと、既に記憶がない。1Rは高くあがってしまうスローばかりでダメダメ。2R目は何投かはマシだったが、これも伸びが足らずくーが待ち受けてキャッチするような内容。普段フィールドで遊びでくーに座り投げしているスローの方が何倍もマシという結果に終わってしまった。

予定通り2Rを終えて、私は片づけ。時間がかかってしまい、大方の予想通り福来ちゃんのパパとママ揃って進出した決勝まで最後まで観戦して帰った。優勝は福来ちゃんのママ、あゆみさんだった。おめでとう。確実なスローで3シーズン目にしてすっかりドギーズの顔となった福来ちゃんチーム。くーもアジで頑張ろう。

片づけの中で我が家が出したゴミを1袋、すっかり忘れてきてしまってとても申し訳なかった。タープの撤収も手伝わずに、皆さんの暖かいサポートを頂いて、明日の競技に向けて早めに帰らせて頂いたのだった。その甲斐あって、18時には自宅に到着。21時には布団に潜り込んだのだった。

写真は嬉しそうにキャッチしたあと、投げ手の由の所に戻らず、私をみつけて私のもとにやってくる時のもの。

普段遊んでいる時は、くーに往復させずに、由と私で離れて投げあい、くーはキャッチ後戻らずとも先にいる飼い主に渡せば倍楽しめる、という事をするので、私をみつけてしまってコートから外れてしまった。

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2006年12月23日

クリスマスはくーの為にPart1

久しぶりのディスク大会。会場ではこれまでの中で一番近いと思われる、夢の島。

職場からもほど近いこの場所は、実は色々といわくつきの場所だったりする。

くーがディスク好きで、いつか競技というものに出てみたいと思っていたのは1歳になる前から。初めて同胎の姉妹に会う為に行った、大井のしおさいドッグランでも、真新しいウッドチップの上で、くーはソフトディスクを追いかけていた。まだ生後6カ月前後の頃だ。

当然体がまだ出来上がっていない訳で、投げるといっても放るという感じでキャッチさせたのだが、くーはボールよりもディスクを必死で追いかけていた。

1歳になり、初めての電車旅行やスノーシュー旅行などを経験したあと、競技という世界に興味があって自分なりに探していた。そして、NDAというディスク団体が、夢の島で大会を行うという事を知って、密かに2歳になる前にエントリー資料を手に入れて準備をしていたのだった。

しかし、競技会前、12月の頭に右前足の内側の第一指を骨折。普段の散歩の中で行う遊びで、折るというよりも割ってしまった。くーはそれでもボールを投げてとニコニコしていたのだが、右前足をあげている姿は明らかにおかしく、由は慌てて病院に連れていった。

結果的にその日は折れている事を確認できず、翌日まで様子を見てレントゲンを撮ると、見事に割れていたのだった。即時包帯とソックスで足を吊り、散歩禁止の生活に。飼い主は目の前が真っ暗になったのだった。

当然競技なんか出られる訳でもなく、それからは全てくーの容体につきっきり。私も会社を休んでとにかく心配をしたのだが、結果的にはどうにもならず、くーも明らかに自分の体のどこかがおかしいというのに気づき、それまでのくーにはなかった態度である、じっと水も食べ物も自分から食べようとしない病犬になってしまい、あたふたと飼い主はうろたえる日々だった。そして2回目の誕生日を寂しく迎えた。

大会の日すら忘れてしまっていたが、姉妹犬の福来ちゃんがその夢の島に初参加したと聞いて、正直羨ましかった。しかし全ては飼い主の不注意でもあり、とにかくディスクをしたいとかそういう気持ちはどこかに消え去ってしまい、回復を日々願っていた。

夢の島はそんな想い出があったのだった。

そしてこれまた飼い主の不注意が重なり、途中再骨折を2月にしてしまい、くーはまた病犬生活に戻る。7月になって、やっとくーはギプスが外れたのだが、すっかり包帯で擦れた部分は肌が露出し、痛々しさは消えなかった。9月頭には9日間の北海道旅行を行い、思いっきり北海道の広い土地を走りまわって完治を確認。既にディスク競技シーズンに入っている事から、比較的近場で行う開成町に、既にシーズンを通して戦う福来ちゃんのパパとママと一緒にエントリーをしたのだった。

思えばそれからは6カ月はディスクに没頭した。NDAだけでなく、JFAの会員にもなり、月のうち3週末は大会に出るほどに。くーは大好きなディスクができるという事もあり、いつものキラキラした目を見せてくれるようになっていったのだった。

そして今年4月からはすっかりアジにはまってしまい、ディスクは6月のAJPC、9月末のNDA開成町。この会場でこの日は、由がディスク競技に初参加した記念の大会でもあった。そしてしばらくアジばかりに戻ったのだが、くーの誕生日のお祝いという事も含めて、2年ぶりに夢の島で大会が行われると聴いて、エントリーをしたのだった。

思えば、夢の島は夢と消えていたのだった。そして今、くーと遊ぶ為に、土曜だけエントリーした。

写真はその夢の島でディスクを追いかけるくー。飛んでいる。

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2006年12月22日

F1の想い出

始めて富士でF1が開催された1976年。小学生の私はF1に首ったけだった。

兄が好きだったのもあるが、AUTOSPORT誌を講読し、日本初のF1が富士で開催される事に、興奮を憶えた。当時の記録が残っていたので、ざっと転載してみると、2人を除いて全てファーストネームから言える。ヲタクのようなものだったのかもしれない。

しかし今みても素晴らしい参加者だ。当時圧倒的な強さを誇っていたニキラウダは、2カ月前にニュルブルクリンクで火災事故に遇ったが、奇跡的に復帰していた。しかしひどい雨というコンディションでわずか2周でDNF。このメンバーで、今見れるものならきっとサーキットに足を運んでいると思うほど、私の青春時代の思い出でもあった。

01 05 Ma.アンドレッティ/ロータス/フォード 73
02 04 P.デパイエ/ティレル/フォード 1LAP 72
03 11 J.ハント/マクラーレン/フォード 1LAP 72
04 19 A.ジョーンズ/サーティース/フォード 1LAP 72
05 02 C.レガッツォーニ/フェラーリ/フェラーリ 1LAP 72
06 06 G.ニルソン/ロータス/フォード 1LAP 72
07 26 J.ラフィー/リジェ/マトラ 1LAP 72
08 24 H.アーテル/ヘスケス/フォード 1LAP 72
09 18 高原敬武/サーティース/フォード 3LAP 70
10 17 J.P.ジャリエ/シャドー/フォード 4LAP 69
11 51 長谷見昌弘/コジマ/フォード 7LAP 66
12 03 J.シェクター/ティレル/フォード DNF 58
13 21 H.ビンダー/ウィリアムズ/フォード DNF 49
14 16 T.プライス/シャドー/フォード DNF 46
15 09 V.ブランビラ/マーチ/フォード DNF 38
16 34 H.J.シュトゥック/マーチ/フォード DNF 37
17 12 J.マス/マクラーレン/フォード DNF 35
18 28 J.ワトソン/ペンスケ/フォード DNF 33
19 52 星野一義/ティレル/フォード DNF 27
20 20 A.メルヅァリオ/ウィリアムズ/フォード DNF 23
21 30 E.フィッティパルディ/コパスカー/フォード DNF 9
22 08 C.パーチェ/ブラバム/アルファロメオ DNF 7
23 01 N.ラウダ/フェラーリ/フェラーリ DNF 2
24 07 L.パーキンス/ブラバム/アルファロメオ DNF 1
25 10 R.ピーターソン/マーチ/フォード DNF 0

ファステストラップ1.14.300でウルフのジョディ・シェクター。最多参加エンジンであるフォードコスワースDFV V8が積まれていたが、石油王であり、あのカウンタックLP500Sのオーナーでもあったウォルターウルフが、他に主なスポンサーも付けず、その速さをみせつけた。

この中ではフェラーリ、リジェ、アルファロメオが12気筒であり、そのサウンドは鳥肌ものだった。DFVの荒々しい8気筒の音も嫌いじゃなかった。

ティレルが6輪で強かった時代もこの頃だ。この後、ツートンカラー時代にはオーバーステアが強まり上位に入れなくなっていくのだが、私は好きで実車を見に晴海にでかけたものだった。

この時走っていたパイロット達の中には、既にこの世を去った人も多くいる。ロニーピーターソン、パトリックデパイエ、翌年も富士で開催され、1コーナーで接触し空中を舞ったジル・ビルニューブ、そして先週15日クレイ・レガッツォーニが交通事故で亡くなったというニュースがあった。

F1パイロットはそれでなくてもとんでもなく危険な世界に身をおいている。しかし本戦中に起こった事故で命を落とすケースは極めて少ない。

あの時、多くのファンを熱くしてくれた人たちは、おじいさんになっても熱いものを与え続けて欲しい。決して事故なんかでは亡くなって欲しくない。

私は今でも、ロータスと言えばJPSカラーの黒金、リジェはGITANEの青、ティレルもELFの青、ブラバムの赤のマルティニカラーがF1のイメージだったりする。全てタバコメーカーばかりで、それだけ儲かっていたという事か。

写真は私が中学の頃、晴海にやってきたティレルP34。24mmの広角で撮影。小島エンジニアリングのステッカーはないだろうと、中学生ながらに思ったものだった。

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2006年12月21日

杉の森に囲まれて

御殿場フィールドは富士山の麓、杉林に囲まれている。当然地主さんは居る訳で、フィールド脇で農業を今もされている。

近くにはキャンプ場やゴルフ場があったりと、富士山もしっかりのぞめる訳ではなく、杉の森の先にちらりと山頂が見える程度。取り囲むように、立派な杉の森の中にフィールドがある。

ちょっとした山道を走っていても、やはり関東では杉林が一番目にする事ができる。林道を走って楽しんでいた頃は、どこも殆どが杉の植林がされていて、切り出すとか生活の為に通された林道な訳だったので、当然というべきだろうか。ちゃんと間伐されて手入れされた森とそうでない森をみかける。

フィールドに通うようになってから、立派な杉を沢山倒した。由もチェーンソーの使い方を習いながら、1本切り倒したし、それらは薪になったり、電柱になったり、東屋の柱になったりしていた。

フィールドの奥にある森を抜ける遊歩道がある。ここはなぜか馬の蹄の足跡もあるのだが、鬱蒼とした杉の森を抜けると、富士山が麓まで一望できる広場に出る。ここでもちょっとした犬の運動ができる。富士山を眺めながら、アジの機材がない環境というのは、犬にとってもリラックスして運動できる場所なのではないだろうか。

森には、それこそ猪や鹿や野兎も出るらしい。自然がいっぱい残った所だが、民家もすぐ近くにある。ちょっと前は野生動物たちと背中合わせの生活は何も珍しくなかったのだから。

生き生きと杉の森に囲まれたフィールドで、思いっきり走る事。これはとても贅沢で、幸せな時間なのだから。都心ではなかなかできない時間を、この場所が与えてくれる。

写真はフィールドの杉並木から差し込む朝日。

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2006年12月20日

夜中の首都高ダンス

先日御殿場から深夜に帰ってくる日、東名から久しぶりに首都高速に乗った。既に時間は2時。電光掲示板には、ローリング族への取り締まり中と書かれていた。

この日、東名で1度、首都高で1度、事故を目の当たりにしていた。東名では東京料金所近くの下り車線。白煙があがっており、そこから1台も車は動いていなかった。家に帰りついてからみると、閉鎖はなかったらしいのだが、相当激しくクラッシュしたのだろう、渋滞は始まったばかりでそこから先には車が抜けていなかった。

首都高ではそれっぽい車がC1で刺さっていた。たいした事はなさそうだったが、毎晩取り締まりやらパトロールやら大変なのは処理をする人々だろう。それでなくてもブラインドが多い首都高では、普通に制限速度で走っているだけでも怖い。

ロッキーは首都高では、非常にきつい。舗装の繋ぎ目でとんでもなく跳ねるのだ。それが永遠に首都高を走っている間中続くのだから、私もストレスが溜まる。高級車ならこの程度はうまく吸収してくれるのだろうが、ロッキーは小さいが本格RV。空気圧もちょっと高めに入れている事もあり、時にはお尻がシートから離れそうになるくらいホップする。

そんな中、由もくーも爆睡だった。私はひたすら自宅を目指すのだが、やっかいな動きをするタクシーやトラックがワンサカいるのも確かで、それらからうまく離れつつ、遅くならないように走るのは結構神経を使う。

足のふくらはぎが辛い。ロッキーは左足をおいておくステップがない事もあり、おまけに寝不足満点の体調なので、体は常にどこかに力が入っている。帰ると肩が異様に凝っているように感じるのもそのせいだろう。背もたれも起こし気味にしているのだが、そうしないと機敏な操作ができない。

リアに荷物を積みすぎているのもあるかもしれない。といっても、フル満載ではない。シュラフなどは今積んでいないのだが、リアタイヤは重さでゆがみ気味だ。実際人が4人乗っていたらもっと重いだろうと思うのだが…

乗り心地も悪いし、パワーもないロッキーだが、そういう車を普通に走らせる事は嫌いではない。流石に流れをリードするような乗り方は厳しいのだが、そこそこのテンポで、無駄に速度を落とさないように走るスタイルで、ロッキーを操っている。特に深夜だとそういう走りができるので、渋滞を走るよりも好きなのだった。

写真はドッグスポーツ仕様の我が家のロッキー。色々ガタがきているが、頑張って走っている。

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2006年12月19日

くーの食事

くーの体調はほぼ完治といった所。しかし結構疲れが残っているのか、よく寝ている。まあ屋内ではこんなものなのかもしれないが…

食事も普段通り、生肉と野菜をとりまぜ、油や気持ちのサプリメントを加えたものだ。生肉だけでなく、たまに生骨も与えるが、もう夢中になって食べている。当然だが野菜よりも肉派であり、食べるスピードも断然違うのだ。

肉は馬筋が御殿場で安く手に入る為、コスト的にも安い。また専門の肉屋からネットで買ってもいるらしいが、私は詳細はわからない。

ドライフードも朝は必ず入れている。まあ食事に好き嫌いが殆どなかった時代から比べると、最近はいやなものは残すようになってしまったのだが、食わず嫌いもある。旅行先や出先ではやはりドライフードが手軽なので、生肉しか食べなくなってしまうのも困る為、バランスを考えて与えている。

よくドライフードも安いのを売っているが、人間の食事から比べたら、殆どタダみたいなものをあげるよりも、家族の一員なのだから、少々考えてもバチはあたらないというのが我が家の考えだ。実際どんなに高いドライフードをあげても、そんなに変わるものではないし、カンズメやウェットフードに関しても、腹の調子にあわせてあげるのはよい事だと思っている。

パピーの頃はハイカロリー高タンパクのパピー用フードをしっかり与えるものなのだが、太るとかいう理由で早々にレギュラーどころか、シニア用フードを与えている人もいるようだ。子供の頃は骨の形成や新陳代謝能力など、しっかりと力をつけさせてやらないとならないという理由に逆行する。くーは今でも運動する日は朝からハイカロリー・高タンパクのフードを与えている。それでも運動する事でまったく太らない。

そういいつつも飼い主自身は結局甘えが出てしまい、夜に甘いものを食べてしまったり、勿体ないからと多めに食べてしまう事がある。強い意志は飼い主にこそ必要なのかもしれない。

写真は御殿場フィールドの大家さんの家で生まれた生後2カ月のパピーのコーギー。まるまるとした体系だが、パピーの頃は当然な事なのだから。健康に育つのだよ。くーはこの頃は毎週病院通いだったのだから…

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2006年12月18日

朝食は必ず取る

朝食は大抵コンビニで買う。私は7時30分に職場に出社し、朝食を取りながら、色々な自分がかかわるシステムの状況を確認したり、最新情報を確認する。それが私の1日の始まりになる。

蒲田や大井町、茅場町に通勤していた頃は、結構駅そばなんかも食べた。お決まりのメニューはたぬきそば。天かすは体によくない上に、スープも塩分取りすぎなのだが、好きなのだ。なので、朝カップのそばやうどんなんかも選んでしまう日がたまにある。特に寒くなってくると、スープものが飲みたくなる。

大抵は野菜ジュース500mlのパックと、ヨーグルト。毎朝適当に考えるのだが、それが以前はおにぎり2個だったり1個だったり、菓子パンだったりするのだが、昼までの時間が比較的短いので、ガッツリ食べてしまう事はあまりない。

ほかの同僚が9時前後に出社してくるのをみると、朝食から昼食の4時間以上の間があいている私はまだバランスは取れている方かもしれない。多くは朝食後3時間程度で昼になる訳だから。

写真は最近の休日の朝食パターン。ジョナサンにて。納豆をつけているのは私の趣味。由は顔をしかめるが…

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2006年12月17日

御殿場フィールド忘年会

お昼ちょっとすぎまでセミナーを行い、べったんパパさんの握りで鰤とつぶ貝の鮨。鰤は丸ごとを買ってきておろし、美しくさばく。つぶもネタ用にうまく開いていく。何でもできてしまう所が凄い。

鮨飯も丁度よい感じ。ちょっと固めの米は私も好みで、時間はかかったが鰤が99個、粒が30個ほど握られた。それに大家さんが持ってきてくださったうどんやすじ肉とパイナップルを甘辛く煮込んだものなど、十分な量があった。鮨大好きな我が家も嬉しいメニューだった。

しかし毎回本格的な料理を作ってくださるべったんパパには頭が下がる。私も料理は好きな方だが、あまり大勢に料理を振る舞うような事はしない。実際キャンプ仲間の中では、自分のものは自分で作り、片づけるというのがセオリーになっていて、その分ゆっくりと話をする時間に割かれる。

たまに料理好きの友人が全員の鍋を作ったりする。私がそういう時は飯炊き担当になるのだが、前回大失敗していたので、ちょっと自信喪失中だ。自分の使い慣れた機材が一番なのだが、基本ができていれば、別に何を使おうとできなければならない。実際釜でも土鍋でもうまくこれまでた炊けたのだが…

昼食後はちょっと自主練したり、それぞれ会話したりしながら、今度は宴会の準備。夕食はこれまた驚くメニューで、アンコウ鍋。アンコウ1匹まるまるを、吊し切りするべったんパパさん。これは本当に凄いとしか言い様がない。鍋は味噌で味つけされた。ほかには鹿のレバーとハツの串焼き。塩で味付けし、炭火で焼く。甘辛く醤油とみりんと砂糖で漬けにしてあった鰤のカマや尾の部分、そしてふぐの開きなども焼かれた。

日がかげり風が出てくる頃、キッチン兼ミーティング場所でもある東屋の片側に、大勢で鉄パイプとアングルを使って壁をつくり、そこにドカシーを張り、風よけを作った。これで風が一番通る方角からの流れを遮る事ができ、寒さもましになるだろう。

この手の設営や設計はコーチがプロの力で手際よく対応していく。それぞれの技術や経験は、どんな所に効果を生むのかわからないが、皆凄い人ばかりが集まっている。

アンコウ鍋は濃厚な味で、体が芯から温まる。お酒も日本酒、黒糖焼酎、ビール、発泡酒、ワインなど何でもあるが、私は運転するので一切飲めず。実際飲んだら飲んだで喘息がおきてしまうので飲めないのだが、日帰りの人は皆ガマンして料理と会話を楽しんでいた。

1年間、我が家については9カ月間、草アジにお世話になり、またこの御殿場フィールドには開設された8月から月に2~3回は通った思い出が詰まっている場所だ。ここで笑ったり泣いたりしながら、2006年の3/4はすっかりアジという世界に漬かってしまったのだ。ここで今年を締めくくる集まりに呼んで頂けたのは、嬉しい事である。

また、今回集まった皆は我が家より1年以上は先輩の人々だ。同期は残念ながらいないのだが、それでも皆が暖かい声をかけてくださり、そして時には支えてくださったからこそ、こうして1年頑張れたのだとも思っている。

くーもこの1年で多くの事を経験し、学んできた。それはくーとだからこそ、こなせてきたメニューだったのかもしれない。それはくーという犬を家族に迎えた私達の喜びであり、苦しさであり、楽しさであるのは間違いない。

来年もここで頑張って経験を積んでいきたい。そして皆さんと楽しい時間もいっぱい過ごしていきたい。そう思いながら、夜1時すぎにフィールドを出、2時20分に首都高を始めて使いつつ、帰着した。睡魔に相当やられていたが、風呂に入り、あっという間に眠りについた。

写真は0時をまわる頃まで続いた、忘年会の暖かい明かり。

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2006年12月16日

2006年最終セミナー

今年最後のセミナー。朝出発時間がいつもよりも10分遅くなった上に、都心の地下鉄工事や車の交通量などが原因で、予定が大幅に遅れてしまい、慌てて何度もフルスロットルをロッキーにかけながら東名を目指した。

東名のゲートを潜ったのが5時56分。危ない所だった。折角4時起きしている意味がなくなる所だった。普段が5時10分にはスタートするのだが、由には5時に出るという事にしておかなければならない。そうすれば、5時10分頃には動き出す事ができるだろう。

慌ただしく東名に乗ったので、あとは巡行ペースで走る。由もやっと安心して眠る事ができたようだ。御殿場ICまでノンストップで走り、何度も通っているが気がつかなかった通過ルートにあるジョナサンで朝食兼休憩。私も由も鼻と喉の調子が悪く、鼻はもう真っ赤だった。元々二人とも慢性鼻炎なのだが、ちょっと酷い症状なので、薬を飲む。

御殿場でフィールドに着く前に朝食を取るとなると、安く済ませるなら吉野屋やすき家、マクド(我が家は由が関西なので、あえてそう呼ぶ事にしていたりする)などがあるのだが、由がゆっくりと紅茶を飲みたいという時は、朝7時前に開いているデニーズを使う事があった。しかしデニーズの朝食メニューは値段的にも内容的にも不満が多かった。他にはロイヤルホストがあるが7時をすぎないと開かない。

先日、ジョナサンで朝食を取ると、比較にならないほど満足できるメニューがあって、これからは24営業のジョナサンにしようと思っていた。御殿場のジョナサンを探してみると、いつもガソリンを入れている出光の先にあった。

その出光も最近ずっと朝は開いていない。開店時間が遅くなったのだ。ガソリンを入れるなら帰りになってしまった。来週は茎崎なので、今回は茎崎近くの出光で入れるように調整する事にしよう。

眠さと鼻のうっとうしさが残る中、朝食を取り、マックスバリュにちょっと寄ってからフィールドへ。キンと冷え込んだ朝。真っ白な富士山が美しい。今日は大勢来るのだろうと思っていたら、ハル家とウィル家とコーチだけだった。時間はもう8時近いので、皆スロースタートなようだ。

セミナーは少々遅れて開始された。10時近かったと思う。今日は午後から夜にかけてセミナー常連メンバーの忘年会なので、シェフであるべったんパパさんは、今回ママさんと犬たちをおいて一人で登場。お昼は鮨との事で、醤油を買いに私はちょっと外出。その後鮨用に本山葵をすったり細かい手伝いだけ少しして、セミナーメンバーに合流してちょっと写真撮影。くーのコンタクトとスラが前回の寒川でまったくダメになってしまったので、気になっていた。

コンタクトは練習を重ねるうちに少しづつよくなっていたが、スラが悪くなっていた。先週から体調を崩していたせいか、何か忘れてしまったのだろうか。単なるハンドリングミスなのだろうか…

来週は今年最後のファイナルなので、何とか思い出してほしいと思うのであった。

写真は真っ白の富士がフィールドの森の向こうから顔を出していた朝。

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2006年12月15日

ギンナンの季節

今になって都心のイチョウたちはいい色になっている。例年こんなものだったろうか。バスの通勤時にみかける、ギンナン拾いのおじさんおばさんも今年はみかけていない。

ギンナンは臭いのだが、焚火を前にしつつ、炒りながら塩で食べるのが好きだ。何より殻の処理が面倒なのだが、秋から冬にかけてのキャンプではよくつまんだものだ。

舞い上がる落ち葉の中をバイクで走る事が好きだった。最近はすっかりバイクに乗っていないので、バイク乗りだなんて胸張って言えないのだが、何でも高年齢層でバイクブームだとか。ちょっと前もそんな事が言われていて、自分もその高年齢層なのではと思わされたのだが、私よりもちょっと上の人が対象になっているらしい。

とはいえ、ORPには大勢、私よりも人生の先輩たちが元気にでっかいバイクを乗り回している。乗り続ける事は別に誰に言うものでもなく、自分の為に乗っているだけ。私も今でもガレージがあって、安心してバイクをおける場所がありさえすれば、1台以上のバイクをそこにおさめていつでも乗れるようにしているはずだ。

落ち葉の中をバイクで走ると、バンクさせるのがちょっと怖い。落ち葉のせいでスリップダウンする事も、ブレーキ時にバランスを崩す事だってある。よく路面を身ながら、夏とは違ったブレーキワークを心がけないと痛い目にあってしまう。

そんな中、落ち葉を舞いあげながら走るテンポよく走るバイクをみると、気分的にワクワクするものなのだ。

写真は通勤経路にある銀杏並木。

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2006年12月14日

Happy Birthday to QUEUE!

今日でくーは4歳になった。正直、あっという間だったというのが感想だ。

2歳の誕生日は、骨折ほやほやだった。写真も沢山撮ったが、ギプスが痛々しい姿で残っている。1歳、3歳の時は、特段大きな問題もなかったのだが、今回は、胃が本調子ではない状態のまま迎えてしまった。

1歳の誕生日までは、くーとこれからやっていけるかどうかという悩みに翻弄されていた。それから2歳になるまでは、旅犬にすべく、それまでの飼い主のライフワーク?だった旅に連れまわす機会が増えていった。そして3歳になるまでは、骨折により運動制限がかかった期間10カ月弱。そして始めての北海道長期旅行に加え、後半にはとうとうディスク競技に参加するようになった。

3歳から4歳の誕生日にかけては、本当によく動いたと思う。見事にディスクやアジをしない月はなかった。多い月で毎週末競技に出ており、毎週のように車を関東甲信越に走らせていたという訳だ。

飼い主はハードだった。しかしそれは結局くーの希望ではなく、単に飼い主の身勝手な思い込みによるものなのも分かっている。しかし思いっきり走れる場所に連れていく事で、飼い主は怪我のリスクも近所の公園で散歩するよりも少なく、そして満足度も高く、体を鍛える事もできるというよい点ばかりがある事も知っているのだ。たしかにその分、移動にかかる費用は膨大になってきてはいるのだが…

そんな中で、もう一つ大きな副産物が、ヒトだ。愛玩犬として一生を終えるのも犬にとっては飼い主という群のリーダーの中で、幸せを感じるだろう。ただ、私達は知ってしまった。もう一歩踏み込んで犬と一緒に遊ぶ時間を楽しもうという世界に住む人々の事を。それを私達は大事にしたいと思うようになった。

犬同士においても、過去何度かいきなり襲ってきた犬がいて、特定の犬種とは相性が悪いというものがあるものだと思っていた。散歩の中で、大きい犬や特定の犬種をみかけるとくーは警戒モードに入っていたのだが、ドッグスポーツをしているとそういう大きい犬や特定の犬種とも、よく出会うようになる。

面白い事に、アジの会場で出会う犬たちとは、大きくても、苦手な特定の犬種でも、仲良くやっているのだ。いや、仲良くやっているというよりも、ちゃんとラインを越えないようにお互いがそれを守っているという感じのようだ。犬社会のマナーやタブーを身につけた犬たちとは、何ら問題なくやっていけるという事なのだろう。

くーにとっても4歳を迎えた今年1年、いろいろな経験をしてきたと思う。そして明らかにアジでもどんどん由の動きや声に対して、自分がどう走るべきかを理解して吸収していった。飼い主が驚くほど早く憶えていった事もあれば、何度反復しても伝わらない事もある。どれも結局は飼い主の教え方や伝え方に問題があるのも、よく分かっている。

4歳を迎え、あと2年位は今まで通り思いっきり運動ができると思う。ただ怪我をすると数カ月は棒に振ってしまう事になる事も、骨折で痛いほど分かっている。怪我や病気に気をつけて、これからも一緒に遊んでいきたい。

そう、くーにとってアジはお仕事。飼い主にとっては遊びではあるが、中途半端ではなく、飼い主はくーに対して真剣に遊んで行きたいと思っている。

写真は先日くーと紅葉の公園に散歩に行った時のもの。みつめる先には鳩でも飛んでいるのだろうか。きっと今日、お祝いをしても「4歳ってなに?おいしいの?」と首をかしげるだけだろう。

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2006年12月13日

買い食いスポット

子供の頃、近所にあったたこ焼き屋が好きで、よく買いに行った。今で思えば、大阪風のスタンダードなたこ焼きだったのだが、とにかく安くておいしかった。縁日で買うようなたこ焼き1パック買う値段があれば、たらふく食べる事ができたくらいの値段の差があった。

そこは一応店舗があって、狭いカウンターに5人程度座れる。ここで一皿単位で焼きたてを食べる事もできた。しかしいつも混んでいて、並ぶのも当然という人気ぶりだったので、座って食べていても後ろに人が常にたっていて、落ち着かなかった。その為、持ち帰りが多かった。

たまに空いていて、食べるつもりもなかったのに唐突に買って帰ろうとすると、持ち帰りのオーダーが溜まっていて、結局並ぶはめになってしまう事も多々あった。

高校の帰り道には、駄菓子屋とコロッケ屋があって、よく買い食いした。特にコロッケは揚げたてでおいしく、何だか先日も書いたが映画、ALWAYSの1シーンのような事もまだ残っていた時代でもあった。

今の所に移り住み、ふとした事で面白いたい焼き屋をみつけた。それもこれもくーと散歩するようになってから、近所を散策する事が増えたおかげなのだが、1畳位のスペースで窓際に鉄板があり、窓の外にはのれんだけが掲げられ、椅子すらないというたい焼き屋をみつけた。これだと、くーを連れながら、買い物ができた。

たまに由が散歩がてら買ってきてくれる。ちょっと前に長期間休んでいたのだが、どうもインドかどこかに行ってきたとか。北海道の小豆を使っているというが、本当なのかわからない。お釣りなんかも、窓際に小銭がばらまかれていて、子供なんかもそこにお金を投げ込む。お釣りが必要な人は、そこから勝手に取っていくというアバウトさがまたいい。

何よりそのたい焼きはダイナミックなのだ。何がダイナミックなのかというと、はさみで1匹1匹切り分けられるという事。これで70円というのが嬉しい。こういうお店はいつかなくなってしまうのだろうが、是非残って欲しいと思うのだった。

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2006年12月12日

へそ天すやすや

今日もおなかがグルグルと鳴ってるくー。何とか今日は吐かずに過ごした。

由が色々調べて、くず湯とササミというメニューを、1日数回に分けて与えるという事にした。薬もよけて食べなかったのだが、基本に立ち返ってくーの口を開き、喉に錠剤を直接という形で何とか飲ませた。

日中かるく歩くだけの散歩をしたようだが、便をひりだすように何度もしたようだ。おなかが気持ち悪いのだろう。長時間散歩をしていると、普段でも2度目くらいまでは丁度いいのだが、3度目、4度目になるとゆるくなる。無理に出そうとするのだ。

ただいつものそんな感じともちょっと違うような気がする。お腹の調子が悪いのは確かなようだから。由の看病が献身的に続く。きっと明後日の誕生日には元気を取り戻している事だろう。

というよりも既に元気一杯なのだ。私が帰ると、後ろ足が浮く程何度も飛びついてくるように、パワーは戻ってきている。

あとちょっと、大人しくしてしっかり治すのだよ。くー。

写真はへそ天で寝るくー。コルクシートの上はちょっと暖かいようだ。

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2006年12月11日

スモークフィルム

ロッキーのリアガラスを割ってしまってから、随分経ってしまった。オートバックスで買った吸盤で付ける日除けが安かったのでそれを張ってごまかしてきたのだが、やはり割れた時もスモークで飛散せず助かった事もあり、是非張りたかった。

週末色々と忙しかったり疲れていたりで、結局伸ばし伸ばしになってしまったが、ようやく雨の土曜に貼る事にした。スモークを張るのは曇りの日がよいというので丁度よいというか、雨が降っていた。

今借りている駐車場は屋根がある為、リアガラスを外し、そのままの状態で家に運ぶ。丁度道路工事をしていて、おじさん達の会話が停まる。きっと驚いていたのだろう。右脇に抱えていそいそと小雨降る中自宅に持ち帰った。

こういう事は主に由が一手に行うのだが、案外アバウトであったりする。フィルムが大きいので、私も一緒に手伝いながらするのだが、前回も事前に掃除したり気をつけたりしている中、くーの毛が何度も混入して切れそうになってしまった。今回もきっと何度かは混入するだろう。

ただ、ロッキー乗りの人にちょっと聞いたり、ガラス交換した時のダイハツのディーラー担当の人に聞いた所、バイスグリップを使えば、固定金具が外せそうな雰囲気だった。前回はまったく外せず、細かい処理でスモークシートを汚く張ってしまったので、今回は手間も軽減できるかとちょっと期待していた。

思いの外、簡単にガラスを固定している金具である4箇所のボルトが外せた。その為、微妙に湾曲しているが、ほぼ平面に近い為、張るのは比較的楽だった。しかし、予想通り、くーの毛は少なくとも10本は混入してしまった。

努力の甲斐あって、2時間ほどで張り付け完了。しかし始めた時間が遅かったので、外は真っ黒。先にガラスと金具を固定してしまったので、リアゲートに装着する時点でネジ山があわずまたもバイスグリップで固定ボルトを少しずらしたりして、最後に手間がかかってしまった。

何とか完成。これで逆に左右のリアウィンドゥの仕上げの汚さがめだってしまったのだった。

写真は毛の張本人と記念撮影。

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2006年12月10日

くーの具合

くーが体調を崩している。先週の木曜の朝から嘔吐が始まり、いつもの空腹かと思いきや、どうも様子がおかしい。

金曜の朝もまた嘔吐し、その上朝食を食べなかった事であまりに由が心配して、一人で車で病院まで連れていった。これまでくーが食べない日というのはなかった。それだけにショックは大きかった。普段は一人で車を出さない由がそうした事でもわかる。

診断の結果、胃がどうも荒れているらしい。何か食べましたか、という問いにも、思い当たるものはない。注射を打ってもらい、帰ってきてからはすこしマシになってきたようだ。しかし水もあまり取らないし、相変わらず遊んで欲しい時は激しくアピールする。


土曜は雨模様だったので大人しくしていた為、夜はしっかり食事も取れたのだが、まだ少し柔らかめで消化のよいものという条件がついていた。今日の朝はちょっと元気になったようだった。しかしまだまだ調子がよくなさそうで、たまにスイッチが入ったように尻尾を振り出すが、それを収めるのにまた大変なのだった。ダメというと、あきらかに凹んだ表情をして尻尾が下がってしまう。私はあまり怒らないようにしなければならないのだが、由はあまり強く言わないので、どうしてもくーは遊んで貰えるまで私の方にやってくる。

そう、くーは由は散歩に連れていってくれる人であり、ちょっとした時に遊んでくれるのは私という認識があるようだ。なかなか根気が強く、ずっと私の目を見つめる。そして食事の時は由の横にいき、じっとみつめるというパターンなのだ。

この数日はあまりそういう