2007年01月31日

光のヒアリング

色々問題もあったが、今日の電話ヒアリングで、2/12が工事日と決まった。結局、光インフラのIP接続に関する基本的なサービスのみを受ける事としたので、これまでのADSL接続料金と比較して、ほんのちょっとだけ高くなっただけという結果になった。

丁度その2/12は私のメインPCがサポートに出される事になっているので、1日家にいる予定だ。私だけがドタバタと朝から忙しい1日になりそうだが、平日ではないので丁度いい。3連休の最終日だが、2/10は初アジで朝から晩まで不在だし、身体を休ませる為にも丁度よいだろう。

回線については、先日の話では10Mbpsしか出ていなかった速度は、コンスタントに85Mbpsでコネクションしているとの事らしい。実際は夜間など混雑する時間帯はどうしても落ちるだろうが、そこそこよいのではないだろうかと思う。

あと気になるのは、VDSLによる速度損失がどの程度あるかだ。これまでのメタル配線を使う訳で、正直我がマンションの配線は、その施工者があまりにスキル不足だった為に入居時相当に苦労した事が思い出されるからだ。弱電の設備については安心ができない。実際に部屋からどの程度の速度が出るかは、大いに気になる所だ。

長い間世話になったADSL接続機器は、工事終了後キャリアに返却する事になる。実は最初に1.5Mで接続した時に配布されたN社のルータは、返却依頼が来ておらず、まだ家にあるのだが、他に用途もない。送料はこちら持ちになるようだが、それなりに世話になったキャリアと縁が切れ、またもNTTとの契約に戻ってしまう事に少々ひっかかりを感じる。

このマンションに入居した時は、インターネット接続は全てダイヤルアップするものだという施工業者のスキルだったが、先日ここを設計・販売した会社がJASDAQに上場したというニュースを耳にした。販売担当だった若い社員とは随分入居後も戦ったものだ。販売後手のひらを返したように、アフターケアを放棄され、施工業者である某一流建築会社の孫受けなのか曾孫受けなのかわからない業者の下手な仕上げに悩まされたのを忘れてはいない。

狭いながらも我が家は落ち着ける場であり、また何といっても生活拠点になっているのは間違いない。少しでも快適度と満足度をあげたいと思うのは、自然な事なのだと思う。

写真はこれまで世話になったADSLルータ。もうしばらく頑張って貰おう。

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2007年01月30日

WindowsVistaが発売らしい

新しいOSが出るのに、何でそんなに騒がなければならないのか私には分からないが、少なくともVistaは今の時点でよい事はまったくない。互換ソフトも殆どない訳だし、セキュリティ対策がどうのといわれていても、結局ウィルス対策ソフトや脆弱性に対応したパッチは必要な訳で、これまでのPCではパフォーマンス的に大きな格差がある事から、Vistaが動作する為には殆ど買いなおさなければならないという、消費者無視の製品なのは、よく考えれば分かる事なのに。

同時に今朝、ウィルスバスター2007のVista対応版が出てきた。仕事上これを検証するβを使ったり、他の製品についてもある程度知識と経験が必要なので使わなければならないのだが、私自身はまだVistaには触れてない。

マルチメディア、動画などの利便性は大きくあがっているだろうが、ビジネス向けとしては結局XPの安定度の方がはるかに仕事に対する信頼性は高い。先日XP HomeのサポートがそれまでVista発売から2年しかしないという計画を発表してまもなく、5年に延長された。マイクロソフトの独占的なやり方はどんどんエスカレートするばかり。

またMacOSのコマーシャルも段々とエスカレートしてきた。フリーズの話はウィルスの話など面白おかしくコント風にやっているのはよいのだが、やはり誤解を生む内容も多く含まれている。MacOS XのベースとなっているUNIXは確かにセキュアな構造だし、脆弱なものに対する対応もしっかり行われている。Windowsも結局WindowsUpdateで対応する事や、ウィルス対策ソフトを導入する事で、セキュアなレベルを保つ事ができる。

OSをクラッシュさせたり破壊するようなものはまだいい。現実に個人情報や秘密情報を引き出そうとするフィッシングは、MacだろうがWinだろうが同じ危険に晒されている訳だし、ウィルス対策ソフトが充実していないMacはユーザが増える事でリスクは高まる。結局は使う人の意識が大事だという事がいつも抜けている。

私はMacOSでは漢字Talk7の頃からOS8までを使っていたが、それこそクラッシュはWin以上に多かった。サッドマックもこの目でも何度も見た。だからといってMacをけなした事は一切ない。Winは使いたいと思えるアプリケーションも多く、やはり私にとっては「使えるPC」という意味で、Winを選ぶ事になったのだった。

色々なOSがあるのはよい事だ。選ぶ権利が生まれる。しかしけなすのはよくない。自分に一番あったOSを使えばいいじゃないか。自慢や人の悪口や揚げ足を取る事ばかり言って、自分以外を笑うような下劣な人間にはなりたくない。そういうのをみても、注意する気にもなれない程、哀れだと思うだけだ。

写真はXPのブート画面。

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2007年01月29日

光回線説明会

御殿場セミナーから帰ってきて寝たのは日曜の2時。しかし日曜の午前中、宅配便が届くという事と、マンションの光回線契約に関する窓口がエントランスに設置される為、私は8時前に起床。由とくーもほどなく起きてきて朝食を取った。

しばらくして私だけエントランスへ。先客が1人、丁度説明が終わった所だったが、私は元々聞こうと思っていた事をリストアップしていたので、それらを中心に契約ではなく、質問をさせて頂いた。

すると出るわ出るわ問題点。用意されたのぼりには「きたぞ光」とか「お待たせしました、光」とか書かれている。しかし現実には随分とお粗末な状況。やはりNTTかと思わせられる部分があまりに多く、キャリアを選べない現実から独占市場に近いという現実を否めない。まるでマイクロソフトのようなものか。

我がマンションの構内配線はNTTに非はないのだが、マンションに来ている回線の速度がどの程度出ているのか、パフォーマンスは「100M」をいたる所でうたっている責任を果たしているのかという事にまず質問を投げかけると、しばらく話しをして突如、実は現在10Mしか速度が出ていないという事を白状し出した。それは大問題であり、詐欺以外何者でもない。担当は速度改善の工事をすぐに行う予定だと言っているのだが、その結果のパフォーマンスを通達する事はあるのかというとないという。とんでもない事なので、結果を報告し、それで100Mに満たない事は仕方ないとしても、ある程度納得のできる速度が出ていなければ問題にするという事を伝えた。

また、ハイパーという1Gの回線を共有するサービスもあるのだが、我がマンションはいわゆるマンションタイプなので100Mになる事から、この100Mを何世帯、かつどのような世帯(マンションであれば何世帯分か)と共有しているのかを確認した。これも後日回答するという。近所に独身者向けの多世帯マンションがあるのだが、ここで数名Winnyなんか使われていた日にはたまったものではない。新設する事の権利として、また今後共有する世帯があるのかという事もあわせて確認したい。

他にはスカパーを閲覧できるオプションがあるのだが、由が中国のローカル放送が見たいという事から、アンテナを方角的に立てられない我が家は、NTTに光キャリアを選択する大きな要素としてみていた。しかし、突然新たに機器を設置しなければみられないという。これも話しが当初と違う訳で、またも詐欺まがいのパンフレットをこれでもかと何度も投函してきたNTTのやり方に大いに疑問を持たせられた。

これらがクリアされる事が第一という前提で、話しを終えたのだが、その後マンションの住人の方が次々と現れ、私に質問を投げかけてきた。これまで分かった問題点を、次から次へと現れる住人の方に説明をしたり、理事会でどう今後動くか等の話をしていると、あっという間に1時間以上かかってしまった。

快適な光生活まではまだ先は長そうだ。とりあえず私としてはこれまで付き合ってきたISPを使って、キャリア変更という事の申し込みは済んでいるので、戦いはこれからといった所か。しかし性能も出ておらず、その事を隠して契約をした人も数名いた事からも、このNTTという会社のスタンスが伺える。改善を前提に現在はこうなっている、と話せば済む事なのに。

ただエンドユーザは正しいサービスを受けたいだけだ。お金もその分対価として払う事は当然だと思っている。その信頼関係を裏切るような言動はいい加減やめないか?

慌ただしくなってしまって写真が撮れなかった。この今のメインPCがもっと快適に使える日は来るのだろうか。

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2007年01月28日

久しぶりに感じるセミナー2

午後は一旦自主練になるかと思われたが、引き続きYコーチが着いてくださり、濃密な課題に取り組んでいた。また午後は新しく柴のチームの方がこられて、そちらはTコーチが丁寧に指導をされていた。ただTコーチ、Yコーチ共に少人数構成でセミナーを受けられるという事は、今日はとても恵まれたセミナーになったのは確かだった。

午前はコンタクトの練習方法をしっかりと教えて頂き、まだまだ完全は程遠いのだが、ものすごくためになる内容だった。ただしかし、午後は私はコンタクト練習時に使用するトリーツが足らなくなった事から、急遽買い出しにでかけたりしていた為、殆どお話を聞く事はできず、記録も撮れなかったのでちょっと残念だった。裏方さんという立場なので当然なのだが、できれば由が後で確認できる記録や、聞き漏らした事などをフォローアップできればと思っていたのだが。毎週運転手兼雑用係として参加する立場なので、何か我がチームの為になる事をするのが一番の目的になっている。

暗くなるまで熱心にウィルチームとくーチームはYコーチのお話に没頭していた。そして朝から晩まで、Yコーチも一切椅子に座らず、一緒に走り回ってコーチをしてくださった事にただただ感謝するばかりだった。

夕食は魚がし鮨の予定だったのだが、やはり18時半頃は激混み。2時間待ちという以前の二の舞になってしまったので、急遽Tコーチが知っている中華料理屋へ。手頃でおいしい中華で腹ごしらえをし、再度フィールドに戻り、色々な話をした。

猪が罠にかかったかもしれないという事件もあったが、結局この夜も23時すぎにフィールドを出て、強烈に眠い頭を叩きながら、1時間40分で何とか無事帰宅。由は足柄を越えるまでは今日とにかく色々と学んだ事を興奮気味に確認していたのだが、大井松田までもたず熟睡し、家の手前で目を醒ましたのだった。

次回はくーのオペがある為、セミナーはお休み。その次の週の10日は、由が今年はじめてエントリーす公式戦、千葉ポートで初アジSCの第1戦になる。間があいてしまうが、この土曜に学んだ事はしっかりメモを残し、復習をする事が大事だと思う。

写真は夕方の課題になったボックスを使ったコース。こういうコースを走れるようになったというのは、由の頑張りがなくては無理だったろう。

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2007年01月27日

久しぶりに感じるセミナー1

13日の御殿場ミニコンペから、1週をあけただけなのに、妙に久しぶりに感じるセミナー。既に感覚はマヒしているのだろうか。

事前準備も何だか適当なのだが、今日は誰が来るのかも知らないので、とりあえず私用のコーヒー、由用の紅茶をそれぞれ750mlのテルモスに入れ、1.5Lのお湯を保温ポットに入れて、ハンドラー用に500mlのペットボトルへDAKARAを小分け。そしてくーとフィールド用に2Lのペットボトルに水を入れ、それらとプリムスのストーブセット、パーコレーターや小物を全てクーラーボックスに入れて準備する。基本セットとなっている内容だ。

これにトートバックに着替えの下着、そして寄付用の紙コップ80個、帽子などが入ったものを朝、車に積み込む。今回は前日に雨やみぞれが降るという予報だった為、長靴も準備した。

予定通り3:50に目覚ましで起きたのだが、決してゆっくり準備したのではないが、由を起こすのが遅くなってしまい4:40になってしまう。本当なら上記の用意を済ませて、玄関の外に運ぶ荷物をそっと音がしないように出し、着替えて出られる用意をしてから起こすのが理想なのだが、結局着替えができず。

今回もガソリンを入れていく予定だが、何だか今日も車の量が多く、ぎりぎりになってしまった。東京ICを5:50に通過。

横浜青葉を通過したのが5:53頃だと思うが、ウィルパさんがもしも今日来るなら、もう行ってしまっただろうか。しばらく追い越し車線をチェックしていたが、知っている車は抜いていかなかった。今日は誰が来るのだろう。

厚木を越え、秦野中井のほぼ中間地点あたりに、オービスがあり流れが少し落ちる。そのあたりで追い越し車線をウィル号が抜いていった。随分抜かれるポイントが予想と違ったのだが、知っている人をみかけるとほっとする。それにしてもETC時間があるからこそ、高速道路上でこれだけニアミスする時が多いのだろう。御殿場に向かう途中は、こうして知り合いの車と出会う確率がとても高い。

ノンストップで御殿場ICへ。今日は私も眠さが激しいので、ゆっくりお茶を飲みたいと思い、またいつものジョナサンへ。朝食とトイレ休憩を取った。お昼はくー用の肉も買いに行きたいというので、コンビニに寄らずフィールドに行こうという事になった。

ジョナサンを出てから、ちょっと裏の出口から裏道を行こうと気まぐれに細い道に入った。そして線路を越える所でぐみ沢交差点からの道に出てしまい、ルートに乗る。すると目の前に何だか見た事のある車が。Yコーチの車だと私は思った。由はあまり記憶にないようだが、御殿場駅前に抜ける道に左折いくその車に私もついていった。私達は別の用事で御殿場に来ていたのだろうと思って、途中で見えないだろうけど手を振りながら分岐。いつものR246から右折する交差点にさしかかると、左手に先ほどのYコーチらしき車が見えた。やはり今日はフィールドに来られるのだろうか。段々そんな気がしてきた。

先に我が家がフィールドに入ると、Tコーチとべったんパパさん、ウィル家が既に到着済。挨拶をしているとやはりYコーチが登場。ご一緒できて嬉しい我が家であった。それにその後、今日はYコーチから指導を受ける事に。私もできるだけお話を聞こうと思い、準備した。

午前中、陽があたってからはポカポカで、風もなく快適だった。機材を出している時に私は防寒装備だったので汗だくになってしまったが、Tコーチは大型犬を担当。ウィルマさんは望ちゃんと共にジャンピングを主に練習し、ウィル君とくーは揃ってAGを中心にYコーチから指導を受けた。

しかし改めて思ったのだが、あのウィル君と今、由とくーは、一緒のコースでレクチャーを受けている。まだ1年も経ってないのに、これは凄い事なのかもしれないと改めて思ってしまった。

お昼は13時を回っていたが、べったんパパさんがやっぱり手間を惜しまずにコロッケサンドをつくって頂いた。いつも本当にありがとうございます。

写真はバックスイッチ中の由とくー。

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2007年01月26日

航路が消える

長年、愛用してきた北海道へのフェリー航路であった東京釧路航路。旅客フェリーが廃止になり、その航路にはRORO船、「Rool On Rool Out船」が就航し、しばらく運行してきた。

RORO船は、トレーラーシャーシや商品車などの貨物を積んだ車を、自走によって船に積み込み、下ろす事をする荷役方式の船舶の事を言う。いわゆるフェリーと同じなのだが、ドライバールームはあれど、旅客が乗る事はできない。貨物船の一種である。

その為、フェリーが廃止になっても車やバイクを無人車として釧路西港に送る事はそれまでもできていたのだが、なんとこんなニュースが飛び込んできた。

釧路新聞「近海郵船物流が営業休止

その為、近海郵船は釧路航路が消え、苫小牧からの航路のみになるそうだ。札幌・道央と関東を結ぶ航路は、これまでも東日本フェリーや商船三井が共同運行になったりと、太平洋の北のフェリー航路はまったくよい話は聞かない。

私自身もバイクで北海道に行く事は減ってしまったのだが、同じように自分の車やバイクで北海道に行く人は減っており、またビジネスという面でも極端に減っているという事らしい。まったく景気は回復していないのではないだろうか。北海道、それも道東の経済は危険に面しているという事か。

また釧路に繁栄がもたらされる事はないのだろうか。道東に無駄な人の手が入りにくくなる事はよい事なのかもしれないが、流通インフラの縮小というのは致命的だ。寂しい限りである。

写真はありし日の近海郵船。今はこの船体は、中国韓国間の国際航路にて活躍しているらしい。

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2007年01月25日

光化計画その2

光化計画はもう随分前から考えていた。有線や当時のTEPCOに時間をおいて何度か問い合わせをして、我がマンションがサービスエリアに含まれるのを待ち望んでいた。我がマンションは立地の関係上、サービス提供エリアとしては最後の方になってしまったのだった

ただ我が家は光といっても、メタル回線が棟内に敷かれている為、全てイーサネットが延ばせない事から、VDSLが使えないと利用できない。VDSLがサービスとして普及するまでも時間がかかった。その上VDSLになると速度も100Mとはいかないだろう。しかし50M程度出れば、何かと動画のストリーミング再生も問題なくなる。色々な意味でまともなインフラとなるのは間違いない。

由はずっとスカパーの中国番組が見たいといっていたのだが、我が家は北に向いているので、CSアンテナを物理的に装着できないのだが、光経由でこれらは見れるようになる。また弱電エリアなので、既に民法はCATVに載せて鑑賞している為、今の時点でも地デジ放送はチューナーさえあれば見られるようだ。そういう意味もあって、光が敷かれる事はよいのだが、周辺機器の買い換えなどはそれなりにかかる。

今はまず、ADSLの契約から光の契約に切り換えるにあたり、最も得になる方法を模索している。そのあと、地デジへの移行計画を考えていこうと思う。

NTTの契約はもう増やしたくなかったのだが、マンション全体の意見を考えて、やはり光ONEよりもGATE01よりもBフレになるのはやむ終えなかった。

回覧されてきたひかり電話のお得な文句をみるたびに、電話使用権をウヤムヤにしていこうとする詐欺まがいの広告に腹が立つ。トラブル続きのひかり電話もまだ信用できないし、IP電話にも勝手な追徴課金をしてくる電話会社には、本当に心底腹が立って仕方がないのだった。

という訳で、正式に光回線への契約変更を依頼する事とした。マンション住民向けの説明会が来週あるのだが、聞きたい事は数点だけなので、電話で確認できる。申し込みも私の契約しているISPからでも、キャリアからでも一緒なので、得になるキャンペーンがないかアフィリエイト系のサイトを調べた所、20000円分の郵便為替とISP使用権5000円分がついたものがみつかり、そこから早速申し込んだ。

途中、セキュリティルータやら、セキュリティサービスなどの比較を行ったが、結果的に有効なものかどうなのかが、面倒臭い説明の奥に隠れており、何もオプションは頼まなかったのだった。その話はまた後日。接続設定もどうせ自分が全てやる訳で、この部分ではできるだけお金はかけたくない。

写真は昨日のカタナ750がADSLだとすると、一つ世界が違ったGPz900R。回線設備関係の写真がなかっただけなのだが…まあ、排気量150ccの差は圧倒的というか、別なものだった訳で、光がそれを体感させてくれるかどうかは、まだ分からない。

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2007年01月24日

光化計画その1

現在我がマンションで光ケーブルの工事が行われている。サービスインはまだちょっと先なのだが…

既にエントランス横には関連機器を設置する場所が用意されており、ケーブルの引き込みは完了しているらしく、末端に雨が入らないようにまとめられている。

今のマンションは、ホームテレホンが使えるという事で、各部屋にモジュラージャックRJ11のコネクタがそれぞれに配線されていた。しかし私はそんなのはいらない。電話はワイヤレスの子機で十分なので、SOHOとして使用に耐えるよう、配線を考えてみたのだった。

2LDKの全部屋にRJ45のLANケーブルジャックを壁面に設けようと、配管をちょっと太めにして貰い、その中にカテゴリ5のLANケーブルを通した。ジャックもナショナル製のものを購入し、各部屋ではLANケーブルを壁のジャックに刺せば、リビングにある引き込み線の所にあるルータやハブに接続されるようになるはずだった。

しかし当時の電気工事会社はまったく無知で、まるで宇宙人を相手に話しているようだった。入居当時、97年の頃はまだ家庭でのLAN配線はメジャーではなかったにしても、あまりにお粗末だった。

当時はISDN回線であり、ISDNのバス配線も考えたのだが、全てLANにした方が何かと楽だった事もあり、有線で各部屋を網羅する事にしたのだが、今では無線LANが安くなり、十分にそれでも使える。

配線工事が終わり、入居前にその業者から「お話をしたい事が」と連絡があった。聞いてみると、1部屋分の配管を施工中に潰してしまったという。腹がたったが、経路を変えれば実現できる事もあり、工事価格を無料にさせ、配管への配線までやらせて示談としたのだった。とはいえ、寝室のLAN配線は結局しておらず、リビングと私の書斎(というか納戸)は100Mで繋がっている。

そんな事もあり、スキャナ類や1.5TBのディスクがある納戸の自作PCと、リビングで由がメインに使うキューブPCは有線で繋がっている。私は引き込み部分に無線LANターミナルを入れ、メインになってしまったLetsNote R3をちゃぶ台で使っている。

それなりに使いやすい設定になっているのだが、主回線はADSLで実測9MBでのコネクションとなっている。これをもっとスピードアップするには、もう光しかないのだった。

写真は何事もスピードアップがテーマという事で、私がスピードを求めた750カタナ。現実はメーターを完全に振り切る事はなかったのだが…

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2007年01月23日

極めて普通の休日

すっかりズレてしまっているが、日曜の話。

寒川で競技会が行われているはずだ。外は冷え込んでいるらしく、夜半には雪も舞ったようだ。

昨日の土曜、結局買い物へでへとへとになった私は、朝ちょっと寝坊していただけで頭が重くなってしまった。寝すぎると肩が凝る。寝すぎるといっても、8時間程度なのだが、由は再現なく寝ても肩が凝ったり、寝すぎて寝そびれる事はない。私は昼寝を長くすると、夜眠れなくなってしまうタチなのに。

休日の午前中はあっという間に過ぎていく。録り溜めてハードディスクが一杯になりつつあるドラマや番組を整理したり、人にあげる写真データをまとめていただけでお昼になってしまった。今日は由が生ハムのパスタを作ってくれた。私の頭痛はまったくおさまらないので、仕方なく頓服を飲む。

14時頃、由はいつもの公園に散歩に行くので一緒に行こうと言われる。頭痛もおさまってきたのと、曇っているので一眼は持って行かず、ビデオを持って先に公園に向かった由とくーを、肩に手製のスラロームポールを持って、自転車で追った。

公園で合流し、練習。スラがまだまだ練習不足なので、今日も繰り返し。くーは抜ける事がまだまだあるが、少しづつよくなってきている。それに究極の遠隔で、スラのエントリー地点のあたりで由が「スラしてきて」と言うと、くーは一人でズバーっと最後までスラをして戻ってこれる様になったのだった。くーにとって、「スラ」と「してきて」が理解できているという証拠だ。しかしスラの出口に今度は由が言って呼ぶと、スラには入らず真っ直ぐに由に向かって「オイデ」になってきてしまう。

スラの単体だけでは意味がない。その前の障害と、その次の障害という「繋がり」を間違いなくこなす事が、ハンドリングで必要になってくる。1度を走るようになって、当然だがその「繋がり」をうまくくーに伝えられずにミスをする事が多い。それは経験も不足していれば、まだまだ配慮が足らないというのが由にも分かっているようだ。

その場所に立ってみないと分からない事がある。ハンドラーは皆、それをこなしているという事に、驚きすら感じる。そしてパートナーとしての犬たちも、ハンドラーの一挙一動に反応して、コースをトレースする訳だから、とんでもない世界なのだと改めて思う。

アジリティはクリーンランできなくても、その日にそれぞれが課題を持って臨み、その部分が決まってくれた事だけで、十分に達成感を感じる事ができるものだろう。臨機応変、咄嗟のコースアプローチなど、とても奥が深い。それに至るまで、まずはパーツ練習も大事なので、我が家は今はそれに勤しんでいる。

久しぶりに散歩仲間の方と会ってご挨拶。くーはまたボール遊びをしたくてワンワンと興奮してきたので、撤収した。歯のオペはさ来週なので、まだ時間はあるが、枝をすぐに加えてくるくーをよく監視していないと…。痛くないのかとちょっと疑問を感じてしまうのだった。

写真は逆光のくーと落ち葉のショット。くーは何かの臭いを一生懸命嗅いでいる。

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2007年01月22日

中華な休日その2

時はまだ土曜日。

本来の目的である食材売り場へ。圧倒的に中国の匂い。恐ろしいほどに、ここには国境があった。階段から山のように両手に食材を下げておりてくる人ばかり。その間を昇っていくと、レジからかかっている音楽から商品棚まで、全ては中国。何だか凄く懐かしい感じがした。

ここはお菓子や乾物や調味料だけでなく、そのままの食材、冷凍の肉や加工食品(饅頭や餃子、小龍包など)にあきたらず、生きている蟹やスッポン、鯉や鰻が所狭しと置かれている。香酢なんかはスーパーの1/6程度で買える。といっても現地の通貨レベルからいえば、高いのだが、それでも十分に割り得感が感じられる。

色々買って行きたがったが、このあともう1箇所寄らなければならない事と、折角だから水餃子の味を試したかった事もあり、悩んだ末、冷凍食品の海老餃子と豚肉餃子をそれぞれ1斤ずつ、素饅頭を1パック購入。中国語の新聞を貰い、くるんで保冷対策した。なかなか面白くて、また来る事になるだろう。新宿にも支店があるらしい事も知った。

外に出ると小雨が降っていた。まるで雪のように冷たい雨。すぐに地下道に入り、東口へ。由のもう1箇所の目的地であるキンカ堂へ。リード用の布をさっさと買い、バスで帰った。

今日はお好み焼きの夕飯の予定だったが、冷凍庫も一杯なので、買った餃子を食べようという事にして、これ以上寄り道せずに帰った。

くーはどこいってたの~と尻尾を降って飛びついてくれた。拗ねていなかったようでほっとした。

写真はこの日に買ってきた中華調味料の数々。もっと買いたかったのだが、重すぎた。本場の味は本場の調味料が必要なのだ。

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2007年01月21日

中華な休日その1

池袋についてまずは腹ごしらえ。池袋にいつのまにか2店舗も出来ていた揚州商人西口店へ向かう。

私は方向感覚で間違う事はまずない。それがバンコクでもカトマンドゥでも大きな道間違いをした事はない。事前に場所は調べてあったので、最短距離と思われるルートで由を人混みの中を引きずりまわしていると、クレームがついた。こういうパターンは久しぶりなので、由はすっかり私のコンパスを忘れているらしい。予定通り揚州商人へ到着。

これで揚州商人は5店舗目なのだが、オールタイム喫煙可というのはちょっと驚いた。お昼時間くらいは禁煙にしてほしい。店の入り口の横で大柄の男が斜め座りをして吸っている姿と、一番奥のボックスで吸っているカップルがおり、頭が痛くなってきた。

しかしその入り口脇に居る男はしばらくすると厨房に入っていく。なんと店員だったのだ。それをみて、思わず由と私はニヤリ。揚州商人のスタッフの多くはネイティブなようで、ここもそうなのだ。一番中心で鍋を振っている男性は、にこやかに注文を受けている。楽しそうだ。現地でむっとした表情の中、おいしい料理をつくり続けているのが本場の中華だと思っていたのだが、このようなちょっとした店員の行動に中国を感じながら、今日は私は坦々麺にチャーハンセット、由は煮込みラーメンを平らげた。最近私は刀削麺ファンだ。

その次は由の行きたかった目的地、知音という中華ショップへ。ここまでも迷わずに行くのだが、秋葉原の雑居ビルのように汚れたコンクリートに汚い張り紙が沢山してある雑居ビルに、黄色地に赤文字のショップが見えた。最初に入った所は、CDやビデオ、雑誌などが置かれている所だった。煙草の煙が途切れる事なく流れている。

由はここで台湾の歌手のCDを買った。値段は1,200円。それなりに安いか。また奥の方にはVHSのビデオテープが沢山棚に置かれてる。どうもテレビドラマとかの複製らしい。恐ろしい事にレジの横にはCDかVHSの同じ形の複製機が10台以上ラックに入っていた。ここで違法コピーが重ねられている証拠らしい。流石にこれを写真に撮る度胸はなかったが…

中国の日めくりカレンダーを求めていたのだが、ここにはなかった。毎年、旅の友人が買ってきてくれていたのだが、今年はパートナーがみつかり、彼女との新しい生活に向けて色々忙しいらしく、旅に出られず、手に入らなかったのだ。中華街にいけばあるだろうと思っているので、そのうち手に入るかもしれない。

写真はその中華ショップの薄暗い怪しいエレベーター。いかにも、という雰囲気がまたいい。

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2007年01月20日

スポーツウェアの買い出し

この週末は、日曜に競技会があるのだが、由が現時点での練習レベルがネックになっていて、出られる種目が1つしかないという事で、溜まっていた家の事をする週末として、大きな予定を入れなかった。

ただ現実には、まったく2日間、何もしないでいる訳でもなく、まず土曜は由がずっと欲しかった今の季節に着られるトレーニングウェアが欲しいという事から、我が家から一番近いと思われる赤羽のスポーツオーソリティに行く事にした。

簡単に朝食を取って、くーの朝の散歩をしたあと、11時に家を出発。交通費が一番安くつくJRで池袋経由赤羽へ。めったに来ないこのエリアだが、お店も色々あってにぎやかだ。空は今にも雪が降りそうなどんよりしつつ、キンと冷え込んだ空気の中、久しぶりのくーなしの買物。家ではきっとフテているだろう。

生活雑貨の店が沢山あるので、由がふらりと引き込まれていく。しかしまずはという事で、スポーツオーソリティへ連れ込む。規模は私が行ったことのある今はなきお台場店や、港北ニュータウン店と比較すればちょっと小さいが、このあたりでは大規模な店舗面積だ。

色々探してあるくが、なかなか気に入ったものがない。値段と相談して、試着を10回以上繰り返し、やっと買ったのは裏地が起毛してある上下セットのリーボックのナイロンジャージ。いわゆるウォームアップスーツという奴だ。色は先日Yコーチからもご指導いただいた、白っぽいもの。汚れなんか気にしていられない。四肢の動きがくーに伝わるように、明るい色にした。靴紐もハデなのが欲しかったが高いので、家でスパイクの紐の長さをはかって、ネット通販で買おうという事にした。

それと、上着。今着ている上着は皆地味な為、腕の動きが目立ち、少し防寒機能があるもので、気に入ったものを選択。しかし色とサイズがもう季節外れだったらしくピッタリがない。色々考えたあげくに、MサイズのリバーシブルPUMAのものを選んだ。

総額15,000円弱の買い物。由にとってはユニクロ以外では久しぶりのウェア購入となった。

その後ビバホームがあったのでちらりと立ち寄り、時間が13時になっていたので、食事を取ろうとするのだが、ここだという所がなく、予定通り池袋へ戻る。埼京線の上りはこの時間でも混んでいた。

写真はいつもの地味な由の格好。くーに分かりやすいハンドリングは、まずは目立つ格好からという事を今年は実践しよう。

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2007年01月19日

北海道一のバイクショップ

長年私の旅の目的地としてあった、中標津は開陽台。そこで過ごす時間は私にとって特別だった。日々、何をするでもなく、たまに知床や根室、釧路あたりまで日帰りで足を延ばしたり、1歩も丘を降りる事がなかったりもした。

それだけの期間滞在すると、やはりバイクにトラブルも発生する。カタナの750で行った年、初めて電気系統にトラブルがおきて、バイクショップにお世話になったのだが、実はそれ以前から通い続けてきたバイク屋があった。

それは今でも、修理の用事がなくても必ず中標津にいけば立ち寄る所の一つでもある。

バイクブームの時は、多くのミツバチ族がバイクに乗って北海道を旅していた。そんな中には結構多くの割合で、北海道の道や自然をあまり考えずにやってくるのも多い。

またテンションがあがり、事故を起こしてしまったり、転倒してしまったりもするものだ。そんな時、力になってくれるバイクショップは貴重な存在でもある。

バイクショップといっても、私や私の知り合いはここをバイクショップとあまり思っていないのではないだろうか。兄貴というか、親方というか、何事も頼りになる御大がこのショップのオーナーだ。

違うメーカーの部品を使って応急修理は当然、純正なみに修理してしまう事も多くある。息子さんと共にレースの巡業もしていたり、北海道でこれほどのバイクショップには出会った事がないと思えるほどだ。

しかし反面、礼儀がなっていないお子さまには厳しい。挨拶すらできない子が多かったというのもある訳で、苦労して修理してもお礼の一つすら言えないのが多かったのも、私ですら感じる事ができた。

この御大は単なるノウハウだけではない。オフロードバイクが専門であり、山を駆け回る事がよくあり、私は一緒に走った事がないが、そのダイナミックなライディングはそう簡単に追いつけるものではないらしい。そしてそれを聴いていただけに、私は怖くて一緒に走ってはいない。

開陽台にハイジーの家がなくなってからも、このバイクショップや、道東に住み着いた友人などが沢山いる。私にとっては、道東はやっぱり落ち着く場所であり、目的地なのだと思う。

写真はそのバイクショップの外観。何度この店内でコーヒーを頂いた事か。ちょっと離れたこのバイクショップの車庫の一つには、私の古い友人が住んでいる。

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2007年01月18日

パンクの苦悩2

パンクの修理をしている場所は、奥にはトラックが何台も入る整備工場を持ち、広大な駐車場を持つ小樽の三菱ふそうの事業所の正門横、歩道との間にある芝のスペースだった。

事業所の人が1人、出勤してきた。私は頭を下げて、場所を借りている事を詫びながら引き続き修理をしていると、その人が車を停めて一旦事務所に入ったあとにやってきてどうしたのかと聴いた。

パンクの事と、これから船に乗る事だけを言うと、その人は事務所に戻っていく。外にも数人出社してきたので、恥ずかしい目に晒されてしまうのだが、構ってはいられなかった。

すると、一番先に出社してきた方が、タイヤサービスを呼んだから、中で到着するまで待っていなさい、と声をかけてくださった。申し訳ないのでオフィスに入るのは遠慮していると、20分後にはヨコハマタイヤの文字が書かれたタイヤサービスのトラックが到着。最初チューブという事でちょっと困ったような顔をしたのだが、手際よくチューブを専用の工具で引きずり出し、修理してくださった。

修理を完了したタイヤを組み込み、チェーン調整するのは私だった。友人に手伝って貰い、組み込む。無事修理が完了したのだった。

タイヤサービスの人も修理代を500円しか取らず、お礼を言うしかなかった。また最初に声をかけてタイヤサービスを呼んでくださった方は、お礼を言いに事務所に行った時に知ったのだが、管理職の方だった。

丁寧にお礼を言い、大勢の事務所の方が手を振って見送ってくださる中、私はフェリー埠頭に向かい、無事乗船できたのだった。感謝してもしきれなかったが、帰宅してからお礼を包んで感謝の手紙を添えて送った。

その後、三菱ふそうの問題が大きく報道され、あの人たちもきっと何かしらの影響を受けてしまったのだろうなと悲しく思い出したりもした。私は三菱の車は好きだし、販売店の人にも悪いイメージはなかった。そしてこの出来事もあり、迷惑をかけてしまったが、旅の中で人の恩というものをまたひとつ、味わったのだった。

乗船後は汗だくだった体を甲板で冷やした。風呂に入り、やっとほっとできた。

新潟には朝に接岸。同じ船に乗り合わせた友人には、じゃあ、と声をかけ、そのままノンストップで北陸自動車道から関越経由で、自宅に帰った。修理したタイヤも問題なく高速走行をする事ができた。

…余談だが、この時、石打の手前のパーキングエリアに1台、シルバーのBMW1150GSが停まっているのを高速巡行中に横目でみかけた。その後、しばらくしてそのBMWが追い抜いていくのだが、その時並走してハンドアクションを私にしてきた。まったくそのバイクと目に気付かなかったのだが、後日それが誰だか判明したのだった。

それは単に私がその日、新潟から帰って来るという情報を知っていた友人が、わざわざ東北道から北陸道経由で関越という1周コースでこの一瞬のネタの為だけに走ってきたのだった。彼は私を追い抜く2~5秒だけの為に、やってきたのだ。あとで私が正体に気がつかなかったと言うと、ヘルメットのシールドをあげるんだったと悔しがった。

バイク乗りというのはそういう人が多い。

写真は修理を終え、乗船開始しているフェリーターミナルに到着し、手続きを終えて乗船する寸前の1枚。何気ない毎年の夏の1シーンだが、この時は本当にへとへとだった。

今日のニュースで三菱ふそうのリコールの件が出ていた。お世話になった小樽の事業所の方々は、何も悪くない。その事を思うと心が痛む。

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2007年01月17日

パンクの苦悩1

車でパンクした事はこれまでないのだが、バイクでは何度かあったりする。

自転車でのパンクがやはり一番多く、ユーラシアのチューブは結構クタクタだった。当時はチューブラーの存在すら知らなかったし、自転車というものは補修キットを常備する事が当然だと思っていた。

車はでも、テンパータイヤに交換した事はある。それに、今年は何故だかやっていないが、毎年スタッドレスタイヤと鉄チンホイールのセットを組み換えるのも私の仕事なので、交換はよくやっていると思う。

バイクは、結構林道やら何やら走り回っていたわりには、パンクはなかった。しかし、2002年の夏、小樽のビジネスホテルで北海道ツーリング最後の夜を過ごし、翌朝の新潟行きフェリーに乗る朝、走り出した途端にリアがおかしい事に気がついたのだった。そう、見事にパンク。

今でも怪しいと思っている。真新しい5寸釘がブロックタイヤの山の間に突き刺さっていたのだが、ホテルの玄関脇に停めていた事で、夜にいたずらをされたのではないかと。それからはフェリーの出航の時間もあるので、行ける所まで行こうと徐行しながら移動したのだがリムが痛みそうだった事と、チューブが切れてしまってはもう修理もできない為、しばらく押して、フェリーの煙突が見えた所で何かほかに方法がないものかと考えた。

ビジネスホテルに同泊したZX-9とTDM850の友人が心配しながらも、どうする術もない。私は三菱ふそうの大きな支社があり、その前でバイクを停め、まずは荷物を降ろした。

観念して修理しようと思い、使えるかどうか分からなかったが、パンク修理キットを出し、センタースタンドがない為、壁によりかからせてリアタイヤを外す。

そして既に堕ちているビードの隙間からチューブを引きずり出そうとするのだが、これがまた硬く、チューブが出て来ない。四苦八苦していても時間はすぎていく。あと1時間以内にターミナルに行かないと今日の船には乗れなくなる事で、焦りも最高潮に達していた。

写真はその修理中に、疲れはてて一息ついた時の1ショット。ロシア語の看板が国境が近い地である事が感じられる。

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2007年01月16日

副業の収入

先日、昨年10月から11月にかけて行った副業の分の収入があった。およそ10万ちょっと。実際に作業を行った時間にしては、トータルでは一週間くらいではないかと思う。しかしぶつ切りにやっている日も多かったので、副業としてこんなものではないだろうかと思ってみる。

私自身ウェブサイトデザインを正式に学んだ訳ではない。下手の横好き、という意味では、はっきり言って素人に近いとすら思っている。しかしサイトデザインだけでなく、サーバ設定やcgiの設定などは、それなりにこれまでも数をこなしてきた事もあって、何とかお客様には喜んで頂けたようだった。

お客様はとある地方のペンション。予算は当然限られているのだが、ネットでの予約客を取り込みたいという希望が第一にあった。ユーザビリティという視点からも、できればcgiでパソコンがよくわからないオーナーの方でも、空室情報を更新できるシステムが欲しい事と、メールによる予約を受ける事で、今の若い客層を取り込みたいという事らしい。また、外国からの客も多いらしく、英語のページも欲しいという。

それとは別に、それなりによくできているサイトを持っている方だったので、予算もそうだが、複雑に組まれたページをあまりいじりたくなかった事もあって、更新はコンテンツの中の写真や文章だけとし、新規で4ページを作成。その中で2本のcgiを組み込むという形で進めさせて頂いた。関連して写真のスキャン、加工なども50ファイルほどあった。

これまでも何件か正式にお金を頂いて仕事をしてきたのだが、今回はまったくの1人。お金が絡まないウェブ作成では二桁を越えているのだが、それなりにしっかり結果を出さなければ困る。またこの仕事を斡旋してくれた知人の方の信用にも関わる訳で、緊張していた。

結果、今後も春頃に夏版への変更が発生する事と、今後オールリニューアルを依頼したいという話も頂き、少しは経験と収入になっていくと思う。

今後もこういう仕事が単発であると、その期間は大変ではあるが生活は助かる訳で、同時に経験にもなる。会社に依存しない生き方は、常日頃考えている事でもあるので、何より自分が頑張らないといけない。

お金も無駄に頂く事はないが、比較的安く、依頼をくださったお客さんには、満足して頂きたい。いつか副業が正業になるかもしれないが、私は由とくーと3人で穏やかに暮らしたいだけであり、それが何よりも目的で仕事もしているのだから。

写真は直接関係ないが、今回の顧客のペンションがある地は、この写真のような深い雪の中にある。

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2007年01月15日

くーの歯が…

先週金曜に、くーの歯に大問題が発生しているのに気がついた。私が会社から帰ってきてまもなく、洋服を脱いでリビングに降りて来た途端、由の悲鳴に似た息を飲む声が聞こえた。どうも下前歯の歯茎が腫れており、触った所グラっと動いたという事らしい。

前歯は以前から結構削れたのか欠けたのか、下が特に短くなっていた。下の犬歯も、先が削れている。これはどうも、近所の公園でディスクを投げていたのが原因らしい事に、しばらくしてから気がついたのだった。

砂が敷かれた公園では、ディスクはよだれですぐに濡れ、そこに砂が付着。犬はそれを口でくわえて帰ってくるのだが、その時にヤスリのように削れてしまうという事らしい。

犬歯はそれが相当削れてから調べた所、そういう理由があったことを知った。そんな事になるというのも知らないダメ飼い主だ。前歯の下も、パピーの頃から固いものを食べさせたり、生骨を食べさせたりしていたのが原因かと思っていた。

慌てて近所の犬仲間とアジの知り合いが歯を専門に診ているお医者さんの話をしていた事から、その人を調べて電話をしてみた。由も相当に焦っていた事もあり、怖そうな女医さんが電話に出た。その方が、この世界では相当に有名な先生らしい。

近所でお世話になっている動物病院の先生も、この先生の講習を受けたらしい。どうもやはりそのグラつく歯は、オペをして抜かねばならないらしく、トントン拍子で2月のある平日にオペ日が決まった。私は会社を休んで車でその病院にいく事になった。

くーの歯がダメになる事は、飼い主の管理が悪かった以上の何者でもない。申し訳ない気持ち一杯で、私のあぐらをかいた足の上で気持ちよさそうに寝ているくーを撫でてやった。

犬を家族に迎える事を決めてから、本当に色々な事を勉強してきた。知らない事だらけだったし、おまけに今でもまだまだ知らなかった事は出てくる。自称犬の事は私に聴いてという人はとても大勢いるのだが、私は今付き合っている人々のレベルが標準になってしまっている事もあり、自分達がまだ経験も知識も不足している事を痛いほど感じずにはいられない。

まだ4歳にして前歯を1本失う事になってしまったくーに申し訳なく思う事で、相当に凹んでしまった。誤っても許して貰えないと思うけど、ごめんよ、くー。

オペを前後して、アジ練や競技会はちょっと休まなければならなくなりそうだ。

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2007年01月14日

2007年最初のミニコンペ2

今回のコンペは3走以上は1000円/1走になるので、殆どの人が4走以上。5走、6走は当たり前という忙しい競技になる。それに予定外となるAGOPも急遽追加され、お昼休みやコーチのハンドリングアドバイスもあって、どんどんと押してしまったが、とても楽しい1日になった。

先週の突風も嘘のように穏やかな日になり、半袖で走るハンドラーも居たほど。しかし朝と夜は冷え込みがきつく、着るものを調整しないと体調を崩しそうだ。

我がチームのエントリー種目はBAG、AGOP、JOP-A、JOP-B、JP1、AG1という内容で参加。

個々の内容はリザルト的に残念ではあったが、由は今回ドッグウォークのコンタクト3走分、全て停めるという課題を自分に課しており、それは全て達成する事ができた。Aフレームは殆ど飛んだのだが…

またドッグウォークのコンタクトについて、前回の自主練でハリーママさんから丁寧に助言頂いたり、今回もYコーチからも助言を頂いた。どういうやり方で勧めていくかすら、自分たちには見えていない初心者チームだが、ひとつひとつ課題を自分に課して身につけていきたいと思う。こうして多くの先輩方にアドバイス頂ける身を喜び、そして感謝しきれないほどの嬉しさを感じていた。

くーが嫌々じゃなく、楽しみながらどうやって身につけていくか、何年も課題になっている人も多いというコンタクト障害、そしてまだまだ抜けてしまうスラロームを今年は大きな課題としたいと思っていた。昨年下旬に課題だったタイヤはマスターしてくれたようだし、今回のようにピッタリとはいかないまでも、ドッグウォークでのコンタクトを憶えつつあるくーと、頑張っていかなくては。

人の以外何者でもないルールをいかに犬に伝え、そして尚且つ、その時々で変わるコースのハンドリングというのは、殆どといっていいほど完璧にこなす事は無理だろうが、それが奥の深さでもあるアジリティ。今年の初の競技会は、6走/日のうち、CRなし、4完走となったが得るものも多かった。

Tコーチに途中、ハンドリングで相当お叱りをうけた由も、最後にかけて頂いた言葉で、帰りは少し落ち込みも回復して、自分で運転すると足柄SAで交替したのだが、すぐに眠くなり、海老名で電池が切れてしまったようだ。お疲れさん。

例の明治通りの工事が酷く、タイムロスが響き、0時に帰宅。明日が休みなのがちょっと救われる気分だった。

写真は競技の合間も練習に精を出す由とくー。パーツも初心に戻ってVスラで。

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2007年01月13日

2007年最初のミニコンペ1

今年初のアジリティ競技会。といってもミニコンペという名のイベントなのだが、3走以上で1000円/1走なるという魅力のあるエントリーフィーの為、普段から御殿場セミナーの常連に加えて、多くの人が参加すると思われる。

朝はいつも通り5時に出発。東京IC直前にあるJOMOが、先週119円/Lだったのと、余裕のある往復がしたかったので、給油。しかし今日は122円/Lになっていた。余裕を持って東京ICを通過。

前回、今回と荷室のどこかで擦れる音がする。積み方の関係で何かが擦れているような音だ。私は気になるのだが、由もくーもぐっすりと眠っていた。今日は朝、アジ先輩のマフィさんたちがホットサンドを作ってくださるというので、甘えさせて頂き、ちょっとしたお菓子を買いにセブンイレブンに直行。その駐車場で由を起こすが、しばらく起きなかった。

丁度富士山の頂上に朝日が当たり始めた。綺麗そうなので、由が写真を撮りにいこうと、フィールドの上まで会場入りする前に車で行く。すると、その手前に見たことがある車が…。コーチの車だった。犬を運動させ終わった所らしく、挨拶。きっとコーチも何やってんだ、と思った事だろう。凍った芝の上をくーは走り回り、富士山に太陽があたるまで少し写真撮影。

フィールドに改めて入ると、既に車が数台。しかしタープなどは張られていない。椅子すら出ていない状況なので、まるで普段のセミナーのような感じで朝食を頂く。9時近くになってようやく車も集まってきたという、ミニコンペという名の通り、和気あいあいとした「競技会のようなもの」になりそうだった。

フィールドの地面は日が当たる前までは全面凍っていた。日が昇ってくると、その部分だけが溶け、泥が浮いてくる。芝枯れしている時期なので、これ以上はもっと暖かくならないとフィールドコンディションは改善しないだろう。

コーチとハル家が前日に入って、今回の進め方などの準備をしてくださっていた。タイム計測はするが、ストップウォッチのみ。出走クラス毎に各自名前とクラスを書かれた紙を、競技開始前に提出し、そこに直接タイムなどの成績を書き込む。最後に成績順に並べてホチキスで止めるという運用だそうだ。

椅子とテーブルをコース脇に並べ、青空のもと競技が開始された。

写真はまだパーツでの練習も不足しているスラ。アプローチの乗せ方、回し方でハンドラーの経験もまだまだ。失敗させないハンドリングを目指して頑張ろう。

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2007年01月12日

流氷チェック開始

例年流氷は2月の1週目位に接岸する。今年もそろそろ流氷が動きだしてきているだろうと、例年の流氷チェックのサイトをのぞいてみた。

先週の突風や寒気の関係で、ここ数日でぐっと流氷が南下してきた。今年もエルニーニョが出ているようだが、流氷はどんな感じだろうか。昨年3月には由のお母さんたちに流氷を見せたくて企画したツアーでは、まったく流氷はなくなってしまっていた。せいぜい蓮氷が湾の端に確認できる程度だった。

流氷を見たからどうだ、という感情はもうないのだが、でもやはりオホーツクに一面の流氷があるという風景をみると、じわじわとここが北の果てという感じが浮かんでくる。開氷している部分が多いと、やはりイマイチなのだ。

私たちがオホーツク沿岸に立つ3月頭には、ぎっしりの流氷となっていて欲しい。今回こそくーの流氷との対面を実現したい。

流氷の動きはこの流氷情報センターのレーダーサイトで確認できる。

そして、いきつけの鮨屋にも必ず寄るつもりだ。

写真はある年の網走港。いかにも寒そうな風景だ。

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2007年01月11日

犬連れ可の宿調査

3月の頭に北海道へ行く事にした。往復の人の分の航空券は既に手元にあるのだが、あとは期間中の宿とレンタカー。宿を決める時点で、今回はどこをターゲットにするかを決める訳で、おのずと主なルーティングを頭に描く事になる。

久しぶりの旅になる。1年ぶり、そう、昨年の3月も、冬の道東へ渡った。由のお母さんと妹さん、そして叔母さんが同行したのだが、私たちが渡る4日前には有視界から流氷は遠く離れて行ってしまったのだった。今回はその日程よりも1週間以上早い。

いつも通りであれば、女満別か釧路を使い、帯広も何度か使った事がある。中標津は航空会社が違うので今回は使えないのだが、由のリクエストで富良野・美瑛エリアに冬に行く事にした。よって、女満別空港に入り、旭川空港から帰るというラウンドルートに決めた。

その決定理由は由のリクエストだけではなく、復路のダイヤの関係で、乗りたい便に使われている機体がとても小さいものだという事もあった。小さい事と、カーゴルームのある後ろにエンジンがある為、くーが乗る時に音が凄いのではという予想や、Class-Jがない事などもある。Class-Jにこだわる理由は、一般の座席よりも早く出入りができるという事もあるのだ。くーを早く迎えに行きたいと思う為から、1000円の増額も苦にならない。ましてや今回はJALクーポンを使う訳だから。

また旭山動物園に行きたいとも由が言う。くーを駐車場に置いて2~3時間でも寄りたいというのもあり、旭川周辺に今回はポイントを移そうという事になった。

色々と調べてみたが、富良野・美瑛には道東よりも多くあると思われた犬可の宿は思いのほか少なく、結果的にここなら泊まりたいという場所が道東よりも少なかったという調査結果になった。案外少ないと思っていた道東の方が、今は選べるような感じなのだ。

という訳で、網走1泊、美瑛2泊という事になった。その分、230kmを半日で移動しなければならないので、慎重な運転をしないとならない。

宿の情報などは追って書いていきたい。

写真はまったく場所が違うが、私が八重山で一番好きな宿。石垣にテントを張り、大きめのウェストバック1つで、波照間、与那国、竹富、西表をうろついた。

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2007年01月10日

今年一番の冷え込み

ニュースで、川湯で13度を超えたららしい。北海道の冬は、マイナスをつけて気温を言わない訳で、当然氷点下の数字だ。

川湯は道東では寒い方で、北海道で最も寒い場所として名高いのは、朱鞠内と陸別である。記録的には1度程度の差だが、朱鞠内のある士別が最寒の地となっている。

陸別は天文台があり、そこでは何度か低照度オーロラが観測されている。オーロラといってもカーテンのようなものではなく、うっすらと空の無効がぼんやりと輝くようだが、それでも一度見てみたい。私が厳冬期にキャンプしに行った年も相当冷え込み、和琴で泊まっていた夜に、20kmほど離れた川湯で26度を超えたようだったが、車中泊だったのであまり実感は沸かなかった。浜小清水でテントを張った時は、20度までいかなかったと思う。

友人が陸別の隣の駅である、小利別(しょうとしべつ)で、冬の数日間、駅前にテントを張って過ごしたそうだが、人が出歩いていなかったと言っていた。呼吸しただけで鼻や口がバリバリと痛いほどの気温の中、人は寒さを感じる事なく生活しているという現実は、同じ日本とはいえ凄い事だと思う。かたや八重山では半袖でだって過ごせる訳だから。

そういう自然の寒さとはまた違った意味で、都会の寒さというのも感じる。我が家は北向きのマンションで、冬はシンシンと寒い。ガラスブロックが半分を占める窓は、明かり取りや外気を二重サッシのように遮断するという意味もあるようだが、背中から冷気を感じるほどだ。

植物も夏場でもあまり育たない。日当たりのよい家というのは、気分的にもいいのだろうなと思う。そう弟子屈の定宿などは、大きいリビングの窓からは日差しが入り込み、真冬だって半袖で寒くない。外にはダイヤモンドダストが舞っていてもだ。

都会の方が案外寒いのかもしれない。

写真はこの季節、閉鎖される摩周第3展望台への道に立つ通行止めの看板。

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