2007年02月28日

野宿旅の本

野営、野宿という言い方は、キャンプとはまた違う雰囲気がある。どちらもビバークに近い。キャンプというのは私からすれば、本来の意味はどうでもよく、キャンプは一つの目的になる遊びという感があるからだ。

キャンプツーリング。私はこちらの方がイメージとして強い。日本縦断の時も九州のみや四国のみ、北海道などでは、キャンプ用品をリアに満載して、走る事とキャンプする事をセットで楽しんでいるものだからだ。

ただ私としては雨の日のキャンプは避ける。といっても雨が心底嫌いな訳でもない。テントを設営する時と撤収する時に雨が降っていなければ、それでよいのだ。テントの中でフライシートを叩く雨音を聞きながら、前室でコーヒーを沸かしたり、雨が入ってこないように出入り口をあけて、外を眺めていたり、締め切って中で文庫本を読んでいる事も好きだ。そんな私のスタイルは絶対に野宿とは言えない。

野宿といえば、やはり寺崎さん。寺さんはアウトライダーの関係で何度かお会いしているし、山梨の家に知り合いと一緒に呼ばれた事もあったが、結局行けなかったりした。友人のキャンパーは初期の頃の寺崎組員だし、カメラマンはまさに一緒に寺さんと野宿をしながら記事を作っていた。そんな私にとってはどちらかというと身近な寺さんだが、そのタフさはカッコいい。とても私が真似できるようなスタイルではない。

昨日のブログでTRAIL北海道が私の旅のバイブルとも言えたと書いたのだが、ここで寺さんの装備に相当に影響されたのも確かだった。高校2年の時に手を出し始めた装備は、寺さん愛用の品が多く含まれているのはその証拠だろう。

クシタニのプロトタイプブーツ、オプティマス8R、シェラカップ、ムーンライト3(記事ではユーレイカ製だった)など、実際にそれらは長い間の私のパートナーとなった。

寺さんはジムニーなどの4輪の本にも執筆しているようで、偶然他の雑誌でその名をみつける事もあったりするが、林道日本一周の頃からその引き込まれる内容は変わっていない。

そういえば寺さんの公式ウェブサイトも実は一番最初は私が作ったのだった。その後は別の担当者が作りなおしたのだが、そんな縁もあったりする。

我が家にあるのはこの4冊。今読み直しても面白いものだったりする。

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2007年02月27日

ミツバチ族ブームの影で

1980年代後半から1990年代中頃まで、北海道はいわゆる「ミツバチ族」と呼ばれるバイクのツーリングライダーで夏はあふれ返った。

その前には、いわゆるバックパックを背負い、JRで旅をする「カニ族」と呼ばれる世代があったのだが、私はカニ族の後の世代だ。

その時代を通して、自転車で廻る旅人は居たし、車で廻る人も居た。前者はタフな身体を持ったもので、大学などのサークルが合宿のような形で夏、北海道まで輪行して巡っていた。後者は比較的短期で、お金に余裕のある人が多かったと思う。一言では言えないのだが。

バイクで旅する事は、やはり歩きや自転車に比べると圧倒的に楽だ。しかし雨や炎天下、荷物も積むには限界がある上に、転ぶ事があるという中途半端さから、バイクで旅する事に拘る私のような人種が居て、それがある時期ブームとなって押し寄せた。

今でもその頃の名残はあり、事実夏になればまだ当時ほどの数ではないが、ツーリングライダーは北海道を訪れる。簡易宿泊施設といえば、北海道で生まれたライダーハウスという所も多くは淘汰され、とはいえ今でも稼働している所もある。

そんな時代背景を追って刊行された本があった。美深で行われる祭などは、まさにミツバチ族のピークだったとおもわれる。「旅・北海道ツーリングマニュアル」だ。

同じように沖縄・八重山方面の旅の友である「やえやまガイドブック」や「沖縄・離島情報」などを、行く予定もないのに買う私は、この本も何だかんだいってずっと買い続けていた。「とほ」と呼ばれるユーススタイルの男女別相部屋の旅人宿ネットワークのガイドブックは、B6サイズのような頃からぽつぽつと買っていた。

「とらべるまんの北海道」や「なまら蝦夷」なんかも、時代は随分違うが持っていたが、結構貸したままとか旅先で濡らしてしまって捨ててしまったものもある。

この「旅・北海道ツーリングマニュアル」は、内容はどうとしても、旅人が記念撮影で載っているのが一番楽しみにしていた。知り合いが何人か写っているのを見ては、ほくそ笑んでいたのだが、多くのこの本の読者は同じ目的で購読していたのではないだろうか。

北海道ブームは去った。バイクで旅に出る若者も減った。そういう時代になったというだけだ。

写真は我が家にある疾駆北駆すの9冊。厳密に言うと、創刊0号というのがあり、全10冊らしい。後半は正直な所、惰性で買っていた。

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2007年02月26日

続々・旅する本

旅の本は沢山持っている。随分これでも処分したのだが、アジアのバックパックものもそれなりにある。海外ではチベットやネパール、タイや中国、台湾が多い。

その中でこれは絶対に手放せないというランクのものと、まあとっていてもいい、というクラスがあるのだが、その中で中間のレベルのものも少なくない。ただ、捨てられない本というジャンルとでも言おうか。

本の内容も軽く、紙もよくないのだが、当時はこの本が面白くて仕方がなかった。実際知り合いと思われる投稿もあり、微妙に自分の時代とリンクしているのがきっとその理由だろう。

丁度女性バイク乗りマンガで有名になった小道迷子さんのイラストが、脱力系のネタをより雰囲気としてかも出している。

使われている紙はすっかり変色してしまったが、まだページは崩壊していないようだ。この本もめったにページをめくる事はしないだろうが、保存版として保管されていく事になるだろう。

内容は、旅人(ライダー)が旅先で聞いた話や、エピソードなど、実話による投稿だけ。より切実な言葉がそれぞれのページでメッセージを伝えてくる。その場の雰囲気が想像できない人の方が圧倒的に多いはずなのだが、妙に私はうなずいたり、笑えたり、哀れんだりする内容ばかりなのであった。

写真はそのシリーズ2冊。この本を知っている人は相当にマニアだと思う。

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2007年02月25日

続・旅する本

TRAILという小冊子があった。革ツナギやグラブやブーツはレースで一流ブランドとしても有名で、ツーリングジャケットもあまりセンスのよいものはなかったが、EXPLORERというブランドのモノは比較的好きだったクシタニが、各販売用のショップで売っていたものだ。

北海道編と、九州編の2つを私は持っている。本はもうぼろぼろで、ページが崩れ落ちそうな状態で、写真もカラーはちょっとだけ、白黒ばかりの本なのだが、オーラというか、少なくとも私にはこの本から力を感じていた。

最初この本を手にしたのは、高校時代。MR50に乗り始め、まだ未舗装のヤビツ峠や犬越路林道を走っていた頃だ。丁度高校の近くに支店があり、そこでガクラン姿の私はTRAILの北海道編を手に入れた。

今でこそそのショップはなくなってしまったが、その隣にあった小さいバイク屋には、大学を卒業し今の職についてから通うようになった。その時にはクシタニは経営難に陥り、厳しい店舗整理が行われていたのだった。

ビックバイクに乗るようになってからは、しばらく五反田のショップによく顔を出していた。高校時代のバイク乗りの友人では、最後まで乗り続けていた友人と一緒にだ。当時私はGPz900R、彼はブラッシュファクトリーでフルペイントをかけた、趣味のいいカスタムが施されたGPz1100。お互いKERKERサウンドを奏でながら、海や大観山までのショートツーリングをよくしたものだった。

そんな私だったが、高校時代からずっとオフロード好きだ。TRAILの北海道編はまさに林道中心。逆に九州編はワインディングをロードスポーツで駆け抜ける内容が多かったので、本の痛みは圧倒的に北海道編なのだった。

旅の匂いがする本。これもまさにその一つだ。またこういう本と出会えるだろうか。

写真はその2冊。痛んでいるが、宝物だ。

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2007年02月24日

想い出深い一冊の旅本

アウトライダーという本がある。私は創刊号こそ手にいれなかったが、2号からずっと講読し、休刊するちょっと前まで定期購読していた。そう、最も私が長く定期購読していた本でもあったのだ。

アウトライダーは多くの旅好きなバイク乗りの読者が支えていた。過去形で話すのはおかしいのだが、復刊してからしばらくはまた購読していたのだが、実は最近は立ち読みする程度になってしまった。

私自身が旅に出られなくなってしまった事や、バイクに乗る機会が圧倒的に減ってしまった事なども原因なのだが、本を読むという事はそれとはまた違うと私は思う。本は好きなので、それが行けないチベットの本だろうが、生活に全く無関係なSF小説だろうが、読みたいものは読む。読む機会が減ってしまった事、買ってゆっくり読む価値を失ってしまったもの、という意味でも、私はアウトライダーから離れていっているようだった。

ただ私自身、アウトライダーの中から生まれたORPという集まりのスタッフは今だに続けている。昨年なんかは年1回の唯一の公式イベント、全国オフにすら行かなかったのだが、今年は何とか行きたいと思っている。スタッフらしい事もここ最近やっていないのだが、私にとって日本各地を旅してきた部分とはまた違うのだが、アウトライダーという本を通して知り合ったツーリスト達との繋がりは大事にしていきたいと思っている。

そんな中、私が一番想い出深く、今も保存版も含めて2冊持っている本がある。アウトライダー別冊北海道という本だ。それも初版に限られる。

恥ずかしい話だが、ここに由と私はそれぞれ1ページずつ、インタビューを受けている内容が掲載されている。私達の他に4人インタビューを受けているのだが、その中の2人は私の顔なじみの丘の友人だった。その中の一人は、昨日、一昨日とブログに書いたVIBESに載っている男だ。

私はこの本を大事に保管している。丁度私と由が結婚した夏に発売され、丘の帰りのフェリーでは、多くのツーリストがその本を持っていたのを思い出す。バレやしないのに、バレないだろうかと一人で勝手にドキドキしていた。

帰りのフェリーの乗船前、初対面だったが、丘でみかけた記憶のあった一人の旅人に声をかけられた。彼は結婚祝いにとフルサイズのチタンのおたまをむき出しのまま、私達にプレゼントしてくれたのだった。彼もこの夏の旅に、チタンの中華鍋とおたまのセットをバイクのリアに積み、祭りのハッピを着て旅していた。私たちがチタンの中華鍋は、友人からの結婚祝いで持っていると話をしたのがきっかけだった。

私はそのチタンのおたまをリアの荷物をパッキングしているストレッチコードに差し込み、乗船のアプローチを走ったのだった。

写真はその記念すべき本。見開きで向って右が私、左が由。

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2007年02月23日

旅の写真たち

結局購入。悩んだあげく、「載っていないけれども、同じ時期に丘に居た連中」と「友人」は殆ど買ったらしいという話を聞いて、まああってもいいかという気分になって思わず会社を抜け出して駅2つ先の本屋で購入してしまった。

改めてよくみたら、私の撮って彼にあげた写真が1枚、入っていた。以前同じ理由で購入したVIBESの別冊に使われた写真もあったせいだろう。どこかで見た写真だなというのが結構あった。

最近はずっとフライにハマっていて、竿まで自分で作っているというのは知っていた。奥さんも当時はセローだったが、一時は夫婦でハーレーに載っていたはず。今は子育ても少し落ち着いてきているのではないだろうか。

そういえば双子の兄の結婚式で会ってからはご無沙汰だ。丘で知り合い、結婚式の披露宴まで呼ばれたのはこれで2組目。私や数名のように、丘で式を挙げてしまうのではなく、ちゃんとした式も挙げている彼らをみては、由にもウエディングドレスは着させてやるべきだったのではないかと今でも思ったりする。

19歳の時、初めて北海道に渡り、それから毎年数回通い続けてきた丘。そこで知り合った友人たちは、バイクの趣味だけでなく、職場や年代も違っていて刺激の多い時間だった。彼らともに同じ趣味なのは、キャンプだという事ははっきりしている。町から遠く、雨や風に耐える事も必要なその場所に集う一握りの友人たちは、20年以上経った今でもどこかで繋がっているようだ。

写真は以前同じ理由で買ったVIBESの別冊、BREEZYと今回のハーレー雑誌。VIBES 2007年3月号の中に載っている同じ91年頃に撮影した彼が写っているプリントを少し。

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2007年02月22日

ハーレーと私

ハーレーと言えばやはり映画「イージーライダー」。単純だが正直な気持ちだ。

私のハーレー経験は、アウトライダーパティオの全国オフで、XL1200spotsstarにちょっと借りた事位だが、スタイルでは私はスポスタが好きだったりする。黄色いタンクのスポスタは、ハンドルも重く、コーナリングも重さを感じるものだったが、アクセルを開けた時のトルク感はなかなか楽しかった。

ただ私としてはもっと暴力的でもいいのではと思ったりする。そう、XR600Rに乗せて貰った時のゾクゾク感はなかったのだった。その600RはDKモデルだったにも関わらず、当時乗っていた輸出仕様のレーサーに保安部品を付けたXR250Rと比べられないトルク感、弾き出されるか、ホイールスピンするかどちらかのパワーは、ワクワクしたのだった。ここでやっぱり私は外車に縁がない事を自覚してしまった。

交差点のスタート毎に、慣れないアクセルワークのせいもあって、バイクは横を向いた。ちょっと砂が浮いていれば、すぐにスピン。車両重量の軽さもあいまって、フロントのホイールリフトは気が向けばすぐにできたのだった。オフロードバイクなのだからまったく乗り物としては違うのだから比較する事自体がおかしいのだが…

ハーレーは旅するバイクとして使うには、相当な気合がいるはずだ。以前よりは故障も減ったようだが、オールドハーレーの存在感はやはり独特であって、それは旅にとても溶け込めるものだと思う。色鮮やかレーサーレプリカはやはり、ちょっと浮いてしまう。しかしそれも台数が多ければ、段々と慣れてきてしまうようで、荷物を積みにくいリアに大量の荷物を積んだレーサーレプリカのバイクも、そんなに嫌いではない。

ただやはり、絵になるものというのは違う。例えば私がこれまで乗って旅をしてきたバイクでは、なかなか絵になりにくかったのは、RG250ガンマ2型、KDX200SR-G1。どちらもハデな色あいだったが、振り分けバックをリアにして、折り畳みのパイプチェアを乗せて旅をした。

逆に絵になったのは、SRX4YSP、ZX-4G1、GSX750S1、KLX650D1、DJEBEL250XC。これらはどんな風景の中でも絵になると私は感じていた。古い町並み、都会の街角、港町、山村など。そして荷物を美しくパッキングしていればもっと絵になった。

絵になったかどうかよく分からないのは、MR50、XL250Rc、GPz900R改、SuperCub90。それなりにあうのだろうが、特に900Rなどは雨で乗りたくないほどに磨きあげ、改造をしていたので、荷物を乗せて永源寺まで往復した夏と、浅間でハーレー乗りたちのキャンプに参加した時以外は、キャンプ用品を積んだ事はなかった。

ハーレーは広大なアメリカ大陸がやっぱりイメージになっている。ドゥカやBMとはまったく違う。ハーレーはバイクではなく、ハーレーなのだから。

写真はXR600Rのパワーを求めて、半年も納車を待った、黒いKLX650。とある峠のカーブで、パワーリフトして曲がっていく所。こんな芸当も簡単ではあったが、林道では重さで体力なしの私は参った。Rなしだった為、その重さとパワーのなさに失望した車種でもあった。

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2007年02月21日

VIBESの3月号

今書店の店頭に並んでいるハーレーの雑誌、VIBES 2007年3月号に、何だか丘の友人が載っているらしい。昨日ようやく会社帰りに立ち読みしてきた。この雑誌は表紙には水着の女性、中程にはそのモデルのヌード写真が必ず載っているので、違う種類の雑誌にみられてしまいがちなのだが、巻頭でミリタリーハーレーとローライダーで数ページ、友人が載っていた。

主に旅の写真で構成された特集は、他にも数名のハーレー乗りがピックアップされていたのだが、私が見たのは友人の所だけ。おまけに掲載されている写真には、半分以上私の知り合いも一緒に写っていた。そう、ハーレーとはまったく縁がない、丘の旅人たちも。

実は自分も写ってないかちょっと探してみたのだが、そのシャッターを切った瞬間に、フレームの外に私が居たというショットが数枚あっただけで、私はいなかった。今回の主役となった友人と、同じ場所で同じ時間を共有していたのは、私しかわからない。その写真を本屋の一角で私はみながら、にやけていた。

丘での時間はもう随分前のような気がする。90年~94年頃までの写真には、私の影もあるようで、その時代の丘は私の中では一番油がのった時期でもあった。ハーレーとは私は無縁だったが、彼を通して私はハーレーに興味を持ったのは確かだった。

彼のハーレーはよく壊れた。カムイワッカ近くでエンコした時も、お世話になっているバイク屋に連絡があり、何人かでトラックを借りてサルベージしに行ったのだが、私はその時は乗員の関係で参加しなかった。しかし戻ってきた時に出迎えたりした。そんな何気ないキャンパーな日々の想い出というものは、今になってもなかなか忘れていないようだった。

彼とは何度も近海郵船で同じ船になった。そして丘でもよく一緒になった。古い友人だ。

ちょっとだけ、懐かしい気持ちとあの時の丘の匂いを感じる事ができた気がした。

写真雑誌に載っている夏の、別アングルからのもの。一番奥で右手を挙げているのは私。この夏は黒いカタナ750だった。

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私自身は、自分が写ってはいないので買おうか買うまいか悩んでいたりする。

2007年02月20日

ヨーロッパの街角で

由と一緒に見るバラエティ番組では、笑えるものが多い。ドラマにしても、暗い内容よりも、楽しい気分になるものが由は好きなのだが、それも関西の血が騒ぐのだろうか。私としてはストーリーが面白ければ、明るかろうが暗かろうが、どちらでもいい。

そんな中で、某局のアナウンサーと泉ピン子が世界各地に現れて、大騒ぎするのが面白くて、よく見る。HDレコーダーで録ってまで見るほどになってしまった。

そのロケ先はベニスやフランスなど、アジアよりもヨーロッパが多く、これまた強烈なメイクと素なのか演技なのか微妙なのだが、これでもかというオバサンパワーが満ちている内容に、関西人の由も大喜びなのだ。

由は学生時代にヨーロッパに1カ月以上滞在し、美術館めぐりをしていた。元々美術屋だが、絵は見るのは好きだが自分ではあまり書かないようで、結果的には図工へ進んだ。工作は好きで、今でも暇をみつけては裁縫やら大工仕事をせっせとしている。先日なんかは食器棚の奥行きがないのが気になっていて買い換えたのだが、その食器棚を解体し、ちょっと小さいがAフレームを作ってしまった。その話しはまた後日完成してからにするが、自作スラやハードルなど、100円均一やホームセンター、ハンズ大好きなヒトでもある。

私も卒業が決まった時にヨーロッパ4カ国を慌ただしく回った。最初の海外旅行で、安いパックでエコノミーのDC10で北極点周りフィンランド経由でギリシャ-イタリア-スイス-フランスを回った。夜の24時にホテルに着という事もあったドタバタツアーであった。

私のそんなかすかなヨーロッパの記憶も、ちょっとしたテレビのバックに写る風景にひきずられるようにして思い出す事ができる。ずっと晴れる事がなかったパリでは、まずいインスタントコーヒーをオープンカフェで寒さに耐えながら飲んだ事も思い出された。

写真はまだ20代前半の頃。オペラ座の前で。AVIREXのB-6はカビで捨ててしまった。

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2007年02月19日

年休消化

朝目がさめたら頭痛だった。というか、日曜の墓参後から軽い頭痛が続いている。同時にちょっと発作のような苦しさがあって、ちょっとしゃべると咳が出る。寒さのせいかとも思うのだが、風邪っぽい気分でもあるので、葛根湯とできるだけ飲みたくない頓服を2日連続で飲んだ。

頓服を飲み続ける事はよくないのは十分承知しているのだが、あまりに辛いと飲んでしまう。とはいっても今期は例の群発性頭痛はあまりおきてない。群発性頭痛は右の目の奥のあたりの激痛なのだが、主に最近頭が痛いというのは、左側や後頭部全体が鈍く痛んだりするタイプだ。肩凝りも同時に起こり、うなじに触れるととても冷たくなっている。

会社にいかねばと思っていたが、次に目を覚ましたら既に8時近かった。もう今から会社に行っても仕方がないので、そのまま年休にしてしまった。

隣には由が寝ていて、足元にはくーがいるらしく、たまにフーンというため息のような声が聞こえる。私は頭痛の手伝って、じっとしていると、また眠りに引き込まれた。

年休は4月の21日に改めて新年度の20日間が追加される。できれば多くを繰り越したいのだが、昔他の休暇も含めて全て使い切ってしまってからは、なかなか繰り越しの日数もMAXの20日に満たない。積立休暇なぞは毎年ほぼ完全に使い切っているので、今年度も0からのスタートだ。どちらにしても私のような休まなければならない日がある身体を持った人間にとって、有給休暇は大事なのだ。

有給休暇を使わない事を自慢にしている人は減ったが、今でもいるのは事実だ。また有給休暇を取る事で、白い目を向けられたりするような職場もまだまだある。色々な人がいる訳で、健康だけがとりえな人もいるわけだし、その中には仕事ができる人もできない人だっている。なので、私は遠慮せずに年休をしっかり使っている。

といっても大事に使わなければなくなってしまう。そのあたりでいつもそれなりに苦労をしている。熱があっても頭痛でも会社に行く日だってある。健康な人が羨ましいと思うのもそういう時だ。

長く眠りすぎると頭痛が酷くなるのだが、今日はなぜか殆ど眠っていた。何とか体調を戻さないと、今週末は御殿場だし、来週末は北海道なのだから。

写真は私と一緒に寝ていたくーの顔。親バカだがかわいい。

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2007年02月18日

法事は交通規制の中

今日は本家の法事。寒川では草アジが行われているが、その理由もあって今日は欠席なのだった。

天気は朝から大雨。これではあの足場が悪い寒川では大変だろうと思いつつ、またこの時期の気温としては普通なのだろうが、最近にしては冷え込んでいる事もあって、身体の色々な所が痛い。

また今日は東京マラソンの日でもある。スタート地点である都庁から新宿大ガードあたりは一切車の侵入が許されておらず、大変な騒ぎになっている。テレビでそのスタートの模様を見ながら、実家の近くの道をランナーがはしり抜けるシーンに何か不思議な気分だった。

ランナーはスタート後あっという間に大ガードをくぐり、市ヶ谷まで走り抜けていた。その頃まだ最後尾はスタートしている最中。これだけの事はなかなかないので、壮観だった。

実家前の道は、まさにそのコースにぶつかる為、寺に向かう時間によっては影響が残るとみていた。なので母親には親戚とともに直接タクシーで寺に向かって貰う。我が家はJATICの道路情報をみながら、早めに出発。予定では10時すぎには大ガードより西側は開放されるようだったので、あえてそっち側を抜けようか、裏を走ろうか悩んでいたが、大丈夫そうなので、そのまま青梅街道に出ると、その前後もガラガラだった。タクシーだけはうごめいていたが。

法事を執り行う寺の本堂は寒かった。雨が昼前にはあがるという予報だったが、結局小雨が降る中、墓まで歩く。その後境内で食事を取り、私の頭痛が酷くなってきたので、そのまま帰らせて貰った。くーは二人ともでかけてきっとフテていたのだろうが、喜んで迎えてくれたのだが、私はそのまま布団に直行。くーもしばらくして一緒に寝てくれた。

写真は都内の交通規制がかかったJATICの交通情報。通行止だらけだ。

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2007年02月17日

黄色いヒヨコちゃん

私は高校時代まではガリガリに痩せていた。食べても太らなかったのだが、浪人時代に一気に10kも太ってしまい、それからはなかなか体重が減らずに、長くなってきた会社員生活でそれは悪化する一方になってしまった。

まあ運動する事で喘息がおきてしまったり、頭痛だのなんだのとストレス性とも言える症状がさせてくれない理由の一つでもあるのだが、やっぱり圧倒的に仕事の内容が朝から晩まで殆ど席から動かないというのもあるかもしれない。

一時期は昼休みにディスクを投げ練したり、お台場に買い物にでかけたりと体を動かしていたのだが、最近はまたご無沙汰になってしまっている。食後はもう眠くて仮眠を取るのだが、デスクに突っ伏して寝ていると色々な所が痛くなる。

食生活も要因の一つだ。朝は食べない日は殆どないが、日によってちょっと食べ過ぎてしまう事もある。

昼はいつもの仕出し弁当。これがまたおかずが多くてごはんが多い。その為ごはんは3/1残すようにしている。ここで思い切って半分残せばいいのだが、それがまだ決心の弱い所か。

夜はたまに私も作るが、ごはんは2人で1合。私がちょっと多めの割合にしてもらっても、かるく茶碗1杯分だ。おかずは2品程度でそんなに食べすぎないようにはしている。

それでもなかなか体脂肪は減らない。やはり圧倒的に運動不足なのか。ウォーキングの時間をもっと増やさないと…

写真はお昼の定番、蒲田と大森の間にある玉子屋の本拠地を電車から撮ったもの。

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2007年02月16日

レッツ帰宅

4日間でリフレッシュが終わったメインマシンが帰ってきた。早速ハードディスクを戻してメールを受信。日曜の夜の状態に無事、復帰した。

キーボードとパームレスト部分のカバーがまるごと新品になり、その作業をした人の顔写真つきのレポートが1枚、ついていた。内容は特に機能的な問題はなく、バッテリが28カ月使用している事で、積算充電指数が187となっている、という旨がかかれていた。

具体的には何をやってくれたかというと、以下のようなもの。これを引き取り時と発送時の送料まで含めて全て無料でやってくれたというのだから、正直恐れ入る。

 1.トップケース交換
 2.ーボード交換
 3.HDDチェック
 4.ウィルスチェック
 5.ACアダプタチェック
 6.一般動作確認
 7.本体清掃
 8.バッテリーチェック

パームレスト上にあってはがれていたWindowsXPやcentrinoシールは新品になり、キーも真新しい感触のもので、気分的にとてもよい。こういうサービスをして貰えるという事もあるが、元々モバイルノートという分野でレッツノートは独自のポリシーを貫いてきた製品でもあり、これからもきっとファンの心を掴み続ける事だろう。
よいものは宣伝しなくても売れるというのもあるが、こういうサービスは次回もレッツを選ぼうとおいう気に強くさせてくれる。ましてや魅力的なR6がデビューして間もないこの時期に、買い換えを促すのではなく、リフレッシュをしてくれるという発想は、営利優先以外なにものでもない日本企業にとって、いったいどのような動きがあったのかとても興味がある。

きっと一部のこの機種の開発やユーザの声に耳を傾けてきたスタッフが頑張ったのではないだろうか。大きい会社であり、他の事業部とは関係なく、独自のサービスだったのではないかと思う。それが故に、賛辞を送りたい。

写真は普段のモバイル仕様に戻った私のR3。

エクストリーム・リミット社製のボディスーツはリブレットの時代から気に入って愛用しているが、これはR3専用のもの。AirEDGEのカードはアンテナ部分が完全に飛び出さないように収容できるホンダエレクトロン製のもの。

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2007年02月15日

暖かいと虫が…

既に数日暖かい日があった事から、小さい虫が飛んでいるのを見たりする。2月中旬だというのに、なんという事だ。これから春になると、犬にとって大敵となる蚊や蚤やダニが出てくる。そして由が最も苦手とする虫、黒いアイツも。

過去、近所にあった建物が取り壊されると、我が家にも侵入してきた。避難してくるのだろう。築10年近くも経つと、他の世帯では結構出ているという話も聞く。私も得意ではないが、由が悲鳴をあげると私が対応する訳で、抹殺するまではその部屋は立ち入り禁止になる。私が最後まで戦う事になる。

これまでも夜寝ようとした時や、朝私が起きてきた時に出くわした事があった。ただ10年を通じて、6~8匹程度というのはどうなのだろう、少ないのではないだろうか。全て外から侵入してきたものだと思われる。由は暖かくなると結構窓を開けっ放しにするので、私がきがつくといつも閉めて回る。新宿生まれの人間は、窓は鍵まで締まっているものであるというのが普通の考えなのだ。

実際下のフロアから煙草の煙があがってくるのは日常茶飯、近くの銭湯から煙が漂ってくる事も多々ある訳で、気分が悪くなるなら、部屋の中で空気清浄機をまわす事を選ぶ。

といっても早朝はよく窓をあけて換気するのは好きだ。開けっ放しにする事や、網戸がちゃんと締まっていない時がとてつもなく気になる性格なのである。

先日、日本初で殺虫成分を一切使わずに「マイナス40度の強力冷却」で瞬時に虫を退治する家庭用殺虫スプレーが発売されたようだ。くーが居る我が家にとって、これはなかなか気になる製品だ。まだ手に入れてないが、常備するようにしたい。

写真は一昨年の梅雨時のものだが、後ろの紫陽花の色が美しかったので、くーを前にして取ったもの。偶然、小さい虫がくーの頭の上に来て、くーがそれをみた瞬間。

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2007年02月14日

春一番のバレンタインディ

巷は甘いにおいが漂う日。それどころかなんと春一番がもう吹いたという。世界は大丈夫なのだろうか。日本全国が大荒れの天気に見舞われていた。

チョコレートの日はすっかりイベントとしても定着しているどころか、最近は逆に義理と呼ばれるものは縮小傾向にあるという。実際お返しをするのも馬鹿らしいものだし、菓子メーカーに義理立てする事もない。

結局このイベントについても、妙なストーリーを作るよりも、チョコレートの日とかにすれば良い訳で、そうすれば別に普段食べないチョコレートを食べてみようという気にもなるのではないか。あらためて何がセントなのかよく分からない。

私はどちらかというと、バレンタインデイというのは、流氷の見頃の日であるというのが強い。事実、過去4度流氷を見に行ったのは全てこの日を含んでいた。充分にドラマティックな日という気持ちなのだ。

由からは自分が食べたいチョコを貰う事だろう。そして一緒に食べる訳だが、殆ど9割は由にあげることになる。ずっと前から由は、宝くじが当たったら、好きなだけ高級なチョコレートを買いまくりたいと言っている位、好きなものなようだから。

写真はある年のバレンタインディ。別海のあたりで流氷をのぞみながら。

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2007年02月13日

それでもアンテナは立っている

写真は我が家のマンションの共同アンテナ。BSアンテナ以外は、電波障害になるタワーマンションのせいで無意味になっている。

このマンションは販売会社は分譲直後に電波障害がある事を知ったにもかかわらず、すぐにその対応をしなかった。施工の仕上げの悪さも酷いもので、外壁の仕上げだけでなく、部屋の間仕切りの仕上げも最悪。それこそ欠陥住宅に近いと思える部分が多々あった。

しばらく悩んだのだが、今年で築10年。これから大規模修繕も入る事だし、リフォームも考える時期に来ている。ローンはまだまだ残っているので、そんなに簡単な事ではない。

少しづつ色々な部分が改善されてきているのも確かだ。今回光が引き込まれた事もその一つだし、植栽がすぐに枯れてしまって品種を全て保障の範囲で変更させた事で今は枯れる事もなくなった。エントランスの扉の故障も大幅に減ったし、私は構造やデザインも含めて、狭いが我が家が好きだ。

私はこのマンションに移る前に、実家に程近い1LDKのマンションを購入した。まだ独身時代だ。結果的に騒音問題により1年経つ前に転売してしまうのだが、酷い構造のマンションの多さというのは、その時痛い程判っていた。しかしそのマンションから出たい一心だったのと、由と一緒になる事も決まり、もっと快適に住める場所を探した結果でもあった。

そういう意味だとあまり恵まれていないのかもしれないが、今の住まいは多くのよき住人の方と一緒にこれまでの問題を解決してきたし、立地についても問題はなく、できればもっと快適にしていきたい。

テレビアンテナはその当時のものだが、役目が終わるのももうすぐとなってきたのを感じると、今更ながらこのアンテナを見上げると不思議な気持ちになる。

写真はあとちょっとしたら全て撤去されるのかもしれないこのアンテナを見上げてみた時のもの。

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2007年02月12日

フレッツ工事とレッツ回収

今日は朝から色々な準備。我が家のネットワークやPC関係は私しかやるものはいないので、私がやるしかないのだから仕方がない。もっと便利に、もっと安全に、もっと楽に使えるようにするのは私の役目でもある。

今日の予定は午後から夜にかけて、予定を入れている。午前中からお昼すぎにかけて、私のメインPCであるLetsNote R3の開腹作業が一番大変だ。今日から4日間はこれが使えない事になるので、しばらくは由のキューブPCを使う事になる。メールはブラウザメールでチェックする事になる。

何故そんなやっかいな事をするのかといえば、内臓されているハードディスクは、今回のメンテナンスサービスでは消去が前提である事がある。BIOSやWindowsパスワードも全て外さなければならない事や、個人情報が見られても困るので、標準で搭載されていた40GBのハードディスクを戻し、リカバリインストールするのだ。

但し4日後に戻ってきた時は、一旦この時外したハードディスクを戻せば、4日前の状態でメーラーも何もかも、ロストするデータなく現状復帰できるという考えだ。なので、戻ってきてからの作業もあるが、まずは無事にサービスを受けて貰えるようにする為に、一苦労するのだった。

その作業は昨晩のうちにほぼ終わらせていたのがよかった。いきなりお昼前に引き取りの日通がやってきたが、慌てずに済んだ。そして予定より3時間も前に、今度はNTTの関連会社の人が、前倒しでもいいかという確認の電話をよこし、13時すぎには光回線引き込み工事も完了した。VDSLの終端装置はこの人が持って来て接続。ルータは事前に届いていたので、配線し、デスクトップでネットワークに接続できるかのテストをする。

VDSL機器までは80Mほどの速度が出ているようだが、途中安いスイッチングハブを2段経由し、長めのツイストペアを使っているせいか、PCでは55Mの実測となってしまった。改善しないと。

という訳で、これから4日間ほどメインのPCがない状態で不便になってしまう。レスやらメールが遅れがちになってしまうが、その間は許して頂くしかない。ただ今回のサービスで2年使ったキーボードとパームレストが新品になるのはとても嬉しいので仕方ないという所か。

しばらくは不便な日々だが、ガマンする事にしよう。

写真は光回線引き込み部に設置された機器。ここから分電盤のラックを経由して、各戸までは既存のメタル回線を利用し、VDSLを使って繋がれる。

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2007年02月11日

初アジスクランブル1stその2

今日は由にしては頑張ったエントリーで、5走を予定している。JP1,AGOP,BAG,JOP,SPOPというメニューだ。ただ2週間前に練習をしただけで、また間があいてしまっている。

私としては何とか近場でアジ機材がある場所で、平日に少しでも練習ができるような場所を探してやりたいのだが…反面由にはあまり都内を車で運転させたくないので、複雑な気持ちでもある。私自身、都内を走るのは好きではないから。

今日の結果は2完走だけ。それにまだまだ由の身についていない動きに対するミスが多く、バー落としが多かった事や、1歩踏み出すタイミングや位置の速さやコマンドの遅さなど、またまた反省点ばかりで、実のところ由は頭を抱えていたようだ。

しかしそんな中で、スタートの位置ミスをした事で、くーがいきなり直後に誤飛びをしてしまい失格になってしまったSPOPだが、後半の走りはなかなかよかったと思う。今回は写真は殆ど撮らず、資料映像としてのビデオを撮っていたのだが、おお、と思わず声をあげてしまった。

由にとっては一つでも多く、自分の思う通りにくーをハンドリングさせられた事が何より嬉しい事であり、それが次は頑張ろうと思える糧になる。それが少しでもある事は私としても嬉しい事だ。結果は失格でも、それでいいと思っている。

べったんぱぱさんや、Yコーチさん、M父さんから色々なアドバイスを頂けて、本当に幸せものだと思う。皆さんには感謝の気持ちで一杯だ。これからもドタバタな由とくーのチームをよろしくお願いします、と何もできない私は頭を深々と下げたい。

帰りは高速に乗る前と、由のナビで首都高のルーティングミスにより、大渋滞で2時間近くかかってしまって疲れたが、また東池袋の揚州商人でたらふく食べて、帰宅した。由は帰りは眠る事もなく、今日の反省点や次回の課題などを興奮しつつ話していた。

来週は草アジだが、由は今の所初アジを中心に参加したいと言っている。できれば失敗ばかりでなく、気持ちよくクリーンランしたいのだが、ここ最近クリーンランがない。できれば表彰辞退の競技でもクリーンランして、由にも楽しく走って貰いたいので、私も今の段階で1度以上を走る事はあまり奨めるつもりもない。

そして何より来週は私の実家の方で、法事がある。その為にエントリーはしない事にした。なのでその次の週末のセミナーまではアジは休憩になる。

簡単にはいく訳がないアジは、やはり相当に難しい世界だと思う。それをクリーンランしていく先輩方は流石だ。経験と練習を積む事が何よりも大事であるが、それよりももっともっと重要なのは、由とくーが楽しく走る事だ。

できれば、片道1時間以内で練習ができる場所がないか、由に探してやりたいと思う。

写真はいつもお世話になっているYコーチさんのパートナー。迫力と切れのある走りは圧倒されてしまう。速さと機敏さでいつも写真を撮るのが大変なのだ。

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2007年02月10日

初アジスクランブル1stその1

かなり久しぶりの千葉ポートで、今年初となる初アジスクランブル競技が行われる。天気はあまりよくないという予報で、ちょっと気が重かったのだが、さすが晴れ家族な我が家、曇り時々晴れで、気温がまるで春並みという予報に変わってくれた。

千葉ポは一昨年のクリスマスイブ、JFAのフリスビー競技で初めて行った。ここではアジやディスク競技だけでなく、JKCのドッグショーやエクまで行われる犬の競技には優しい芝の広場だ。

思えばそのJFAの競技では、私が初めて入賞したのと、由が日中からノロウィルスの症状でダウンし、帰りはクリスマスの土曜よろしく強烈な大渋滞で大変な思いをしたという思い出の場所だ。由はこの時、3時間以上車の中で苦しんで、マンションのエントランスからベッドまで、私の支えなしではあるけない程、苦しんだ。

それからの3日間は当然私が全ての家事をしたのだが、ノロの事はあまり知らなかった。月曜に病院に行った時には少し症状がおさまっていたが、結局4日目までは寝て過ごしたという、普段めったに病気しない由にとっては、相当に辛い時間だった。私のようにしょっちゅう体調が悪い人間よりも、きっと辛さは強烈だった事だろう。私には感染せず、ほっとしたのを思い出す。

そんな思い出の千葉ポだが、私はケチってその時も首都高の終点である千鳥町で降りた途端、R354で大渋滞に見舞われ、結構朝から参った思い出があるので、今回は湾岸習志野までの1区画を走ろうと思い、早めに出た。我が家からは通常ルートで54kmあるので、あまり近い訳でもないようだ。

護国寺から首都高速に乗り、箱崎経由9号線で辰巳を抜ける。しかしスムーズすぎて早く到着しすぎてしまうので、思い切ってまた千鳥町で降りてしまった。由はずっと寝ている。

今回はそんなに渋滞らしい渋滞もなく、あっという間に現地に到着してしまいそうだったので、前回みつけたコンビニに直行。そこで由を起こし、朝と昼食を買う。

それでもまだ早く、荷卸しの場所にはそれらしき車は1台しなかく、その前に我が家も停めた。時間は6時ちょっと過ぎで、親しい知り合いを待っていたが、何台か入った会場内に乗り入れた。

久しぶりに我が家のタープをたてていると、あるちゅーさんが登場。そして顔なじみの皆さんも少しずつ到着して、賑やかな大会になった。

写真はこの日初対面したキラ君。4カ月半のパピーだ。ママはダルメシアンをこよなく愛する美しい女性。

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2007年02月09日

レッツノートのリフレッシュ

2年以上愛用したレッツノートR3。これまでサブノートと言われるB5サイズ以下のマシンの中では、満足のいくスペックだ。

過去、サブノートはリブレットを2世代愛用していた私は、小さくてもフルスペックのWindowsノートを切望している。そしてしばらくこれといったサブノートが姿を消していたのだが、2年ちょっと前にあまり興味がなかったPanasonic Let's Note R3を殆ど思いつきで購入した。

このモデルは現在もアップグレードを続け、先日R6が登場した。売りとしては、長時間バッテリで稼働する事、軽い事、薄い事などだ。性能も普通に使う分には申し分ない。私はR3を手に入れてからは、無線で家の中でも接続できるようにした事もあって、いつのまにかメインマシンとなってしまった。

そのレッツが、こんなキャンペーンをしているのを知った。当然、申し込み、2/12に引き取りにきてもらう事になった。まさか購入後2年以上近くたってから、キーボードパネルとパームレスト部分を新品に交換してくれるなんて思ってもみなかった。ユーザの満足度は一気に高まるサービスではないか。

私はハードディスクを交換してしまっているので、その日の前日あたりから、あらためて純正ハードディスクへ戻す作業が必要になる。しかし、それだけ面倒な作業をする価値がある。予定では、1休日に出す場合は、4日間で戻ってくるという話だ。そのスピードも驚くべきものだ。

色々入り用なのだが、R6にちょっとなびいていた私としては、このリフレッシュをしてもらえるなら、もうちょっと使おうという気になってくる。別にVistaを入れる気はまったくないし、私にとってはハードディスクの容量以外は、R3で満足とも言える。

その為に綺麗に戻さないと。リカバリインストールをした上で、引き取り業者に渡す予定だ。

写真はハードディスク交換に使うもの一式。

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2007年02月08日

4年前の今日

もう4年も前の事なのだなと改めて早いものだと感じてしまう。4年前の今日、土曜日にくーを会津の雪の町からロッキーで連れてきた。

夜明け前に自宅を出発し、東北道を北上。白河ICで降りて羽鳥湖経由、R118で会津へ。途中スキー場もある土地柄、スタッドレスでも前後が滑る道を夜明け直後に抜けていった。

普段は寝ている由も、朝から興奮して目をさましていた。サイドウィンドゥは寒さで曇り、前後には車も殆どみかけない田舎道を、くーを迎えてからしようと思っている事を考えていたのだろう。

早めに到着したので、ブリーダー宅の近所にあるファミレスで朝食をゆっくり取った。そこでもくーの事ばかりを話していた。そう、名前は1カ月前、生後丁度1カ月目に会ったあとに決めていた。呼びやすさと、尻尾の意味を込めて名付けた。平仮名であるのは由の趣味だった。

くーを引き取る時、くーの両親が犬舎に居た。太郎君とキャンディちゃんという名のスリムな尻尾のあるコーギーは、柵の中で走り回っていた。くーとあと一人、ベルちゃんという大阪に引き取られていく子以外は、既に新しい飼い主の元に旅立ったあとだったので、1カ月前にわらわらと動き回っていた5匹のにぎやかな雰囲気とは違って、ちょっと寂しそうだった。

くーを抱き上げ、そこで販売しているフードを買い込み、私達は食事もしないで一気に磐越道に乗り、東北道を南下した。くーは由の膝の上で寝る事なく、ずっと起きてそわそわしていた。

家に帰ってきて、くーにあらためてようこそと歓迎。体重は2.4kgだった。これから犬との夢のような日々を考えていた由と私にとっては、その夜から苦しまされる事になる。

夜は3時間おきオシッコだ、ウンチだと起こされる。朝までまともに熟睡できなかった。くーを迎える事で専用のケージを作ったり、トイレトレーニング用のコーナーを作ったり、食糞をしないように目を離さないように頑張って交替で見張った。この日から、くーの自由奔放で飼い主に媚びない性格に大いに悩まされる事になるのだった。

今思うと、小犬というものはどういうものなのかをやっぱり理解できていなかった。当然の事だった訳で、そしておとなしくない性格は、別の楽しみを今沢山飼い主は貰っている。きっと2匹目になれば落ち着いて育てる事ができるだろう。

くーを迎える事で、それまでライフワークとすら思っていた一人旅も、バックパックによる海外の旅も殆どできなくなった。しかし今はくーが居てどれだけ助けられているか、今ではいない生活なんか考えられないほど、くーは家族の一員となっている。

4年前の今日から、あっという間の4年間だったが、怪我も病気も沢山してきた。あの日の事を忘れずに、また来年の今日、同じように楽しく思い出せるようにしていきたいものだ。

写真は4年前の今日のくー。


2007年02月07日

PLCアダプターは使えるか?

何だか知らぬうちに発売されているPLC(電力線高速ネットワーク)アダプタ。我が家は既に上下フロアにイーサネット(カテゴリ5)を張っているので不要なのだが、それなりに気になる製品だ。

今回マンションの光導入により、我がマンションのようにフロアが上下に別れている構造から、ネットワークを全部屋で使いたいという相談を受けて、構成の例としてあげられる便利な機器の一つである。

無線ターミナルを2台入れて、ブリッジ接続させる方法でもいいし、また強引にイーサを上下フロアに張りめぐらせてもいい。

我がマンションは10年近く前なのに、ホームテレホン対応とうたわれていた。今更そんなもの使わないだろうし、現実にそんな大きな部屋ではないので、各部屋に設置されたRJ11モジュラーコネクタは迷惑といってもいい。

今でこそ情報化対応マンションは少なくないが、配管を太くしてツイストペアが2本も通す事ができれば、汎用性は高まる。リフォームも考えて、またできれば光ケーブルが通せるように、配管が急角度にならないように、考えて通してくれればよかったのだが…

という事で手軽なのはPLCアダプターだ。VDSL配線と競合するだの色々なウワサがあるのだが、実際どうなのだろう、試してみる手はあると思っている。

勧めるだけ勧めて使えなかったり、速度が出なかったり、また周辺の電気製品に影響があると言われるのも困るので、とりあえず前置きをした上でアドバイスをするのだった。我が家には導入する必要はないので、後日様子を伺おう。

写真はまったく無関係だが、「アダプター」という呼称だけが一緒の、カセットガスコンロが使えるストーブやランタン、そしてアダプター類。私のコレクションだが、結局ガスを詰め替えて使っているので最近は出番がない。

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2007年02月06日

カラーテレビとやら

我が家のテレビを買ったのは、結婚後なので6~7年前だ。29型のいわゆるブラウン管。結構でかい。それまでは実家からもらってきた25型だったのだが、それは12年目にして壊れた。

2年ほど前から地デジの話は出ていて、我が家のあるマンションは電波障害エリアにある為、周辺のCATV業者からテレビ受像波を引き込んでいる。地デジ対応のアンテナ工事もないはずなのだ。

しかし時代はそろそろ地デジに移行しつつある。テレビやビデオ、DVDレコーダーなんかは全て地デジ対応となったようだ。結局、強制的に買い換えを迫られるカウントダウンが既に始まっているという事か。

我が家の地デジ対応のテレビは、液晶フルスペックハイビジョンのテレビになるだろう。同時に対応するDVD/HDレコーダーも必要になる。とんでもなくお金がかかるのだ。結果的にこれは国が勝手にアナログ放送を2011年で廃止するという勝手に決めた事により、全国民が価格の差こそあれど、何らかの出費を迫られる訳で潤うのはテレビ関係、放送関係、家電メーカーなどな訳だ。

本当にこういう事に対して不満の声をあげない国民も国民だが、いつまで身勝手な民主主義と言えない一方的な取り決めの中で踊らされるのだろうか。NHKなぞ顕著なケースだ。

私たちはまだいい。やっとの思いでテレビやビデオを買った人に、10年もたたずに買い換えを強要させる社会でいいのだろうか。本当に情けない国だ。まるでテレビが街角にあるかお金持ちの家にしかない時代のようになりそうな気配すらある。

単にテレビだけを買い換えればよい訳ではなく、周辺のレコーダーも買い換えなければならない。テレビ番組はPEGによってインターネット回線が必要になったり、一緒に必要になってくる機器があまりにも多いのだ。そしてそれぞれが結構な値段が必要になる。

テレビなんか見なければ見ないで済むのだが、一応我が家では結構な頻度で電源が入っている。タイミングを見計らって、と思ってはいたが、あらためて何が必要か、どういう構成が一番我が家にはいいかを考えると、とんでもない予算が必要になってくる事がわかり、絶句してしまうのだった。

写真は適当に撮ったので汚いが、現在の我が家のテレビ。29型のビクターだ。上に色々な世界各地のお土産がならんでいる。映っているのは、2001年宇宙の旅の1シーン。

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2007年02月05日

光の周辺に

光回線が来週に来る我が家なのだが、その光回線を敷設する事で、付加価値サービスが受けられるようになる。

これまで単なる回線速度のアップだけだったADSLは、1.5MBから4MB、12MB、42MBとステップアップしてきた。その前はISDNで128kb x 2回線というレベルからは十分その恩恵はあったのだが、今回は100MBといきなり桁が変わる。

まあ100MBとはいえ、実質はどの程度なのかは蓋をあけてみなければならないのだが、我がマンションの物理的な建物の問題により、これまで受けられなかったCSの受信と同等のサービスを受ける事ができる可能性が出てきた。

私はそんなに費用対効果も考えて、CSに対しては興味はなかったのだが、地デジ対応という事も本格的に見えてきた訳でもあり、また由が以前から中国語のネイティブ放送を見たい、という事を言っていたので、できればCSの外国語放送を見られるサービスを受けたかったのだ。

しかし色々と調べていくうちに、NTTのフレッツ光のサービスで4種類同列に説明されているテレビ受信サービスには、見事に落とし穴があった。スカパー光以外の他3社はストリーミング放送なのだが、スカパーだけは独自に共有設備が必要となり、単にアンテナを個人向けに立てる以上に、マンションの共用費用として付に2万近い料金を支払わなければな