2007年08月31日

明石は蛸というよりも

東京に生まれ育った私は、故郷はないようなもので、まだ幼少の頃は土もあったのだが、今ではすっかり作られた緑しかなくなってしまっている新宿が故郷だ。

公園も浮浪者が居座り、普通にボール投げや三角ベース、刑泥(ケードロ)などをしていると、小さい子供にものを投げてきたり、酔っぱらって近寄ってきたりする。治安的にはとてもよい環境とは言えなかった。

今あらためて遊んだ事のある公園を訪れると、柵で囲われ夜は施錠されていたり、今もなおホームレスが我が物顔で私物を広げて、スラム化は進んでいるような気がする。

そういう所が故郷というようには、正直思いたくない。愛着を持てなくなっているのは、自分のせいではなく、場所の問題でもあるからだと思うのだ。

由の故郷は神戸。西の明石に近く、瀬戸内の海の恵みと、坂の町という感じだろうか。尾道のように坂が多く、結構なひしめき方で坂だろうが何だろうが家が立っている。正直な所、これでは強度に問題があるのではという家も結構みかける。車も坂なので、アクセルをふかし、自転車だと厳しいので原付や電動自転車が多い町だ。

一番近い都会は三宮だが、実際に電車に乗っても東京の混み方とはやはり違う。のんびりした雰囲気はとても羨ましい。

母親の郷里は岩手で、まさに田舎といってもいい所なのだが、私にとっての田舎はずっと探し求めて、個人的には開陽台のある道東だと思っている。高校時代に八ヶ岳の麓に憧れているのは、今でも変わってはいないのだが、心の支えになる故郷の存在は大事なのではと思う。

いつか、心休まる場所に住み、静かに暮らしたい。そんな場所はどこになるのだろうか。

写真は活気があるが素朴な明石の魚の棚(うおんたな)の看板。鯛や蛸ばかりではなく、海のものはすべて美味しい。やっぱり島国ニッポンを象徴しているような場所でもある。

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2007年08月30日

神戸への帰省方法その2

神戸へ帰省する場合は、やはり新幹線が本命。飛行機は避けたい、深夜バスは問題外という感じだ。

どちらにしても現地では殆ど動けない訳で、それならレンタカーを借りるという方法もあるが、停める場所が欲しい。それならまだ実際にトライしていないが、現地での足もという意味では、時間と労力がかかるが、自分の車で行くという事が気になってくる。

車だと東名東京ICから名神西宮ICまで約530km。それに前後の阪神高速や一般道を入れると、およそ600km弱といった感じだろうか。東京-神戸間は私はこれまで2度往復している。

1度目は大学浪人時代に四国へツーリングをしにいった時に、RG250ガンマという極めてレーシーなポジションの2ストロークレーサーレプリカで東名・名神を往復した事。

次にSRX4で日本縦断の1986年に、往路は東京から那覇までフェリーで行ってしまったので、北上した時に滋賀・石川・新潟経由で抜けた時の片道。

そして由と一緒に北海道ツーリングをした年、往路は敦賀から小樽まで由は行き、私は新潟から小樽にて、港で待ち合わせをし、帰りは近海郵船で一緒に東京に戻った。由は私の当時のマンションの駐輪場にセローを置いて、飛行機で帰ったのだが、私がその数日後に、地平線会議神戸集会に出る為、由のセローに跨がり、中央高速経由で神戸に行った片道があり、合計で2往復となる。

高速で長距離を移動するのは、それなりの車種なら楽なのだが、これまでのバイクは長距離はそんなに向いてない車種ばかりだった。それこそBMWとかなら快適なのかもしれない。このセローは足つき性を保つ為に、フロントフォークを1cmほど突き出しており、私は膝がまがるほどベタ足で、まるでトライアル車のように膝がまがるポジションで、おまけにエンジンも回らず法定速度でも振動がひどく、おまけにトラッカーには嫌がらせを何度もされ、正直たまったものではなかったのだが…

さて10月か11月に車での帰省が実現するだろうか。

写真は由のセローに乗って神戸まで行った時のもの。神戸に到着したのは朝。お昼まで眠らせて貰い、夕方明石港や由のふるさと周辺をセローでうろうろしてみた。ここは魚の棚の奥、明石の港で。

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2007年08月29日

神戸への帰省方法その1

朝から霧雨の降る過ごしやすい気温。昨晩は雷雨のあと、予想通りに涼しくなって、窓をあけて寝た。気持ちのよい風が部屋の中を通り、快適に眠れた。

秋に神戸へ帰省するつもりで、いろいろとルーティングを考えている。案としては以下の3つになる。

1.新幹線で行き、現地で1~2日レンタカーを借用
2.飛行機で初体験の神戸空港へ行き、現地で1~2日レンタカー借用
3.車で自走して帰省し、現地の駐車はコインパーキングを探す

そしてその選定するにあたっての条件は以下のようなもの。

・単に値段だけの話をすれば、3が圧倒的に安い。
・タイム・イズ・マネーという意味で言えば、効率もよい1、2。
・くーのストレスを考えれば、2は除外

いくら秋になるとはいえ、飛行機のストレスはまだ相当なものなので不安が残る。できれば3時間の辛抱とかいうよりも、そういう目にあわせたくないという気持ちだ。これまでの2回の帰省では、無難に新幹線を使い、それなりに快適であった。

由と結婚する前は、毎月1往復はどちらが東京-神戸間を週末往復していた。殆どが飛行機か新幹線だったが、どちらもほぼトータルでは5時間弱要する。飛行機で羽田伊丹間は1時間ないのだが、その前後でどうしても時間はかかる訳だ。

高速バスというのも1度あった。これは結構ハードで、新宿駅に朝到着し、会社に向かった時もあった。体がだるくて仕事にならなかったが、なんとか年休にならずに乗り越えたのを思い出す。立川からは神戸市の西の方へ着く深夜バスもあるようだ。

深夜バスといえば、まあ多分に漏れず私の知り合いたちなら皆、どうでしょうの話をするかもしれない。今東京ではMX-TVで水曜どうでしょうClassicをやっているので、私はみたことがあるものも含めて録画して見てしまう。

本放送をしていた当時、開陽台でテント生活をしながら、中標津にアパートを借りていた友人の所に録画したどうでしょうを見に行った事がある。北海道ローカルという怪しい臭いがまた、まだ内地ではあまり知られていないようで楽しかった。

まあでも、深夜バスは昔に比べて快適になったとはいえ、やはりハードな移動手段だと思う。まあ現実的にみて人でもハードな深夜バスは犬連れではあり得ない。

写真はそのバスが西宮の料金所を出る所。日がもうすっかり高くなっている。

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2007年08月28日

夜の雨

この夏の暑さも一息、という感じで、今日から週末にかけて天気が崩れるという予報だ。

しかしいつもの帰り道では、無性に蒸し暑く、本当に涼しくなるのだろうかと思っていたのだが、家に帰りつく頃には北の方の空が光り出し、ごろごろとカミナリが聞こえてきていた。これから結構な降りになりそうな予感で、その前に帰りつけた事にほっと胸をなで下ろした。

こういう湿度が高い日は、窓をあけても家の中の方が熱がこもって暑い。その湿度がいつも皮膚に不快なので、すぐにドライを入れてしまう私なので、家の中の窓を閉めて雨対策をしてまわる。

夕食は先日預かったハムスターのハナちゃんの飼い主さんから、明太子を頂いたので、由が明太子パスタとバジルペーストにスモークサーモンをあえたパスタの2種類。豪華メニューだ。最近私が家事をあまりできないので申し訳ないと思いつつ、頂く。

くーのいつもの肉野菜定食だが、いつも微妙に内容は違っている。ただ、昔は飼い主が食事が終わってからだったのだが、最近は同時に「いただきます」で食事開始になる。当然だが、それこそちょっと調味料を忘れて台所を往復している20秒位の間に、くーだけ食事が終わっている事もよくある。

最近昔ほどがっついて食べなくなったとはいえ、肉の時は早い。ドライフードの時は、すっかりゆっくりと味わってカリカリと噛みながら食べているが、以前は飲み込んでいた。これも一粒一粒あげながら、「カリカリ!」と言いながらあげたりした結果かもしれないが、食に対してもう5歳に近いので、少しおちついてきたのかもしれない。

食事が終わる頃、強烈なカミナリと土砂降りな雨が降ってきた。

そろそろ夏も終わりだなと思いつつ、食事を終えて足元でへそ天になっているくーのおなかを撫でる時間。

写真は随分昔のものだが、ギリシャの港町で雷雨に見舞われた時のもの。友人に撮って貰った。アヴィレックスのB6が重宝した冬だった。

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2007年08月27日

自衛隊のお祭り

土曜の夜、フィールドには強烈な号砲が響きわたった。夜間火気演習と呼ばれるものが、すぐ近くで行われていたのだ。

フィールドにも正式な入場券が何枚かあって、誘われたのだが、帰る時間に影響しそうだったので遠慮させて頂いた。でもちょっとみて見たかった。べったんパパさんとなっしゅパパさんが見てこられたようだった。

ミニコンペの総評をしていた最中、すっかり真っ暗になって涼しい風が流れている中、それはそれは強烈な音が響き渡った。実弾の音が、何度も、何度も。

それこそ車が揺れるほど。昔ながらの薄い板ガラスなら割れてしまうのではないかという音量と衝撃波で、音が響いて返ってくる。戦車砲やら何やらが、まるで目の前で撃っているような凄い音だ。森を突き抜け、空に響きわたっていた。

翌日のお昼にはもっと大規模な富士総合火気演習が行われる。防衛庁や永田町のお偉方もやってくるほどのいわゆるお祭りのようだ。

あとで調べてみたら、本当に凄い催しのようだった。これは一度見てみたいと思うのだが、犬たちはまっぴらという感じではないだろうか。私達も何度も号砲が響きわたるごとに、体をビクっと震わせられていたのだから。

写真は土曜のフィールドの上空にいきなり現れた空自の戦闘機。慌てて撮影したので、もっと低空を飛んでいた手前の1機に間に合わず。ちょっと上空で雲の中を恐ろしい速度でフライハイしていく機体の写真だけが撮れた。強烈な轟音と低空での旋回は何事かと思ったが…

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2007年08月26日

御殿場プチコンペ2

私が昼寝から目を覚ますと、既に検分が始まっていた。由は諦めずに走れるコースには積極的にエントリーしていく。それをみてちょっとほっとした。

次々とクリーンランしていくアジ先輩達。くーと由のチームはミスが必ず出てしまい、余計に悔やんでしまい次回に繋がらない。頑張っているのだが、やはりそこがアジの難しい所なのではないだろうか。くーは特にスピードがある分や、バーに当たる事が気にならないという点、そしてコンタクトは停まらなければならないという事の理解が足らないので、結果的にそういう部分がクリーンランに繋がらない。そう、頑張っているのは伝わってくるので、なおさら辛い。

実際まともに実践した事がない私にとっては、アジでやっている事というのは、なんて恐ろしく奥深い事をやっているのだろうと思える。オイデ、オスワリ、マテなど、昔練習してできるようになった時はそれは嬉しかったし、ヒールと言う事でピッタリつく、くーの姿をみては、飼い主は飾らない笑顔で褒めた。アジはそれをお互いに走りながら、どこをどう走ればいいのかを指示し伝える訳だから、コンマ何秒かの間に数えきれないほどの情報を犬にハンドラーは与える訳で、それはとてつもない事をしているのだと思うのだ。

こんな事までできるんだと、人と犬との関係の深さに、正直今でも驚かされる。

結局日が暮れるまで競技は進み、集計や片づけを終えて、Tコーチの総評を頂いたあと、私達は日曜に用事があるので先に撤収させて頂いた。ただその中で、最後に由が走ったJP2で、完走こそできなかったが、色々とよい感じだった部分を褒めて頂き、由に笑顔が少し戻ったのが私にとっても嬉しかった。

先輩やコーチから、こうやって気をかけて貰い、アドバイスや評価を頂ける事が、由にとって成長への一歩を踏み出せる燃料になっていく。いい人たちに恵まれ、私は結局何もできないが、感謝しても足らない位。大切にしていきたい。

20時半頃に御殿場を出て、渋滞情報はあったが、途中2km位速度が落ちた位で、21時30分に港北SAに到着。今出ると正規料金だと思ったのだが、PAにあったチラシをみると、今日から20時~22時の間の2時間も、半額になるらしい事を知り、すぐに家に向かって出発。

環8は少々混んでいたが、新宿副都心では裏道を使い、池袋の揚州商人で遅い夕食とした。完走はできなかったにしても、色々な助言や友達と世間話などができて、由は行ってよかったと笑顔が少し戻っていた。

荷物を降ろし、家に戻ったのは23時を少しまわっていた。風呂に入り、ゆっくりして0時半には就寝。

写真は沢山お世話になっている人の中の一人の愛犬。いつも本当に凄い走りを見せてくださるのだが、とても真似できるようなものではない。そういう先輩方が沢山、御殿場フィールドには居る。

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2007年08月25日

御殿場プチコンペ1

ミニコンペとかプチコンペという呼び方の違いはわからないが、今日は御殿場フィールドでレクチャー付プチコンペが開かれる。その為、早朝からまた御殿場へ。

いつもよりちょっと早く出られたのだが、ガソリンを入れて東名東京ICに乗った途端、交通量の多さに走りにくさを感じた。それに動きが妙な車も多く、できるだけ車間をあけて走るのだが、すぐに横入りしてくる。大和トンネル手前では渋滞が始まりかけていた。

その後もずっと車の量は多く、ペースがあがらずちょっと時間がかかってしまったので、コンビニ経由でフィールドへ入る。いつも入るセブンイレブンの駐車場も満車だったので、何だか今日はこの周辺も混みそうな雰囲気を感じる。

フィールドにはYコーチが到着しているだけで、あとはTコーチだけ。皆あの混雑に巻き込まれたのだろうか。いつも来ているメンバーがまだ未到着なので、ちょっと心配する。

日差しを避けて朝食を取っていると、皆少しづつ到着してきた。やはり高速は混んできたらしい。帰りはもっと混むのだろううか。そしてどうも行きすがら自衛隊が沢山動いていていたので気になっていたのだが、今日は年に1度の夜間火気演習、明日は大規模な富士総合火力演習がすぐ近くの東富士演習場で行われるというのを聴いた。私はその実態がどんなものだか知らなかったが、物凄いものだったようだ。

プチコンペ参加者が次々と集まり、競技が開始される。BOP始まり、スランプ中の由は最初からエントリー。バー落としがまた相当酷くなってきている上に、くーとの波長があわない日々が続いており、悩みも大きい。何とかしてやりたいが、私ができる事はサポートだけなので立場的にも辛い。

お昼はお得な弁当をあみだくじで争奪戦。18人いる中で、私が2人分を取ると、番号は1と18。最初と最後という、まあ悪くない組み合わせだった。私は手が勝手に動いてしまい、トンカツ弁当、由は最後に残ったうどんとエビフライ弁当で、丁度よい組み合わせだった。しかし食べている間も口数は少ない。

暑さは厳しく、風さえ吹いてくれたら少しは違うのだが、この時間になるとたまに吹く風もなま暖かい風が混じってくる。空を戦闘機や戦闘ヘリが行き交い、たまに砲弾の音がする中、私は食後に自分で暑さ避けに張ったミニタープの下で少し昼寝させて貰った。

写真はくーのアグレッシブなスラ。顔にポールが当たりながら抜ける。スラもうまくなってきたし、部分的なハンドリングも成長してきたとはいえ、やはりトータルでみるとミスやどう対策をすればクリアできるかという奥の深い課題は残ったままだ。

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2007年08月24日

という訳でターボジャム

先週頭痛で中断してしまっているが、ビリーさんも卒業していない状況で、ターボジャムに取り組みはじめた。

感想としてはビリーのように筋トレのジャンルと違って、いわゆるエアロといった感じだろう。特典映像なんかまったく無用なのだが、カルディオ・パーティはハードだった。うまく踊れないというのもあるが、頑張ってみなければ。

間違えないように振り付けというか踊れるようになるだけでも大変な事かもしれない。前半の腹筋プログラムまでは時間もちょっと短くて、手軽にできて嬉しい。ただやっぱりどちらかというとビリーの方がやったという達成感があるような感じだ。

しばらく続けたいが、最近ちょっと頭痛が多いので、それを除いて頑張ってみようと思う。

写真はそのパッケージ。販売元のショップジャパンはビリーに次いでのヒット商品だそうだ。

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2007年08月23日

ハナちゃんと一緒

先週から今日でもう1週間になるのだが、実はかわいい居候がやってきている。ハムスターのハナちゃんだ。

散歩友達のヨーキーの小鉄とあずきの家が、九州にレンタカーで帰省するというので、その間我が家で預かる事になったという。私はハムスターは初めてなのだが、なかなかこれがまたかわいい。特に夜行性という訳でもなく、24時間きままに起きては水を飲み、餌箱の中のナッツ類を食べ、滑車を回す。鉄の網でできたケージを噛んだり、カラカラと走っている音が夜中に聞こえたりする。

餌をあげると、リスのように両手で掴んで口の中に入れるようで、すぐに見えなくなるが、食べている訳ではないようだ。あとでゆっくり食べているのを見た。しかし結構食べる量も多くなってしまうようで、太り気味とか。このしぐさをみる為に、餌をあげてしまう。

外から帰ってきたり、朝リビングに降りて来たりすると、滑車の裏の、ケージとの隙間に挟まって寝ていたりする。とてもかわいいのだ。

それにナッツを貰って一生懸命に食べている時には、弛んだ皮が微妙に小龍包のような形になって、つまみ上げたくなってしまう。

ただ結構指を出そうとするとかじられたり、爪が伸びていて触ると痛い思いをする事が多い。結局手のひらには乗ってくれなかったが、テーブルの上でちょこまかと動き回っている姿をみると、愛嬌一杯だ。

くーは興味津々で、由が本棚の上に置いているケージを眺めようとすると、くーも二本立ちになってみせろと要求する。下に降ろしてみると、ハナちゃんにケージ越しだが鼻を近づけて興奮している。あげくに一度長い爪の手でハナちゃんに鼻を叩かれ、それからというものの目もあわせなくなってしまった。くーはこんなに臆病だったのか…。確かに猫とかにもちょっかいを出すのだが、フーっと威嚇されると目をあわさずに通過してしまう。情けない。

私も朝に網越しに鼻を突き出してくるハナちゃんに臭いを嗅がせようと、人指し指を出した途端。爪でひっかかれそうになったのだが、その時イタズラで、逆襲と指の腹で鼻の先をちょんとあてると、ひっくり返ってしまった。そのリアクションがまたかわいい。

来週早々にはいなくなってしまうようで、ちょっと寂しいものだ。元気でね、ハナちゃん。

写真はそのハナちゃん。とってもかわいい。ネズミというよりも、リスのような感じ。ハムスターは初めてだが、なかなかかわいかった。

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2007年08月22日

おじさんになったようで…

日曜の夜、私が風呂に入っている時、由の実家から電話があった。

由の妹さんが、元気な赤ん坊を無事出産したとの事。随分予定より早まったようだが、母子ともに元気なようで、本当によかった。

実は先々月、その妹さんは身重の体で東京に友人と観光にきていた。何とか会おうと、寒川でアジリティ競技があった日に、渋滞だと分かっている中、競技終了後に急ぎ足で帰ってきたのだが、帰宅前に車の中で電話をかけると、新宿に夕食を取りにでかけているという事だった。

そんな体で人込みで大丈夫かなと心配しつつ、ホテルに戻ったら電話をと頼んで、私達も一旦家に帰り、夕食を取って電話を待っていた。するとしばらくして電話がかかってきたので、くーを連れてまた車でホテルへ。

ホテルのロビーでドアマンの目を気にしつつ、久しぶりに妹さんと再会。私は2年前の北海道以来になる。おなかの大きさも私からすればとんでもなく大きい状態で、こんな姿で東京を観光するなんてと思ってしまうほど。くーにもおなかには飛びつかないようにと言い聞かせるが、撫でて貰うために大興奮していた。

少しだけ話をして、明日には東京ミッドタウン経由で、神戸に帰るとの事だったので、早めに切り上げた。クリスピークリームドーナッツが買えなかった事を悔やんでいたが、この体で何時間も並ぶのは勘弁して欲しい。女性は強いなとあらためて感じた一瞬だった。

新しい命にはまだ名前が決まっていない。女の子のようで、妹さんは平仮名の名前をつけようとしている事を由が聞くと、必ず漢字を入れるようにと口を挟んでいた。

これでおじさんと呼ばれる立場になったのだが、そういえばくーもおばさんなのだ。そう、姉妹犬の福来ちゃんが5頭の元気なパピーのお母さんになったのだ。私達からすればくーはまだまだお子さまなのだが…

こうやって生きものは世代を越えて時代を繋げていくのだろう。私達がこの世からいなくなっても、次の世代が時代を繋いでいくのだから。

写真は妹さんに会いに夜、ホテルまで行ったときのもの。姉妹とくーの記念写真をちょっと加工。

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2007年08月21日

ターボジャムいきなり休止

週末からビリーさんに変わってターボジャムを開始。由のダイエット計画もますます活気を帯びてきている。私も便乗して頑張ろうと思い、今回も10日間プログラムを一緒にしていたのだが、一昨日、昨日と体調が最悪で、いきなり私だけは中断してしまった。

軽い頭痛と胃の違和感が続くが、食欲は少し戻ってきた。しばらく胃に優しい食事にしよう。

私は横でシャーリーンの指導を受けて踊っている由を見ながら、もしこれを今の私がやったら、頭痛と胃痛で吐くかもしれないと思っておとなしくしていた。

写真はターボジャムとは無関係だが、ニワトリに興味津々なくー。踊っているようだ。

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2007年08月20日

頭痛と胃痛でダウン

土日は結構ヤボ用で動きまわっていたせいか、昨日の夜からリバウンドというか、頭痛が強くなってきただけでなく、なぜか胃の痛みが酷くなってきた。

別に変なものを食べた訳でもない。せいぜい水分を取る事だけ気をつけていた位なのに、まるで熱中症にかかったように体が辛かった。

早めに寝室に入ったのだが、右を向いても左を向いても仰向けになっても胃が痛い。体を折り曲げるように耐えていたが、2時すぎに起き出して寝ている由を邪魔しないよう、リビングで一人で横になったり座ったりしつつ、痛みに耐えていた。

テレビも気を散らす為につけているが、内容すらわからない。低く痛みに耐える唸り声をあげながら、時間がすぎるのを待っていた。

3時を過ぎた頃にちょっと仕事をしついでにネットを接続して社内に掲示文をアップした位で、気がついたらカーテンの隙間から明るさがわかるような時間になるまでじっとしていた。

明け方7時頃になって、年休のメールを出して、少しましになった体を引きずるようにして寝室に戻ると、くーがおかまいなしに撫でろ攻撃をしかけてきた。私は少しでも眠ろうと寝返りを打っているといつのまにか寝てしまった。

気がつく11時頃まで、4時間ほど寝ただろうか。それでも胃は痛く、食欲はなかった。

夕方まで胃の痛みと頭痛が交互にやってきて、何もできないで過ごす。

写真は別に体調は悪くないが、暑さでアルミ板の上で寝るくー。くーには寝室用にアルミ板があり、リビングには大理石のボードがおいてあり、そこの上で寝るのがお気に入りだ。

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2007年08月19日

暑さが一段落

昨日は涼しかった。しかし今日はちょっと暑さがぶり返している。ちょっと湿度も高く、それでもちょっと前の強烈な暑さから一息という感じがする。

今年は夏がスロースタートだった事から、色々暑くならなくてはいけないものたちが心配だったが、8月に入ってそれこそ尋常じゃない暑さが続いていた。心配する必要もなかった訳だ。

といっても都心で40度を越える気温が何度もマークされているのも問題だ。大寒波や暑さでよくニューヨークなどはニュースになるのだが、それに近いインパクトがある。台風が段々と強力になってきていたり、短時間に降り続く雨が多くなったりと、明らかに地球のバランスが違ってきているのは誰の目にもわかる。

暑い時は避暑地にという夏の流れも、最近はあまり景気がよくないせいか、せいぜい1泊程度で少し涼しい高原に旅行に行くくらいだろう。犬を飼うようになってからは、寒さよりも暑さに配慮が必要になっている分、それまでの行動とはまた違ってきている。

第一に夏の北海道にあまり行かなくなった。そう、自分だけ行く事ができないのもある。それなら家族でくーも一緒に冬や秋に、というものだ。週末もまあ、アジ練があるが基本的には涼しくて広い場所に行く事がメインになっている。

都心ではとにかく我慢する事になってしまう。それは仕方がないのだが、週末の為に、暑さをなんとか避けるしかない日々を送っている。

週末は車で少しでも涼しい所に行って、という避暑行動がしばらく秋まで続く予定だが、それも先がみえてきてちょっと嬉しい。

写真は先週までのジリジリと痛いほど降り注ぐ太陽を照りかす、お台場の歩道。歩いているだけでクラクラする暑さだった。

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2007年08月18日

お盆の各地からの中継

開陽台に入り浸っていた頃、何度かテレビなどのメディアの取材に出くわした。

20歳から30歳までの頃、とがっていた部分も多かった。丘にあがる私の時間を邪魔するものは排除したいと思っている部分も少なからずあった。自分の時間は誰のものでもない、自分の為のものだからだ。

取材は時にそれらしい理由がつけられ、悪い気がしないと受ける人の方が多いようなのだが、私はできるだけ避けた。メディアにどういう風に取り上げられるかは、ディレクターと放送局のアタマ次第だという事も、微妙に感じ取っていた。

NHKはテレビ出演にあたり、事前に必ず台本のように質問を決めたり、言うことを決めさせられる。アドリブは基本的に許されない。たった3分の中継でも、前日にはその打ち合わせを終える為に、全て段取りを行う。

私達にとっては、勤め人であれば滞在しているのはほんの数日であり、その為に1年間頑張って仕事をしていた訳で、そんな大事な数日の中で1日以上を費やされる。そんな事は取材する側は関係なく、逆にテレビに出してやるという態度すら感じるディレクターすらいる。彼らは何をしに私達旅人がそこにやってきているのか、知った事ではないという訳だ。

自分の意見も言えず、時間だけが拘束され、雨が降ってきても協力したあげくに、ボールペン1本やタオルの謝礼が貰えればいい方だ。ありがとうの一言すら聴けなかった事すらある。テレビに出してあげたのだから、という雰囲気しか感じられない。

そういう目に何度もあってきた私達は、彼らがやってくると、もう相手にしない。造られたセリフを言わせるだけなら、他の連中に。アナタたちは仕事で来ていたとしても、私達の時間を邪魔する権利はないのだよ。勘違いしないで欲しい。

写真はまともなディレクターに出会い、朝の各地からの便りでお盆に全国放映された時の打ち合わせシーン。左の奥の白い帽子がNHKのディレクターだ。ちゃんとはじめとおわりに挨拶とお礼があった。

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2007年08月17日

一人旅はよいものだ

北海道を旅する人は、その形こそ変わったが、何か自分でもわからない何かを求めて旅に出たんだと思う。日常生活にはないもの、それを感じたくて。但し、複数で行く旅はまた全然違う。それは旅ではなく旅行であって、自分たちの世界の中で完結するものが殆どだろう。

私も最初は友人と2人で行くつもりだった。しかし相手方の理由により、突如1人になり、意地になって出かけたのがきっかけだった。しかし帰りのフェリーでは心底1人で旅に出た事の重要さを感じる事ができたのだ。

殆どの人は1人で旅に出ると、なんでと聞く。そういう人たちは、旅ではなく旅行しかしない。勝手にこの言い方の違いを私が決めているのかもしれないが、そういう気持ちなのだ。そして旅では自分の大きさや存在がとてもよく見えてくる。景色を見に行ったり、レジャー施設で遊ぶ為に行くのではない。そこに同じように何かを求めて来た旅人だけが、同じように時間を共有できるものだと思っている。

そんな連中が開陽台にもやってきていた。グループで来た連中はその中で完結しているので、めったにコミュニケーションを取ってこない。逆に取り込もうとする。

私が長く付き合っている、世代も職業も住んでいる地域もまったく関係ない友人は、殆どが旅で出会った。彼らは私と同じく、あまり旅に出なくなってしまったものもいるし、今も旅を続けているものも居る。

1人で出る事に臆する事なく、飛び出す事で、そのままの人生では到底出会う事ができなかった人や場面に出会えるようになるはずだ。

こんな私でも、今また1人旅に出れば、ワクワクした変わらぬ気持ちを味わう事ができる。それが楽しくて、やめられない。

しばらく休んでいるが、また必ず1人旅には出るだろう。こんな面白い事、やめられる訳がない。

写真は釧路郊外、標茶あたりの横道を入り込んで見つけた所。

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2007年08月16日

遠野の夏

遠野の釜石の夏

小学生の頃まで、母親の実家にお盆になると帰省していた。東京生まれの東京育ちな私にとって、親父は大阪生まれらしいが東京が地元なので、帰省できる田舎は母親の田舎しかなかった。

母親は新日鉄が全盛期だった釜石の商店の娘に生まれ、経済的にも当時は恵まれていた。食べ物や洋服に苦しむ事なく、戦時中は仙台の女学校に居たという事だから、お金もあったのだろう。他にも兄弟姉妹がいるが、今でも皆健在という丈夫で長生きの家系だ。

父親も林業に関連して、母親と一緒になってからも生活水準は悪くなったようだ。ただ、勤めた家族経営の会社を若い頃に解雇され、自分で会社を立ち上げてたという事もあったので、挫折を味わってもいる。

仕事は今とは違って利益の割合も大きく、肉体労働ではあったが収入もしっかりしていたようだ。その分母親はお金に疎く、また長男を生まれてまもなく肺炎で亡くしてしまった事から、次男であり父親の職を次いだ兄は、甘やかされて育てられてきた。

反面私はそんなに手をかけて貰っていなかったようだ。まあ兄よりは手がかからなかったというのもあるらしい。起業した父親の会社が埼玉にあった関係で、母親は電話番兼経理をしており、小学生低学年の頃から鍵ッ子だった。同時に私は小学生にあがる頃から喘息が酷く、毎週金曜は病院に通っていた。

私は幼稚園の年長の時代から、小学生低学年の時代にかけて、毎夏親父の車や東北本線に乗って帰省した釜石の思い出が大きい。母親の姉が嫁いだ遠野の農家では、裏に小川が流れ、道から玄関までの道沿いに甘く熟れたトマトがなっていて、緑と空の青が濃い色彩と、蝉時雨が今でもしっかりと記憶に残っている。

虫が嫌いな私は、虫取りこそしなかったが、とにかく歩き回っていた。今でも何をしたという訳でもないその頃の事を思い出す事ができるのだ。

当然ゲームなんかもなく、マンガも殆どなかった。今の子供たちはそれに加えてテレビというものの記憶しかないのではないだろうか。

都会生活になると親も子育てが面倒なので、静かにしてくれるゲームやマンガを買い与えてしまうのも理解できる。夏休みとか冬休み位は、そんなものよりもインパクトのある日本を感じられる、地球を感じられる所に連れていき、自分で感じる事や自分で遊びを考えるような事をさせる機会を与える必要性を感じてしまう。

ロクな遊び方を知らない人間にさせない為に何をすべきか。それは今の親の世代の責任が何よりも大きいのではないだろうか。

写真は思い出深い遠野は早池峰山を望む、荒川高原。何もない広さは、子供心に恐ろしささえ感じたものだが。

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2007年08月15日

あの頃の自分

お盆休みの最終日という人も多い8/15。私は普通に会社に出勤していた。

親子連れが会社近くに大量に沸きだしている。観光地なのだから仕方がないのだが、これほどまでに人が集まっているのをめったにみたことがない。人が集まる所が苦手な私は、朝はより早く、夜はさっさとこのエリアを抜け出す事に全力を尽くすのだった。

親子連れは、このお台場というエリアで何を求めてきているのだろう。親や子供たちはここでの出来事を後に思い出すのだろうか。電車で他の乗客が乗っている事を重要視できない保護者と子供たちをみると、ふと考えてしまう。

昔の事を思い出す事は、年寄りになったというのだろうか。私はちょっとだけニュアンスが違うと思っている。今よりも昔はよかったという思い出ではなく、今できなくなった事だが、昔それに向けて全てのベクトルを向けていた自分の経験を思い起こし、数年後今の自分を思い起こす事ができるだろうかと考えるきっかけになるものでもある。

そしてもうひとつ、気分転換という言葉が一番当てはまるのかもしれないが、悩みも少なく自分のしたい事ができた時代に感じた気持ちというのを思い起こす事で、気持ちの再起動ができるからというのもある。

但し、それだけの思い出であるというには、インパクトが大きく、当時でもそれを感じる事ができる程のものでなければならない。

そんな思い出は、忘れているものもあるが、少なくないはず。

ALWAYSという映画の続編が作られているという。東京タワーが作られている時のもので、私はまだ生まれていなかった戦後の復興期の物語。多くは団塊の世代がワルガキとして君臨していた時代。それは私でさえ、ノスタルジックな気分にさせてくれる。

ただの昔話ではなく、多感な時代を思い出す事で、今それを原動力に代える事ができるというのも、人間という生き物ならではなのだと思ったりする。

そんな思い出をカテゴリとして作ってみた。ただ、このブログを書き出してからのカテゴリと重複してしまうかもしれないが、それはそれでよいかと思う。

カテゴリは「あの頃」。空の下、私は丘の風に吹かれて何かをしていたという気持ちを持った出来事。

写真はその「あの頃」のひとつ。ちょっと新しめな記憶だが、もう15年ほど前のもの。日本最南端の島のサトウキビ畑の中の道にて。この写真をみるだけですぐに思い出せる。

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2007年08月14日

お盆の御殿場4/4

AG機材を入れたコースでセミナー開始。夕陽が相当傾いている時間に始まるので、写真がまともに撮れないのも、この時期ならでは。実際はコンタクト障害をフォローするので、私も走り廻った。

前回のサマーキャンプまでに色々考える事が多かった由だが、今回はコンタクトもくーとのやりとりも比較的よくなってきたと私は思えるのだが、ただそれだからといって課題をこなした訳ではない。この時間の中で何かを得て、そして楽しみに繋がればと思うのだが、こればかりはなかなか簡単なものではない。

1年ちょっとアジリティを続けて、大きく成長した部分もあれば、今だどうしても越えられない壁もある。私は実際に走っていない分、意見をする事はその部分を除いてのものになるが、家族としてできる部分だけは何とか力になりたいと思う。ただ、多くの人が1年でどの位できるようになるかといえば、できているチームもあれば、できていないチームもあるのは現実。くーのような走り方をする犬はは、クリーンランは難しい部類に入るのではないかと思ったりもする。

由にはパピーのしつけの頃から、抑制を無意味にかけたくないというのがある。私はガツンとしなければならない時はしてきた分、私は怖い存在に近い。私が不機嫌だとくーは怯えるし、帰ってきた時のくーのヨロコビ具合は正直な所、由よりも大きいと思える。どちらがいいのかわからないが、由のやりたいようにさせるのは、私の考えでもあるのでそれでいいと思っている。両方が同じ性格や同じやり方であれば、うまくいくものもいかないのではないかと思ったりもする。夫婦生活についても、そういう意味でバランスは取れているのではないか。

そんな心配事もあれ、アジ友の皆と少しリラックスできた事や、セミナーでも確実に少しづつだが前進しているのを感じてくれたのか、よい1日ではなかったと感じるのだった。

セミナー終了後、皆で数台の車に便乗して温泉へ。途中花火大会の影響で国道が渋滞しており、入場終了となる20時半までに間に合うか微妙だったのだが、何とか到着。温泉でも少しだが花火を見る事ができた。

夜は久しぶりに皆で採れたての茗荷や野菜、かき揚げ天ぷらと、素麺、はりママさんが作ってくださった鶏肉のサラダ、炊き込みご飯など豪華なアウトドア料理となった。私は流石に眠くて、ちょっと食べたら睡魔に襲われ、一人車の影で星空をぼーっと眺めていた。この日は照明も多かった事もあって、流れ星はちょっとだけしか見られなかった。

殆どの人が今日はキャンプになるのだが、我が家は0時すぎにフィールドを発ち、ガラガラの東名で帰った。自宅到着時刻は2時。私だけシャワーを浴びて就寝。長い1日だった。

写真はナイターを走るくー。朝夕は涼しい御殿場は楽園だ。

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2007年08月13日

お盆の御殿場3/4

6時ちょっと前に目が一度覚めた。今度のテントはフルフライではないので、窓を開けると外が見える。案の定窓を開けると目の前にマフィさんの車があった。中にまだいるらしく、人影が動いていた。

ただできればもうちょっと寝ていたかったので、あらためて横になった。くーもクレートの扉をあけているのに、出て来ない。いつもは足元の出入り口の所に寝ているのだが、どちらかが目を覚ますと寄ってくる。最近朝が弱くなったと言っていたのだが、本当かもしれない。

6時すぎてからトイレの我慢ができず、起き出した。出入口のジッパーを開けると、くーがすぐに尻尾を振って飛び出そうと準備する。マテをかけながら、あけるのだが、まあ誰もいないからいいかとヨシと開放する。途端に前室のフライシートの隙間から外に飛び出ていった。

テントから顔を出すと、マフィさんが運転席で手を振っている。きっとろくに寝ていないはずだ。後部座席にはいつものように愛娘が2人。今どきこんなに親のいう事をきいたり、自分たちでまわりに迷惑をかけないで遊んでいられる子たちはみたことがないと感心させられる。アウトドアでは危険が一杯なはずなのだが、安心してみていられる子たちだ。

くーは我慢していたおしっこをして少し歩いたあと、何か遊べるものはないかと注意力が切り替わったあたりでまた呼び戻し、寝ている由がいるテントの中に入らせた。コーチも既に起きていて、私よりも寝ていないだろう。由はできればあと1時間は寝かせてやりたかったので、ほっておく。

テーブルと椅子を出して朝食をとなったのは、8時近くなってからだ。Yさんは強烈な渋滞に巻き込まれて相当へとへとになりながら到着。渋滞情報を調べたら、なんと東京ICから秦野中井まで48km渋滞に加え、裾野から大井松田の右・左ルートまでかかる20km渋滞があり、5時間コースとなっていた。事故だらけで、殆どが追突。夜に到着してよかったと心底思った。前日にメールで私の記憶を思い出させてくれたマフィさんに感謝した。

日差しが段々とあがってきて、私たちのテントにはまだもう少し当たるのは時間がかかりそうだったのだが、フライを裏返しにして結露を取ってから畳んだ。

おいしいお菓子を食後に貰い、その後マフィさん一家とYさん、そして我が家が車に相乗りしてアウトレットに向かう事になった。開店10時前に入ろうと思っていたのだが、出るのが遅れて駐車場に入ったのは10時を廻ってしまった。でも駐車場も余裕があり、アウトレット構内もガラガラで、久しぶりに女性陣がスイッチが入った買物を私は眺めていた。

昼まで数店舗をまわり、戦利品をかかえた私たちは、コーチたちと一緒に昼食を取る為に市内に向かう。アジフライの美味しい店で、ゆったりと食べて、ギンギンに強い日差しの中、フィールドに戻る。するとアジ友の皆さんが沢山到着していて、やっと賑やかになった。

その後も昼寝しようと思っていたのだが、何かとやる事があって寝られず。15時頃になって少し椅子に体を預けて目をつぶったが眠れなかった。17時前には予定通り、セミナーが開始されたのだった。本当の目的のはずなのだが、皆早朝から色々な事があって疲れてしまっていたのだが、これからハンドラーの皆さんは気合が必要になるのだった。

写真は開店直後のアウトレット内。人が少なくて富士山も望め、気持ちがいい。

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2007年08月12日

お盆の御殿場2/4

昨年はそんなに混まなかった都内で、今回はひっかかった。新宿駅南口で由にコーチにこれから出て前泊したい旨を伝えたのだが、早速動かない渋滞にひっかかった。

甲州街道と平行に走っている水道道路で途中までパス。その後はなんとか流れ、環八のセルフスタンドでガソリンを満タンにし、その後も東名に乗るまでにまた渋滞。結局23時近くになって東京ICを通過。東名上でも大和トンネル手前から厚木周辺までは何度か停まりそうになる渋滞に巻き込まれた。

車の運転も妙に怖い。ふらふらしているのも多い上に、異様な速度差で路肩側の車線と抜いていくのもいる。トラッカーが幅寄せしてぶつかりそうになっているのも何度もみた。事故が多いのもこれでは仕方がない。なんでこんな運転しかできないのか。眠いからなのかもしれないが、恐怖すら感じる。

途中足柄の手前で、走行車線の遅いレンタカーをパスしようと追い越し車線に出た途端、数台前で接触があったらしく、前の車の下から薄いウレタンのようなものが飛び出てきて、避けきれず踏んでしまった。ガラスの破片のようなものも散らばっている。200mほど先に今まさに接触したトラックとミニバンが寄っていた。きっとトラックが煽って接触したのだろう。ロッキーのタイヤが心配だったので、その後は走行車線で80km/h以下に落として様子をみた。ワンディングで何故そんなに避けられない程車間を詰めるのか、私には理解できない。

まだしばらくワインディングが続いている時、コーチから今どこだという電話が入った。足柄の手前と伝えたのだが、渋滞のせいで時間がかかっている事を伝える前に切れてしまった。

御殿場ICを降りたのは結局昨年同様0時を廻ってしまっていた。マックスバリュに寄り、明日の朝食をさっさと買い、フィールドに入る。すると、双葉ちゃんとボンちゃんのパパと、コーチが東屋で話をしていた。到着は0時半を廻っており、3時間かかっていた。

私はテントを張り、寝床を整備した。前回導入したエアーマットはとにかく大変で、それまでのサーマレストの準備の5倍はかかってしまう。しかし寝心地はよいのだが…。汗だくになってテントから出ると、涼しい御殿場の夜風が気持ちいい。

双葉ちゃんとボンちゃんのパパが、明日仕事だという事で帰っていった。くーを少し歩かせてテントに入れ、コーチと由の所に行ってから1時間半、色々な話をする。

寒さを感じて空をみると満天の星空。これなら明後日が最大のペルセウス流星群がみれると思い、しばらく上をみているとそれっぽい薄い流れ星をすぐに確認できた。

到着した頃はまだ雲が出ていたのだが、3時頃になると結構広い範囲で天の川も確認できる程に晴れてきていた。冷えてきたのはそのせいだろう。しばらくコーチと由と私の3人で空を見上げ、大きい流れ星をみた所で、お休みなさいとなった。といっても、あと3時間もすれば人がやってくるだろうから、殆ど眠れないだろうが…

星降る夜、御殿場には私達のテントが1張だけ。静かな夜だ。

写真は朝の写真だが、その接触事故があったあたり。この先からワインディングが続くのだが、ロッキーだと80km/hが精一杯なのだが、あおられる。

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2007年08月11日

お盆の御殿場1/4

巷はお盆休みという事で、道路や鉄道、航空機は強烈に渋滞が始まる。

実は朝、いつもより30分ほど早く家を出ればいいだろうと思っていたのだが、昨日の昼頃にアジ友のマフィさんからメールがあり、昨年片道5時間かかった事もあって、相当混みそうだという事を言われてから、昨年はどうだっただろうと思い返してみた。

昨年のブログをみると、丁度お盆ウィークの最初の日曜に、御殿場フィールド開設コンペがあり、その前日の土曜はセミナーを受ける為にお盆の東名を走る事になったのだった。

そして混雑を警戒し、結果的には金曜の夜に家を出て、土曜に日付が変わって少したった0時半にフィールドに到着していた。夜間も渋滞はあり、最速で自宅からフィールドまで1時間45分位の所、2時間半かかったと書き残していた。

そうだ、明日はとんでもない状況になる。やっとその重大さに気がつき、あわてて由に電話をした。

話としては、21時半頃に家を出る為に、食事や風呂を済ませようという事。由は最初いつも通り、まったくそんなに混む事を信じておらず、しぶしぶ納得したという感じだったが、あとでそれは間違いではなかったという事をしみじみ感じる事になる。

今日はセミナーだけで、明日の日曜は実家の母親の所に昼には顔を出さねばならないという予定もあり、原則日帰りの予定だ。今年はミニコンペもなく、11~14日は夜のセミナーだけなので、大勢常連さんはキャンプをしながらアジセミナー以外の時間をそれぞれリゾート気分で過ごすはずだ。私は13日からは通常勤務なので、普段の週末と変わらない。

1時間ほどフレックス早退し、前泊するとは考えていなかった事から、用意をしていなかった1泊用の装備をまとめて、まず載せられるものだけをロッキーに積んだ。新しいテントムーンライト5と、シュラフ2つ、エアーマットとマットなどを入れたバック、日中にちょっと日差しを避けたい時用にビーチテントなど。

食事をし、風呂に入って一息いれたあと、着替えの入ったトートバックと、カメラバック、くー用品のバックなどを持って家を出た。日が暮れてもまだまだ蒸し暑い都会を、21時45分に出発したのだった。

写真は昨年のお盆のフィールド。雹が降って涼しくなり、昼寝する時間もあった。

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2007年08月10日

丈夫なテント

先日新しく手に入れたテントのファミリーを、長年使っていたという話は書いたのだが、ムーンライトを選んだのは、それなりに調べた結果だった事を書いてみる。

中学時代まではアウトドアなんて考えた事はなかったのだが、高校生になり、突如としてバイクに乗りたくなってからがターニングポイントだった。当時も今と同じく喘息であって、スポーツらしいスポーツはできなかったのだが、バイクそれもトレール車を手に入れてから、未舗装の道を走る事がとても楽しく感じるようになった。

当然スピードとかではなく、山や渓谷を抜ける未舗装路は、東京の近くであってもその自分の中の気分が開放され、ワクワクを感じる事ができる事を知ったのだった。

そして高校2年の夏、中型免許を取り、真新しいXL250Rcで初めてキャンプに出かける事となり、テントを調べた。

当時はダンロップは山岳用のJ型が独壇場で、オレンジ色と青の2トーンの、ハーフフライドームテントが目立っていた。ビーパルやら何やらと調べていくうちに、その中で目に止まったのが、ユーレイカのティンバーラインというAフレーム型のテントだった。

そのテントは雨に強く、高温多湿な日本の気候にあった形である事を知ったのだが、実際に当時はユーレイカを手に入れる事ができなかった。当時からイメージとしてはユーレイカはイマイチ好きではなく、シェラデザインズやノースフェースの凝ったポールワークの山岳テントによりも、ファミリーテントのラインナップもある事から、性能も値段も下だというイメージで見続けてしまっている。

その中で唯一欲しかったユーレイカなのだが、それと同じ構造をしたモンベルのムーンライト3が値段も手に入れやすさもあわせてダントツだった事から、それを購入する事になったのは必然だったのかもしれない。但し構造は現行とは違って、ハーフフライで前室がなく、出入口も1箇所だけ。

それ以降、極めて多数派であるダンロップは1度も手にした事がないのだが、モンベルはML1をML2度買換え、3は今の会社に入ったあと同期の友人に1万円で譲ったのだった。

ある夏、私が最初に3を売ってから買ったML1を持ち、北海道ツーリングをしたのだが、あとから北海道入りした友人と釧路で合流したあと、数日を一緒に旅した。その時は私の新旧テントが毎日並ぶ事になった。

雨の夜、古巣のML3の中で夕食を作って食べたのだが、その時水はけが悪い場所に張ってしまった為、グランドシート下がウォーターベッド状態になってしまった。そんな状況なのに、購入して10年以上たったML3の防水性の優秀性が証明されたような気がした。

写真は18年程前の霧多布キャンプ場の朝。私はこの時1世代目のML1で、横のML3は私が初めて買ったテント。友人の手に渡り、今も現役だそうだ。

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2007年08月09日

今日は由の誕生日

由ともう10年一緒に暮らしている。その10年は今思えば色々あったのだろうが、今思うとあっという間だったような気がする。

くーがやって来た2003年2月。それより以前は、休みといえば北海道や四国にツーリングに行ったり、台湾や北京や雲南、ネパールやタイで1週間前後の旅を2人でする事で、充実した時間を過ごしてきた。由が中国に自転車旅行しに行く時は、同じ時期にあわせて私も北海道をソロツーリングした。充実していた証拠は、あっという間に感じる事だと思う。

くーがやって来てからはまだ記憶に新しいせいか、まだ色々な細かい事も憶えている。翌年までは由は自転車で中国大陸を夏に走る旅をしていて、夏は交代でくーの面倒をみて、どこかに預けるという事はしなかった。その分、ここ最近はそれぞれの旅行をしていない。

2人で暮らしていくという事は、同時に別々な所で過ごす時間が出てくる。それは当然なのだが、私達は基本的にどこに行くにも一緒であり、その時にしたい事がうまくリンクしている。くーが来てからその頻度は下がったとはいえ、基本的にくーの世話をして、くーの為に週末は一緒に何かをするという事なのだから、まったく違う事とも言えない。

個人的には私はそれぞれが自分の好きな事をするよりも、できるだけ一緒に価値観を持ち、喜怒哀楽を共有したいと思っている。お互い自転車もバイクも車も乗るし、スキーも旅もするので、一緒に楽しめるのは楽しめるのだが、くーを迎えたあと、新しい事をするにしても、できる限り一緒に何かをしていきたい。

10年の中にはこのように、家族が増えるという大きな転換があったとはいえ、それぞれの時間は充実していたと思う。この先あと何10年一緒に何ができるかわからないが、できるだけ一緒に何かをみつけて同じ楽しみとして共有したいと思う。

とりあえず、今さら誕生日のお祝いもないのだが、今日は定時で帰って由の大好きなチーズケーキを寄り道して買い、帰ってからはこれも由の好物のオムライスを作ろうと思っている。

写真は由と初めて会った地。13年前の秋の天竜川河口にて。この頃はまだお互い20代だったのだなと思うと、ちょっと感慨深い。今もこの友人たちとは年に1度は会っている。由はこの中の大切な友人の1人であり、また私のパートナーでもあるという事だ。

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2007年08月08日

20年前の夏

職場がお台場に来てもう10年になる。間1年ほど、神奈川の方に事務所が移ったのだが、立ち上げから関わったお台場の職場に、今思えばよく通っていると思う。

時には2000年問題の時の年末年始や、ウィルスが蔓延して何度か泊まりの仕事もしてきたが、最近はすっかりそういう事もなくなった。ある程度システムができ、運用ポリシーもできあがり、一番関係する末端の意識も少しは改善したせいという所だろうか。

といっても新たな脅威は日々生まれている。今ではMPackやフィッシングもメール経由でのウィルスなみに増え、これまでの対応だけでは完全に不足する事になる。

10年前は正直脅威のレベルとしてはまだまだ低かった。では20年前はどうだろう。インターネットは普及とは言えない極めて一部でのネットワークだった訳で、ウィルスといってもフロッピーで感染