2008年08月16日

本栖湖デイキャンプ

親戚コギのファミリーと、本栖湖に水遊び兼デイキャンプへでかける事になった。ETC時間を使い、現地に7時集合というスケジュールで中央高速を使い、一路河口湖IC経由で本栖湖へ。

途中雨に降られたが、順調に走行。ICを降りてコンビニで朝食を買っていると、参加の1家族が目の前を通りすぎていった。しばらくして追いつき、樹海を抜けていると電話が。どうも他は殆どが到着済らしい。さすがディスク競技に参加しているメンバーだ。朝早いのは慣れっこという所。

バンガローが立ち並ぶ奥の方に車を誘導してもらい、ヘキサタープを張ってその下でテーブルと椅子を並べた。福来・寿来家のパパが料理に腕をふるい、下準備に精を出していた。午前中に一度、湖畔の犬可の小さい湖水で水あそび。この日のために買ったアウトワードハウンドというブランドのライフジャケットをくーに着せて、自ら水に入る事を嫌がるくーをレトリーブでごまかしながら泳がそうとするのだった。

ひと泳ぎしたあと、昼前からじわじわと食事タイムに突入。焼き物やサラダ、湘南のしらすやケーキなどが盛りだくさん。我が家は適当にチキンを下ごしらえしておいたのをスモーカーで燻す。石焼きステーキまで出てきて相当に豪華な食事だった。

食事に時間をかけておしゃべりをし、夕方最後にひと泳ぎをしたあと、片づけて終了。福来・寿来家とHOOVER家と共に、道の駅に併設されている立ち寄り湯へ。ちょっと高価だったが色々な湯船があり、お盆ウィークのせいか人も多かった。それでも風呂上がりにゆっくりして、日が暮れた頃に温泉を出た。

なぜか小腹が空く事を想定して、談合坂SAのおにぎりを食べようと、そこまで各自で移動。SA内は大混雑で、おにぎりを買うのも大変だったようだ。私はくーと外のベンチで出てくるのを待っていた。

3家族が無事落ち合い、また長々としゃべってから解散。そこからは渋滞もなく自宅まで帰った。

朝から水あそびやらデイキャンプやらと盛りだくさんで、なかなか充実した時間だった。明日は仕事なのだが、大丈夫か?

写真は妙な表情をしているくー。妙にかわいい。

水は大嫌いではないようだが、大好きでもない。ただディスクが投げ込まれると、それを一生懸命取りにいこうとするのが、まさにくーらしいといった所だ。

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2007年08月09日

今日は由の誕生日

由ともう10年一緒に暮らしている。その10年は今思えば色々あったのだろうが、今思うとあっという間だったような気がする。

くーがやって来た2003年2月。それより以前は、休みといえば北海道や四国にツーリングに行ったり、台湾や北京や雲南、ネパールやタイで1週間前後の旅を2人でする事で、充実した時間を過ごしてきた。由が中国に自転車旅行しに行く時は、同じ時期にあわせて私も北海道をソロツーリングした。充実していた証拠は、あっという間に感じる事だと思う。

くーがやって来てからはまだ記憶に新しいせいか、まだ色々な細かい事も憶えている。翌年までは由は自転車で中国大陸を夏に走る旅をしていて、夏は交代でくーの面倒をみて、どこかに預けるという事はしなかった。その分、ここ最近はそれぞれの旅行をしていない。

2人で暮らしていくという事は、同時に別々な所で過ごす時間が出てくる。それは当然なのだが、私達は基本的にどこに行くにも一緒であり、その時にしたい事がうまくリンクしている。くーが来てからその頻度は下がったとはいえ、基本的にくーの世話をして、くーの為に週末は一緒に何かをするという事なのだから、まったく違う事とも言えない。

個人的には私はそれぞれが自分の好きな事をするよりも、できるだけ一緒に価値観を持ち、喜怒哀楽を共有したいと思っている。お互い自転車もバイクも車も乗るし、スキーも旅もするので、一緒に楽しめるのは楽しめるのだが、くーを迎えたあと、新しい事をするにしても、できる限り一緒に何かをしていきたい。

10年の中にはこのように、家族が増えるという大きな転換があったとはいえ、それぞれの時間は充実していたと思う。この先あと何10年一緒に何ができるかわからないが、できるだけ一緒に何かをみつけて同じ楽しみとして共有したいと思う。

とりあえず、今さら誕生日のお祝いもないのだが、今日は定時で帰って由の大好きなチーズケーキを寄り道して買い、帰ってからはこれも由の好物のオムライスを作ろうと思っている。

写真は由と初めて会った地。13年前の秋の天竜川河口にて。この頃はまだお互い20代だったのだなと思うと、ちょっと感慨深い。今もこの友人たちとは年に1度は会っている。由はこの中の大切な友人の1人であり、また私のパートナーでもあるという事だ。

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2006年11月06日

和琴ミーティング2006 day2

今回初日にバイクでやってきたのは、京都からのBASSさんと、川崎からのをのっくさんだ。どちらもBMWのツアラー。私もちょっと興味はあって、販売店を冷やかしに行ったこともあるのだが、流石に高すぎる。でも彼らはなかなかBMWが似合っているのだ。GSに乗るをのっくさんは、リアに三線を積んで来ていた。

二人と会うのは久しぶりだった。BASSさんは、出会った頃は毎週末、京都から東京のお茶会に通っていて、本当に関西に住んでいるのか、謎の人物だった。それも当時TDR250という2stの高速巡行が苦手なバイクで。

をのっくさんは石垣の民謡コンクールで見事新人賞を獲得。しばらく会っていないうちに、すっかりウチナーな雰囲気の実は南風見田の浜で数日過ごした、筋金入りのキャンパーだ。しかしそういう事からも三線を始めるのは普通の事かもしれない。

焚火の前で、をのっくさんは民謡を数曲披露。しぶい歌声で、なかなかシビレさせて頂いた。三線は旅を感じる音とメロディなのでとても好きだ。そしてレギュラーメンバーがとうとうギタレレとギターをだしてきて、今年もオールナイトのフォーク合唱が始まった。

拓郎や千春、そしてフォークの祖たちの曲にあわせて、焚火の炎がゆらぐ時間。これこそが和琴ミーティングだ。殆どが40を越えた中年であり、子供連れのファミリーではあるが、熱いあの頃の旅の情熱は決してさめる事はないようだ。

私は流石に朝3時からおきているので、早めにダウン。しかしテントの中、シュラフに潜り込んでいると、遠くから洛陽やカチャーシーのリズムが聞こえてくる。これを聞きながら、夢の中に落ちていった。

翌朝は7時前にトイレで起きた。くーもトイレを我慢していたらしく、由のあとをついて出ていった。私は交代にトイレに行き、7時すぎまでもう1度シュラフに潜り込んだ。

少しづつ音が気になるようになってきた。皆起き始めたようだ。空は青空。しかし林間なので太陽がテントに当たらない。撤収するテントは濡れたままで、あとでフィールドで干そうと思う。

朝食を椅子を出してとると、次から次へと子供たちやら友人がやってくる。本当はゆっくりとキャンプを楽しむ集まりなのだが、今回はアジの自主練を有効に使いたく、できるだけ早くに御殿場フィールドに戻ろうと思っていた。しかしやはりゆっくりと用意をしているうちに、出るのは10時頃になってしまった。
でも皆と別れるのもちょっと残念だった。皆はあと1泊、ここでゆっくりとキャンプを楽しむだろう。私たちのちょっと後にキャンプ場を出たBASSさんに途中追いつかれ、T字路で私たちは左に、BASSさんは右に別れる時、お互いがクラクションを慣らし、片手をあげて背中を向け、走り去るシーンが、久しぶりに私の旅心をくすぐってくれた。

さて、御殿場フィールドに急ごう。くーは走りたがっている。

写真はサイト横に流れる川で。

くーの体にはこのあたりで自生している毛にくっつく種のような植物が沢山ついていた。

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2006年11月05日

和琴ミーティング2006 day1

1988年から行われている、旅の友人との年に1度の集まり。それが今年も行われた。

日中のアジ練習を終え、キャンプ場へ向う。距離にして25km程度のようだが、あと10kmという所で、ポツポツと雨粒が。空は真っ暗なので、どの程度雨雲があるのかわからないのだが、あと10kmならすぐだし、テントを張るまでは大丈夫だろうと思っていた。

しかし、すぐに雨足は強くなり、サイトに近づくにつれて路面はウェットに。そしてとうとう5kmを切る事には、ワイパーもきかないほどの土砂降りに。ライトを照らすが街灯もないので、速度は30km程度におとさざるを得なかった。ノロノロ運転の中、1年ぶりにキャンプ場の入り口を見失わずに見つけ、駐車場に入っていった。

外は土砂降り。やってきている友人たちの車はざっとみただけで6台ほどある。テントもうっすらと見えるのだが、人影はない。流石にこの雨ではタープの下もたまらないだろう。なんせ、ロッキーの天井にあたる雨音は、いつしか雹が当たっているようなものすごい音がしていたのだから。バケツをひっくり返したような集中豪雨に見舞われたのだった。

これはもう外に出る気にもならず、由とロッキーの中でフテ寝。すると後ろからヘッドランプの明かりがゆらり、ゆらりと近づいてきた。傘をさした兄貴だった。とんでもない雨の為、テントに避難していたようだ。傘をさして、私たちが到着したのを知ったらしく、見に来てくれたのだ。

またしばらくして今度は京都からバイクでやってきたBASSさんが、携帯で我々のキャンプ地の周辺だけが集中豪雨に見舞われている事を教えてくれた。私も携帯でみたが、なぜか沼津周辺だけが夜中まで局地的に雨雲に包まれている。富士山の位置や駿河湾から流れ込む暖かい空気のせいか、御殿場は晴れているようだが、このあたりだけものすごい降水量だという事をサイトが示していた。

しばらく30分ほど待って、雨足が弱くなってきた頃、テントを張った。しかし地面が痛く、テントに穴があかないかが不安に思わされる。一応ドカシーをその下に敷いたのだが、御殿場フィールドの方がよほどサイトとしてはよいと思えた。まあタダのキャンプ地だし、サイト検分もできなかったので文句は言えない。

何とかテントを張ったあと、をのっくさんがやってきてくれた。くーは大喜び。何年か前のORP全国オフで遊んでくれた事を思い出したのだろうか。すっかりべろべろとなめられていた。

雨はやみ、時折月すら見える天気。まだ富士山の方には真っ黒な雲が見える。しかし、和琴ミーティング初日の夜である宴は、スロースタートではあるが、いつもの熱い血が沸き上がってくるのだった。

写真はサイトの朝の風景。去年と一緒の場所だ。

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2005年11月10日

キャンプ用品もTPO

最近、私が使うキャンプ用品が変わりつつある。

キャンプをするという事は、何もない所に寝床をつくって寝たり、水も火もない所で煮炊きをし、食事を作って食べたりする訳で、そしてそれは使わない場合は収納し、運ぶ事ができるもので構成されている。

言葉でいうと簡単だが、安全に一夜を過ごせる場所を見つけ、地面をならし、テントを張る事から始まる。調理も一人分か二人分だけを作ればいい訳で、効率よく作るにはシングルバーナーを座った椅子の前、いわゆる地べたで火を扱い、調理する。地べたに置くことで、ひっくり返したり、ガソリンがオーバーフローしても別に大丈夫だ。

材料を切るのも椅子の膝の上。まな板だけは持っているので、包丁かもしくはフォルディングナイフで切り、そのまま足元にあるストーブの上に乗っているコッフェルに投入すればよい。切ったものを一旦あげておくような皿はない。

水もポリタンかペットボトルで充分。足らなくなればなった時点で水を汲みにいく。食べるのもコッフェルのままか、せいぜい皿がわりにしているシェラカップやロッキーカップによそい、食べる。テーブルだけは低い小く折り畳めるものがあるので、ささやかにもりつけはその上で行われる。

こんな風に、極めて質素に、必要以上のものは出さない、持たない、広げないというルールから、できる限り一夜を過ごす時間の中、自由にぼーっとできる時間を少しでも増やすのが、スタイルだ。

犬が家族に加わり、オートキャンプという事もするようになった。今度はデイキャンプみたいなもので、スクリーンタープを建て、その中で競技を観戦したり、参加の準備をしたり、食事を取ったりするのだが、逆に水場が遠い事もあって、オートキャンプ用のジャグがあると便利だ。テーブルも必須だし、リラックスできてしっかり休める大きめの椅子もほしい。

反面ランタンやシュラフはいらないが、いろいろやっていくうちに、あれば便利な装備に目が行くようになった。あと同じ機能を持つものでも、これまでとは違う装備にした方が、安全が確保できるものも出てきた。

その一つ、ガソリンストーブは犬にもタープにも危険だし、何よりポンピング操作も面倒なので、ガスストーブがメインになる。ここで言うストーブは、コンロの事を指すのだが、冬にかけて、かじかむ手や足から冷える事がある為、暖を取るストーブも必要になる。これまでのフォールディングヒーターはヒーター部がむき出しの為、火傷の危険性があり、安価なカセットコンロのガスが使えて、ランニングコストがよいヒーターを購入した。これはまだ実地で試していない。

ディスク競技の先輩である方から、寒がりなので石油ストーブを持ち込む人がいると聞いた。それも確かに手だろう。ただ重さや大きさ、そして何より液体燃料を使う上で、持ち運ぶリスクもある。反面石油ストーブは、使っている間、上にヤカンでもおけば、いつでもお湯が沸いている状態にもできるので、メリットもあるだろう。石油が値上がりしている今、カセットガス2本で10時間もつストーブが暖かさで問題なければ、一番よいだろうと感じた。カセットガスは、ホームセンターなどで3本298円や198円で売られているので、むちゃくちゃ安い。場合によっては2箇所に置いたりしたとしても、どの燃料よりも安い。

そんなこんなで、椅子もアルミのテーブル付き折り畳みタイプに変更。ただ違うのは、どれも収納時に効率よくコンパクトになり、1度で車からキャスターに載せ、運べるという条件を満たすものだという事だ。

下らない事にこだわる私は、その制限枠いっぱいの中で、効率よく快適に過ごせるようなモノを探すのが楽しくて好きだ。

写真はスクリーンタープ。絶対に買わないと言っていたものだが、競技などで1日中野外にいる時はとても便利だ。それはSNOWPEAKなどのアルミポールのものが欲しかったが、C社に勤める友人が言うには、消耗品だという事で納得したので、安いものを選んだ。ヤフオクで15999円だったコールマンの3ポールタープが初めて張られたのは、富士山を望む朝霧アリーナだった。

あと、先日の三郷大会のレポートを、くーの姉妹犬の飼い主さんレポートをまとめてくれた。姉妹対決とはいわないまでも、姉妹でディスク大会を楽しめるというのもなかなか楽しくてよい。

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2005年10月06日

秋はキャンプの季節

今週末は3連休。10月は1年を通して最もキャンプシーズンと言える私としては、最初のイベント、アウトライダーパティオの全国オフだ。

場所は長野の某所。ここ何年かはずっと場所が変わってないが、最初の天竜川の上流域近く、標高が高いしらびそ高原から始まり、寸又峡、岐阜のカクレハ高原などを使ってきたが、今の会場となるサイトは直火はできないがなかなかよい。町も協力してくれて、期間中はA-COOPを臨時で無休にしてくれたりしていた。

アウトライダーという雑誌から派生した、ツーリストネットワークだが、最初のうちはあまりいい目でみられなかった。確かにその筋の人もいるにはいたが、ツールとしてのパソコン通信ネットワークを活用して、ツーリング情報やバイク情報、キャンプノウハウなどを共有し、ネットの中で旅をして、出会い、会話をしているようだった。それは実際に経験を積んだ旅人がネットの先にいるのだから、面白くない訳がない。

全国オフは、公式イベントとしては一番大きく、そして歴史のあるものだ。普段文字でしか見たことがない人と実際にテントを張り、語る。北は北海道、南は九州からはるばる集まってくるのだが、実際はそのような集まりは我々だけではなく、似たような事はいたる所で行われているようだ。

しかし昨年は台風直撃で初の中止。今年はどうも雨模様っぽい。雨に降られたり、台風の余波に影響されたりする年もあったのだが、やはりバイクでなくても雨だとへこむ。好き好んで雨が振っている中にテントを張ったりタープを張ってまで1泊のキャンプをする気がそうそうおきない。そう思うようになってしまったのは歳のせいかとも思うが、案外私はあっさりと諦めてしまうのであった。

明日の予報次第なのだが、現地入りする金曜の深夜、土曜の日中、そして撤収する日曜の昼前に雨が続くようであれば、今回は欠席を考えている。ソロだったらまだしも、やはり犬連れでいくとなると、倍近いパワーが必要になる事や、思う存分遊ばせてやれないというのも原因なのだ。やはり最低でも雨は降らないで欲しい。

ただ懐かしい顔が集まるのは確かなので、なんとか天気が急に回復するような事が起こるのを期待している。その為にパッキングも済ませ、車検も間に合わせたのだから。

写真は10月の7~8年程前。まだ車やバイクで河童橋手前まで入れる時代に、小梨平にテントを張り、ショートトレッキングに出かける日の朝。湯気が穂高連峰を隠した。

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2005年09月11日

初のファミリーオートキャンプ

横川SAで他の3家族と合流、碓井軽井沢ICの料金所を抜けた所で待ち合わせし、まずは旧軽銀座方面へ。道が細く1本道なので、渋滞が始まっていた。しかしすぐに流れが戻り、駐車場を探す。日陰ありで、400円という周囲では破格の値段につられ、随分目的地より手前でハンドルを切ってしまう。地面が未舗装で、木陰があるという私の好きな駐車スペースだった。

犬を連れて4家族でロータリーに向かう。ここに来るのは20年ぶりか。お店もどんどんお洒落になっていき、お昼を食べようとそば屋に入る。テラスで犬を伏せさせながら食事。その後ソーセージ屋で少し買い物をし、キャンプ場へ向かう。

今回親戚犬の福来ちゃんの飼い主さんが予約したのは、北軽井沢にあるスウィートグラスというキャンプ場だ。ドッグランも犬可のバンガローも備えた大規模なキャンプ場。ウェブサイトも立派で、お金のかけ方は相当なものだ。それだけ設備も整っているだろうし、採算もとれているのだろう。興味を持ちながらチェックイン。

お客さんの種別は犬連れもいるが、やはり殆どが子供連れのオートキャンパーか、学生っぽい若者だけのグループ。子供連れの為の配慮も相当細かく、スタッフも多い。トイレの綺麗さや、見回りのまめさ、実際にちゃんと客に声をかけてコミュニケーションをはかるなど、管理されたキャンプ場としては、料金分のサービスがされていると感じた。

実際山の中に車が横付けするスペースを作るだけで、宿1泊分くらいのお金を取るオートキャンプ場があるのは知っている。車のガレージよろしく、分譲地のように車が走る部分だけ舗装されていたり、テントサイトから一番よく見えるのは車ばかり、という所も多いだろうが、我々が張った林間サイトは結構雰囲気はよく、日差しを遮る程多くの木々に囲まれていた。車も自由に停められるので、見た目も分譲地のようには見えない。

我々は一番奥の1列4台分のスペースをぶち抜きで借りる事になり、車を左右に2台づつまとめて停め、間の2台+テントサイトにあまりくっつきすぎずにテントを設営する事とした。まん中に福来家のスクリーンタープで宴を作り、出入り口側に調理スペースを確保するという形で設営していった。

設営中、ざっとにわか雨が降ったが、最初にスクリーンタープを張った為、被害はなかった。そして夕食の準備前に女性陣がドッグランに行く。私は結局色々用意していてサイトを離れる事はなかったが、温泉に行くこともできず、料理準備開始となってしまった。日が暮れてから動きやすいようにランタンなどの準備をしたり、調理場や水の用意など、やることはそれなりにある。

まずは炭を起こして、ダッチをプレヒート。塩コショーとニンニクを貼り付けて1日以上寝かした鶏モモ肉に焼き色がつくまで焼き、一旦外に出す。そしてジャガイモとニンジンを炒め、また一旦外に出す。あらためて空になったダッチに、千切りにしたタマネギを入れてかるく炒める。焦げつき防止に使う為だ。そして先程の野菜を敷きつめ、その上に鶏肉を載せ、最後にトウモロコシを入れる。10インチだとこれが限界だ。炭を蓋の上にも載せ、しばらく炭火にかける。

別な場所でコッフェルにニンニクをスライスし、オリーブオイルで炒めてホールトマト缶を2本入れて煮詰める。塩と砂糖と胡椒で味付けをし、これを最後に鶏肉にかけて食べるという感じだ。ローストチキンのトマトソース和えといった所だが、適当なのでなんとも言えない。

それとは別に前日にやはりダッチで仕込んでおいたローストビーフをスライスして、既にビールで乾杯しているパパさん達に振る舞う。ちょっと失敗して火を通し過ぎてしまった。本当は食べる直前にもう1度焼きを入れようと思ったのだが、やはり適当になってしまう。レモン汁とオリーブオイルに塩を入れたものと、カラシ醤油をシェラカップに入れて、お好きな方をつけて食べて貰った。

他には楽ちゃんの飼い主さんがモツ煮込みやニンニクキュウリの浅漬け。HOOVERくんの飼い主さんのアジア風タンドリー風チキンやローストポーク、サラダなど。福来ちゃんの飼い主さんの凝ったパエリアなど、夕食は豪華なものになった。大人数の為、少ないかなと思ったそれぞれの料理も十二分で多すぎた位だ。

夜は0時すぎまで結局話をし、おいしいワインやバーボン、大量のビールなどもあって、気持ちよく皆それぞれのテントに戻っていった。犬たちもドッグランで遊んだりしていたせいか、皆眠そうにしていたので、夜テントに戻ったあとは静かに寝ていたようだ。

朝は曇り。ざっと撤収準備をしたあと、まずはコーヒーや紅茶で一息。その後、朝飯に福来ちゃんの飼い主さんが作ってくれたスープカレーと、楽ちゃんの飼い主さんが作ってくれたクリームシチューに、パンと昨日残ったローストビーフとローストポーク、朝ドッグラン横の農家の人から頂いたサニーレタスというまた豪華なものだった。朝からカレーもよいもので、長時間煮込んだ牛肉はとろりとしておいしかった。めったに食べないクリームシチューも、朝こうして食べると体が目覚めるようでおいしい。

撤収を進めていき、途中ドッグランでディスクやボールで犬たちを遊ばせながら、サイトは片づいていく。そしてチェックアウトの11時まで結局ゆっくりして最後に記念写真を撮っていると、雨が降り出した。あわてて車に戻り、チェックアウト手続き。11時半近くなっていた事務所の前では既に結構な本降りとなっていた。

帰りはとりあえずこの場で解散。私たちは途中立ち寄り湯でも入りながら帰ろうと思っていたが、高速代が勿体ないので二度上峠へ向かう。すぐにものすごい土砂降りとなり、ワイパーも効かない程になった。これほどの雨量があれば、峠も閉鎖されるかもしれないと思える程なので、立ち寄り湯も通過。断続的に強烈な雨が降る中、高崎ICから関越に乗り、一気に帰った。

途中、走行車線でいきなり数台前が急ブレーキをかけ、時速80km/hから40km/hまで落ちた。車間距離を取っていたから事なきをえたが、突然の豪雨で驚いたドライバーがブレーキをかけたのだろう。そういう時に急ブレーキをかける事がどうなる事か…土日は怖い。

練馬ICから一般道に降りた所の最初の信号の先に、メルセデスがガードレールに刺さっていた関係で、最後に2km程度の渋滞になったが、14時前には練馬を抜ける事ができた。由とくーは殆ど眠っていた。そのまま自宅の前に横付けした途端、また前が見えなくなる程の土砂降りに見舞われてしまった。

大きな荷物を半分ほど、エントランスに運び入れたが、そこから先の自宅の玄関まではあまりの雨で立ち往生。おまけに雷も鳴り出した。結局30分ほどエントランスで雨宿りをし、雨が薄くなったのを見計らい、荷物を運び込んだのだが、後半はすっかりまた強くなった雨にやられ、下着まで濡れてしまった。

すぐに風呂に入ったのだが、すっかり疲れが出てしまい、そのまま夜までダウン。おまけに熱っぽくなってしまった。ブログも当日中にかけず、またも抜けとなってしまった。

キャンプは新しい経験を沢山させて頂いたので、今後の教訓に生かそうと思える事も多かった。料理も凝ればそれなりに楽しいのだが、やる事が増えてしまうのも当然。一般的なファミリーオートキャンプでのパパさん達がいかに大変か、よく感じられる1泊2日でもあった。とはいえ、犬たちとのキャンプも、地面に落ちてしまう食べ物への興味なども心配なのだが、飼い主さんたちと一緒に野外で過ごすというのは楽しいものだ。

この秋には毎年通り、キャンプが2つ予定されているが、もう1つ位犬連れの飼い主さんとのキャンプもしてみたい。自分もこういう状況に慣れる事で、もう少し効率よく時間を使えるようになるだろうと思う。

写真はそのスィートグラスの林間サイト。時期によっては安いらしく、川が流れていたり、近くのロケーションも悪くないので、また使ってみようかと思えた。

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2005年09月09日

ファミリーキャンプ

明日から、コギ仲間の方たちと初めてのキャンプにでかける。何でもコーギーの飼い主さんのコミュニティ団体も、同じ日程、同じ場所でキャンプオフがあるという。本当は身内?でしっとりとしたキャンプをしたかったのだが、どちらにしてもまだキャンプシーズンなので、サイトも混雑している事だろう。うまく一緒に遊ぶ時間と、静かに過ごす時間を楽しめればよいなと思う。

さて、先々週までの北海道のキャンプは、最小限の装備だった。とはいえ、ストーブのアダプタを忘れるという失態をしてしまい、最小限に満たない装備だったのだが、それでも開陽台でゆっくりした時間を過ごす事ができた。今回小さい椅子と小さいテーブルを導入したのだが、明日のキャンプはいわゆるフル装備ででかける。

といっても和琴ミーティングの時よりもキャンプ用品は少ない。逆にくーの用品が多く、荷物の積み方によってくーが入るクレートの積載位置が微妙に変わる。そう、まだ安定した積み方ではないのだ。こればかりは経験の中から一番よいポジションを見つける事になる。

秋はいつも私にとってキャンプシーズン。ORPの全国オフ、和琴ミーティングなどがあり、今回コギ仲間のキャンプが定例化する可能性も高い。やはり犬にとって自由に遊べるのは野外。特にコーギーは外で全力で遊ぶのが大好きだ。走り、キャッチし、持ってくる。それが生きがいと言ってもいい。今回のキャンプサイトは、ドッグランがあり、犬の為に配慮されたキャンプ場だ。

また料理もほかの方もみなすごい凝りよう。シュハスコ、パエリア、スープカレー、スモーク、ローストポークなどといった作った事のない料理の名が並ぶ。1泊だけのキャンプでそこまでやるというのは、これまでなかったのが正直な所だが、これも経験と思い、先程ローストビーフを作った。明日はダッチオーブンで我流ローストチキントマトソース和えを計画している。

途中、サービスエリアに集合するというのも、渋滞にはまりそうで車なら避けるのだが、今回は一緒に行動。ひょっとしたらこれまでずっと混む混むと言っていた時間帯やルートが、案外楽に行けるのかもしれないとちょっと楽しみでもある。

明日、ウェアが入ったダッフルバックと、食材の入ったポリライトクーラー、カメラバック、トートバック、クレートを積んで出発できるようになっている。明日は北軽井沢なので、AirEDGEは入らないだろう。なので翌日にでもブログは更新したい。

連続でキャンプだが、実は今月末に美瑛周辺に十勝岳の紅葉を見にいくか、奄美大島で白い砂浜で戯れるようかと画策していた。どちらも、JALのおともでマイルを使おうと思っていたのだが、前者は今朝玉砕、後者は宿がいっぱいという事で、断念した。まあまたチャンスはあるだろう。

ただ、JALのマイルは47000マイル以上あり、今年中にマイルを使うか、クーポンに交換しないと無駄になってしまう。好きだったJASがJALにM&Aされてしまったので、仕方なくJALなのだ。AirDOスペシャルで紅葉を見にいくには、ちょっと行動が遅かった。

さて、早めに寝て明日は6時出発だ。写真は11月下旬の和琴ミーティングでのショット。みんな山岳テントで、人数分建っているのが笑える。まあ、これも言いようによってはファミリーキャンプなのだが。

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2005年08月18日

ある丘から港へ向かう日

久しぶりにリアに全ての荷物を積み走り出すと、しっくりくるまでにしばらく時間がかかる。駐車場に降りてくると、観光バスやレンタカーやバイクの観光客がこちらを見ている。どこから現れたのかが不思議なのか、トイレの裏から飛び出してきたフル積載のバイクは、そのままアクセルを開けつつ、丘を下っていく。

駐車場脇にハイジーの家があった頃は、ここでまた1度停まり、すぐに丘を降りていけなかった。テントを撤収後、駐車場までまずはバイクを降ろして、長い休憩に入る。ハイジは開店してすぐの時間帯なので、殆どお客さんもいない。ご飯ものは炊いている最中なので、お昼前はライ定も丼ものも食べられないが、今日これから帰路につくというのに、カウンターでノートに何かを書きなぐったりする。

かあさんが出勤してきて、握手をし丘を下る時代はやはりよかった。ハイジのベランダからかあさんが手を振り、バックミラーでその姿が小さくなるのを見ながら左手を高々と挙げ下っていくと、今年の夏も終わったという気分になった。もの悲しくなったり、寂しくなったりはしないが、しばらくは丘を下っていく気分に浸る。また来年、と口に出しながら、ミルクロードを下り、1本裏のストレートダートに入ってアクセルを開ける。

町内を抜けR272に入り、釧路に向かった回数は何度あるだろうか。軽く二桁は行っているのだが、このメジャールートは私にとって始まりと終わりを意味する重要なルートだった。開陽台を知るきっかけのひとつになった佐々木譲著の「振り返れば地平線」で、主人公がこの道でUターンしたのはこの道だと私は思っている。

ただあの本は物語であり、そうそう起こる事ではない。ストーリーははっきり言って陳腐な部類だ。黒塗りのセリカとの抗争や、女性を争って二人の男性の友情が決裂するなんて、無意味なストーリーだ。しかしあの丘にたどり着いてからの描写はなかなかのもので、実際ゾクっとする程だった。

開陽台を知ったのは、バイクに乗り始めてすぐだった。トレールのMR50にのってから、私は舗装路をただ走るのではなく、どこにでもいけそうな気分になれるトレール車が好きで、高校の友人みんながRZやGPZを愛車に選んでいく中、私だけはXLを選んだりしたのもそこが理由だった。そしてツーリングをするという事がバイクに乗る事の最重要な理由になっていく。当時、多数発売されていたバイク雑誌も、こぞって夏前には北海道ツーリングを特集しており、道東の案内の多くに、開陽台が取り上げられていた。

今でもまだ記念に取ってある本なのだが、ホットドックプレスという男性ファッション誌と、TheBikeという毎日新聞社のツーリング雑誌の特集がお気に入りで何度も読んだ。そこにはやはり開陽台が載っているのだが、それを眺めながら私はいつのまにか、北海道に行きたいという事にリンクして、開陽台は私の目指す場所になっていった。

丘に通うようになって、帰りの道、といっても釧路駅前経由、西港までの時間はちょっと慌ただしく複雑だ。船に間に合うギリギリになるまで丘に居るので、和商市場に寄る時間が極めて短くなってしまう。当然R272をハイペースで走るのだが、結構危険なルートなのは確かだ。私は北海道ではおかげさまで無検挙なのだが、R44に入ってからはいつも落ち着かなかった。

長いイエローラインと、追い越せない車線のせいもあり、結構あわただしく和商横にバイクを滑り込ませ、中で丼を作って貰ったり、刺身を盛り合わせて貰ったり、色々と買い物をしたものだ。六花亭は当時釧路に支店がなかったので、サンバード長崎屋の1階にある六花亭コーナーで発送手続きをしたりした。

今は和商市場は座るスペースもでき、勝手丼とかいう名前で誰もが味気のない容器のご飯を買い、どうみても高いお好み海鮮丼を作って食べている旅行者も多いようだ。私は昔3階か4階に温泉のあったビルの横にあった、定食屋が好きだったのだが、全てなくなってしまった。六花亭も春採湖や鶴見橋に支店ができたので、サンバードからはなくなった。もう長い事行ってないが…

駅の近くで色々船の中で食べるものを買い込み、潰れないものはリアのネットに挟み、潰れそうな弁当類はビニール袋を左手首にかけ、西港まで走った。そして線路を越え、右手に白い船体が見えてくると、いよいよこの旅も終わりという気分が高まる。

もっと昔、釧路駅前の近海郵船の代理店でチェックインすると、食事券が800円かそこらで3食つくパックがあったので、よく利用していた。ウチワではあまり口外せず、秘密にしていたのだが、今はもう近海郵船のフェリー航路すらなくなってしまったので時効だろう。乗車した日の夜は焼肉定食、翌朝は和定食か洋定食、昼はカレーライスがついてその値段は破格値だった。

私の旅は開陽台が目的地であり、八重山もネパールもタイもみんな、経由地なのだ。そして旅の港と言える場所は釧路でもある。中標津と釧路は、私にとってとても重要な場所で、そして訪れるたびにちょっとだけ胸がワクワクする。そんな地だったりする。

釧路サイロを右舷に見て、西港を出航してしばらくいったあと、フォワードサロンからよくイルカを見た。襟裳沖近くでもよくみたが、何だか彼らとは何度か再会しているような気がした。

写真は丘の駐車場、ハイジーの家の横から、今走り出そうとしている所。

今は肩こりが酷いのでザックは背負わないが、この頃は寺崎勉さんのように、リアの荷物の上にザックを置くようにしていた。フェリーで過ごすものを全てこのザックに入れ、タンデムシートに積載した荷物は一切緩めず、そのままザックを背負ったまま船室にチェックインするようなスタイルだった。

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2005年08月17日

ある丘を降りる日

それが1泊であろうと、1か月であろうと、丘を降りる日は何かと複雑な気分になる。

テントの撤収は、実はこれまで丘では雨の日というのが1回しかないのだが、やはり最低でも霧、できれば晴れている日に丘を降りたい。テントのメンテナンスも必要になる上に、私のパッキングではテントをバックの中に収容する為、濡れていると何かと困るのだ。

釧路から離れる時は、かあさんがハイジにあがってくる時間にギリギリ間に合うかというあたりで、丘を下る。かあさんもそれが分かっているので、朝の主婦のお仕事を早めに切り上げて、普段より少しだけ早くあがって来てくれる。そして、握手をしてまた来年という会話を交わすのだ。どこかのユースみたいに、いってきますとは言わない。あくまで丘は帰ってくる場所だから。

ただ丘に上った時は、まあ長年のお約束になっている「ただいま」という挨拶になるのだが、まあそういう言葉を交わすのがそろそろ恥ずかしい年齢になったというのもあるだろう。

また、小樽や苫小牧から離れる時は、大抵一気に走るのではなく、殆ど弟子屈の宿に1泊する。そして荷物や洗濯物の整理をして、翌日には埠頭のある町へ向かい、最後の港町の1泊を楽しむというパターンが多い。なので必然的に丘の滞在日数が減るのだが、それはそれで旅にきているのだから楽しな工程でもあるのだ。

ここ最近は似合わないが美瑛や札幌で1泊したりしている。途中結構な頻度で経由したくなる町として、最近は夕張が挙げられる。弟子屈から美瑛経由で向かう時は、R333がお気に入りだ。ハイペースで美瑛に昼に到着し、吹上温泉まで登る時もある。どちらにしてもあまりこれまでいかなかった場所をルートに選ぶのが最近のお気に入りだ。

小樽や苫小牧では寿司やジンギスカンで最後の夜を楽しみ、朝出航する船に乗る。ちょっと寂しく、また旅を振り返るには丁度よい時間という感じだろうか。

丘を降りる朝は、朝食を早めに済ます。そして得てして多くの長期滞在のキャンパーが苦手な撤収作業にかかる。途方もない時間をかけて、ゆっくり、ゆっくりと片づける。順番を間違えて、また荷物を開く事もめずらしくない。少し片づけては一休み、そしてまたのそのそと片づけ始める。しかし最近の私は、北海道にいく時は荷物がシンプルに戻っているので、それほど時間はかからない。

丘で身についた撤収方法として、ペグを抜くのは最後という事。張る時も、まっさきに本体をペグで1本、地面に打ち込んで飛ばないように固定するのが私たちの張り方だ。このあたりは面白い事に、殆どの友人がそういう風に設営・撤収する。

そしてテントを畳むと、テントの下の芝の色がすっかり変わっている事に気がつく。数日パラダイスに居たという証拠なのだ。その時間が、そこに色として現れる。

パッキングされたバックなどを、自分のバイクにストレッチコードでしっかりとくくりつける。丘に残る者やハイジに挨拶をし、あの天国への道を下っていくのだ。

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2005年08月16日

ある丘の日中

丘にいる時は、たまに気が向けば林道や観光地に足を伸ばす事はあるが、基本的には大した用事もなく日々を過ごす。

それは東武やへ買い物であったり、金沢さんの所へ油を売りにであったり、なかしべつ温泉やマルエー温泉、保養所温泉へ行ったり、友人の自宅にお茶を飲みに行ったりなどなのだが、それだけでもあっという間に時間はたってしまう。夕陽前にはなんとか丘に帰ろうと思うのだが、いつもギリギリになってしまう。あとはハイジの閉店後の休憩に間に合うように戻ったりというのが、1日の過ごし方だ。

当然、丘を一歩も降りずに過ごす日もある。殆どを柵や椅子に腰掛けたままだったり、ドカシーを敷いて裁縫をしたり、ハイジに行ったり来たりする事で過ぎてしまう事になる。私はどちらかというとラジオとかテレビを見ないたちだったが、ちゅらさんをやっていた時は、朝からしいたけのテントに見に行ったりした。午前中は案外あっという間に過ぎてしまう。

丘は朝、晴れると夏なら4時すぎにはテントの中にはいられない位の暑さになる。外は爽やかなので、大抵椅子に座っていると真っ黒に日焼けしてしまう。反対にガスっていたり雨だと、今が何時なのかよく分からないうちに昼になっている事もある。天気によって大きくその日の過ごし方が左右されるのもキャンパーの宿命だろう。

知り合いがいたり、新しい旅人と知り合いになったら、色々な話で時間も足らない位だ。中身のある話なんか極めてわずかなのだが、その下らないでもなぜか素直に楽しめる。不思議と、自分がリラックスしているのか、よく笑う自分がいるのに驚いたりするのだ。

この写真には、いつもの場所に、いつものような電線ロールの芯のテーブルを囲み、いつものように下らない会話で過ごす私たちが写っている。奥にはやはり、オカルトの人々のコロニー。私はこの時、テントが存在すら忘れていた、IBS石井スポーツのUL-DXIIを張っているのに画像を整理していて気がついた。前室が大きくてなかなかよかったのだが、あまり長い期間使わないで転売されていってしまった。

最近は丘にあがっても、この写真のような時間はなくなってしまったが、判っていてもまた丘にあがれば同じような過ごし方をするのだと思う。昔と違って今は、市内や近所に友人も多く住むようになったり、挨拶や再会しに丘を不在にする事が多いのだが、それでもここで過ごした時間は、今の自分にはなくてはならない歴史を経てきているのだ。

大げさに書いているようなのだが、私は結構真剣に丘の時間は自分の中では宝物だと今でも思っている。何もない時間。でも大事な時間。

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2005年08月15日

ある丘の朝

風でカサカサとフライシートが鳴っている。テントの向こうから、人の声やコッフェルのアルマイトが擦れる音、ストーブの燃焼音がする。かすかに人の声や、砂利をブーツで歩く音が聞こえている。

目を醒まし、シュラフのジッパーを下げる。寝返りを打ったせいか、ねじれたシュラフをひっぱりながら、上半身を引き抜く。

テントの上の部分だけをモスキートネットにししていた入り口のジッパーをおろす。そして体を少し伸ばして、フライシートの下にぶら下がっているジッパーのタグをつまみ、少しづつ上に引き上げる。テントの中とは明らかに違う動く空気が一気にテントの中に流れ込んでくる。

テントの入り口にあぐらをかいて座り、何をするでもなく足元に転がっているストーブをポンピングする。なぜかキャンプ中は握力が弱くなるようで、そのポンピングも段々とだるくなってくる。そのうちにコーヒーが飲みたくなり、パーコレーターに水を入れて、とりあえずストーブの火を安定させたあと、火にかける。

寝癖のついた頭をガシガシ描き、フライシートを開け放った視界から狭い視界の中の外を見渡す。そのまま頭の中はまた一旦空白になる。

しばらくするとお湯が沸いてくる音に我に返り、ストーブを弱火にし、火から一旦パーコレーターを降ろす。ドリッパーに挽いた豆を少し入れて、パーコレーターの蓋をあけ、中に落とし込むと、あらためてストーブのゴトクに載せる。

透明なトップに少しづつ色がついていくのをみて、適当な頃合いで火を止めて、ロッキーカップ1/2パイントに豆があふれてこないように静かに注ぐ。レギュラーコーヒーの香りが一気にテントの中に入り込む。

一口それを口に含むと、漸く少しづつ頭が動き出す。テントに遮られた後方では、人の通過する足音がする。今日ここを出発する旅人たちが、荷物を運んでいる音だろう。また朝食を作っているのかもしれない。水場とテントサイトを往復する人も多い。

コーヒーを飲みながら、昨日買っておいたパンをかじる。別に料理なんかしない。朝は適当で済ます事が丘では殆どだ。たまに気が向けばフライパンで卵やソーセージを調理する。味付けは塩コショーだけだ。それだけで朝食は終了。

漸く外にごそごそしながら出ると、電線ロールのテーブルの前には、寝ているのか起きているのか分からない友人がぴくりとも動かずに座っていた。手をあげると、彼も手をあげる。言葉は交わしていない。残りのコーヒーをカップに注ぎ、テーブルに置く。夜露に濡れないようにフライシートと本体の間に畳んでおいておいた椅子を取り出して座る。

そのまま一緒に一言も交わさずに10数分じっとしている事もよくある。オホーツク方面には国後が見え、丘の下の方では鐘の音が時折響く。それぞれの時間が動き出しているのを感じながら、自分たちはそこの風景の一部に溶け込んでいるだろうか。単なる観光客の目にはそうは見えないだろうが、少なくとも私たちはそこに居るのが当然のように、ただ座って動かなかった。

丘の限りない1日が始まった。既に丘を降り、次の目的地へ走るもの、露天風呂に向かうもの、町に買い物に向かうもの、日帰りで知床や釧路に向かうものなど、それぞれの時間が始まったのだ。そして、このだだっぴろい空間に自分たちがいるささやかな喜びを感じつつ、私はテーブルのカップを口に近づける。

武佐サマが今日も私たちを見ている。ずっと昔からそうしているように。

ガスってきた。ハイジに行くか。でもまだ開いていない。じゃあ読みかけの文庫本でも読むとするか。二人はテーブルから離れ、また自分のテントに戻っていくのだった。

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2005年08月06日

すげえ積み方

今日も朝から暑い。どの位我慢できるか午前中は旅行にもっていく荷物の選別やら、物置化されている部屋の整理やら汗をかきながら動いていた。汗がしたたり、眼鏡のレンズに落ちるわ、首筋を汗が伝っていくのが判る。
階下はちょっと窓を開けるだけで煙草の臭いがしたりするのだが、これだけ暑いと窓を開けて吸わないようで、その心配はない。しかし、不思議と我が家は北北東と北北西に窓があるのだが、風が通らない事が多い。今日も階下は空気が動かず、我が家に1台しかない扇風機を置いて何とか午前中を過ごした。一方階上は同じ方角なのだが高さがある関係かまだ少し風が通るので、ゴソゴソして汗をかいてはいたが、何とか気を失うものではなかった。

今月末に予定している北海道キャンプ旅行にもっていく大きめのバックには、基本的なキャンプ用品全てが詰まっている。簡単に内訳を言うと、テント(モス4人用)、シュラフ(羽毛400g前後)2つ、半身用サーマレストマット(厳密にいえば1枚はアルティアック)2枚、テント内に敷くタータンチェックのカーペット、小型椅子2、小型テーブル、犬係留用アンカー、コッフェル2、ガスストーブ(ガスボンベは現地調達。飛行機には積めない為)、アタッチメント(プリムスのストーブをカセッロコント用ガスで使えるようにするもの)、LEDランタン、ヘッドランプ2(LEDとリチウム)、スパイダルコナイフ、ガーバーマルチプライヤー、ガストーチ、カトラリー(スプーン&フォーク2、割り箸8膳)、他細かいもの。これらが1つのちょっと大きめのマウンテンスミスのダッフルバックに入った。他にはウェア類が入る、それより二まわり小さいダッフルバック。これに最後は電子機器(各種充電器やパソコンや地図)や、くー用品が入ると考えている。

レンタカーである事と、冬の旅行のリサーチも含めて犬OKの宿にも泊まるので、キャンプ用品は最小限かつポイントを抑えたものを選択した。原則料理はせいぜいお湯を沸かす事しかしないのだが、それでもテーブルと椅子があるあたりは、こだわっているのか、単なる愚か者なのかわからないが…。

もともと我が家の車は、車内泊ができるようなものではない。冬に2度、親父のレガシィ(初期型と2型)で回った時は、リアはフルフラットにして寝られるようにしていた。これがまた便利なのだが、停める場所によっては最悪車の中に閉じ込められてしまう可能性すらある。ちょっと停めて和琴の温泉に入っていたら、エキゾーストパイプのあたりが吹き溜まりになっていた。最悪、出られなくなるだろうと思い、北海道の冬を走るなら、やはりできるだけ最低地上高のある車がよいなと思わされた。

今度の旅はきっとビッツクラスだと思われる。メーカー不問のレンタカー会社なので、これまでは殆どがマツダレンタカーだったのでデミオだったのだが、今度は勝手が違う。記憶では、沖縄ではスプリンター、おっとさんの結婚式の時に借りた車がビスタ、釜石ではスパシオだったのだが、コラムオートマなどは違和感があってなかなか慣れなかった。レンタカーの旅も何がくるかわからないという意味では面白いかもしれない。ただ「れ」ナンバー(北海道は「わ」ではなく「れ」が殆どのようだ)なのがちょっと絵にならないのだが…安ければよいのだ。

写真は今まで見た中で一番強烈な積み方をしていた車。友人で今は北見に住んでいる旅人、フジワラ君のジムニー・シェラだ。なんとフルサイズのCRM250Rが乗っている。決して事故ったのではなく、バラして積載しているのだ。こんな載せ方をして旅をしていたフジワラ君は、一時期開陽台でもいつも居る男だった。ロッキーで小さいなんて言っているようでは、彼に笑われてしまうだろう。

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2005年04月01日

温泉と丘の時間

丘から風呂に行く時は、以前は数カ所を選べた。

マルエー温泉なかしべつ温泉中標津保養所温泉養老牛温泉ホテル大一トーヨーグランド、天佑川北温泉、開陽温泉などが主な所だ。その後天佑川北は一旦閉鎖し、今は地元の人だけに開放しているという。他に露天では川北からまつ等が有名だ。

開陽温泉は一番開陽台から近く、とても便利で設備もよかったが、開館当時は異様に高く、キャンパーはまず行かなかった。しかし閉鎖直前に500円か700円かそこらになり、何度か利用した。原野商法で開陽温泉周辺の土地が東京のニュースで放映され、少々驚いた。

私が丘に上がり始めた頃は、今ではシマフクロウの餌付けに成功した事で、冬はカメラマンが大挙して訪れるホテル大一の日帰り入浴がまだ安く、飲み物もついていた。露天の前を流れる川が冷たく、のぼせた体をその川で冷やしたりしたものだった。

マルエー温泉は一番この中では安い。町の中からアクセスがよいせいと、ホテルが併設されている為、比較的メジャーだ。なかしべつ温泉はライダーハウスが併設されている側は古い湯船のままだが、隣には綺麗になり一時名前が問題になり提訴問題になったが、今はなかしべつ温泉の名でどちらか選んで入る事ができる。保養所温泉は長期滞在者が回数券を買って入り、休憩所でゆっくりできたが、オーソドックスな温泉だ。トーヨーグランドも風呂は結構好きである。

天佑川北温泉は格言が沢山貼られている面白い温泉だった。湯船も四角く区切られていて、2曹式の古ぼけた洗濯機があったのを記憶している。お湯は熱めだった。今近くに鉄の湯という温泉ができたそうだが、まだ入った事はない。長期滞在キャンパーが定期券を持っていて、ここに入りにきていた。開陽温泉は近代的なクアハウスで、開陽台の麓、ダートを少し走って森の中に建物が突然現れた。

温泉以外では、私が丘にあがるようになるひとつのきっかけとなった男が住んでいたTアパートから歩いてすぐの所に、温泉ではない熱いお湯の羽衣の湯もあった。

開陽台からはどの温泉に行くにしても、結構な距離を走らねばならない。スーパーなどに行くのも同じだ。それだけ何もない所にその丘はある。

霧が出ている時は別だが、晴れている日なぞは、風呂に入ったタオルをリアやバックミラーにくくりつけて丘に戻ると、その頃には乾いてしまっている事もあった。しかし夏は、乾くと同時にタオルには無数の羽虫がはりつき、折角風呂に入ってもいい気分ではなかったりする。

あまりに貧乏な旅人は、水道で頭を洗ったりするが、私はそこまでしたことはなかった。しかし、朝早くから晴れた日などは、テントから朝5時にはもう我慢ができずあぶり出され、電線ロールの芯のテーブルの前で、肘掛け椅子に座り、ぼーっとしていた。すると、観光客の声が聞こえる。

「あら、あんな所でテント張ってるわ」
「あら、動いたわ。」
「何か飲んでるわね。何かしら。」

時には親子連れがやってきて、子供を放し飼いにするとその子がテントを覗き込み、おかあさんにこう報告した。

「ねえねえ、何か人がいるよ。生きてるみたいだよ。」

大きなお世話だ。

写真はエイプリルフールですから。冗談です。まさか公道をヘルメットなしで走るなんてね。こんな恰好で温泉や街には降りませんよ。エイプリルフールですから。今日は。

だから私の顔もちょっと出してみたりして。:-p

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2005年03月17日

モンベル

キャンプをするようになった頃、自然と山屋(登山)用品に目が行くようになった。バイクに積載する事は、軽量・コンパクトにしすぎる事というのはない。軽ければ軽い程、小さければ小さい程よく、快適さよりも機能が満たされていればよいのだが、自分が少し余裕がほしい部分は、快適度をあげる事もある。

山屋さんと違う部分としては、ウェアでは歩く速度で移動するのではない事から、ライディングに耐えられるヘビーデューティな造りと構造、日本の気候に適したゴアテックス等の湿気を抑え防水性能が高い点。ギア類にしても、ストーブはフューエルタンクにあるガソリンを使用でき、滞在時が快適になる椅子などがあげられる。

ウェアはこれまでバイク専用というか、モトクロスメーカーや皮パンツなんかも履いた。ブーツもゴツいモトクロスブーツや、ロードレーシングブーツも。しかし北海道をツーリングするようになってから、段々とブーツは軽登山靴、パンツは厚手のジーンズ、ゴアテックス製のアウトドアジャケットやライディング用ジャケットと、それこそ旅先でヘルメットとグラブを取れば小洒落たカフェにでさえ入れるような恰好になっていった。

山屋用のウェアは皆高価だが、モンベルというメーカーだけはそのクオリティと機能性の高さに比べても低い価格設定で好んで使っていた。原付の時に初めて買ったレインウェアから始まり、シュラフやテント、マウンテンパーカはモンベル製だった。

同時にクシタニと、風魔プラス1というショップのレッドホライズンブランドも好きでよく着ていたが、その風魔プラス1が事実上ウェア部門はモンベルの関連会社、ベルカディアに売却され、少し前までレッドホライズンブランドでも、モンベルのタグをつけて販売していた。私が今も着ているのはそのほぼ最後のモデルのジャケットである。

話はちょっと変わって、知人のカメラマンにここ数年、毎年行っている北海道ツーリングの時に現地で落ち合い、撮影のお手伝いをした。このカメラマン氏とはもう長いお付き合いになる。それこそネット上ではビジネス・パートナーとも言えるようなお付き合いをしている。今回、昨年の秋冬物に続いて私が被写体となった写真が、最新の春夏物クロージングとギアカタログに使って頂ける事になった。

嬉しい反面、ちょっと恥ずかしい。写真は素晴らしく、やはり巨匠と呼ばれるだけの事はあって、道が写っている写真を撮らせれば第一人者ともいえる氏の作品に、協力できた事は単純に嬉しいものだ。バイクもほぼノーマルな国産250ccオフロードだし、風景の一部として使われるには都合がよいと言われたが、確かに最近は知人が乗っているバイクは存在感のあるものが多いような気がする。

何にせよ、私の大好きなモンベルのカタログに、自分が被写体の写真が掲載される事はとても嬉しい。このカタログは全国のモンベルショップで販売されている分厚いものだ。中に掲載されている写真は、みな凄いフィールドで撮影されているので、眺めているだけでも楽しい。

辰野社長はカヌーイストの野田さんの小説にもよく出てくる。私がちょっとだけ参加していた事がある、地平線会議でも名前が聴かれた、フィールドでも有名な方だ。そういう人が設立・運営しているブランドはやはり、中身も濃い。日本で生まれたブランドとして、ネパールで偽物が出回る位有名ブランドは、ここだけではないだろうか。

クロージングは宗谷丘陵、ギアは美瑛の哲学の木で撮影されたものだ。

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2005年03月12日

最高のキャンプ用品ショップ

コーヒーを飲む為のパーコレーターも、キャンプ用品ショップで購入する。

最近の犬仲間とかでキャンプの話をすると、キャンプ用品はホームセンターやスポーツオーソリティのような総合ショップで購入するものだという。当然そういうお店で買えるものは、大柄なものが多く、テーブルや椅子、2バーナーなど、到底バイクで運べるようなものではないものばかり。テントもコールマンや小川テントなどのファミリーテントが主だ。

私が中学生時代から、キャンプ用品は実家の近くにある、コージツかICI石井スポーツといった、俗に山ヤさんが行く登山用品屋だった。中学時代に自転車で秩父とかにツーリングした時は、コージツで固形燃料とメタクッカーを買ってでかけた。その後バイクツーリングをする時も、小型軽量で燃料の入手方法が楽な、山ヤさんが使うものしか視野に入らなかった。テントも収納効率や雨や風に強いタイプ。

ストーブやコッフェル、ランタンなどそれぞれの話はきっとこれからおいおい書いて行く事になると思うが、私が愛用しているものを入手できるショップは少ない。上で書いたショップ以外で、私が好きだった山幸はなくなってしまった。ちょっとキャンプツーリングブームの頃に、ソロからファミリー用がまんべんなくあった池袋SRCは新宿に移ってきてから、あまり行く機会がなくなってしまった。池袋の秀山荘、高田馬場のかもしかスポーツ、神保町のさかいやスポーツなど、数えきれない程よく足を運んだ。

しかし、その中で常連と言える程店員と仲良くしていたショップは、スタッフが一度すべて人事異動でいなくなり、数年前にそのメンバーがまたそっくり新宿西口店に戻ってきたコージツ。店長から副店長、みな顔なじみだ。

そして今は無くなってしまった写真のここ。ロングツーリストのたまり場。きわめて偏った商品展開と、生粋の旅人がオーナーという、究極のショップだった。

オーナーとは、偶然開陽台で出会った。私がいつものように、北海道に上陸し、町中で食料を買い込んだあとに丘にあがると、丁度丘を下るオーナーA氏と奥様とお子さんが、私の旅人の友人たちと談笑していた。記念写真を取り、別れるまで1~2時間しかなかったと思う。まあいつもの旅人同士の出会いだった。その時、キャンプ用品ショップを開くので、遊びに来てくれとステッカーをもらったが、いつかいこうと思って、そのままそのステッカーは大事にしまわれた。

しばらくして、旅人の友人ランチョンから、濃いキャンプ用品屋をみつけたから、行ってみないかと誘われた。私の会社の同僚や、旅の友人を誘ってバイクで厚木IC近くのマクドナルドで待ち合わせをし、そこに行ってみる事になった。

行ってみると、車通りのある道に面している店の横の空き地で、バーベキューグリルが出て火がついており、オーナーともう一人が何かを焼いていた。店の中に入ると、一部の壁に怪しいものが沢山貼られている。多くの旅の写真の中に、八重山と沖縄本島を結ぶフェリーに乗船すると貼らされる「石→那」のステッカー、サトウキビのバイトに使われた麦わら帽子、サッポロクラッシックや北のきりんの空き缶、レトルトの中身汁の空き袋、吊るされたハンモックには洗ったあと乾かしているようにコッフェルが無造作に入っていたり、至る所に旅の匂いがプンプンしていた。

なんだここは。ここだけまったく別の世界じゃないか、と感じた。正直鳥肌がたつ程、旅人の血が騒いだ。こんなショップがあったのかと、そして教えてくれたランチョンに感謝した。

少しオーナーと話をしたり、店の中をうろうろみていると、ふと中に私が1985年から目的地として旅をしている北海道は中標津の開陽台の写真に目がとまった。ここのオーナーもあの丘の夕日と朝日と星空を知っている。そう思っただけで嬉しくなった。

数枚みていくと、ぎょっとする写真を見つけてしまった。
私が映っている写真だった。
まさか、誰が貼ったんだろう。誰か知り合いがここに来たという事か?

何の事はない、私はオーナーと丘で会っていたのだった。そう、あの日数時間だったが会い、写真を取り、ステッカーを貰い、再会を約束した旅人、その人であり、写真はオーナーのものであった。

家に帰り、数年前に頂いたステッカーを探してみつけた。旅人の再会というのは、偶然ではなく何か見えない力が働いているような気がした。それは必然なのだという事。旅というパワーの持つ、不思議な力によってめぐり合う運命だったのだろうという事を、確信していった。

残念ながらこのショップは今閉店してしまったが、私の中でこのショップがナンバーワンのキャンプ用品ショップである事はこれからも変わらない。

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2005年03月11日

うまいコーヒー

コーヒーが好きだ。とはいっても、そんなに味にうるさい訳ではない。
以前はストレートのマンデリンが好きだった。最近はレギュラーの安いものを買ったりしているが、1日に仕事場とかだと5杯前後は飲むだろうか。フリーズドライでも最近は美味しいと感じられるものが随分出ているようで、拘りはそれほどない。

しかしこだわる部分としては、酸味があるコーヒーは嫌いだ。苦みとコクと言われるものが強い方がよい。富良野在住の有名な脚本家の方のテレビが放映されている。客にミルで豆を挽かせる喫茶店のマスターが主人公のようだ。確かに時間を楽しむ時は、それもよいだろう。私はでも自分で挽くよりも、入れている時の時間が好きだったりする。

キャンプでは長年、パーコレーターをつかっていた。それもドリップ部分に直接豆を入れるのではなく、ペーパーフィルターに穴をあけ、そこに挽いた豆を入れ、あまり強火にならないようにガソリンストーブにかける。沸騰してきたら、火力を落とし、コーヒーの色をトップの窓から見つつ、頃合いを見計らって火を止める。そして、ダブルウォールのステンレスカップか、ロッキーカップ1/2パイントに注ぎ、デカい折り畳み椅子に座って風景をながめたり、旅人の友人と話をしながら、香るコーヒーを飲むのだ。

このミロのパーコレーターも、もう随分前に生産中止された2cups。転倒で凹みやゆがみがある。今は5cups以上しか販売されていないようだ。初めて独り暮らしをはじめた頃、台所のコンロには、この10cupsが常に載っていた。ケトルの代わりだ。

写真は北海道は和琴半島のキャンプ場。朝霧が屈斜路湖の上に漂い、小さい波が打ち寄せる大好きなサイトだ。どんなシーンなのかというと、こんな感じ。

目を覚まし、上半身を起こしながら、テントの入り口のジッパーをあけ、次にフライシートをあける。

夏でも湿った冷たい空気がテント内部に一気に流れ込み、顔や体が少しだけ目覚め、出入口のすぐそばであぐらをかいて座りなおす。

夜露に濡れないように前室に置いてあるピーク1を持ち上げる。バイクで旅する事で握力が弱まった手で、ぼちぼちとポンピングをはじめるが、なかなか力が入らない。頭はまだ、1/3も覚醒していない。

通常よりはるかに少ない回数で、圧がかかってきたと思えるあたりで諦め着火。テントや前髪を焼かないようにもう一度左手に持ち、安定するまでポンピングをする。

しばらくピーク1は前室に放置し、昨日から放置してあるパーコレーターの中の出涸らしの豆とフィルターをゴミ袋に捨て、新しいフィルターと豆をセットし、少なめの水をパーコレーターの中に入れ、セットする。

そろそろ火が安定した頃なので、ピーク1にパーコレータを乗せる。目をこすり、伸びをし、湖を眺めながら、朝飯は何食おうか、今日は何をするかなど、決して真剣になる事なく、適当に考える。

そうしていると、私にとって一番おいしいと思えるコーヒーが出来上がるのだった。

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2005年02月27日

やはり週末でも治らず

微熱と咳がおさまらない…とうとうタミフルも5日分を飲み尽くし、病院はもう出せないと言っていた。あとは安静しかないという事か…

今回この薬を飲んでから、急激に熱も下がり、これはすぐに治るかも、とタカをくくっていたが、やはり私の体はそう簡単に回復してくれなかった。まあこのクラスの風邪の場合は最低1週間、最悪2週間弱の休養が必要なのはわかってはいたが、この時期にきて年休を使いすぎると来年度に影響するのでちょっと悩む所だ。とりあえず今日は風呂に入らず、寝る体制に。明日もう1日だけ休ませてもらうつもりだ。

今日は本当なら旅の友人たちと某公園でデイキャンプの予定だった。当然外出は一歩もせず。昨年買ったコンボクッカーも無駄に収納庫のスペースをとっているだけである。現地から楽しそうな友人の写真やメッセージが飛んできたが、とりあえずリアルタイムで見ないで寝ていた。

もともとオートキャンプというもの自体、あまりした事がなかった事から、ダッチオーブンなどもまったく興味がなかった。実際の所、つかっている人を軽蔑すらしていた。しかし、最近になってダッチで作った料理の美味しさを楽しめる事に少しだけ気づいた。その事もあって、このコンボクッカーが気に入って購入したのだった。

この写真はシーズニング前。今年はこれを使えるフィールドに沢山出たい。
とりあえず、インフルエンザを治さねば…

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2005年02月20日

ガソリンストーブ

寒そうな雲が空一面に居すわる日曜。散歩に行こうと外に出れば、小雨が降っていた。傘を出すのも面倒なので、着ているマウンテンパーカのフードを被り、近所を一周。

こういう日は何もする気が起きないが、少しだけ片づけをした。昨年結果的には一度も火を入れる事なかった、長年愛用しているキャンプストーブのメンテをした。ポンプ部分を分解し、オイルを塗り、軽く本体を拭く。このストーブに行き着くまでと、これを使い始めてからの話をすると、それなりに長くなる。

ガスを愛用している期間というのが、実は私にはなかった。手軽だが、コスト高であったし、何よりガソリンは足としていたバイクに積んである訳で、1リッターのレギュラーガソリンで何度炊事ができるかという事を考えた時、自然にガソリンストーブという結果になっていた。

とはいえ、ホワイトガソリン専用機と呼ばれるこのストーブであるが、これまでジェネレータを交換したのは2度だけ。それまでは着火後の取り扱い方に気を配るだけで、特に詰まるという事はなかった。

ガソリンスタンドで入手できるレギュラーガソリン、通称赤ガスが使えるとうたっているオプティマスの8Rや、GIストーブを使った事もあるが、このコールマンピーク1の使い勝手に比べる事はできなかった。

という訳で私の愛用のメインストーブは、この1989年型Coleman Peak1 400Aである。

ケースは当時どこぞのバーゲンで1000円で買った純正のアルミ製。妙なステッカーは旅を物語る…かもしれない。このケース以外にはEPIのランタン用が流用できたが、こちらの方がコンパクトにパッキングができるので、愛用している。

ストーブについてはまたあらためて語りたい。

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