キャンパーの友人は、基本的には公の場に出るのを好まない。人前に顔をさらすなんて事は、苦手と言っていい。キャンパーにもいろいろあって、今もファミリーキャンパーのように家族がキャンプを楽しんでいる所をホームページや掲示板に載せたりする事も多いようだが、基本的に顔がよくわからない程度の写真までしか載せないのが私の親しくしている友人達に共通して言える事かもしれない。
いわゆる、シャイという奴なのだろうか。恥ずかしがり屋で、時にはナルシスト寄りでもあったりする。そんな旅人の友人をここで切ってみようと思う。というか、事前に切ってもよいと許可をえられた場合か、既に顔写真をパブリックな場に公開している者に限り、書いてみたいと思う。
まずは、和琴のおっと、という男についてだ。
和琴のおっとさんは、「和琴」にいた「おっと」さんだ。おっと、という名前については、初めてロングツーリングに行く時に、相棒と2人で行ったらしく、その時に片割れの名が残っているそうだ。北海道ではいろいろなキャンパーネームというあだ名がつけられ、それで呼ばれているという話を先達から聴いて、変な名前をつけられるなら自分たちでつけていこう、とヘルメットの後頭部に、「おっと」「どっこい」と自らで書いたというのが始まりらしい。
どこをどう走ったか知らないが、和琴に沈没。レストハウスでのバイトなどをしながら長期滞在する事になり、そこで計画通り「おっとさん」と呼ばれていた。世話焼きで、料理も整備も一通りなんでもこなし、大柄な体格からもその存在は目立っていたようだ。またマンガ好きであり、旺盛な好奇心から当時最先端だったパソコンを手にいれ、大量にある本のデータベースを作ろうとしていたらしく、その頃からITに興味があったようだ。
ある冬、ジムニーにスタッドレスを履かせ、厳冬期の北海道に幕営旅行に出た。彼は浜小清水で流氷を来るのを待ち、和琴や鶴居でテント生活をしていた。その帰りの近海郵船フェリーの中で、偶然私の開陽台での友人と出会った。その友人は今では道民になっているのだが、彼が私に絵はがきを船内で書いていてくれたらしい。それをおっとさんは見ていた。
おっとさんは帰宅し、北海道にでかける前に始めたパソコン通信で、アウトライダーの小さなコミュニティに参加した。いや、実際はアウトライダーではなく、須藤カメラマンが主催のコミュニティだったのだが、そこの名にアウトライダーが使われていた。
その場所は北海道を旅している間に開設され、既にいろいろなツーリストが書き込みをしていた。自己紹介や旅の話など殆どリアルタイムに、今の生の情報を交換できるリアルさに没頭していく。しかしふとその中の一人の文章に目がとまった。どうもその内容は、どこかで聴いた事があったからだ。
しばらく考えて思いついた。それはこの前フェリーの中で会った開陽台のキャンパーじゃないか。彼が書いていた絵はがきは、このアウトライダーのコミュニティに参加している奴の手に届いているという事か。それに気づいてから、その事に返信をつけるまではあっという間だった。
…
私は突然の関係者の登場に驚き、すぐに掲示板には簡単な挨拶だけとし、本人と直接のメールをやりとりした。お互いがきっと顔をあわせた事がないが、同じ匂いのする旅人で、同じ趣味を持っている奴なのかもしれないが、実際どんな人間なのかわからない。ネットの怖さで、オフラインという場で会うまでは顔もあわせたことがないにも関わらず、古くから知っている友人に感じてしまう事に、当時はまだお互い気づいていなかった。それまでの文章だけで、相手を理解し、想像し、イメージができあがっていく。不思議な世界に興味を持っていく。当然、これは商用ネットであり、まだインターネットもごく特殊な人が利用している程度のものだった。
実際に会ったのはいつだったか。今では古い友人であり、相手が何を気にして、何をしたがっているのか、言わなくてもわかる仲だ。生年月日も約4カ月しか違わない、同じ世代の男が、北海道の旅とバイクとネットで繋がったのだった。
面白いエピソードがある。
ひとつは、1994年のゴールデンウィーク。私は八重山諸島の石垣島にある、米原キャンプ場にテントを張り、1週間程幕営生活をしていた。その時5月3日からの3連休に、地元の人々がそれまで静かだったキャンプ場に大挙して押し寄せてきた。私はその時、第4炊事場にベースを張り、その周辺に居た旅人と交流をしていた。その中で際立って濃いキャンパーが居た。カイ君と呼ばれる、Z750GPに乗る旅人だった。
私が町からキャンプ場に戻ってきて、自分のテントのすぐ近くまでファミリーテントが貼られた現場を見て、「なんだこれは、まるでお盆の和琴じゃないか…」と口に出して呟いた。すると、そのカイ君が、「和琴かぁ。和琴のおっとなら知っているんだけどな。」と同じように呟いた。…その瞬間、私ははじけるように笑い転げてしまった。こんな南の地で名が出てくるとは…和琴のおっと、おそるべし、と心底思った出来事だった。
もうひとつは、アウトライダーのコミュニティで、私やおっとさんはそれなりにアクティティブメンバーであり、書き込みも多かった。その為、多くのメンバーの人に、我々の名を憶えて頂いていた。
ある夏、和琴にはおっとさんや私の共通の友人が多く滞在していた。カヌーのスタッフをやっていた年だった為、レストハウスに関係して働いている者は全員身内だったと言っていい。
あるおっとさんの名を知るものが、おっとさんがいない時期にレストハウスに行き、「和琴のおっとさんって居ますか?」とスタッフに聴いたらしい。するとその中の一人が、「知らねえよ、そんなデブ!」と答えたのだった。その答えた一人は親しい友人の一人なのだが、開陽台においてもそうだったが私達の名を口に出して、訪ねてくる旅人が1人や2人ではなかったらしく、正直面倒臭かったらしい。
どちらもおっとさんが多くの旅人に印象を深く与え、慕われていたのがわかるエピソードだ。
彼のサイトを見ればわかる通り、今ではしっかりパパしている。でもバイクには乗り続けような。そして旅は続けていこうな。お互い、ジジイになるまで-
